座敷童、嫁に行く。

法花鳥屋銭丸

文字の大きさ
上 下
61 / 71
授かりもの顛末

小話 その日を前に

しおりを挟む


 くるみはふと我に返った。
 しばらくぼんやりしていたらしい。文を書いていた手が止まり、筆先が紙へ染みを作っている。くるみは筆を硯へ置き、使えなくなった紙をのけた。
 書いていたのはお礼の手紙だ。
 成鐘屋のお久美は、甘味処で初めて会ったあの日、「あたしが勝手に注文したからねぇ」と、くるみたちの払いも持ってくれた。

「気になるんなら、あんたが次に何かおごっておくれよ」

 というお久美の言葉に、またこんな時間を一緒に過ごせるのだと嬉しくなった。
 お福さんとは少し違う形で、くるみはお久美へ憧れの気持ちを持っている。くるみの回りは優しいひとが多く、普段から助けて貰っているが、友、と言えるひとはいない。
 もっと、あのひとと仲良くなれたらいい。まあ、あんまり素敵すぎて、たりが繰り返しあのひとの名を呼ぶのに、焼きもちを焼いたりしたけれども……。

 ふ、とため息ひとつ、くるみは反古紙入れへ目をやる。ついついぼんやりして、書き損じが溜まってしまった。おさよの字の練習に使えるとはいえ、なかなかもったいないことをしている。

 身ごもってしばらく、帳簿の仕事や畑の仕事も普通にしていた。腹が目立つようになってもだ。時折、たりも畑仕事を手伝ってくれ、退屈しない日々が続いていたのだ。
 変わったのはもう臨月、という頃。どこに行くにも何をするにも心配され、うちで座っているしかできなくなった。お福さんがたりに忠告をしてくれなかったら、散歩さえ許してもらえなかっただろう。

 理由はわかっている。
 今のようにぼんやりすることが増え、勘も鈍った。我に返るとたりが心配そうにこちらをのぞき込んでいる、なんてことも一度や二度ではない。
 ひとならぬものの気配を読むことさえ今は難しい。ちい福が長い眠りから目覚めたときも、普段なら気付くはずが全くわからなかった。
 おのれの全てが、腹の子だけに集中しているのかもしれない。

 お山はくるみを守ろうと、湊町の中だというのに、強い力で家を包んでいる。それでは足りぬとちい福にまで力を注ぎ込んだ。お山を降りた座敷童のためには過剰な守りである。
 お山が一体何を心配しているのか、判らぬくるみではない。

 でも。きっと、大丈夫。
 がんばって産まれておいで。
 みんなお前を待っているから。

 くるみは腹をなでながら、子どもへ話しかける。
 長く見守り続けたあの山里で、子を幸せそうに抱いていた母たちのように、この腕にたりとの子を抱きたい。大好きなひとと大好きな場所を、早くこの子へ見せてあげたい。

 そして、この大切なものを産むためにしなければならない覚悟など、くるみはもう、とうにしているのだ。


 ◇


 お前は一体何を考えとるんじゃあ!!

 金の鼠は怒声に首をすくめた。
 鼠に正座はきつい。
 もちろん正座そのものではない。こう、真面目に見えるようしっかりと座っているだけだがそれが辛い。
 ちょっと体を崩すとだらしなく見え、それもお小言の種になるので、ちい福はぷるぷるしながら涙目でがんばっている。

 ちい福の前に浮かんだ、羽衣を纏う赤い小さな影は怒り心頭だ。眉間にくっきりシワを寄せ、その古風な衣と同じくらいに頬を赤く染めている。
 お部屋様と呼ばれる厠神だ。
 ひとが厠を使い始めた頃から存在するこの眷属は、疫病から住む者を守る住居神であり、悪いものの侵入を防ぐ境界神でもある。

 上衣の綾錦や深紅の裳裾に天平の香りを残し、金の簪も今様と違い、正面と左右にさされ、まるで冠のようだ。その姿にふさわしい古風な髷。典雅な姿とは裏腹に、小さな女神はべらぼうに怒っている。
 井戸端に集まった他のものたちも、息をひそめて遠巻きにしていた。

 せっかくお山がくださった力なのに、ヒゲを烏にやっただと!? この考えなし! 阿呆! その頭は飾りか!? あァン!?

 小さな女神は、その雅な姿の割にちょっとガラが悪かった。
 福鼠はヒゲをしんなりさせ、浮かぶ女神を上目遣いに見る。

 で、でも一本だけだし……。

 その一本で何もかも変わるかもしれんのだ痴れ者がァ!!

 ちい福が反論したのがまずかった。怒号を浴びて弾き飛ばされる。悲鳴も出せずに後ろへころげ、地面にべちょりと張り付く羽目になる。

 この守りの強さが判らんか。お山がどれだけ、座敷童を案じておるか、感じぬか。今は力のひとかけらさえ、無駄にできんのじゃ!!

