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材木問屋・世渡家三男坊の祝言
御新造と鼠
しおりを挟む座敷童、座敷童。お前の旦那が、こっちの方へ向かいはじめたよ。ひとり、男を連れてくるようだ。
暮れ始めた中、カア、カア、と烏が外から教えてくれた。台所で、おふくやおしずと食事の用意をしていたくるみは、顔をあげてありがとう、と呼びかける。
祝言をあげた後も、足とくるみはおふくの家に厄介になっている。新居の普請がまだ終わらないのである。
来年の春に開店を見越し、住居が一緒になった古い店に手を入れているのだが、予定よりも商いが大きくなり、作り変える場所が増えたせいだ。
春先までこのまま居ればいい、とおふくは言ってくれているので、新年もここで迎えることになるだろう。
「あれ、若奥様、そんなにお魚焼かれるんですか」
客へ出すものも一緒に調理しようとすると、おしずが目ざとく気付く。くるみはぴっと人差し指を立てて見せた。
「いち? ひとりぶん? ひとり分多く要る、ってことですか。何でしょ、今日の足坊ちゃんは、特別お腹がお空きなんでしょうかね」
首をかしげつつも、おしずは用意にもうひとり分を追加する。「くるみは勘があたるから、好きなようにやらせるのがいいよ」とおふくから聞かされているのだ。
その様子を眺めていたおふくは小さく笑う。さすがに「くるみは座敷童だから」とは口にできない。
「ただいまぁ」
夕食の用意が終わってほどなく、足がほつれた着物の、風采の上がらない武士を連れて帰ってきた。
「都木名至一郎様だよ。お世話になっているひとでねえ、今日は祝いを言いに来てくれたんだ!」
「世話だなど、とんでもない」
「困っているひとを見ると放っておけないひとでね。こないだは、住んでる長屋で寝込んだおかみさんの代わりに、おむつをたらいで洗っていたよ」
「ははは、あれは洗いでがあった」
まばらにひげの生えた丈夫そうな、しかし威圧よりも人のよさを感じさせる男が、足の後ろでにこにこと笑っていた。
見た目でなく、くるみがそうと分かるほどに善行を積んでもいるらしい。
さすが、足は一緒にいるひともいいひとなのだと感心したものの、何やら少し気配が変だ。
男の肩に何かいる。
見つめていると、男の肩からひょこっと鼠の顔が出てきた。やつれて汚らしい鼠は周りを見渡し、くるみと目が合う。
あっ、やべッ!
慌てて鼠が頭を引っ込めようとするのと、くるみの腕が動くのは同時だった。
「どうかしたのかい、くるみ」
急に動いたくるみをいぶかしんで足はきいたが、くるみは両手を後ろに回し、ううん、と首を横に振ってはにかむ。
ぎゃーこのやろ、何しやがんだ! はなせはなせ、ってダメ、じわじわ力をいれないでおねがいーっ!
後ろ手で握った鼠がうるさいが、その言葉はひとには聞こえない。
「くるみは可愛いね、恥ずかしいのかい。至一郎様、この三国一のべっぴんさんが、俺の大事な妻です」
「おぬしは相変わらずだなあ」
呆れたように言うと男はくるみに向きなおる。
「いやあ、急に来て申し訳ない。御新造にはお初にお目にかかる! 都木名至一郎と申す、食い詰め者の浪人だ」
「おや、またこのひとは、自分でそういうことを言ってるのかい」
「おふく殿、お元気そうでなにより」
奥から出てきたおふくに気付き、男は小さく頭を下げた。
「祝いの品にと釣りに行ったが、坊主なうえに釣り針までなくすありさまでな! 顔も出せんと長屋に戻ろうとしたところを、偶然足殿と」
「気持ちだけで十分ですよ、至一郎様」
和気あいあいとなごやかだ。
なんだこいつ! さっさとおいらを離しやがれ! あ、痛! ごめんなさい、ねえ離してくださいよォー。
後ろ手から鼠の声が聞こえなければ。
「そんなところで立ち話もなんだろう。中へ入って夕餉でも食べていってもらえばいいよ」
「至一郎様。くるみの料理は美味しくてねえ、力が出ますよ」
「そりゃまた、いろんな意味でご馳走様だな!」
「あれまあ。これはこれは、至一郎様。また若奥様の勘が当たりましたねえ」
「おお、おしず殿も息災で」
みんなでわいわいと中へあがる。足はふと中へ向かう脚をとめて、ひとり玄関に残っていたくるみへ振り向いた。そのまま戻ってくる。
どうしたのだろうと見上げると、頬に優しく手がかけられた。くすぐるようなまなざしが近づいてくる。
「ただいま、くるみ」
おかえりなさい代わりのくちづけは、あんまり甘く柔らかで。
ほんぎゃあ! 潰れるう!
つい手に力が入ってしまう。
ねえ、待って、おいらいつまでこうなの!? ね、あ、いだだだだだっ!
