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材木問屋・世渡家三男坊の祝言
小僧と祝言。
しおりを挟むその話は本当に、寝耳に水だったのだ。
「なぁ、ひろ松! 大変だ」
ひろ松と同じく、数えで十の奉公人が近づいてきて、小さな声で言った。縞木綿の着物に前垂れという、ひろ松と同じお仕着せを着て箒を握りしめ、何やら不安げな顔をしている。
「どした、よし松」
店のものが覚えやすいようにと、下働きの小僧はみんな松がつく。
くま松、きち松では呼びにくいと、よし松にされた熊吉は、しばらく呼び名に慣れなくて、返事が遅いと叱られてはべそをかいていた。今は慣れ、こうして、ずっとよし松です! みたいな顔をしているけれど。
「どうしたよ」
「足坊ちゃんが婿に行く」
「そりゃ、長男次男と許嫁がいるんだから、足坊ちゃんだけ相手がいない、今までの方がおかしいだろう」
材木問屋をいとなむ世渡家、長男の売は薬種問屋の娘が許嫁、次男の商は呉服問屋へ婿に行くことが決まっている。
三男坊の足はどうにも家族からの当たりがきつく、縁談らしい縁談もなかったものを、とうとう婿の行き先が決まったらしい。
「それが……」
相手先、同じ材木問屋の名前を聞いて、ひろ松はめまいがした。それは、下働きの扱いがひどく悪く、ひろ松たちの間でも悪名高い店だったのだ。特に、わがまま放題のひとり娘には注意しろ、と、奉公人に仕事を斡旋する口入れ屋が言うほどであった。
「じゃあ、足坊ちゃんは」
「わがまま娘の入り婿だ」
なんてこった、あんなに優しいひとが―――。
下働きの娘、年端もいかぬ小僧などは、足坊ちゃんに好意を抱いている。みな奉公に上がったばかりの頃、右も左も分からない時期に、優しくしてもらった覚えがあるからだ。
ひろ松もそのひとりである。
打って変わって、番頭や手代など、店主に近いものたちは店主一家にならうように、どこか三男坊を軽んじていた。
商売ベタのみそっかす、なんていうが、年のほとんどをあちらこちらの山へ木を選びに行って不在なのだから、商売が上手いか下手か分かるはずがない。
長男は人使いが荒いしぶちんだし、次男はやたらに字が上手いのを鼻に掛け、硯や墨に散財しているのだ。
何で三男坊にばかり当たりがきついのか、ひろ松にはわからない。
あのひとはいつも笑顔だが、ひとりでいるときは、どこか疲れた顔をしている。そのせいか、あんなに柔らかく優しいひとなのに、幸薄そうに見えるのだ。
みんな、よってたかって、あのひとをいじめる。こんなひどいことがあるだろうか。
ひろ松は唇を噛んだ。
◇
ひろ松は奉公したての頃、体が他の小僧よりひとまわり小さく、すぐに疲れて役に立たないと嫌な顔をされていた。
それでも親元を離れ右も左も分からぬ中、なんとかして仕事を覚えようと躍起になった。しかし気ばかりで空回りし、悔しさと情けなさ、帰りたさに眠れず、気がつけば体の調子まで悪くなっていたのだ。
クラクラしながら店の前を掃いていたとき、数日前に山から戻ってきていた足坊ちゃんが通りかかった。ひとのよさそうな顔でこちらを見て、目をぱちくりさせる。
「おや、お前さん新顔だね。俺はこれから出かけるんだよ、荷物持ちについてきておくれ。おーい! ひとり借りるよ」
と、ひろ松は有無を言わさず箒を置かされ、供を言いつけられた。
さあ一体どこへ行くのか、遠いとこならとてもじゃないが歩けない、体が動かない。心細く思いながらついて行くと、店から離れたところで急に足坊ちゃんがしゃがみ込んだ。
「お前さん、具合が悪いんだろう? ほら、背中におぶさるといいよ。お店からじゃもう見えないからさ」
