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材木問屋・世渡家三男坊の祝言
材木問屋・世渡家三男坊の祝言 其の二
しおりを挟む「お迎えにあがるまで、こちらで休んでらしてください」
白無垢姿で盃事を済ませたくるみは、披露宴に顔を出すまでの間、小さな部屋に案内された。衣裳の乱れや化粧を直すため、姿見や道具が運び込まれ、寒くないよう火鉢も焚かれている。
部屋へ案内してくれた奉公人の中年女性は、袖や裾を整えながらくるみを錦の座布団へ座らせてくれた。
「はばかりに行かれるなら今ですよ。あたし、お手伝いいたしますからね。気兼ねはいりません、足坊ちゃんにくれぐれもと頼まれておりますから」
くるみは少し考えたが、かぶりを振る。
「よろしいですか? じゃ、もしご用事なら、それを鳴らして呼んでくださいまし」
大きめの鈴を示す女中に頷くと、くるみは袂から小さな紙の包みを取り出し、渡す。紅白の飴を、端が赤い白の和紙で包んだおひねりだ。
「あれ、なんでしょ。飴ですか? まあ、花嫁さんからいただくなんて、縁起物ですねえ。ありがとうございます」
にこにこと笑って受け取り、女のひとは出て行った。
この飴は昨日、足がくるみへ持ってきたものだ。
「言葉なんかなくったって、可愛いくるみの笑顔なら、百万遍のありがとうより感謝を伝えられるだろうけどねえ」
そう言いながらも、山盛りのおひねりを風呂敷に包む足の手に迷いはなかった。
「でもね。なにぶんここに至るまで、方々に俺が不義理を働いているんだよ。だからくるみ、祝言の日に親切にしてもらったら、これを渡してねえ、俺の分までお礼を伝えてほしいんだ。祝言じゃ、いつもお前さんと一緒にいられるわけじゃないからね。え? いっぱいすぎて袂からこぼれるって? かまやしないよ。飴より甘い、可愛い花嫁のくるみから、飴のおひねりが落ちるんだ。それこそ縁起物だよ」
そう言って足は笑っていた。
幸い、袂からこぼれ落ちる前に、飴のおひねりは順調に減っていっている。このうちは、下働きのひとであればあるほど親切だ。その口からは「足坊ちゃん」という言葉がひっきりなしに出てくる。よほど足にくるみのことを頼まれたに違いない。
誰もいない部屋で、くるみはほう、と息をついた。知らないひととたくさん会い、勝手の分からないしきたりの中に身を置いて、さすがに気疲れがする。
先ほどは、頼まれた親族が高砂を謡う中、仏間での三三九度の固めの盃、両家の親との親子の盃を取り交わした。
両家、といっても、足の家族と、くるみをかたちの上で養女としてくれたおふくさんの知り合いである。
本来ならこれに両家の親せきの代表者が続くのだが、足は不義理をして家を出る者だから、と省略された。
予定では花嫁行列も省略されたはずなのだが、運び込む嫁入り道具があるならすればいい、としきたり通りに行われた。こちらの省略は、親兄弟がいないくるみの支度は整わないだろう、との心配から出た話であったようだ。
くるみはひとり目を閉じる。
お山の気配がする。
今着ている天蚕の白無垢もそうだが、祝言をあげる座敷から見えるよう、隣の部屋に広げられている嫁入り道具からも、くるみになじみの気配がする。
客に振る舞われている餅や酒もお山からのものだろう、きっと迷ヒ家の主―――ばあさまが贈ってくれたに違いない。
気疲れこそしているが、それでもくるみがゆったり構えていられるのは、この気配のおかげである。
はじめての場所、はじめてのこと。
ひとと混じって暮らすのは勝手が違った。その上、学ばなければいけないことも多い。
お山を下りてから今日までの日々、安らげるのは足の腕の中だけだった。
気を張り続けていたのだと思う。
三日前、くるみはとうとう寝坊をした。
その日は何やらお山の懐かしい気配が濃くて気持ちよく、起きることができなかったのだ。それはお山から届いた嫁入り道具がもたらしたものだった。
夢うつつに、「そのまま寝ておいで」と足の言葉と優しいくちづけに、幸せな気分になったのを覚えている。
毎日朝から足の食事を用意し「美味しい」「嬉しい」「朝から元気が出る」「幸せだ」と足からたくさん言葉を貰うのが習慣だったのに、その日起きたのは昼も近くなってからのことだった。
「『よく寝ているから起こさないであげてほしい』と足が言っていたからね、そのまま寝かせていたのさ」
さすがにくるみは慌てたが、おふくさんは特にとがめもしなかった。