 お部屋様の怒声に、見守る仲間が首をすくめた。口を挟まないのは、お部屋様と同じ心配を全員がしているからだ。

 ひとならぬものは回りから少しずつ影響を受ける。座敷童も夫と睦まじく過ごすうち、ひとの質を写し取り、今や子さえ孕めるようになった。
 けれど、少し早すぎた。
 なるほど、子ができたのはいい。しかし、すんなり産めるほどひとの質が濃いのかどうか。せめてもう少し月日が経って、安心できるほどひとへ近くなっていたらまだよかったが、子は授かりもの。そんな都合などお構いなしである。

 お山が、遠く離れたこの地まで力を注いでいるということは、心配がほぼ当たっているのだろう。
 座敷童のお産は難しいものになる。
 そして座敷童の幸運を呼ぶ力は、おのれのためには使えないのだ。助けようにも、ここにいるものでお産を司るのはお部屋様のみ。それもわずかに関与できる力でしかない。

 他のものができることといえば、かまど様は湯を沸かす火を、蛟は水を言祝ぎ、守宮は悪いものから家を守り、こぼしさまはひたすら祈る。それくらいだ。
 そんな中、少しでもあてにできそうなのが福鼠の運を呼ぶ力なのに、ちい福はお山の力が満ちたヒゲを烏へやってしまった。ヒゲ一本分の力さえ、今は惜しいのに。

 でもね、お部屋様……。

 井戸の縁でとぐろを巻いていた白い蛟が、遠慮がちに声をかけた。

 ずっと寝ていて、何も判らなかったちい福に、そこまで求めるのは酷だよ。ちい福は、座敷童を祝ってあげたかっただけだ。

 争いを厭う穏やかなこの水の精の言葉は、先ほどまで怒鳴り散らしていた小さな女神の耳へも届く。

 ……それに、烏の翁は、ちい福のヒゲを悪いようにはしないと言っていたよ。何か考えがあるみたい。

 小さな女神の眉間のしわが深くなった。しかし、蛟のお陰で真っ赤だった顔色は幾分かさめて、落ち着いてきている。

 名持ちよりも、老いたただの烏の方が、頭があるというわけか。情けない。お山もどうしてこんなのを選んだんだか。

 この鼠は寝てるうちに頭が腐ったんじゃろ、と言いながら、お部屋様は厳しい目を金の鼠へ向ける。
 ちい福は、頭を振って起き上がった。涙目でお部屋様をにらむ。

 ん? なんじゃその目は? 自分の愚かさを棚に上げて、何か言いたいことでもあるのか?

 い、言わせておけば好き勝手言いやがって! このババァ! ウンコ女! 真っ赤っかのおさるのケツぅー!! 

 遠巻きに見守っていたひとならぬものたちは、ちい福の叫びに、うっ、とか、おさっ、とか小さく呻いた。
 お部屋様といえば目をいっぱいに見開いて固まっている。確かにその衣裳は赤一色。猿の尻と同じ色である。

 ヒゲ一本がなんだい! そんなもんなくったってなあ、おいらがどでかい福を呼んでやるよ!! 一世一代の福呼び、見せてやるから覚悟しやがれ、この便所女ァー!!

 捨て台詞を吐いて、福鼠が走り去って行く。ひとならぬものたちは、ぽかん、とその背中を見送った。

 おっ、お部屋様……?

 一番最初に我に返った蛟が、おそるおそる、厠神へ呼びかける。赤い衣裳の小さな女神は、宙へ浮いたまま、ぶるぶる身を震わせた。
 かまど神夫婦がさっと耳を塞ぐ。

 こ、この、腐れ鼠がァー!!!

 キィン、と空を震わす絶叫に、ひとならぬものたちは、揃って後ろへひっくり返った。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

奴隷の私が複数のご主人様に飼われる話

雫@来週更新
恋愛
複数のご主人様に飼われる話です。SM、玩具、3p、アナル開発など。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…

ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。 しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。 気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

私は何人とヤれば解放されるんですか?

ヘロディア
恋愛
初恋の人を探して貴族に仕えることを選んだ主人公。しかし、彼女に与えられた仕事とは、貴族たちの夜中の相手だった…

【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件

百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。 そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。 いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。) それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる! いいんだけど触りすぎ。 お母様も呆れからの憎しみも・・・ 溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。 デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。 アリサはの気持ちは・・・。

ドS騎士団長のご奉仕メイドに任命されましたが、私××なんですけど!?

yori
恋愛
*ノーチェブックスさまより書籍化&コミカライズ連載7/5~startしました* コミカライズは最新話無料ですのでぜひ! 読み終わったらいいね♥もよろしくお願いします! ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ ふりふりのエプロンをつけたメイドになるのが夢だった男爵令嬢エミリア。 王城のメイド試験に受かったはいいけど、処女なのに、性のお世話をする、ご奉仕メイドになってしまった!?  担当する騎士団長は、ある事情があって、専任のご奉仕メイドがついていないらしい……。 だけど普通のメイドよりも、お給金が倍だったので、貧乏な実家のために、いっぱい稼ぎます!!

処理中です...