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中学編
中三の晩秋④
しおりを挟む「じゃ、決まり。時間厳守で」
永井がシンプルな紺の手帳を閉じながら宣言した。
うっかり自分の命日を心配するくらいに幸運が続いた今日だが、やはり俺の幸運にはそれなりにストッパーがかかっていたらしい。
イコの家を訪ねての勉強会は、永井と仲良も参加になった。
「どうせならみんなで集まって弱点克服すればいい」という永井の発言に、それぞれが賛成したせいだ。
塾の終了後、他の人間が帰った後も残って4人で予定を合わせた結果、勉強会は今度の休みに決まった。
午前中から夕方まで、休みの日をじっくり使って弱点克服! というのはいいのだが、途中でイコの家で昼食をいただくことになる。ひとりふたりではなく3人だ。少々気が引ける。
「みんなで押しかけて迷惑じゃないのか?」
「ううん、ママ喜ぶと思うよ」
何せこのメンバーだし、とイコは席に座ったままみんなを見渡すと、目線をそらして「フッ」と卑屈に笑った。
「それになんたってみなさま、私より総合点が高い方ばかりでいらっしゃいますからねぇー」
「理科サボるからでしょ」
「正論!」
永井のツッコミに、胸を押さえてゆっくり机へ倒れ込むイコが可愛い。
「顔! 顔ヤバい」
近くで仲良に鋭くささやかれ、慌てて頬杖をついて顔を押さえた。仲良は俺の背中に寄りかかって意地悪く言う。
「残念だったな丈夫。2人きりになれなくて」
「いや。正直、安心した」
実際、負け惜しみではなく、この展開にほっとしていたりする。
イコの家に行くのは具合の悪かったイコを送って以来だし、あんなのは訪ねたうちに入らないだろう。ほとんど初めて行くようなものだ。
そんな所で、イコと2人きりで勉強。しかもイコの部屋でだったりした日には、幸せすぎて正気で過ごせる自信がない。
顔なんかきっとデレデレで気持ち悪いだろうし、何を口走るか考えるのも恐ろしい。不安要素が大きすぎる。
惜しい気もするけれど、1度みんなで行って慣れた方がいいだろう。
本当に、本当に、惜しい気もするけれど。
でもきっと機会は今回だけじゃないはずだ。
「これで、模試の結果のお説教も短くなるよ……」
机に倒れ込んだままイコがぼやく。
「お説教は確定なんだな」
「うん。『がんばるって言ったでしょう』って言われる」
ずいぶん上品な説教だ。うちの説教なんか罵声に加えて拳骨が降ってくる。とてもイコには体験させられない。壊れてしまいそうだ。
机から起き上がったイコは、もそもそと帰り支度を始めた。
さっさと支度を先に終わらせていた仲良が「じゃーなー」とお気楽な挨拶とともに帰って行ったが、俺は今日を終わらせるのが少し惜しくて、支度をしても立たずにいて。
「現実の洗礼がぁ。知世ちゃん、やだよう、おーこーらーれーるぅー」
「はいはい、わかったから帰るよ! 遅くなったらなおさら怒られるでしょう」
「うわーん、岩並君ばいばーい」
永井に抱きついたまま引きずられていくイコを見送ることになった。
◇
夕食でついうっかり「幸せすぎて死にそうだ」とつぶやいてしまったせいで、俺は病気と間違われたらしい。風呂から上がって早々「早く寝ろ」と部屋へ追い立てられる。
猫トイレ掃除も犬のブラッシングも、皿洗いと交代を条件に姉さんが自主的に代わってくれた。るり、ペロ、すまん。姉さんは手荒いが、勘弁してやってくれ。
部屋に入ってすぐ目に入るのは、棚に飾った袋。イコからのプレゼントだ。
吸い寄せられるように前に立つ。
風呂上りだから手は汚れていないが、なんとなく気になって、何度かパジャマに右手を擦りつけてから手に取る。
極力、指に力を入れずに持ちながら、いそいそと布団の上へ座って、手の中の宝物を眺める。
袋はお菓子なんかをラッピングするためのレース模様のビニール。そこに金の、光沢の強い細めのリボンが結ばれている。
中身のフィギュアは向きが不揃いで、茶色ウサギは顔を、腹が白い灰色ウサギはしっぽを見せている。
白ウサギはピンクの内耳が見えるように、鯉の昭和三色は模様がわかるように、上からの姿をのぞかせていて、赤と金の鯉は横向きの姿が見える。
リアルだけれども、どこかとぼけていて、可愛い。
それぞれのベストアングルがズレないように、イコはあの小さな手で一生懸命押さえながら入れたのだろうか。
『あ、あのね、あのね、遅くなったけど、お世話になったお礼にプレゼント持ってきたの』
口ごもりながらそう言って、イコはこの袋を出した。そんなに不安がらなくていいのに。イコが真剣に選んでくれたなら、どんな物でも宝物なのに。
『高いものじゃないし、実用性も全然ないけど。よかったら、どうぞ』
不安げに目を潤ませたイコが白い頬をピンクに染めて、ちっちゃい体で一生懸命こちらにプレゼントを差し出す様子を、俺は絶対に忘れないだろう。
あまりにけなげで、可愛くて、俺はしばらく口がきけなかった。
知らない人が見たら、おもちゃの入った袋でしかない。
だけどこれは、俺が生き物好きだと知った上で、俺や飼育委員会の仲間が第一中で大切に世話をしている生き物をわざわざ選び、1番魅力的に見えるようにラッピングしたものだ。
他ならぬイコが、俺の、俺だけのために考えて、感謝の気持ちとともに用意したプレゼント。
品物ももちろん嬉しい。生き物好きな俺にはぴったりだ。
だけど、プレゼントを考える時間と、用意する手間を、イコが俺のためにかけてくれたことが1番嬉しい。
その間ずっと。
―――イコの頭の中には俺がいたのだから。
「―――ッ!!」
嬉しすぎて、幸せすぎて、声にならない叫びをあげて布団の上へひっくり返る。思った以上の音がたち、ふすまの向こうで「フギャッ!」と猫が驚き去っていく気配がした。
すまん、るり。でも今日は押さえられないんだ、許せ。
心の中で猫へ謝りながら袋を目の前に持ってくると、新しいビニールの香りに混じって、どこか華やかな香りがする。女の子の香りだ。きゅうっと胸が締め付けられる。
ああ。
俺はイコをどれだけ好きになればいいのだろう。
ありったけの心で好きなつもりでいるのに、どんどん、どんどん、前よりずっと好きになっていく。
今夜、俺は、どれだけ心の中でイコを好きだと繰り返すことになるのだろう。いや、何度だって繰り返そう。まだしばらく眠れそうになくて、秋の夜は長いのだから。
でも、せめて。
そっと袋をなでて、祈る。
願わくば今夜、イコが、少しだけでも俺を思いだしてくれますように。
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