【完結】すっぽんじゃなくて太陽の女神です

土広真丘

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本編

31.意思が揃わない

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 白珠が言葉に詰まった。それは、彼女も常に葛藤している心情であるからだ。

「……そうですけれど……」
「俺の道は、俺自身の責任と判断で決めるものだ。そして、この子たちにはこの子たちの選択と意思がある。だから、自分の意思決定の理由に他の者を出したくはないと思い、今までは言わなかった。しかし――さすがにもう、潮時かもしれない」

 レイティの双眸は、僅かな疲労を滲ませていた。生来の荒神である彼をして、自身の大切な者が傷付く様を見続けることは負担が大きいのだ。

「父上、私はまだやれます」

 反論できず、蒼白な顔で口を閉ざした白珠に代わり、秀峰が縋り付かんばかりにレイティに詰め寄った。

「人は皆、ただ一つの生命いのちを抱いてこの世に生まれ出でるのです。全ての人間には権利があります。この大地の上に立ち青き空の下で生き、生命を蹂躙されることなくまっとうする権利が」

 常にない決死の形相で言葉を並べる秀峰を見つめながら、日香はふと、彼がかつて呟いたことを思い出した。

『現世は素晴らしいところだ。明るい陽光も自然の恵みも、全ての者に降りかかる。自身を落伍者らくごしゃと思う者は、諦める前に天を見れば良い。英雄を讃える青空が、自分の上にも等しく広がっていることに気が付ける』

 霊威至上主義の世界に生まれ落ち、覚醒できなかった御子として蔑まれて来た秀峰は、常に下を向いて生きて来たという。
 だが、運命の日――神罰牢に堕ちた人々を助けに満身創痍で幾度も往復する最中、挫折しそうになる心を叱咤して空を見上げた時、ようやくその青さに気が付いた。

『空というものは――こんなにも青かったのですね。初めて気が付きました』

 天威師として初めて祖神たちと交信した際、茫洋とした瞳でそう呟いた秀峰。その言葉に応じたのは、滅多なことがない限り能動的な行動を起こさないはずの、西の白死神だった。
 とてつもなく大きく厳しく恐ろしく、そしてそれ以上に優しく慈悲深い神威を放つ原初の荒神は、覚醒したばかりの雛に諭した。

『我が同胞よ。お前も既に察しているだろう。その空と青の色は、生まれてよりずっと変わらずお前の上にあったのだ』

 その言葉は、秀峰の心の一番深くに、ストンと落ちるように沁み入ったのだという。

 現世においては、明るい日差しも晴れやかな蒼穹も、成功者だけの特権ではない。同じ場所、同じ時間、同じ条件の下であれば、誰が見上げようとも、等しく同じ光景が広がっている。
 ゆえに、持たざる者とて堂々と顔を上げ、ぐるりと周囲を見渡してみれば良い。そこにはきっと、持つ者が見ているものと同じ景色があるだろう。

「生きとし生ける者は誰一人として、己が有する尊厳を叩き潰されるべきではない。天威師は人を守る存在です。人の権利と尊厳を守る存在なのです。そうでしょう」

 悲壮さすら感じる声音でかき口説く秀峰をそっと撫で、レイティが優しく語りかけた。

「お前は人の側に立って生きた時間が長い。人間に肩入れしすぎている。――天威師は人類という種を保存する存在だ。人に寄り添いきめ細やかに守る存在ではない。種の保存さえなされれば、人間が権利を害されようとも不幸になろうとも構わない」
「ですが、私が覚醒する前から……人間であると思われていた頃から、父上は私を守ると仰っていました。私の心に配慮して、とても大切にして下さっていました」
「当たり前だろう、お前は俺の子だ。我が子には特別対応をするに決まっている。人間であろうとそうでなかろうと」

 至極当然のことだと、レイティは言葉を放った。一部の者を特別扱いし、その他大勢と切り分けることを些かも躊躇わない。

 秀峰の顔が絶望に染まった。天威師をまとめているのは皇帝たちだ。太子の意向も尊重されるものの、最終的な判断は皇帝が行う。中でも、長兄姉であるレイティと白珠の決定は皆が重んじる。そして白珠は、夫かつ一族の長でもあるレイティを立てている。
 つまり、現時点において天威師の頂点にいるのはレイティだ。彼の決定がそのまま天威師の方針となる。

「父上、お願いですから……」

 目尻に涙すら浮かべ、秀峰がレイティの衣の袖を引く。

「秀峰」

 レイティは小柄な秀峰に合わせて体をかがめた。その口調と気配は、どこまでも穏やかだ。己の荒ぶる天威で威圧し、有無を言わせず従わせることはない。春節の日差しを浴びた湖のような淡い碧眼が、愛しい我が子に据えられた。

「お前だけが頑張れば良い話ではない。ラウ、ティル、高嶺――皆が傷付き苦しみ、もう嫌だと泣いている」

 痛いところを突かれたとばかりに、秀峰が黙り込んだ。白珠の時と同様だ。

「で、でしたら私は残って、皆は還れば――」
「俺たちがそんなことをすると思うか? 大切なお前を宿命の中に置き去りにし、自分たちだけもうやめたと言って還ると思うのか。還るならば全員一緒だ」
「…………」

 秀峰の頰に流れる涙を、レイティの細く長い指が優しく払った。

「お前がどうしてもと泣くならば、俺は――俺たちは特別に譲歩しても良い。だがその場合であっても、祖神の御意志は揺らがないだろう。この場にいる至高神全ての思いが一致しなければ、今ここで強制送還になる」

 それについては如何ともしようがないと、レイティは柔らかに言い聞かせた。
 秀峰と、金日神の中にいる日香を気遣うように見つめた翠月帝が、宥めるように発した。

『我らの意思は覆らぬ。我が妻、緋日神に限れば可能性はあるやもしれぬが、私と祖父神、祖母神の意向は不動だ。黇の子と紅の子よ――諦めて楽になるが良い』
「人の皮を脱いで至高神に戻れば、地上と人類への情などなくなるでしょう。辛いのは今だけですよ。黇の子よ、東の白死神はもちろん、祖神全員が裔たちの帰還を望んでいます」

 続けて言った金日神も、慈悲深く微笑んだ。中空に浮かべた水晶の玉を眺め、黒闇神が一つ息を吐く。

「どうやら玉は光らぬようだな」
(待って、駄目だよ……駄目!)

 日香は再び魂で抵抗するが、今度は金日神も支配を緩めてはくれなかった。

 秀峰がふらりとくずおれるのを、レイティがそっと支えている。誰か、と秀峰が唇を動かした。どこかから助けの手が差し伸べられることに縋るかのように。
 泣いても絶望しても状況は変わらない、奇跡を待つくらいなら自分で動いて状況を打開しろ、と常々言っている義兄が、その奇跡に縋らなければならないほど、万策尽きた状態だった。
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