座敷童、嫁に行く。

法花鳥屋銭丸

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春風小路二番町胡桃堂こぼれ話

足とくるみの一年目。

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 昨年の秋頃、くるみはたりに連れられお山を下りた。その後、ひとの暮らしを学ぶ時間が多かったとは言えない。冬のはじめに祝言をあげたりの妻となり、春には胡桃堂が開店し、女将の仕事もするようになった。

 ひとへ言葉を発することができない。
 そもそも元々ひとではない。
 そんなくるみがたりと一緒に、この湊町でひととして暮らすのは、たりでは考えもつかないような困難がたくさんあったはずなのだ。
 考えるだけで胸に迫ってくる。
 この一年ちょっとはたりにも怒濤の日々であったが、くるみにとってはなおさらのことだろう。

 大事な妻であり、胡桃堂の女将となったくるみは、けれど内向きのことも欠かさない。
 お勝手担当のお蔦やおたえと食事の用意や後片付け、奉公人の子どもたちの繕い物などをし、時間があれば畑の面倒までみる。
 慣れぬひとの暮らしの中、妻と女将の仕事までしているのだ、これは大変なことだ、とたりははじめ気が気ではなかった。
 しかし。
 女将の仕事があるのだから忙しいだろう、お勝手全般お蔦さんに頼んでもいいんだよ、と言ったとき、くるみはたりの着物を握りしめ、強くいやいやをした。

 たりの食事は自分も関わりたい。
 たりとの暮らしは自分がととのえたい。

 興奮で涙ぐみながら筆談で訴えてきたくるみが愛おしくて、抱きしめずにはいられなかった。そうして、たりは、くるみを心配しすぎることをやめた。

 自分の心配がくるみの邪魔になるようでは本末転倒なのだ。たりはくるみが暮らしたいように日々を過ごし、望むまま振る舞えるよう、気をつけていればいい。
 そうして、どれだけくるみが愛しいか、くるみがしてくれることにどれだけ感謝しているのか、伝えることを忘れないでおこうと思う。たまにやりすぎて真っ赤になったくるみに(可愛い)怒られるのだが……。

 ひと気のなくなった台所でたりはひとり、戸棚からふきんのかかった盆を引っ張り出す。布をめくれば注文通り。頼んだものがそろっていた。

 くるみは、酒より甘いものの方が好きだ。菓子などを口にして気に入ったときなど、目がきらきらと輝く。お山では甘味を食べる機会が少なかったようで『湊町には美味しいものがたくさんあってびっくりする』と帳面に書いてあったこともある。可愛い。
 今日の菓子は特別に取り寄せたものだ。気に入ってくれるといい。

 茶は奥向きをしてくれているお蔦に習い、要領の悪い自分でもひとに出せる程度になった。今日は祝言をあげてちょうど一年目。大仰なことはできないが、ふたりだけの、小さな祝いの席を設けよう―――。

 お蔦に頼んで用意してもらっていた道具を手にし、水を入れた南部鉄瓶を下げ、たりはいそいそと妻のいる部屋へ向かった。


 ◇


 くるみの髷をほどいて整え、ついでに肩も揉んで、楽な姿をとらせてからお茶を入れる。髪をとかしているうちに火鉢の上の鉄瓶はしゅんしゅんと沸いたから、湯冷ましを使えばちょうどいい熱さになるだろう。

「お山で入れたお茶は番茶だったけど、濃くて渋くてひどいもんだっただろう? くるみは笑って飲んでくれたけどね、今日は、美味しいお茶を入れてあげたくてねえ」

 急須や器へ湯を注いで温め、建水に捨てる。急須へ底が隠れるぐらいの――そう習った――茶葉を入れ、湯はまだ熱かったので湯冷ましに入れてから注ぐ。
 くるみは少し前屈み。たりの手元を眺めている。なんだか面白がっているようだ。玉露の入れ方も祖母様から習っているだろうから、先達の前でやるようなものである。まあ間違ってたら教えてくれるだろう。そこのあたり、たりは楽天的である。

「ええと、最後の一滴まで注ぐ……と。うんうん、いい色だ。さあどうぞ」

 急須を傾け最後の雫まで落としてから、小さめの湯呑みをくるみへ差し出す。ぶつぶつ呟くたりが可笑しかったらしく、小さく含み笑いをしながら(可愛い)くるみは頭を下げて茶を受け取り、ゆったりとした仕草で口元へもっていった。

「どうだい、ちゃんと飲めるお茶になっているかい」

 口に含んだくるみは目をぱちくりさせた。器を茶托へ置くと、目をきらきらさせて興奮したようにたりを見て、ぐっと両の拳を握ってみせる。
 やったね、美味しい、すごい! そう言葉でなく伝えてくれているのがわかる。

「お口に合いましたか、御新造さま? ああ、それはなにより。覚えた甲斐があるってものだねえ」

 声など使わずともくるみは素直だから、言いたいことが身に現れる。何より得がたく尊い部分であると、祖母様も言っていた。
 たりもそう思う。

「お茶うけもあるんだよ」

 たりのそば、盆の上に載せていた小蓋物をあけ、くるみに差し出す。中は、見た目には小さな飴だ。柔らかな紙にひとつづつ包んで、左右をねじってある。

「さ、つまんでごらん」

 くるみの白い手が、ひとつつまんで紙をほどく。中から出てきたのは、ほんのりと鳥の子色の落雁だ。飴を半分に割った形になっていて、ふたつでひとつの包みになっている。

「落雁は、米粉だの豆の粉だの、いろんな種類があるけどね、それはえんどう豆の粉に、煮詰めた栗の蜜がまぶしてあるんだそうだよ。口に入れてごらん、ほろほろほどけて消えるから」

 花のような唇を開いて、くるみはそっと一粒口に入れた。その表情が、じわあっと、幸せそうな顔にかわっていく。口の中で消える様子さえ、端から見てわかるほどだ。
 ああ可愛い。しみじみと可愛い。

「美味しいかい、ああ、そんなに喜んでもらえたら嬉しいねえ。器ごとあげるからね、好きなときにお食べ。この蓋物も、黄色地に鞠の柄なんて、珍しいだろう? 可愛いくるみにぴったりだ。うん? 俺はいいよ、だってね、この世で一番甘くて美味しいものは、こうして目の前にいてくれるからねえ」

 一粒差し出してきたくるみの手をとり頬ずりすると、くるみはぽっと赤くなった。

「さ、お茶のおかわりはいるかい? あんまり飲み過ぎると眠れなくなっちまうかね。まあでも……ね? この後、たくさん動いて疲れれば、ぐっすり眠れる……痛ッ、ごめんよ、品がなかったね。さあ、それを食べながらでも、帳面を見せてくれるかい。今日一日、大事なくるみがどんな風に過ごしたのか、教えておくれ」

 くるみはぱっと顔を輝かして、机の上の帳面を手に取りたりに差し出す。
 はい! という声が聞こえてきそうな明るい仕草に、たりまでつられて笑顔になる。

 たりの大事な御新造さんは、やっぱり、この世で一番可愛らしいのだ。
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