「えっ……」
大きな背中を見ながら困惑していると、お店の三男坊は振り向いて苦笑する。
「ずいぶんと顔色が悪いからね、すぐわかったよ。そのまま働かせておくなんて、みんなよっぽど忙しいんだねえ。お店じゃ落ち着かないだろう? 俺はね、気兼ねせずに休めるところを知ってるのさ。ほら、子どもが遠慮なんかするもんじゃないよ」
体調が悪く頭が回らないのも手伝って、ひろ松は足坊ちゃんの背中に乗った。山歩きをしているからか、案外しっかりした背中だった。
「……まだ奉公に来たばかりかい。休みかたや、手の抜きかたなんかを覚えるまでの辛抱だねぇ。大丈夫、みぃんなちゃんと覚えていくよ。あんまり辛いときは、お勝手勤めのおばさんたちに相談するといい……」
優しく、柔らかく、耳にすんなり入る声。
暖かい背中で揺られ、穏やかな声を耳にしながら、ひろ松はすうっと眠りに落ちていった。
まどろみの中で、切れ切れに音がする。
ああ、人の声だ。
じいちゃんかな……、かぁちゃんは、どうしたろ。生まれたばかりの赤ん坊の声がしないや……。
「……ああ、和尚様、こりゃあいけません」
「そうさな、足坊はひねりがなさすぎていかんな」
はっと気がついたら、布団に寝かされていた。実家と同じせんべい布団だ。
慌てて声の方を向くと、近くに奉公先の三男坊が、年寄りの坊さまと碁盤を挟んで座っている。
布団の中でどうしたものかとへどもどしていると、足坊ちゃんがこちらの方を向いた。
「おや、起きたかい。よく寝ていたねえ、気分はどうだい?」
「へえ……」
疲れも、だるさも、体の熱も、ずいぶんましになっていた。
「和尚様にね、感謝しなくちゃいけませんよ。ゆっくり休ませてやれと布団を敷いてくださったんだ」
「そ、それは、ありがとうございます」
起き上がろうとすると、坊さんは軽く手をあげひろ松を制止した。
「起きない、起きない。まだ横になっていなさい。なぁに、気にせずともいいよ、どうせ万年床だ。それより、何か腹に入りそうかな」
「へ、へえ……」
返事と同時に腹の虫が鳴いた。真っ赤になったひろ松に、若いうちは寝ればたいてい治るものだ、と坊さんが頷く。
「よし、よし。粥にしよう」
「和尚様、手伝いは」
立ち上がった相手に三男坊は声をかけたが、坊さんはつまらなそうに足坊ちゃんをねめつける。
「足坊は、いるだけ邪魔だの。何手前に下手を打ったか、考えていなさい。頭が悪くもないのに弱いままなのは、負けっぱなしにしておくからだよ」
「へえ」
坊さんの小言に、今度は三男坊が小僧みたいな返事をした。首をすくめてこちらを見やる。
「ふへっ」
ひろ松がつい吹き出せば、足坊ちゃんもくっくっく、と笑う。なんだかとっても愉快だった。
ひろ松は、久しぶりに声を上げて笑った。
粥はあったかくって、うまかった。
◇
みんな朝からそわそわしている。
今日は足坊ちゃんが大奥様と一緒に、このお店、世渡家本邸へ嫁となるひとを挨拶に連れてくるのだ。祝言の相談をするらしい。
大奥様が一緒だからと、一家は玄関内で待っている。奉公人は外で待機だ。
同業の家の、わがまま娘が来るわけではない。
足坊ちゃんは婿入りの直前、山で怪我をした。そうして下山できない間、世話をしてくれた物言わぬ娘に惚れ、勝手に縁談を断ったのだ。
これに、お店のみんなは驚いた。そんな大それたことをするひとではないはずなのに、と言い合ったところで、破談はたしかなものである。
相手先は大いに怒り無体を吹っかけてきたが、そこは仲人役を務めていた顔役の取りなしで、慰謝料を支払うことで話がついたそうだ。
