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授かりもの顛末
お山の座敷童は……。
しおりを挟むくるみはひそやかな、昏い木々の間を裸足で歩いて行く。
踏みしめる苔の水気が心地よい。塞がれていた五感の全てがどこまでも広がっていくような、晴れ晴れとした気分だ。どうしてこれを忘れていられたのかと不思議に思う。
この空気を、においを、知っている。
くるみは昔の座敷童の姿そのままで、慣れ親しんだ気配の中を進む。小さな唇に音のない言葉を乗せる。
ばあさま、ばあさま。
座敷童の呼び声に、強い風がざあっ、と吹いた。その強さに背けた顔をあげたときには、目の前に屋敷が現れていた。太い木材を使った立派な屋敷だ。
心地よい日だまりの中、庭には全ての四季の花が咲き、鶏舎では白と黒の豪奢な尾羽根を垂らした長鳴鶏が、止まり木に乗り、小刻みに首を動かしている。
鳥が鳴き交わす声の中、屋敷へ近づく座敷童は、玄関の前に人影を見つけ走り出した。
ばあさま、ばあさま!
地面につくほど長い白髪を、首の後ろで結わえた老婆。淡い紫の着物を着たそのひとへ、童姿のくるみはまっしぐらに駆けていく。
会えるなんて思っていなかった。嬉しい、嬉しい。くるみの顔がほころぶ。
お山を下りてからも、ばあさま―――迷ヒ家の主は、嫁入り道具や家の守りなど、何くれとなく座敷童へ心を寄せてくれていたのだ。
たくさんお礼を言いたいし、聞いてほしいこともたんとある。
水路が巡る賑やかな湊町、優しく親切なひとびと。美味しいもの、珍しいもの、店の仲間、はじめての友。そして、いとしい夫、足のことを、たくさんたくさん、聞いてほしい。
どれほど自分が幸せに暮らしているのかを、知ってほしかった。
ばあさま!!
くるみは迷ヒ家の主に飛び付いく。
「おうおう、わらしこ、わらしこや」
ばあさまは優しく抱き返してくれた。しわだらけの手で、座敷童のおかっぱ頭をゆっくりなでる。
ばあさま、あえてうれしい!
「そうかそうか。……あちらとこちらが、繋がったかい。ちいと、力を流し込み過ぎたようだの」
は、は、は、とばあさまが笑う。
その笑顔を見上げ、こちらも笑顔で話そうとして、はた、と座敷童は我に返った。
あれほどたくさん言いたいことがあったのに、あれほどたくさん聞いてほしいことがあったのに、ひとつも言葉が見つからない。それどころか、何を伝えたかったのかすら、おぼろげになっていく。
目を丸くして自分を見つめる座敷童へ、老婆は変わらぬ笑顔を向ける。
「世は夢まぼろし、儚く短い。わらしこや、お前はひととき、いい夢を見たのさ」
座敷童は戸惑いながら老婆から離れ、一歩、後ろへ下がった。
……ゆめ?
確かに、心浮き立つ日々を過ごしたはずなのだ。それがどんなものだったか、確かめるより前に頭から記憶が消えていく。こちらに笑顔を向けていたひと達がいたはずだ、誰だ、どんな顔だったか、そもそもそれはほんとうなのか。
嬉しかった、幸せだった気持ちだけが、突き放されたように胸の中にころんと転がって、それすらもあやふやになっていく。
ゆめ? ぜんぶ、ゆめ?
ばあさまの言うように、すべては夢だったのだろうか。結局自分は今も変わらず、ひとが絶えた里で膝を抱えて過ごしているのだろうか。
寂しい自分が、ひとに憧れて見た、夢……?
