【完結】すっぽんじゃなくて太陽の女神です

土広真丘

文字の大きさ
上 下
31 / 85
本編

31.意思が揃わない

しおりを挟む
 白珠が言葉に詰まった。それは、彼女も常に葛藤している心情であるからだ。

「……そうですけれど……」
「俺の道は、俺自身の責任と判断で決めるものだ。そして、この子たちにはこの子たちの選択と意思がある。だから、自分の意思決定の理由に他の者を出したくはないと思い、今までは言わなかった。しかし――さすがにもう、潮時かもしれない」

 レイティの双眸は、僅かな疲労を滲ませていた。生来の荒神である彼をして、自身の大切な者が傷付く様を見続けることは負担が大きいのだ。

「父上、私はまだやれます」

 反論できず、蒼白な顔で口を閉ざした白珠に代わり、秀峰が縋り付かんばかりにレイティに詰め寄った。

「人は皆、ただ一つの生命いのちを抱いてこの世に生まれ出でるのです。全ての人間には権利があります。この大地の上に立ち青き空の下で生き、生命を蹂躙されることなくまっとうする権利が」

 常にない決死の形相で言葉を並べる秀峰を見つめながら、日香はふと、彼がかつて呟いたことを思い出した。

『現世は素晴らしいところだ。明るい陽光も自然の恵みも、全ての者に降りかかる。自身を落伍者らくごしゃと思う者は、諦める前に天を見れば良い。英雄を讃える青空が、自分の上にも等しく広がっていることに気が付ける』

 霊威至上主義の世界に生まれ落ち、覚醒できなかった御子として蔑まれて来た秀峰は、常に下を向いて生きて来たという。
 だが、運命の日――神罰牢に堕ちた人々を助けに満身創痍で幾度も往復する最中、挫折しそうになる心を叱咤して空を見上げた時、ようやくその青さに気が付いた。

『空というものは――こんなにも青かったのですね。初めて気が付きました』

 天威師として初めて祖神たちと交信した際、茫洋とした瞳でそう呟いた秀峰。その言葉に応じたのは、滅多なことがない限り能動的な行動を起こさないはずの、西の白死神だった。
 とてつもなく大きく厳しく恐ろしく、そしてそれ以上に優しく慈悲深い神威を放つ原初の荒神は、覚醒したばかりの雛に諭した。

『我が同胞よ。お前も既に察しているだろう。その空と青の色は、生まれてよりずっと変わらずお前の上にあったのだ』

 その言葉は、秀峰の心の一番深くに、ストンと落ちるように沁み入ったのだという。

 現世においては、明るい日差しも晴れやかな蒼穹も、成功者だけの特権ではない。同じ場所、同じ時間、同じ条件の下であれば、誰が見上げようとも、等しく同じ光景が広がっている。
 ゆえに、持たざる者とて堂々と顔を上げ、ぐるりと周囲を見渡してみれば良い。そこにはきっと、持つ者が見ているものと同じ景色があるだろう。

「生きとし生ける者は誰一人として、己が有する尊厳を叩き潰されるべきではない。天威師は人を守る存在です。人の権利と尊厳を守る存在なのです。そうでしょう」

 悲壮さすら感じる声音でかき口説く秀峰をそっと撫で、レイティが優しく語りかけた。

「お前は人の側に立って生きた時間が長い。人間に肩入れしすぎている。――天威師は人類という種を保存する存在だ。人に寄り添いきめ細やかに守る存在ではない。種の保存さえなされれば、人間が権利を害されようとも不幸になろうとも構わない」
「ですが、私が覚醒する前から……人間であると思われていた頃から、父上は私を守ると仰っていました。私の心に配慮して、とても大切にして下さっていました」
「当たり前だろう、お前は俺の子だ。我が子には特別対応をするに決まっている。人間であろうとそうでなかろうと」

 至極当然のことだと、レイティは言葉を放った。一部の者を特別扱いし、その他大勢と切り分けることを些かも躊躇わない。

 秀峰の顔が絶望に染まった。天威師をまとめているのは皇帝たちだ。太子の意向も尊重されるものの、最終的な判断は皇帝が行う。中でも、長兄姉であるレイティと白珠の決定は皆が重んじる。そして白珠は、夫かつ一族の長でもあるレイティを立てている。
 つまり、現時点において天威師の頂点にいるのはレイティだ。彼の決定がそのまま天威師の方針となる。

「父上、お願いですから……」

 目尻に涙すら浮かべ、秀峰がレイティの衣の袖を引く。

「秀峰」

 レイティは小柄な秀峰に合わせて体をかがめた。その口調と気配は、どこまでも穏やかだ。己の荒ぶる天威で威圧し、有無を言わせず従わせることはない。春節の日差しを浴びた湖のような淡い碧眼が、愛しい我が子に据えられた。