一時期、販路を寄越せと言われていたため、店の上の方は顔色を悪くしていたが、くだんの慰謝料も隠居をした大奥様が払うということで落ち着き、店の方には影響しないとか。
むしろ、相手の無体な要求が評判となって、そんなところと縁づかなくてよかったじゃないか、なんて客に慰められる始末である。
聞くところによると足坊ちゃんは、不義理をしたため家から出るらしい。お店に関わるものなど、将来の相続分も、すべて手放す約束なのだそうだ。
今後は隠居している大奥様を後ろ盾に独立し、小さな木工細工の店を構えるのだという。
不義理だの何だのと大騒ぎなようでいて、これは結構いい話じゃないのかな、とひろ松は思う。
辛く当たる家族から離れ、わがまま娘との縁談もなくなり、一から店主として進み始めるのだ。そんな足坊ちゃんの隣には、話せずとも構わないと、心底惚れぬいた娘が寄り添うのだろう。
考えるだけで、嬉しくてうずうずする。
それは他の小僧や下働きの娘たちも同じであるらしい。苦みばしった顔をしている店主一家をよそに、華やいだ気持ちを抑えきれず、目を見交わしては小さく笑う。
ああ、ああ、どんなひとだろう。
あの、優しいけれどどこか疲れたような、幸薄そうな様子だった足坊ちゃんを、ここまで大きく動かしたひとは。
えっほ、えっほ、えっほ、えっほ。
担ぎ手の声とともに、待ちに待った町駕籠がみっつ、道の向こうから来て世渡家の前に止まった。真ん中の駕籠から真っ先に出てきたのは足坊ちゃんだ。
別人みたいだと思う。
気力が充実している、というのか、自信に満ちている、というのか、以前とはうって変わって生き生きとした様子だ。彼はまず先頭の駕籠へ行き、大奥様が駕籠から降りるのに手をかした。次に、いそいそと三番目の駕籠へ近づく。
駕籠の覆いがあげられ、そのひとの姿が見えた瞬間、おお、と小さなどよめきが生まれた。
朱色の総絞り地の振袖が、陽光に金糸銀糸で施された菊の刺繍をきらめかし、華やかにひとの目を奪う。
足坊ちゃんの手を借りてそっと駕籠から降りたのは、色白で小柄な娘だった。背筋を伸ばし、黒目がちの静かなまなざしをこちらに向けて立ち、深々と頭を下げた。つられてみんな頭を下げる。それだけの品があった。
きっと指導通りだったのだろう、大奥様がしてやったりという顔だ。
これが山の出の娘か。ひろ松は信じられない。湊町へ近い村落にいる妹の方がよほど田舎くさい。
確かこのひとは、話せなくても読み書きそろばんが達者で大奥様に気に入られ、その元で花嫁修業をしていたはずだ。女傑と呼ばれ半端を許さぬ大奥様の指導である、大変だろうことは容易に想像できる。
足坊ちゃんは娘の手を支えながら、とろけそうな顔をしていた。
その様子に、ひろ松は訳もなく、これが坊ちゃんの幸せの入り口だ、と確信する。嬉しくて、嬉しくて、じっとしていられず手を何度も開いては閉じる。
三男坊に手を引かれ、ゆっくりと歩いて行く娘の背中へ、ひろ松は心の中で呼びかけた。
お嬢さん、お嬢さん。お山から来たお嬢さん。
足坊ちゃんをよろしくお願いします。
あたしら小僧や下働きのものたちによくしてくれた、とても優しいひとなのです。
ああ、どうぞ、どうぞ―――。
ふたり、お幸せに、なってください。
◇
ひろ松は何年かのちに手代へ出世し、ひろ吉、と名を改めたものの、その翌年にお店を辞める。
「足坊ちゃん、いいや、旦那様! どうぞあたしを雇ってください。きっと、お役に立ちますから!」
「ええっ、ひろ松じゃないか!」
木工細工の店に、若く働き者の手代がいる、と評判になるのは、それからすぐのことである。
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