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材木問屋・世渡家三男坊の祝言
材木問屋・世渡家三男坊の祝言 其の三
しおりを挟む固めの盃で、先におのれが口を付けた赤い盃へ、くるみの紅をさした唇が触れた瞬間、足は体にびりびりと雷が落ちたような気がした。
いとしい、いとしい、可愛いくるみと、これで晴れて夫婦になる。
くるみは、足と一緒にいるためにお山を下りて、何もかもと縁のない湊町で、ひとと交わり生きることを選んだ。そのくるみに、ようやっと、自分の妻という立場を作ってやることができた。ひとの中で暮らしていく足掛かりを与えることができたのだ。
綿帽子をかぶったくるみは、足の視線に気付いてちらと笑って見せた。その姿は誰よりもうつくしい。今宵の花嫁御寮のうるわしさには、誰も敵わないだろう。
足は新妻に笑みを返しながら思う。
おのれはこれより、くるみの笑顔のために生きよう。
足と一緒にいるためだけに、何もかも勝手の違う場所へ迷わず飛び込んできた座敷童を、生涯、誰より大事にする。それがきっと、自分の幸せにも繋がるはずだ。
これっぽっちも疑わず、足を信頼しきったくるみのまっすぐなまなざしがあるならば、足はどんな辛いことでも耐えられるのだから―――。
◇
披露宴はつつがなく進んだ。
襖を開け放ち、広い続きの間とした座敷はにぎにぎしい。膳が並び、詰めかけた客が思い思いに話している。顔役の廻船問屋の御隠居は出席できないものの、影で他の人々へ出ることをすすめてくれたようだ。女傑と言われる祖母様のお眼鏡にかなった娘をひと目見ようと、野次馬めいた気持ちもあるにしろ、こうして祝いに駆けつけてもらえるのはありがたい話である。
夫婦の披露だ、三三九度を終え妻となったくるみは綿帽子をぬぎ、うつくしく結わえた文金高島田姿で足の横に座っている。この日のためにと祖母様から借りた大ぶりの鼈甲の櫛や簪は、とろりと飴色の上物で、小柄な花嫁を華やかに飾っていた。
おのおのからの祝いの言葉も出尽くして、新郎の口上の番になる。前に置かれた膳がのけられた。足は居住まいを正すと、畳に手をつき深々と頭を下げる。横でくるみも同じように頭を下げる気配があった。それが心強い。
元々足はあまり人前で話すことが好きではないが、そんなことは言っていられない。顔を上げ、静まりかえった座敷の来客を見渡し、自分に活を入れる。
さあ。
くるみとの新たな門出だ。
一世一代、やって見せようじゃないか。
「いずれも様のご尊顔を拝しまして恐悦至極に存じます。ただいまはご列座のみなさまからお言葉を賜りまして、誠にありがたく存じます」
言葉は存外さらりと出はじめた。
「まずはみなさまへ、ご迷惑、ご心配をおかけしましたことを、お詫び申し上げねばなりません。全くもって、私の不徳の致すところでございます。そのような中、本日、みなさまにご臨席頂けましたこと、誠にありがたく、伏して御礼申し上げます」
不義理を重ね、方々に迷惑をかけた。しかしそれでも足たちを守り、支えようとしてくれるひとたちがいる。なんてありがたいことか。
「袴屋様よりご披露いただきました通り、このたび私、新郎足、これなる新婦くるみ、みなさまのおかげを持ちまして、本日夫婦と相成りましてございます。すべての方々に厚く御礼申し上げる次第に存じます。また、私、足はこの大世渡屋からひとり立ち致し、この春には小路へ店をかまえることとなりました」
手を貸そうと言ってくれるひとが増え、小さかったはずの店は少人数では切り盛りできぬ規模になる。店の紹介のため、引き出物も、本日給仕を務める奉公人の娘たちの櫛も、店で商う品の見本だ。木の色の違いを活かし、組木細工や木象眼をあしらった品である。
目を引いたらしく、時折娘たちへ櫛のことをきくひともいる。
すべりだしは上々だ。
「あつらえものから修理まで、木の細工物よろず商いの店でございまして、新婦の名をとり、胡桃堂と申します。みなさまに愛される店を目指して参ります。なにとぞ、ご贔屓ご支援賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」
