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春風小路二番町胡桃堂こぼれ話
座敷童と帰った夫
しおりを挟む「ああ、くるみ、今帰ったよ」
木戸が閉まれば町には入れない。下手をすれば野宿だ。
ひとりの時さえきついのに、子連れとなれば難渋するに決まっている。本当に木戸を抜けたのはぎりぎりだったのだろう、くるみの顔を見てほっとしたか、帰ってきた足はとても嬉しそうに笑った。
しかし笑顔はそこまでだった。連れてきた子どもと一緒に汚れた脚を玄関先で洗い、遅い夕餉とばかりに出された茶漬けをかっ込むと、足は板間に正座して、ひたすら周囲に謝る。
「いや、ほんとに、相談もなしに勝手をして申し訳ない。使ったお店の金はもちろん返すよ。ごめんなさい」
旦那様がお戻りだ、と、出迎えに出てきた奉公人たちは、その前に横並びに座りながら困惑顔だ。
「みんなに話しもせずに人を増やしてしまって悪かったと思っているし、ひろ吉にもね、用事を勝手に言いつけて悪いことをした……いやいや、悪いのは俺だよ。ひろ吉が帰ってきても責めないでやっとくれ。うん、親父さんひとりのところに大金持たせたら危ないだろう? 送ってもらったのさ。里は山向こうだと言っていたからしばらくかかる。俺とおさよの駕籠代だけ抜いてね、財布ごとひろ吉へ預けたから、おあしは足りるはずなんだ……。店の仕事で出掛けたのに勝手をして、本当に悪かったよ」
くるみははらはらしながら少し離れたところに控えて座り、頭を下げる夫を見守る。先ほどから胸がざわめいて仕方ないのだ。
足が連れてきた小さな子ども―――さよというらしい―――は、出された食事をとる間もなく、こっくりこっくり舟をこぎ始めたのですでに寝かせた。よほど疲れたのだろう。
足とくるみ夫婦の部屋の隣で寝かせたのは、目が覚めたときに知らぬ顔ばかりでは可哀想だと足が言ったからだった。
「左様でございましたか」
足の正面に座り、いくつか問いながら話を聞いていた番頭の源助が、ふ、と息をついた。
「樺細工職人につてができましたし、ご無事にお帰りでまずは何よりです。色々とお話ししたいこともございますが、旦那様もお疲れでしょうし、子細は明日とさせて頂きます」
そうして、番頭は奉公人たちへ顔を向ける。
「さ、みんな、もう遅い。今日はもういいよ」
「へえ」
明日の朝も早いのだ。それぞれが挨拶をして出ていくのを見守ると、最後に残った番頭は足とくるみに向き直る。
「あれは皆、なぜ旦那様が謝っていらしたか判っていませんね。旦那様のお店なのだから好きにしたらいい、という様子で」
「うん……」
しゅん、と足がしおれる。
「お気を落とさず。旦那様が皆を胡桃堂の仲間と思ってくださることも、仲間に相談せずに決めたからと頭を下げておられることも。皆きっと、そのうち判るでしょうから」
「うん。源助さん、ありがとう」
祖母の元で働いたこともある経験豊富な番頭の言葉に、足は少しばかり愁眉を開いた。
「ご一緒していたのが手前でも、きっと、お止めしなかったろうと思いますし」
「そうかい?」
「ええ。胡桃堂の奉公人のほとんどは、難渋していたところを旦那様に救われた者ばかり。真面目で仕事に熱心なあの者たちを、旦那様は自分の才覚で集めたのじゃありませんか。どうぞ自信をお持ちください」
そう言って笑顔を見せ、番頭も店主夫婦の前からさがっていった。足は深々と息をつく。
後はもう、ふたりきり。
くるみの大事な夫は、こちらを見て悲しげな顔をした。
「くるみにもね、謝らなくちゃいけないよ。ふたりで稼いだ金なのに、お前さんに何も聞かずに、使い道を決めちまった。俺はろくでもない亭主だねえ」
そんなことはない。そんなことかまいはしない。くるみはゆっくり首を横に振る。
「くるみは普段、ものをほしがらないから。無事子どもが産まれた後に、お宮参りで着る晴れ着を贈ろうと思っていたんだよ……。それをだめにしちまった。もちろん、お産の準備は心配いらないよ? お産婆さんには頼んであるし、何があってもこればっかりは手を付けないと、もう帳面も別にしてある。言い訳にしかならないけどねえ」
足はくるみのすぐ前に座り直し、そっと手を伸ばしてその腹に触れた。
「あんな子どもが辛い思いをするなんて……。この子を思えばなおさら、耐えられなかったよ」
ゆっくりと、優しい手が腹をなでる。
「あの子はお前さんの側で働けばいいと思ったんだ。一緒にいて、くるみに何かあれば大声で人を呼んでもらえるし、子どもが産まれたら遊び相手になってもらえるって。でも、よくよく考えたら、身重のお前さんに、子どもの面倒を見させるのとおんなじ事だ。俺は本当に、考えが浅くていけない……」
ごめんよくるみ。
そう言って、足はくるみの腹をなでる手を引っ込めようとした。くるみはその手を両手で握りしめる。何度も何度もかぶりを横に振る。涙が溢れてきた。
「……くるみ?」
戸惑う夫の声に応えることもできず、くるみは嬉し涙を流し続ける。そう、嬉し涙だ。足が無事に帰ってきてくれて、こんなに嬉しいことはない。
あの小さな子どもの気配に混じる尊い力の名残を感じ、足から今日の話を聞いて、くるみは肝が冷えたのだ。
どう考えてもこれは。
(天の試しだ……!)
