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春風小路二番町胡桃堂こぼれ話
福鼠・ちい福の一日 其の二
しおりを挟む貧乏鼠は、楽がしたいがため決まりを破り、呑気に過ごしていた。しかし、ある日、座敷童に福鼠に変えられ、名を与えられた。
―――あんたは今日から福鼠の『ちい福』です。
掟を破って楽をしていた分、今度はあのおさむらいに、福を呼び込みなさい。
ちい福。
それが元・貧乏鼠の名になった。
名前を得れば格が上がり、できること、やらなければならないこと、やってはならないことも増える。贖罪がてら、さむらいへ幸運を呼ぶあの日々に、ちい福はどうして座敷童が自分に名前を与えたのかわかった気がした。
座敷童はきっと、こう言いたかったのだろう。
名を持ち責任ある立場のもと、ひとの運命に関わる重さを知れ、と。
◇
かまど神は機嫌が悪いと火花を散らしてくるし、お部屋様(便所神と言うと怒る)は胡桃堂の改築前からそこにいるので、まだ若いちい福は威厳負けする。
けれど、ちい福は嫌な顔せず今朝も胡桃堂をちょろちょろ走り、問題ないかどうかを確かめて回っていた。
仕方ない。このうちで、ひとならぬものの名持ちは、ちい福だけなのだ。座敷童もいるが、あれはひとの世に片足どころか両足を突っ込んでいるから、数のうちに入らない。
座敷童は言うに及ばず、かまど神や便所神の眷族も、ひとの近くで生まれたひとならぬもの。ひとの質を持ち、ひとに似た姿をとる。
でもそれは、時に神としてひとに祀られるような存在であればの話だ。福鼠や貧乏鼠には縁のないことである。ちい福は小さい手足を動かして、胡桃堂の中をちょろちょろ動く。
あ、守宮、おはよう。
お勝手の端で、ちい福は銀色の小さなヤモリを見つけた。この胡桃堂が建ったときに生まれた家の精だ。幼体で、銀色の体には青と金のきらめきをハケで一塗りしたような線がある。
ヤモリはぴい、と小さく鳴くと、梁をつたって行ってしまった。まだ話せないのだ。
ヤモリも元気なようだ、ちい福は次の場所へ向かう。
水の、水の、おはようさん。
ちょろちょろっと井戸の縁にのぼり、ちい福はお目当てに声をかける。相手は井戸の縁ににょろりと伸びて朝日を待っていた。こちらへ鎌首をもたげ、赤い舌をひらめかせる。
ちい福。おはよう。
可愛らしい子どもの声を出したのは、淡い虹色の輝きを持つ鱗の白蛇。水回りに宿る水神の眷族だ。この家が空き家になってから最近まで眠っていたが、改築とは名ばかりの新築で胡桃堂が建ち、目を覚ました。
水の、頭のコブが大きくなってきたなぁ。
ちい福は、小さな白蛇の頭を見て目を細めた。額より上にふたつ並んで、小さなコブがある。
うん。どんな角になるのか、楽しみなんだ。鹿みたいに格好いいのだといいな。
小さな白蛇は照れながらうねうねした。
胡桃堂と裏手の長屋が作られ一気に井戸も増え、さらには屋敷に勧請されたお山の力も作用して、白蛇は蛟になりかかっている。龍とまではいかないが、それなりに力も増えるとあって嬉しいようだ。
そうだなあ……。おいら、水晶の角も水のに似合うと思うな。白い体にきらきら虹色の角だよ。格好いいだろ。
ちい福の言葉に、それもいいねえ、と小さな白蛇は尻尾の先をぴこぴこ動かして喜ぶ。
「ほら、早く!」
「起きろよ、間に合わねえぞ!」
「んぅー」
どやどやと奥からお仕着せを着た小僧たちが出てきた。大きいのと中くらいのに、小さいのが引きずられて、下駄を履いた足で地面に二本の線をかいている。
「早くしないと朝飯に遅れるよ」
「ほら、はり松、顔洗え!」
中くらいの小僧は桶に水を汲み、大きい小僧は小さい方の小僧の顔を桶にざぶんと突っ込んだ。
「ごぶッ!?」
「ふゆ松、それ、はり松が死んじゃうよ」
「死んじまう前に起きりゃいい話だ」
小僧にしては大柄な方がつまらなそうに言う。小さい小僧は手をばたばたさせてもがいていたが、溺死する前に顔をあげた。
「目ぇさめたか」
「……う、ん。げほっ。みずも、したたる、いいおとこ、ってね」
