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20.神器修復の条件

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「母上。日香は私と添い、私たちに出会うために生まれて来てくれたのですよ?」

 高嶺がこてんと小首を傾げた。白珠が呆れを滲ませた瞳で頷く。

「分かっています。神器修復のために顕現したというのは、あくまで多数ある意味の中の一つでしかありません」
「それならば良いです」

 高嶺は以前、奇跡的な時期に誕生した日香が天威師の間で『神器を復元させるために顕現したようなもの』と評された際、何と神器に嫉妬した。
『たかが神器が私の愛妻の存在理由になろうなど、おこがましいですよね?』と微笑み、神器を破壊しかねない剣呑な視線を向けていたのだ。

 白珠たちが言うには、高嶺は黒髪黒目という皇家の特性を持って生まれたものの、気質面では帝家に近いらしい。帝家は人間への想いが少なく、地上に残ることを望んでいない。現在まで残留しているのは、皇家に付き合っているだけだ。

「心得ております。必ずやご下命を果たしてみせます」

 神妙な面差しで応じる日香に、ラウとレイティ、そして志帆が忸怩じくじたる表情で眉を寄せた。

「日香、そなた一人に重荷を背負わせてしまうことを心苦しく思っている。本当にすまない」
「俺たちも日神なんだがな、中々上手くいかないものだ」
「応急的な対処や表面上の措置ならば私にもできるのですが、根本からの復元となると……」

 彼らに始まりの神器を直すことはできない。神器を修復するためには、重要な条件を満たさなければならないからだ。

「始まりの神器は、人類を救いたいという天威師の意思を吸収し、輝く性質を持っています。その関係で、神器という容器自体にも人への想いが満ちていなければならない」

 静かに語る志帆が、柔らかな瞳に苦渋を滲ませる。人間という種族に対し、一定以上の愛着を持っていること。これこそが、神器の修復に不可欠となる条件だ。

「しかし、至高神は同族にしか情を抱かぬ存在。人に対し憐れみの心を抱いた初代皇は例外中の例外なのです。比較的穏当と言われる東の至高神――つまり皇家の天威師であっても、緋日皇様と同程度に人を想う者は滅多に顕れない」

 苛烈で攻撃的である西の至高神、すなわち帝家になれば、その傾向は一層顕著になる。己の立場に対する責任感を放棄すれば、同族以外のことは存在すら認識しなくなるだろう。

「姉上、秀峰、月香、そして日香。当代には人間好きな天威師が一定数揃っていますが、これはとても珍しいことです」

 日香を見つめる碧黒の双眸が、何かを堪えるように細まった。

「私は、皇家の中では人間に対する愛着や情が弱い方です。全くないとまでは言いませんが、決して強いわけではない。あなたと同じだけの心を有していたならば、私が神器を修復できたかもしれないのですが――こればかりは如何いかんともしがたく」

 日香は微笑んで首を横に振った。

「それは仕方のないことです。心は無理矢理には変えられませんから」

 表面に出す言動や態度、気配などは意思の力で制御可能だが、己の内にある精神まで偽ることはできない。
 だが、それでは神器を直せない。外観は修復できたとしても、人を想う天威師の心を上手く吸収することができない張りぼての神器になってしまう。
 人への想いを取り込めなければ神器は光を失い、神器が輝かなくなれば天威師は天に強制送還となる。同時に人間は神の手により最悪の罰牢に堕とされる。

「初代と同じ日神であり、かつ初代に匹敵する強さで人間への情をも併せ持つあなたは、まさしく皇祖の再臨。あなたしか始まりの神器を正しく修復することはできない」

 神器が問題のある共鳴を起こしながらも日香を呼び、求めるのは、自身を修復できる唯一の存在だと察しているからだ。

 なお、始まりの神器を新たに創り直すことはできない。再作製や取り換えには祖神の許可が必要になるが、祖神たちは天威師が地上にいる現状を良く思っていない。その状態を長引かせることになる行為など、おめおめと許すはずがないのだ。
 つまり、現状の危機を打開するには、元からあるこの小鳥を復活させるしかない。元々の神器を治してはならない、という禁止令までは出されていない今の内に、何としてでもこの秘宝を快癒させる。それが日香に課せられた最大の使命だった。

 痛みと苦悩を孕んだ白珠の眼差しが日香に注がれた。

「これほど多くの天威師がいるにも関わらず、ただ一人の双肩に人類と地上の命運を委ねるしかないことが遺憾極まりない。だが、私たちも可能な範囲でそなたに助力すると誓おう」
「そのお言葉だけで十分でございます」
(一人じゃないもの)