天や神仏。そういう、ひとならざる尊いものから恵みを与えられた人間は、時折その恵みにふさわしいかを試される。
座敷童を妻にして、子まで成した足もまた、自分ばかりが幸せをひとりじめするような人間かどうか、今日その性根を試されたのだろう。
だから足は、不運な子どもと巡りあった。
あの小さな子どもの不幸を放っておいたなら。ああ、きっと今ごろ足は、渡し舟ごと押し流されて川底だ。
考えるだに恐ろしい。
無事に帰ってきてくれた。
優しい優しい大事な足は、くるみの元へ戻ってきてくれた。
くるみはぽろぽろと泣きながら、足の手に頬ずりをする。戸惑いしばらくされるがままになっていた足は、やがて顔をくしゃりと泣き笑いのものに変えた。
「ああ、くるみ、大事なくるみ。可愛い可愛い、いとしいくるみ。お前さんは俺を褒めてくれるのかい? よくやったと言ってくれているのかい」
うん、うん。
足の手を涙で濡らしながらくるみは頷く。
どうしてくるみが泣いているのか、本当のことは足に教えられない。天の理はひとには話せない。だからひとならぬものは、ひとと話す言葉を持たぬのだ。
文字を書いて知らそうとしても、それが天の理ならば、書いた端から消えていくことだろう。
くるみが妻になったからこそ、こんなことも起こる。けれど足はきっと、天の試しを知ったとしても、笑って気にも留めないに違いない。くるみがそばにいてくれるなら、何でもいいよ……なんて言ってくれるんじゃないだろうか。
そう信じられる事が嬉しい。
足のまっすぐな心があればこそ、天の試しもくぐり抜けて共にいられる。天も地も知ったことだろう、くるみの夫はどこまでも暖かくて優しいのだと。
足が好きだ。
あの日お山で巡り会ったのが、他ならぬ足でよかったと、思う。
「ああ嬉しいねえ、ありがとう。お前さんさえ判ってくれるなら、俺にはそれで十分だ……」
足はくるみが頬ずりしていた手を動かして、優しく涙を拭ってくれた。その手に、その言葉に、足を失うかもしれなかったという恐怖が溶けていく。
「お前さんにきれいな晴れ着を着せるために、明日から気張って働かにゃならないね。ひろ吉にも言われたんだよ、今まで以上に励めばいいんだって」
いやいやそんな晴れ着など、とくるみは首を横に振る。
足はくるみに甘いのだ。着物もたくさん仕立ててもらった、もう十分だ。くるみはものをほしがらないと足は言うけれど、ほしがる前に足がにこにこしながら何がしか贈ってくれるのだから、くるみは物がなくて困った覚えがないのである。
「いらない? そんなことを言わないでおくれ。俺はお前さんが着飾った姿が見たいよ。天女みたいなお前さんがさ。……おっかさんのきれいな姿、お前さんだって見たいだろう? ん? おとうちゃんは頑張るからね」
足はくるみのお腹に話しかけて笑った。
足がそばにいるだけで、くるみは十分満たされるのだ。子が産まれたらもっともっと、生まれてこの方長い間、知り得なかったほどの満たされ方をするのだろうか。
それもまた、楽しみだ。
「くるみ、くるみ、大事なくるみ。お前さんが妻でいてくれて、俺は本当に幸せ者だよ」
自分もそうだと口にすることができない代わりに、くるみは、睫毛に涙をのせたまま、にっこりと笑って見せた。
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