「お前だけが頑張れば良い話ではない。ラウ、ティル、高嶺――皆が傷付き苦しみ、もう嫌だと泣いている」

 痛いところを突かれたとばかりに、秀峰が黙り込んだ。白珠の時と同様だ。

「で、でしたら私は残って、皆は還れば――」
「俺たちがそんなことをすると思うか? 大切なお前を宿命の中に置き去りにし、自分たちだけもうやめたと言って還ると思うのか。還るならば全員一緒だ」
「…………」

 秀峰の頰に流れる涙を、レイティの細く長い指が優しく払った。

「お前がどうしてもと泣くならば、俺は――俺たちは特別に譲歩しても良い。だがその場合であっても、祖神の御意志は揺らがないだろう。この場にいる至高神全ての思いが一致しなければ、今ここで強制送還になる」

 それについては如何ともしようがないと、レイティは柔らかに言い聞かせた。
 秀峰と、金日神の中にいる日香を気遣うように見つめた翠月帝が、宥めるように発した。

『我らの意思は覆らぬ。我が妻、緋日神に限れば可能性はあるやもしれぬが、私と祖父神、祖母神の意向は不動だ。黇の子と紅の子よ――諦めて楽になるが良い』
「人の皮を脱いで至高神に戻れば、地上と人類への情などなくなるでしょう。辛いのは今だけですよ。黇の子よ、東の白死神はもちろん、祖神全員が裔たちの帰還を望んでいます」

 続けて言った金日神も、慈悲深く微笑んだ。中空に浮かべた水晶の玉を眺め、黒闇神が一つ息を吐く。

「どうやら玉は光らぬようだな」
(待って、駄目だよ……駄目!)

 日香は再び魂で抵抗するが、今度は金日神も支配を緩めてはくれなかった。

 秀峰がふらりとくずおれるのを、レイティがそっと支えている。誰か、と秀峰が唇を動かした。どこかから助けの手が差し伸べられることに縋るかのように。
 泣いても絶望しても状況は変わらない、奇跡を待つくらいなら自分で動いて状況を打開しろ、と常々言っている義兄が、その奇跡に縋らなければならないほど、万策尽きた状態だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。

sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。 目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。 「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」 これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。 なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。

30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。

ひさまま
ファンタジー
 前世で搾取されまくりだった私。  魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。  とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。  これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。  取り敢えず、明日は退職届けを出そう。  目指せ、快適異世界生活。  ぽちぽち更新します。  作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。  脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜

二階堂吉乃
ファンタジー
 瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。  白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。  後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。  人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話+間話8話。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

【完結】天下無敵の公爵令嬢は、おせっかいが大好きです

ノデミチ
ファンタジー
ある女医が、天寿を全うした。 女神に頼まれ、知識のみ持って転生。公爵令嬢として生を受ける。父は王国元帥、母は元宮廷魔術師。 前世の知識と父譲りの剣技体力、母譲りの魔法魔力。権力もあって、好き勝手生きられるのに、おせっかいが大好き。幼馴染の二人を巻き込んで、突っ走る! そんな変わった公爵令嬢の物語。 アルファポリスOnly 2019/4/21 完結しました。 沢山のお気に入り、本当に感謝します。 7月より連載中に戻し、拾異伝スタートします。 2021年9月。 ファンタジー小説大賞投票御礼として外伝スタート。主要キャラから見たリスティア達を描いてます。 10月、再び完結に戻します。 御声援御愛読ありがとうございました。

異世界で快適な生活するのに自重なんかしてられないだろ?

お子様
ファンタジー
机の引き出しから過去未来ではなく異世界へ。 飛ばされた世界で日本のような快適な生活を過ごすにはどうしたらいい? 自重して目立たないようにする? 無理無理。快適な生活を送るにはお金が必要なんだよ! お金を稼ぎ目立っても、問題無く暮らす方法は? 主人公の考えた手段は、ドン引きされるような内容だった。 (実践出来るかどうかは別だけど)

私と母のサバイバル

だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。 しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。 希望を諦めず森を進もう。 そう決意するシャリーに異変が起きた。 「私、別世界の前世があるみたい」 前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?

完結【真】ご都合主義で生きてます。-創生魔法で思った物を創り、現代知識を使い世界を変える-

ジェルミ
ファンタジー
魔法は5属性、無限収納のストレージ。 自分の望んだものを創れる『創生魔法』が使える者が現れたら。 28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。 そして女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。 安定した収入を得るために創生魔法を使い生産チートを目指す。 いずれは働かず、寝て暮らせる生活を目指して! この世界は無い物ばかり。 現代知識を使い生産チートを目指します。 ※カクヨム様にて1日PV数10,000超え、同時掲載しております。

処理中です...