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高校編
高一・清明 入学式①
しおりを挟む早朝のひんやりした空気は、はじまりの日にぴったりだ。晴れた空の下、まぶしすぎて、全てのものが白みを帯びて見える。
今年の桜は雪国でも入学式に合わせて咲き始めた。開花予想通り今日、4月8日に満開を迎える。駅の回りも桜が花盛りだ。風もないのにはらはらと花びらが落ちる。
今日は、私立文武学舎高校の入学式。駅の前でイコと待ち合わせている。おろしたての制服はまだ慣れない。
黒地に臙脂のラインが入ったボタンのない学ランは、一見古風な制服だが、抗菌防臭、撥水加工にストレッチと至れり尽くせり。よく見ればウエスト部分が少ししぼられている。「きれいなシルエットだよね!」とは姉の談である。
しかし学舎が制服でこだわっている点は『正しく着るのが1番様になり、着崩すと途端に格好悪くなる』ところだ。
学ランはチャックではなくハトメとホックで留めるもので、きちんと上まで留めないと間が抜けて見える。中の形状記憶シャツはボタンが見えない比翼仕立て。襟元をくつろげると比翼の部分が歪み格好がつかない作りだ。
さらに細身のスラックスはポケットに手を突っ込んで歩く者が出ないよう尻ポケットしかない。
指定のローファーに至っては、硬い革で作られ、かかとを踏んで履くことは困難。
ここまでくると『着崩させてたまるものか!』という執念すら感じる。
俺はそわそわしながら襟の校章に触れて、曲がっていないか確かめる。
今日からずっと、卒業するまで、登校の朝一番にイコと会える。そう思えばのんびりなどしていられなくて、気がつけばずいぶん早く着いてしまった。遠足の日の小学生みたいでちょっと恥ずかしい。
落ちつかない気分でいると、早すぎるせいですいている道のむこうから、小さな人影が歩いてくるのが見えた。
細くて、小さくて、ちょこまか動く人影は、横断歩道の信号で止まってこちらに手を振った。
可愛い。
手を振りかえすと、嬉しそうに手を振る速度が速くなる。
可愛い。
信号が青になったとたん、足早にこちらへ歩き出す。左手に指定の古風な革の鞄を持ち、右手でベレー帽を抑えながら、黒いセーラーワンピースの少女が舞う花びらの中まっしぐらにこちらへ来る。
真新しい制服が初々しい。早足に白い頬を桃色に染める様子がたまらなく可愛い。
「イコ」
名前を口にするだけで、幸福で舌がとろけそうだ。
大事な大事な、俺の大好きなお姫様は、俺の前まで来ると息をひとつついてから、にっこり笑った。
「おはよう、たぁくん!」
「おはようイコ」
ああ。
この朝の日差しの中、間違いなくイコが世界で1番可愛い。
◇
イコが身にまとうのは学舎のレトロな制服、黒地に臙脂のラインが入ったセーラーワンピースだ。タイの端にも臙脂のラインが入っている。
ウエストベルトから控え目にふんわり広がるスカートは膝下丈で、制服には珍しくプリーツがない。黒の靴下に指定のローファー。少し小さめなトーク帽風のベレー帽が聖歌隊のようだ。
大きめの中学の制服を持てあましていたイコも可愛かったが、体にぴったりとあつらえた制服を身にまとうイコは凜としていて、胸が騒ぐ。
小さな肩に、細すぎて折れてしまいそうな二の腕、華奢なウエスト。足やかかとなんて固い地面を歩かせたら砕けてしまいそうに見える。
ふわふわの髪は少し短くなって、例によってボブ。贈った黒いヘアピンが、右耳の上あたりに小さなリボンの形を見せながら留められているのを見つけて、多幸感でくらくらする。
「可愛い。よく似合ってる」
「本当? 髪を短くしたんだけど、ベレー帽の位置間違えるとカッパになっちゃうの」
「ぶふっ」
「あ、吹いた」
確かに、短いふわふわの髪型で、頭の中心へ丸いベレー帽をのせたらカッパに見える。こういう事を自分から言ってしまう気取らなさも、イコの魅力だと思う。
「こんなに可愛いカッパなら、会ってみたい」
手の甲で頬の輪郭をなぞると、イコはくすぐったそうに1度首をすくめた。それでも、されるがままになりながら俺を見上げる。
「たぁくん学ラン格好いいね! 陸軍将校みたい! 軍帽とサーベル欲しいな」
「そこまでいくとコスプレだな」
格好いい。
そう言ってもらえたこの制服、実は別あつらえになってしまった一品だ。
俺の場合、筋肉のせいで基本サイズは腕と足が入らなかった。そのため学舎と提携している仕立て屋でセミオーダーメイドになったのである。びっくりするほど金のかかった制服だが、元々の制服の金額以上になった部分は学舎が補助をしてくれた。
この補助が学舎の大きな特徴だ。
普通、私立高校の奨学金制度は、1~3年生を合わせて3、40人くらいの規模だ。それが学舎では学年につき基本2枠しかない。
しかし、部活遠征費補助、修学旅行積立金立替、体操着支給、食費補助としての食堂無料カード、医療費補助等、学舎には細かい補助がたくさんある。しかも高額でないものほど申請基準がゆるいのだ。
そもそも選抜クラスの生徒は裕福な家が多いのだという。そして選抜・進学クラスの一般家庭生徒は、選抜クラスの上位でなければ受けられない、枠の少ない奨学金を希望するより、この基準がゆるい補助をこまめに使う方を選ぶのだとか。
逆に何かと物入りのアスリートクラス生徒は奨学金の希望者が多いが、その理由は、奨学金の給付を受けている者が各補助の希望も優先されるためらしい。
学舎。
県下一校則が厳しい高校、という評判の他に、こんな風にもいわれている。
校則を守れぬ者にはどこまでも厳しく、校則を守る生徒にはどこまでも優しい学校、だと。
毎週土曜の学力向上講習に、学力別の夏季・冬季講習と、塾が必要ないくらい学習面で面倒を見てくれる。部活動では高価な機材が惜しげもなく投入され、基本の学費こそ高いものの、金銭面でもこうしてこまめな補助が出るとは。
なんというか。
学舎は、過保護な親みたいなところだと思う。案外イコにも合っているのかもしれない。
「おんなじ学ランなのに、中学とずいぶん雰囲気違うんだね」
「そうだな」
「中学の学ランも似合ってたけど、学舎のはもっと素敵に見えるよ。たぁくん男前!」
「褒めすぎだ」
俺を見上げにっこり笑ったイコの頬から手が離せない。可愛くてたまらなくて、ずっと触れていたい。イコが唇を動かしてさえずるたびに、キスをねだられているようだ。
「今日は何本か早い電車に乗れそうだねー」
「座れるといいな」
連れだって改札へ向かうため、しかたなく手を引っ込める。俺はかなり残念そうな表情をしていたらしい、イコが笑い声をあげる。
舞う花びらみたいな、軽やかな笑い声。
改札を通り終えれば、どちらからともなく手をつなぎ、顔を見合わせて笑顔になった。
これから俺たちを待つ日々がどんなものであろうとも、この愛しい小さな手を離すことだけは、絶対にしたくない。
今日から、イコとの高校生活が始まる。
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