やっぱり手の中で鼠はうるさかった。
◇
どうしてあのひとと一緒にいるの。
ひとり離れて台所で、くるみは鼠に問う。両手で鼻先に持ってきた痩せ鼠は、小さな手足をジタバタさせるのを諦めた。そっぽを向き、小さい手で鼻の頭を掻く。ぷらん、と揺れる細い脚は可愛かったが、くるみは騙されない。
どうしてって。おいら貧乏鼠だからね、仕事よ仕事。
あのおさむらいさん、ご先祖がたんまり恨まれているせいで不運続き。見事にツイてないもんで、仕事がやりやすいのさあ。
……でも。あのひとは、そうと分かるほど徳をたんまり積んでいる。そんなひとにはついちゃいけない決まりでしょう。
眉根を寄せて、くるみは鼠をたしなめた。
先祖の障りの不運に負けず、苦しい中でも笑顔を絶やさず、ひとに優しく善行を積む。それは言葉以上に大変なことだ。それゆえ、あの男が積んだ善行は、気配となって現れている。
気配で分かるほどに善行を積んだものは、神様のお気に入り。ひとならぬものが手を出してはいけない決まりだった。
それは、その、こんなにやりやすい人間はそうはいないと言いますか……、って言うかあんたもだろ!? こんな、いろんなものに守られてるばあさんちだ、わざわざ座敷童なんか来なくったっていいじゃないか。あんただって、やりやすくってここにいるんだろ!?
痛いところを突かれたか、鼠は逆にくるみを責めてくる。
私はここへお嫁にきたの。足と祝言もあげました、あんたとは違うの。
嫁ぇ!? ……あ、そういや、確かに、気配にひとが混じりはじめてら……。あ、でも、木霊も入ってんのかな。
貧乏神の小さな眷族は、ふんふん、と鼻をひくつかせてくるみの気配を確かめ、大人しくなった。
ツキがなくてやりやすいからって、決まりを破ってあのおさむらいについているんでしょう。鎮守様ご一同に知れたらどうなると思うの。
きつい調子で話しかければ、痩せこけた灰色鼠は、ぴんっとひげを伸ばして目をむいた。ああ座敷童さま、それだけはっ、と、黒く小さな手を合わせてくるみを拝む。
じゃあ、足のお友だちから離れるのね?
えっ、でも、こんな上物なかなかいないというか、何もしなくても勝手に貧乏になってくれるんで助かるというか。
鼠はうつむいてもじょもじょ言いはじめた。らちがあかない。くるみは片手で鼠を持ったまま、懐から小さな錦の袋を出した。口を開けて、台の上へ傾ける。
ざあっ。
音を立てて白米がこぼれ出た。
迷ヒ家の主からもらった、望むだけ米の出る袋である。困ったときに使えと渡されたのだが、ひとならぬものの件だ、仕方ない。くるみは台へひとつまみの米の山を作り、袋をしまった。
え? なにしてるの? なにしてるの? とわたわたしている鼠をおもむろに持ち替え、その頭を米の山に突っ込む。
ブフー! えっ、ちょっ、おいらの扱い雑すぎな……むぐッ! む、ぼ、う、ウマー!!
鼠が美味いと叫んだ瞬間、その体から、ぽむッと煙が上がった。
あーあ、貧乏鼠は性に合ってたのになあ。お山の精気がにぎにぎしく詰まった米なぞ食ったら、こうなるよなあ……。
煙が晴れ、ぼやきとともにあらわれた鼠の姿は、先ほどまでの痩せこけた灰色鼠とは変わっていた。福々しく丸い体に、黄金の毛並み。ちょろんと桃色の長い尻尾も愛らしい。
―――あんたは今日から福鼠。ひとに福をもたらすのがあんたの仕事よ。
お山の米の力によって性質さえも変えられた鼠は、くしくしと顔をこすってからくるみをねめつける。
勝手に眷族を変えるなんて、とんでもねえ座敷童だ。
何を言っているの? 鎮守様ご一同にあんたの掟破りがばれたら、こんなんじゃ収まらないでしょう。
いやぁ。それ言われると弱いなあ……。
鼠はうなだれたが、くるみはそんなことを気にも留めない。手を離し、鼠を台に降ろし改めて言う。
あんたは今日から福鼠の『ちい福』です。
掟を破って楽をしていた分、今度はあのおさむらいに、福を呼び込みなさい。
時に神としてあがめられることもある座敷童の託宣を、福鼠はじっと聞いてからつぶやいた。
……変な名前。
直後、鼠はふたたびくるみの手で悲鳴を上げる羽目になった。
あっ、なんか気持ちよくなってき……ぎゃー! お腹の中身が口から出ちゃうぅ。
◇
「ど、ど、どうしたんです、至一郎様、その格好は!」
しばらく経ったある日、家へ立ち寄った至一郎の姿を見て、足は仰天した。後ろにいるくるみからもその動揺ぶりがわかる。
「いや、それがな」
僧形の姿となった至一郎は、青々と剃られた頭を撫でる。その顔はとても穏やかだ。
「和尚様が、坊主になって寺を継がぬかと誘ってくださったのだ。至円の名を頂いた。ずっと、士官かなわずその日暮らしの根無し草であったものが、ようやく根をはることができ申す」
「そう……でしたか。では、おめでとうございます、と言うべきですねえ」
「ありがとう足殿。拙僧、しばらく修行のため街を離れるが、足殿、御新造ともども息災でな」
先日、祝いに来てくれたときよりも、男の目がいきいきと輝いている。
晴れ晴れと口にする僧形の男の肩で、黄金色した小さな鼠が、ぱちりと片目をつむって見せた。
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