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春風小路二番町胡桃堂こぼれ話
御新造と童女
しおりを挟む湊町から、少し遠出になるという。
まだ夜も明け切らぬ時刻、くるみは旅装の夫を送り出すべく床板へ膝をついた。足は上がり框に腰掛け、草鞋を履いている。
「天気がよけりゃあ、日の暮れる前には帰ってこれると思うよ。ひろ吉も一緒に行ってくれるから安心だ」
一足先に支度を整え、戸口に控えていた青年が足の言葉に会釈をする。まだ若い手代のひろ吉である。
ひろ吉は元々、足の実家、大世渡屋の奉公人だった。手代にまでなったのに、小僧の頃世話になったと足を慕い「仕事を覚えて参りました。お役に立ちます、どうぞこちらで働かせてください!」と胡桃堂へ直談判に来たのである。
大世渡屋と胡桃堂では同じ手代でも給金が違う、やめた方がと当の足に言われても諦めず通い詰め、最終的に足が折れた。
店で働くようになったのはごく最近ながら、今や、店になくてはならない人材。くるみから見ても彼は、帳面の付け方が丁寧で、細かいこともおろそかにしない、いい仕事をするひとだ。
そもそも優しい足が、自分を慕ってくる者を断れるはずがない。早いか遅いかの違いでしかなかっただろう―――とくるみは思う。
「奥様、お任せください。命に代えても旦那様をお守りします」
「いくさ場に行くんじゃないんだよ、ひろ吉」
穏やかな笑顔と声で、こんな冗談も口にする。足の返事の渋さも手伝って、くるみはつい笑ってしまった。
くるみの笑い声に、ひろ吉が少々照れくさそうになり、足の顔が笑顔に変わる。
「じゃあ、行ってくるよ、くるみ。くれぐれも無理せず、ゆっくり過ごしておくれ」
座ったままで、いとしい夫はくるみに向かい笑顔で言うと、こちらへ手を伸ばした。そうして、ずいぶんと大きくなったくるみの腹を優しくなでる。産み月までもう三月もない。
「お前さんもね、おっかさんといいこで待っているんだよ。おとっつぁんはお仕事をがんばってくるからね」
その手と言葉に、腹の中の赤子がぐうっと動く。
まだ見ぬ自分の父親へ、いってらっしゃい、と応じてみせたようだった。
◇
体に異変が起こる、ということを、くるみはひとに交わり暮らし、はじめて体験した。
月のものである。
座敷童は病などかかったためしがない。
ゆえに最初は恐ろしく、一日布団にくるまって怯え、散々足を心配させたものだ。
なにせ痛い。
赤い血も出る。
それが足と子を成せる印なのだと頭ではわかっていても、くるみは体の不調が怖かったのだ。
毎月きっちり来るそれにようやく慣れた頃、今度はぱったりと印がなくなった。ひとも、月のものが遅れたり止まったりということがあるらしい。それほど悩むこともないだろう、とのんびり過ごしているうちに、また変化があった。
なんだか頭がぼんやりするし、体が熱いし気持ちも悪い。
「風邪かもしれないよ、くるみ。大事におし」と足は労ってくれたけれど、座敷童はもちろん風邪などひきはしない。満足に働きもできず気ばかり焦るくるみへ、足は手ずから粥を食べさせ、何くれとなく世話を焼いた。
「くるみはずうっと頑張っていたし、ここらで休みなさいって、神様が言っているのかも知れないよ? お店はみんながいるから大丈夫。ゆっくり養生して元気になっておくれ。くるみがね、側で笑ってくれていれば、俺は他になんにもいらないよ」
布団の上で身を起こし、役に立てないとしょぼくれるくるみを、足は抱きしめて頬ずりをした。情の深い、優しい夫の心遣いに涙がこぼれたくるみである。
しかし、優しい夫の元で養生しても体調は好転せず、とうとう吐き気で食事がとれなくなったあたりで、足が医者を連れてきた。
「どれどれ、じゃあ診てみようかね。御新造さんくらいの年のひとは、たいていの風邪なんて七日もあれば治るものだけどねえ」
湊町では名の知れた医者だというそのひとは、くるみが答えやすいよう「うん」か「ううん」で答えられる質問をしながら診てくれた。そののんびりとした様子に、医者にかかるというはじめてのことも、くるみには苦にならずに済んだ。足は腕だけでなく、この医者の人柄もみて呼んだのかもしれない。
念のためにと側に女中のお蔦さんがついていたが、困ることなど何もないまま診察は終った。
「それで、どうなんですか先生、くるみは」
診察の間遠ざけられていた足が勢い込んで訊くと、医者は剃った頭をなでながら言った。
「あー……。おめでたですな」
「えっ」
初老の医者の言葉に、くるみの傍らへ座っていた足が固まり、部屋の端に控えていた女中のお蔦が笑みを浮かべる。
おめでた……?