胡桃堂。
店の印は、三つ葉胡桃の紋を使う。
店の名前を付けるとき、足は全く迷わなかった。生きながらゆっくりと立ち枯れ腐っていくようだった自分を、生まれ変わらせてくれたいとしい娘のために働き生きていく。そのための店なのだから。
それを伝えたときには、くるみは驚いたものの「この世で一番大事な名前を付けたんだよ」と言えば大層はにかんで、とても可愛らしかった。
さて、口上で一番言いたいことはこれからだ。
足は花嫁御寮の方へ体を向け、客に白無垢姿のくるみを示す。
「なにぶん若く至らぬ私たちでございます。また新婦くるみ、私より、そろばんも達者なら字も上手く、気立て優しく、健気で笑顔が可愛らしい、私が言うのも何ですが、それはもうよくできた……」
のろけはいいんだよ! というヤジに、座がふっと和やかになった。褒めちぎられて目を白黒していたくるみも笑顔になる。それを見て足もまた、笑顔で前へと向きなおった。
「失礼いたしました。……そんなくるみでございますが、ただひとつ、言葉だけが口にのぼりません。みなさまにはお助け願うこと、多くあろうかと思います。どうぞ新婦くるみを、よろしくお願い申し上げる次第でございます」
いつも、いつだって一緒にいて、くるみが困らぬようにしてやりたいが、そうもいかない。足の目が届かない間、どうか、くるみに優しくしてやってほしいのだ。
ひとの街が、くるみにとって居心地がいいものであるよう願う。
「長くなりましたが、夫婦となりました私たちふたりへ、ご指導ご鞭撻を賜りますよう、いずれも様におかれましても、なにとぞ、末永くよろしくお願い申し上げます。ご臨席賜りましたみなさま方の、ご健康とご多幸をお祈り致しまして、私たちふたりのご挨拶に代えさせていただきます」
本日は誠にありがとうございました、そう口にして頭を下げる新たな夫婦に、「いよっ、胡桃堂!」などと賑やかなヤジが飛ぶ。これでは歌舞伎の舞台挨拶のようだが、自分たちにはそれでいいのかもしれない。足はくるみと顔を見合わせ、破顔した。
◇
そんな足の、型破りな口上に頭を抱えるのは親と兄たちである。
「あいつは……最後の最後までッ!」
「あのこはなんべん、くるみと言えば気が済むのかねえ」
「あの様子じゃ、一生言ってるんじゃないのかい」
「違いない。おや、母さん。さっきから機嫌がいいね」
「そりゃあ、目の前でこれを見せられればねえ」
若い頃は湊小町とうたわれた大世渡屋のご内儀は、黒留袖で口元を覆って艶然と笑う。
「足はそりゃあ、要領の悪いこで、ここに至るまで馬鹿をやったし、商売人として褒められたことじゃないけれど。あのこ、嫁を大事にすることだけは間違いがないようだもの。ここまで大事にされれば、女冥利に尽きますよ。私も、あんな風に大切にされたいものねえ」
「さようで」
肩をすくめた次男も、その横でおひねりを広げ口へ飴を放り込んだ長男も、このひとに似てほっそりとした男前である。
「おや兄さん、そんなに甘党だったかね」
「酒が美味すぎて、飲み過ぎそうだからねえ。飴でも舐めてりゃ気が紛れようさ」
見た目に反してしぶちんで人使いの荒い長男は、広げた小さな書き付けを見る。
『新婦くるみ、声出せぬゆえこちらで御礼を致します。新婦くるみへのお心遣い、新郎足も御礼申し上げます。ご親切ありがとう存じます。今後とも、どうぞ新婦くるみをよろしくお願い申し上げます』
「この書き付けもねえ、くるみくるみと三回書いてるよ。自分は一回。大体、こういうのは、締めには夫婦をよろしくと書くもんじゃないのかい」
「まあ、あのこらしいよ」
「そうだねえ」
唸る父と上機嫌な母を眺めて、長男売はため息をついた。
「あのこに、女のひとを喜ばす才があるとは思わなんだ」
いずれは、自分にも必要になる才には違いない。
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