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36.第二の皇祖

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 音を立てずに器を置いた秀峰が、ポツリと呟く。

「日香……そなたは真に緋日神の再来だ。本当は高嶺やティルと同じく、誕生直後に覚醒していただろう」
「うん、そうだよ。精神面だけね」

 人々には公開していないが、天威師たちは皆知っていることだ。日香は頷きながら、一口大の饅頭を口に放り込む。

「始まりの神器に反応した関係でね、誕生してすぐ至高神のさがに目覚めたの」
「だが、それでも人間への情を持ち続けている。――天威師は通常、覚醒が遅いほど人を好むようになり、覚醒が早ければ人への情が薄い。ただし、前者であっても至高神の本性に戻れば情を無くす」
「そうだって言うよね。先代の黒曜様だってさ、天威師の時は結構人間思いだったのに、至高神に戻ったら人への愛着なんか全部消えちゃったみたいだし」
「ああ……ゆえにこそ、生まれながらの至高神でありながら人を想い続けた緋日神は特別であり、日香もそれに通ずる」

 秀峰はどこか寂しげに、卓に置いた茶器に目を落とした。そよ風に揺れる水面に映り込む自分の姿を見遣る。

「私は、神格を解放すれば人間への想いを薄れさせるだろう。だが、そなたは緋日神と同じく情を維持するかもしれない」

 通常の天威師は、覚醒と同時に自身の中に潜在する至高神の精神と力に目覚めるが、日香の場合は特殊であった。誕生と同時に始まりの神器と感応したため、その時点で精神のみ覚醒していたのだ。遅れて力が目覚めたのが12歳である。

 つまり日香は、生まれた直後から天威師としての精神を持っていた。にも関わらず、人に対し大きな情を保持している。そのような稀有な存在は、日香と緋日神以外にはいない。

「うーんそうかもね。でもはっきり言って、生まれた直後から心は至高神だったらさ、私。やっぱり人間とは考え方も動き方も違うよ」

 いくら精巧に人に擬態し、感覚や感情を人間に近付けていても、自分の本性はやはり神なのだ。神格を抑えている今ですらそう感じているのだから、至高神に戻ればその差異は確たるものとなるだろう。

 緋日神とて、いざとなれば人間ではなく同族を取る。末裔を還らせようとする祖神に賛成し、地上と人を見捨てることを躊躇わなかったのだから。日香とてそれは同じだ。

「人間が好きって言っても、たくさんの生物がいる地上で人間だけを贔屓ひいきするとか、いつでも人間の味方をするとか、ずっと人間の常識や基準に合わせて人間目線で行動するとかはないよ。そこまで傾倒はしてないから」

 むしろ、自我が確立する15歳まで人と同じように生きて来た義兄の方が、真の意味で人間側に立っているだろう。そう告げると、義兄は悲しそうな顔で微笑んだ。

「それでも、そなたはまごうことなき第二の皇祖だ。ゆえにこそ、始まりの神器の修復が可能だった」

 視線を上げた秀峰は、横を向いて庭園を眺める。吹き抜ける風が、柔らかな猫っ毛を揺らしていった。

「私の内に根付いていた人としての感覚は、覚醒を機に少しずつ消失していきつつある。自分でも分かるのだ。始まりの神器を、以前のように光らせることもできなくなった」

 人を想う天威師の念を注ぎ込むことで輝く始まりの神器。大方の天威師は人間に興味がないため、発する光は薄く朧だ。白珠と月香は多少明るいものの、煌々こうこうと光らせることができるのは日香と秀峰のみだった。だが、秀峰の光は徐々にかげりを見せていた。

「私はいつまで、人間を好きでいられるだろうか」

 自分が変わっていく――本来在るべき姿に戻っていく感覚に、秀峰は時折憂いと苦悩の表情を見せる。人間として生きていた頃の自分は消えてしまうのか、意味はなかったのかと。

「完全に至高神の性に還る前に、文書をしたためておこうと思う。地上と人への想いを書き残しておく。まだ人の感情が残っている内に」
「うん、それがいいと思う!」

 それを読み返せば、人間に対する気持ちが維持できる可能性がある。また、後世において、その書面が何かの形で役立つこともあるかもしれない。
 日香が賛成した時、高嶺が転移して来た。

「日香。秀峰兄上もご一緒でしたか」
「ああ、宗基家の処分を伝えに来たついでに話をしていた。……だが、そろそろ行かねば。天威師が臨席を請われている、神官府の祭祀がある。顔くらい出しておこうと思う」

 時間を確認した秀峰が、僅かに顔色を変えて立ち上がった。思いのほか長く話し込んでいたらしい。

「行ってらっしゃーい」
「お気を付けて」

 日香が手を振り、高嶺が優雅に頭を下げる。軽く首肯した秀峰が、ちらと日香を見た。

「日香。二号をあまり甘やかすな」

 そして、ふっとかき消えた。高嶺が首を傾げる。

「二号?」
「始まりの神器のことです。私の要素が多く入ったから、日香二号だって言うの」

 頰を膨らませて言う日香の説明を聞き、高嶺が小さく噴き出した。

「私、あの子みたいに太ったことないですよ!」

 食い意地の悪さもあそこまでではないと思っている。……自分では。

「仮に体型が変わったとしても、そなたであれば何であっても愛おしい。太っていても、発狂したガチョウでも、すっぽんでも」
「私自身は嫌ですからね、それ!」

 思わず突っ込むと、高嶺は肩を震わせた。そして何故か上機嫌な顔になり、涼やかに言う。

「秀峰兄上が二号などと仰るから、側室でも取るつもりかと思った。そんな輩が来たら瞬殺して神罰牢に堕としてやろうと思ったが、杞憂であったな。良かった」
「そ、側室を取る予定なんかありませんよ!」

 天威師は多夫多妻制だ。夫婦どちらも、複数の配偶者を取ることができる。平然と恐ろしいことをのたまう高嶺に冷や汗をかいていると、彼はサラリと続けた。

「もし日香が側室を募集するならば、私が挙手しよう。正室も二号も三号も四号も、全員私だ」
「それ側室募集の意味あります!?」
(高嶺様が何人もいたら、愛されすぎてでろんでろんになっちゃうよ私!)

 内心で戦慄した時、再び噴き出した高嶺が笑う。明るく朗らかに、高らかに。心からの笑顔だ。しかし、それは一瞬で消える。面持ちを改めた高嶺は、日香を見た。

「さて日香、もうひと頑張りだ。この後は追加の献上品の確認をしてもらわねば。また、複数の地域で神を怒らせた者が出た。現在神官が宥めているが、荒れた場合は天威師が出る。そなたに割り振られてもいいよう、心の準備をしておけ」
「分かりました」

 応を返した時、遠くの空に影が走った。
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