「お山から下りてこちら、お前さんはずっと気を張っていたんだ。よく頑張ったものだよ。もうすぐ祝言なのだから、体と心を休める日があったっていいだろう? 今日はくるみの休養日さね」
足の気遣いのおかげで、その日は濃くなったお山の気配の中、気分よく過ごすことができた。
本当に、足は優しい―――。
「ほら、母さん、早く。時間もないし、男所帯で訪ねたら無作法になるよ」
ふと、廊下の会話が聞こえてくるみは顔をあげた。
「もし。少し、よろしいですか」
柔らかく廊下からきかれ、見えないかもしれないと思いつつ頷けば、どやどやと、紋付き袴、または黒留袖の正装姿の四人が入ってきた。足の家族だ。
顔合わせの時、文字通り顔を合わせたものの、一言も話さなかった相手である。くるみはぴっと背筋を伸ばす。
「あ、いや、そのままで。筆談もね、せっかくの花嫁衣裳が汚れたらことだ。あたしたちが勝手にしゃべるから、聞いてくれたらそれでいい」
そう、足の父はくるみの前に座りながら口にした。見た目はおふくさんによく似ている。それにならい、他の三人――足の母とふたりの兄たち――も横に並び座った。
「くるみさん、お前さんには嫌な思いをさせているだろうね」
いいえ、とくるみは首を横に振る。
急に山から下りてきて、嫁だと言われて簡単に受け入れられるはずもないことくらい、くるみにもわかる。
「足は、あいつは、すでに決まっていた婿入りを破談にして、方々に不義理を働いた。あたしも、好き合って妻と一緒になった身だ。だから強くは言えないが、それでも、足は他にやりようがあったはずなんだ。あそこまで不義理をすることはなかった。だから、この祝言も、大手を振るって祝うことが難しい」
顔合わせで口をきかず不機嫌を見せることも、こうして今日の正装で、祝い事には固すぎるものを身につけているのも、心から祝っているわけではない、という態度を示すものだ。
それはすべて、足が不義理を働き不快な思いをさせた、相手方への配慮である。
「お前さんに責任があるわけじゃない、悪いのはうちのせがれだ。でもね、これから夫婦となるからには、あの愚か者がやることを、お前さんも半分背負い込むことになる……。それでもいいのかい」
くるみは義理の父となるひとの目を見つめ、頷いた。
「そうかい。それなら。……どうぞ、うちのせがれをよろしくお願いします」
足の父は、畳へ両手をついて頭を下げた。次いで他の家族もそれにならう。くるみは慌てて手をつき、深々と頭を下げる。
「くるみさん、これ、たいしたものじゃないんだけど、わたしたち家族から」
柔らかな声に頭をあげれば、足の母がこちらへ膝を進めていた。ほっそりとうつくしいひとだ。並ぶ足の兄たちもこのひと似である。
「今日は、くるみさん、たくさん知らないひとのいるところで座っていなきゃいけないでしょう。気分だけでもよくなるように、匂い袋を選んでみたの。その白無垢からもいい香りがしているから、けんかしないでよくなじむ香りにしたつもりです」
金襴の小さな匂い袋。白檀や龍脳、丁字などが混じった柔らかな匂いの中に、すうっと涼しげな風情がある。
受け取ってくるみは笑顔になった。
贈り物も嬉しいが、それ以上に、足の家族の心が嬉しかった。足とこの家族は折り合いがよくないというが、よくないなりに足のことを気遣っているのだ。
くるみは匂い袋を押しいただいてから懐に入れた。そうして、袂からおひねりを人数分取り出し、足の母へ渡す。
「まあ、ありがとう。なんでしょ」
彼女は皆にひとつずつ渡した。一番先に、足の父が紙を開く。
中に入っていたのは紅白の飴と、小さな書き付けだ。
「『新婦くるみ、声出せぬゆえこちらで御礼を致します。新婦くるみへの御心遣い、新郎足からも御礼申し上げます。御親切ありがとう存じます。今後とも、どうぞ新婦くるみをよろしく御願い申し上げます』……ああ。あいつは、お前さんに心底、惚れているんだねえ……」
声を出して読み上げた彼は、家族と泣き笑いの顔を見合わせた。そうして皆でくるみに向かい、もう一度頭を下げる。
「くるみさん。どうぞ、うちの足を、よろしくお願いします」
言葉だけではない彼らの願いの確かさを肌で感じながら、お山を下りた座敷童は、静かに彼らへ頭を下げた。胸元の匂い袋の香りはお山の香りと相まってくるみを包む。
幸せに香りがあるならば、きっとこの香りであるに、違いない。
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