布団の上に身を起こしたくるみが、聞き慣れぬ言葉に首をかしげた時。
ばたん。
足が目を見開いたまま、畳へ横倒しにひっくり返った。えっ、とくるみが瞬きし、お蔦が慌てて腰を浮かす。
「旦那様!?」
その後すぐに、胡桃堂は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
そうして、足が嬉しさのあまり卒倒したのも合わせ「胡桃堂の御新造懐妊」の話は、瞬く間に広まったのである。
◇
樺細工の小引き出しを修理してほしい、と店へ依頼があったのがそもそものはじまりだった。
樺細工はここよりもっと北の方の特産だという。製法が広まるのを嫌い産地の殿様が職人を囲い込んでいるせいで、この近辺には樺細工ができる職人がいないそうだ。
「樺細工なんて言っても、樺じゃなくて桜の皮を使うんだけどね」
そう言って足が例にと見せてくれた樺細工の茶筒は、艶のある茶色の樹皮にきらめく金の筋が入ったきれいなものだった。見とれるくるみを見て一瞬目を細めたものの、足はすぐに思案顔になる。
「産地に送って直してもらうにしても、つてがないしなあ……」
さてどうしたものか、皆で悩んでいるときに、その知らせは届いた。手広く商う大店の若旦那、足の幼馴染みである藤一郎が「湊町から少し行った川向こうの在郷に、樺細工の職人がひとり、娘を頼って越してきたようだ」と教えてくれたのだ。
藤一郎の家が商う店の中には廻船問屋もあり、様々な話が集まるらしい。
「藤兄にはいつも助けてもらってるなぁ」
優しいばかりじゃない、時に耳の痛い感想を口にしてくれる幼馴染みを、足は大事に思っているようだった。くるみも一度会ったことがある。背の高くがっしりした、見目のよいひとだった。
ともかく一度訪ねて相談してみよう、と足は直しの必要な小引き出しを持って、件の在郷へ向かうことになった。
引っ越してきたばかりなら、作業のための道具も揃っていないだろうと多額の支度金も懐に入れてである。
当然、危なくてひとりでは向かえず、ひろ吉がついていくことに決まった。
「渡しの近くにお社があるからね、安産祈願もしてくるよ」
そう言って出掛けたけれど、もう日も暮れる。障子の向こうは真っ赤に燃える夕焼けだ。今日は一日いい天気だったから、そろそろ帰ってきても良さそうなものだけれど。
「大丈夫ですよ、奥様。きっと旦那様のことだから、奥様へ土産をじっくり選んで遅くなってるんでしょう」
身重の体でそわそわと落ち着かないくるみへ、お蔦が苦笑しながら声をかける。女手ひとつで娘を育て上げ嫁に出した肝っ玉かあさんの言葉に、くるみは少しばかり落ち着いた。
その耳へ、カァ、カァと烏の声が届く。
座敷童、座敷童。お前の旦那のお帰りだ。連れが一緒だよ。
くるみはえっちらおっちら立ち上がると、烏にありがとう、と礼を言って玄関へ向かう。
「ただいま戻りましたぁ」
玄関にたどり着く前に足の声が聞こえた。ほっとする。渡し船を使うと聞いていて、少々心配していたのだ。
無事でよかった。
玄関に出ると、足はくるみを見て笑顔になった。しかし、くるみは笑顔の出迎えとはいかず、目を真ん丸くして驚く。
「ああ、くるみ、今帰ったよ」
帰ってきた足はひろ吉ではなく、なぜか、不安そうな顔をした、小さな小さな女の子を連れていた。
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