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第2章 旅立ち
瞳の奥の決断
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アダマ?
アダマとはなんだろう。
マリウスもアーラも、そしてニゲルも、たった一音でさえ、口にできなかった。それについて聞く事が、なんとなく怖かったのである。ひたすらウエンさんとサフィラスを、両眼で行ったり来たりして見つめるくらいしかできずに、誰かがーーーつまり、目の前のどちらかの大人が、次の一言を言うのを待った。
長いとも言える沈黙の後、口を動かしたのはやっぱりウエンさんだった。
「君たちが自分についてどれくらい知っているか?…いや、実際はほとんど知らないだろう」
ーーー自分?
自分について知らないとは、ウエンさんはいかなる理由をもってしてそう言っているのか。ニゲルが自分の事を知らないはずがない。
だって自分自身だから。
「ニゲル、この石はね、私の集めた力が込められているから、本来割れるはずがない物なんだ」
ウエンさんはニゲルの手を掴み、その握りしめていた、汗ばんだちいさな手のひらをとく。そして、指先を確かめるように注意深く、探るような目で見つめた。
「え?」
「それなのに、君はまだ11歳にもかかわらず、この石を割ったんだ。この、小さな指だけでね」
その言い方は、まるで何か悪い事、つまりそんな事ができる事自体、全く望ましくないと言わんばかりの言い方だった。
「…あの、僕は変なんですか…?」
ニゲルのふるえる声に、その時サフィラスが初めてピクリと反応した。
「変ではない。ただ、普通でもない」
そうして、腰掛けていた寝台から立ち上がり、ニゲルの腕を引くと、裸足のままゆっくり歩こうとする小さな足を急かすように、部屋の扉に向かって歩き始めた。布団の中のマリウスとアーラが、どこに行くの?と背中に向かって問いかけているが、ウエンさんはそんな2人に、『君たちは私と話があるんだ』と、視界を遮った。
「ねえ、サフィラス…どこにいくの?」
廊下を静かに進む背中に、ニゲルは小さく問いかける。
「私の部屋だよ」
「…なんで?」
「ニゲルとゆっくり話をしようと思ってね」
「あの部屋じゃだめなの?」
背中はこちらを振り返らない。だからどんな顔をしているのかもわからない。
「ああ、私の部屋の方がゆっくり話せるからね」
「…そっか…」
静かに歩いているサフィラスの下衣の衣擦れの音がサリサリと聞こえるくらいで、廊下はとても静かだった。もう、自分達以外みんな寝ているのだ。そんな静けさに、あらためて真夜中なんだと実感する。そんな全てが寝静まる夜中に話があるなんて、考えてみればおかしな事だ。
側から見れば、これではお仕置きを受けるために引っ立てられて連れ出された屋敷の小間使いの子供だ。
戸惑いと不安でしょんぼりとなり、次第に気持ちが沈んでくる。
やがて一つの部屋の前で足を止めたサフィラスは、扉を開くと先にニゲルに入室するよう、うながした。
明るさの保たれた部屋。絨毯がひかれた床を進むと、窓辺にある横に伸びた丸太に止まる鳥が、羽を動かして首を上げたのが見えた。近づいてみると、身体の大きな鷹だ。足の爪は丸太に食い込むようにして曲がっていて、尖ったクチバシはニゲルの指くらい食いちぎってしまいそうに見えるほど、勇ましい。
「…すごい。これ、タカでしょ?本で見たことある。おっきいなぁ…」
キラリと光る眼がニゲルを捕らえて、首をかしげる。
「そうかい、本物はきれいだろう?これはウエンの鷹だよ」
「うん…すごいや…」
ニゲルは思わず手を伸ばしそうになる。
「ニゲル。触るのはあぶないから、こちらにおいで」
サフィラスはソファの前にある小さな机の上にあった本を閉じて脇によけると、クッションが置かれている一角に座るよう、示した。
ニゲルがそこに腰掛けた後、サフィラスは隣に同じように腰掛けた。そうして、ゆっくりとこちらを向く。
「…さて、ニゲル。どうか構えないで落ち着いて聞いてほしい」
ニゲルは、さぞや大事な話なのだろう、いや、それかーーー、弁償について厳しい事をいわれるのだろうか、そんなふうに思いながら見つめ返したまま、神妙にうなずいた。
しかしその深い森のような緑の瞳が、あの洞穴で守られて何にも知らなかった自分に大きな決断を迫っていた事を、この時はまだ知る由もなかったのだった。
アダマとはなんだろう。
マリウスもアーラも、そしてニゲルも、たった一音でさえ、口にできなかった。それについて聞く事が、なんとなく怖かったのである。ひたすらウエンさんとサフィラスを、両眼で行ったり来たりして見つめるくらいしかできずに、誰かがーーーつまり、目の前のどちらかの大人が、次の一言を言うのを待った。
長いとも言える沈黙の後、口を動かしたのはやっぱりウエンさんだった。
「君たちが自分についてどれくらい知っているか?…いや、実際はほとんど知らないだろう」
ーーー自分?