「馬鹿言えりゃ大丈夫だな」
小柄な小僧が顔からぼたぼた水を垂らしている間に、他のふたりも顔を洗いはじめる。
「はり松、そんなに朝が弱いんじゃ、奉公は向いていないんじゃないか」
「何言ってるんだよ、俺が簪売らないで誰が売るんだよ、この顔、どう見たって接客向きだろ!?」
「もの売る前に、回りに迷惑かけずに起きられるようになれ。でなきゃ夜の商売へ行け」
たいていの店は明六つから開くもんだ、と、大柄な――ふゆ松が低く言う。
「いっそもう陰間にでもなっちまえよ」
「ちょ、嫌だよそんなケツ痛そうなの!」
声は荒げないものの腹を据えかねているらしく、ふゆ松の言葉にはとげがある。しかし場違いに整った顔をした、小柄なはり松は、そのとげよりも尻の方が気になったらしい。
ふたりの会話を聞いていた中くらいの小僧、きよ松は、首からさげていた手ぬぐいで顔を拭きながらため息をついた。
「なんかこう、はり松見てると、見目のよいひとへの憧れが木っ端みじんになるね」
「そりゃいい。見てくれに騙されなくなるよ!」
「自分で言うな」
朝から小僧がうるさいね、とちい福が白蛇を気遣うと、水の眷族はのんびりと寝転がりなおして笑う。
あれでみんないい子だよ。
大きい子は、木工の手伝いがうまくできなくて悔し涙を流していたし、小さい子は、お客相手の言葉遣いをここでさらうんだ。中くらいの子は、昼の休憩の終わりにここへ来てね、頑張らなくちゃ、頑張らなくちゃって呟いて戻っていくんだよ。
ふうん、とちい福は頷く。
井戸端じゃ、みんな、ほんとの自分になるってことだ?
そうだよ、みんなお水で洗い流したいもの、きれいにしたいものを持ってくるんだ。心だって同じだよ。
白蛇はちろちろ、と二股に割れた細い舌を揺らした。あがっていく朝日に照らされて、鱗が真珠のように虹色に輝く。
「おーい、もうすぐ朝ご飯だよ」
台所から、小僧たちと同じ年頃の娘が出てきた。きりりと頭の良さそうな顔をした少女だ。
「はーい」
「胡桃堂の賄いは美味いからなあ」
「毎日お腹いっぱい食べられるなんて、ありがたいね。前はいつもひもじかったなあ……」
「せんべい布団で寒いしなぁ」
小僧たちは顔を拭くと、わいわい話しながら中に戻っていく。
ちい福は知っている。
小僧も娘も、不運によって前のお店を首になったもの達だ。困っていたところを経験者を探していた座敷童の夫によって雇われ、金や医者を融通されてもいる。
彼らからは、仕事を覚えたい、もっとできるようになりたい、そんな熱気を感じる。その熱気をこころよく思えるのだから、自分はもう、しっかり福鼠になっているのだなあ、とちい福は思う。
ちい福。僕ね、目が覚めて嬉しいんだ。このうちはいいうちだね。とっても気持ちいい。
のんびりと、白蛇は言う。
大変だろうけど、名持ちのお仕事頑張ってね、ちい福。お部屋様のつむじが曲がったら、僕を呼んで。
うん、ありがとう。
さらりと礼を言えるようになったのはいつからだろう。
ああ、確かに胡桃堂は、とても居心地がいい。
座敷童はちい福に少々当たりがきついが、仕方ない。元々座敷童というものは、懸命に生きるひとが好きなのだ。
自分は、善行を積んだ神様のお気に入りに、楽ちんだからと決まりを破ってついていた元・貧乏鼠。思い切り座敷童の逆鱗に触れている。愛想よくしてくれと頼めるような立場ではない。
それでも、さむらいへ福鼠になりたての身で幸運を呼んだちい福に、座敷童はほこらの寝起きを許してくれた。なんだかんだ言って、根は優しいのだ。
ちい福は、いつも最後に寄ることにしている白蛇の側で寝そべる。
早く角、生えるといいなあ。生えたらお祝いをしよう。
わあ、もっと楽しみになってきたよ!
伸びたままにょろにょろ、と体を波打たせる白蛇の横で、福鼠はしばらく日向ぼっことしゃれ込むことにする。
住宅兼店舗の中では、賑やかな声が響きはじめた。
胡桃堂の朝が動き出す。
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