悲しくて目に涙がにじむ。
『―――み』
座敷童は弾かれたように顔をあげた。
声がした。
不明瞭なものだった。
けれどその声は自分にとって大事なものだ。座敷童にはわかる。だって、かすかに聞こえただけで、こんなに胸が躍るのだ。
穏やかで優しい、いつまでも聞いていたくなる男の声音。忘れるはずがない、だってこの声は、もはやこの身の一部なのだ。
声がさらに、座敷童から声の記憶を引き出してゆく。
『くるみ』
『お前さんが、大好きだ。俺の嫁になっておくれ』
『可愛い、可愛い、俺の大事な天女様』
『お前さんは、ほんとにけなげで、可愛いねえ』
『お前さんがいっとう好きだ』
『お前さんが、心の底から、いとおしいよ』
わたしも。わたしもおなじ。
座敷童の目から涙がこぼれる。何もかもが夢だったのかと嘆く、先ほどの涙とは違う。愛するひとを得た幸せの涙だ。
『可愛い、可愛い、可愛いくるみ。健気で優しい、大事なくるみ』
優しい手と、心と、こちらをくすぐるような眼差しをした、誰より大事な……。
―――足!
いとしい夫の名を叫んだ瞬間、一気に記憶がよみがえった。座敷童は、幼い子どもの姿ではなく、商家の御新造姿で立っていた。臨月の大きな腹をした、胡桃堂店主の妻、くるみだ。
くるみは頬を涙で濡らしたまま、まっすぐ迷ヒ家の主を見つめる。
ばあさま、ぜんぶ夢なんかじゃない。
私はくるみ、足の妻です。お山を下りて、足に嫁いだくるみです。
「やれやれ」
老婆は肩をすくめる。
「まったくまあ、しつこい男だよ……。ここまで声が聞こえる。ほれ」
老婆に促され耳を澄ませば、必死な声が聞こえてくる。
『お山の神様、お山の神様。くるみと子どもが無事でありますように』
『お産がつつがなく済みますように』
『どうかどうか、くるみと子どもに助力をお願いいたします……!』
『くるみ、くるみ、がんばるんだよ』
『ああ、痛いだろうな、苦しいだろうな、代わってやりたいよ』
『なんだって男は何もできないんだろう。半分なりとも、痛みを引き受けられるようできてりゃいいのに』
『ああ、くるみ、くるみ。大事な大事な、可愛いくるみ。お山の神様。どうぞ、くるみと子どもを、よろしくお頼みいたします……!』
足の祈りだ。
むき出しの心がここまで届いて、くるみの胸を熱くする。
「あの男。天の理にまで文句を言いよる。つがいが揃って痛いと転がっていたら、まとめて喰われてしまうだろうが。馬鹿な奴だの。大体、こんな短い間に、座敷童を孕まして。ひとの質がうつるのが早すぎるわ」
ぼやいた老婆は手を伸ばし、くるみの頬をなでる。
「わらしこよぅ、お前はひとではない。蝶の羽根をむしって、脚をもいで、ひとと同じ手足の数に揃えても、それはひとではない。ひとに似せることはできても、ひとにはならない」
ひとならぬものにひとの質がうつれば、ひとに近いものへ変わっていく。くるみが足からひとの質をうつされて、子を孕める体となったように。
それでも、どんなにひとに近づいても、ひとそのものになれはしないのだ。
「ひとに近づけば近づくほど、お前はおのれを失っていく。今ならほれ、まだ間に合う。魂だけでも帰ってこられる。夢を見ていたと、そう思えばいい」
いいえ、ばあさま。帰らない。
くるみはゆるゆるとかぶりを振る。
いろんなものをなくして、座敷童じゃなくなっても。足のそばには、なくしたものよりたくさんの幸せがあるから。これからもずっと、変わらないから。
早く帰って、無事にお産を済ませ、我が子を腕に抱かなければ。足と自分の子だから、普通のひとの子とは違うかもしれないが、足に似た優しい子だろう。足と子どもとの暮らしは、きっと、はじめて知ることばかりに違いない。
愛し、愛されることを知った座敷童は、くるみは、迷わない。
―――ばあさま。私は、これからもずっと足のそばにいる。だから、早くここから、帰らなくちゃ。
一番大事なひとが、自分の無事を祈って待っている。
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