自分について知らないとは、ウエンさんはいかなる理由をもってしてそう言っているのか。ニゲルが自分の事を知らないはずがない。
だって自分自身だから。
「ニゲル、この石はね、私の集めた力が込められているから、本来割れるはずがない物なんだ」
ウエンさんはニゲルの手を掴み、その握りしめていた、汗ばんだちいさな手のひらをとく。そして、指先を確かめるように注意深く、探るような目で見つめた。
「え?」
「それなのに、君はまだ11歳にもかかわらず、この石を割ったんだ。この、小さな指だけでね」
その言い方は、まるで何か悪い事、つまりそんな事ができる事自体、全く望ましくないと言わんばかりの言い方だった。
「…あの、僕は変なんですか…?」
ニゲルのふるえる声に、その時サフィラスが初めてピクリと反応した。
「変ではない。ただ、普通でもない」
そうして、腰掛けていた寝台から立ち上がり、ニゲルの腕を引くと、裸足のままゆっくり歩こうとする小さな足を急かすように、部屋の扉に向かって歩き始めた。布団の中のマリウスとアーラが、どこに行くの?と背中に向かって問いかけているが、ウエンさんはそんな2人に、『君たちは私と話があるんだ』と、視界を遮った。
「ねえ、サフィラス…どこにいくの?」
廊下を静かに進む背中に、ニゲルは小さく問いかける。
「私の部屋だよ」
「…なんで?」
「ニゲルとゆっくり話をしようと思ってね」
「あの部屋じゃだめなの?」
背中はこちらを振り返らない。だからどんな顔をしているのかもわからない。
「ああ、私の部屋の方がゆっくり話せるからね」
「…そっか…」
静かに歩いているサフィラスの下衣の衣擦れの音がサリサリと聞こえるくらいで、廊下はとても静かだった。もう、自分達以外みんな寝ているのだ。そんな静けさに、あらためて真夜中なんだと実感する。そんな全てが寝静まる夜中に話があるなんて、考えてみればおかしな事だ。
側から見れば、これではお仕置きを受けるために引っ立てられて連れ出された屋敷の小間使いの子供だ。
戸惑いと不安でしょんぼりとなり、次第に気持ちが沈んでくる。
やがて一つの部屋の前で足を止めたサフィラスは、扉を開くと先にニゲルに入室するよう、うながした。
明るさの保たれた部屋。絨毯がひかれた床を進むと、窓辺にある横に伸びた丸太に止まる鳥が、羽を動かして首を上げたのが見えた。近づいてみると、身体の大きな鷹だ。足の爪は丸太に食い込むようにして曲がっていて、尖ったクチバシはニゲルの指くらい食いちぎってしまいそうに見えるほど、勇ましい。
「…すごい。これ、タカでしょ?本で見たことある。おっきいなぁ…」
キラリと光る眼がニゲルを捕らえて、首をかしげる。
「そうかい、本物はきれいだろう?これはウエンの鷹だよ」
「うん…すごいや…」
ニゲルは思わず手を伸ばしそうになる。
「ニゲル。触るのはあぶないから、こちらにおいで」
サフィラスはソファの前にある小さな机の上にあった本を閉じて脇によけると、クッションが置かれている一角に座るよう、示した。
ニゲルがそこに腰掛けた後、サフィラスは隣に同じように腰掛けた。そうして、ゆっくりとこちらを向く。
「…さて、ニゲル。どうか構えないで落ち着いて聞いてほしい」
ニゲルは、さぞや大事な話なのだろう、いや、それかーーー、弁償について厳しい事をいわれるのだろうか、そんなふうに思いながら見つめ返したまま、神妙にうなずいた。
しかしその深い森のような緑の瞳が、あの洞穴で守られて何にも知らなかった自分に大きな決断を迫っていた事を、この時はまだ知る由もなかったのだった。
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