 多くの天威師がおり、相互に支え合える当代の御世は、非常に恵まれている。

「ありがとう。……さて、宗基家の息女ですが」

 小鳥を懐にしまった志帆が、石ころでも見るような眼差しで花梨を見遣り、次いで白珠に目を向ける。

「当事者が気絶している以上、この場で裁くことはできません。彼女はひとまず別室に隔離し、処遇を検討しましょう」
「この娘が天威師であるという話はこれ以上広まらぬようにしていますね」
「ええ。透石とうせきが高官や各地の官吏と共に動き、情報の規制と操作をかけております。調整と対応を行う人員も全土に転移させましたので、今すぐに大きな混乱や騒ぎが生じることはないかと」

 透石とは、神千国の三番目の皇帝の御名だ。茜死神せんししんの神格を持ち、白珠と志帆にとっては実妹に当たる。

「とはいえ、人の口に戸は立てられぬもの。三千年ぶりとなる初代の再来が顕れたという報はじわじわと知れ渡って行くでしょう。それが詐称であったとなれば、民の動揺と落胆はひとしおです。……仮に、人間は天威と情報操作でごまかせたとしても、天から視ている神々の目は欺けない」
(神々、怒ってるだろうな……)

 日香は思わず遠い目になる。天が荒れるかもしれぬと懸念していた狼神の姿が脳裏を掠めた。雷霆の神の怒りはその先鋒だ。志帆がゆるりと首を振った。

「こたびの騒動を目立たせぬためにも、日香が真の天威師である事実を迅速に公表し、盛大に祝うことで民の心を好転させつつ、神の勘気を薄めていくべきでしょう」
「ええ。日香の力が既に安定したことは僥倖でした」

 同意した白珠が視線で花梨を示した。

「この娘を自白させたく思います。身の内に神器を取り込んだゆえの偽天であったと公表し、日香こそが真の太陽の女神だと宣言してしまえば事は簡単ですが……それでは、我々が欺瞞ぎまんを暴いたことになり、この娘は神罰牢行きになりましょう」

 天威師を――至高神を騙ることは、神々の基準では比類なき重罪に値する。与えられる罰は、人間用に用意された地獄では済まない。無慈悲な言葉に顔色を変えたのは秀峰だ。

「それは駄目です! 神罰牢は免除されるようにしてあげて下さい! 神罰牢は、あれだけは……」

 元々白い肌がさらに血の気を失くして青ざめている。均衡を崩してよろめいた痩身を支えるように、月香とラウが両側から寄り添った。レイティがそっと秀峰の背を撫でる。

「大丈夫だ、秀峰。我が妻はそうならないよう計らうつもなんだろう」

 白珠も宥めるような視線を次男に送った。

「元よりそのつもりです。この娘が十二分に猛省し、自主的に己の罪を告白したということにできれば、それを根拠として神々に寛恕と減刑を求められましょう。どうにか人間の地獄で許していただけるよう請願するつもりでおります。志帆と透石にも共に願い出ることを求めたく」
「志帆叔父上……」

 秀峰が縋るように志帆を見た。寸の間黙り込んだ志帆は、すぐに慈愛に満ちた笑顔を帯びた。

「――致し方ありませんね。ええ、流石に神罰牢は酷ですから協力するとしましょう。天威師が複数名で請願すれば可能性は上がります。――それで、ティル。私の願いを聞いてくれますか」
「はい志帆叔父上、何でも仰って下さい。帝家は皇家のおねだりが大好物ですよぉ」

 ティルが幸せそうに頬を緩めた。

「宗基家の息女の裁定はひとまず保留及び今後検討とします。この場は引いて下さい」

 先ほど、花梨を処断すると述べたことへの言葉だろう。あそこで秀峰と日香が制止をかけていなければ、あるいは志帆が現れて話が中断していなければ、ティルは花梨を処断していた。花梨は不祥事を暴かれた扱いになり、酌量の余地なく神罰牢に堕とされていたはずだ。

「いいですよ~分かりました」

 あっさりと了承が返る。帝家は皇家の心と想いを慈しみ、最大限に尊重する。激甚かつ峻烈な気を放つ帝家が少しばかり威圧すれば、おっとりとした皇家など容易に圧倒できるが、そのような無体は決して働かないのだ。

「感謝します」

 魅惑の笑みで礼を言った志帆の背後から、音もなく二人の幼子が現れる。見た目としては10歳程度。あどけない瞳を持つ、黒髪黒目の童子と童女だ。

「この娘を我が宮にある監獄に運びなさい。決して人目に付かぬよう、最奥の独房に入れるのです」

 簡潔に指示を出した志帆に、揃いの房飾りを付けた幼子たちが応じる。

「はい」
「はい、主様」

 そして、二人で花梨を軽々と抱え上げ、ふっと姿を消した。
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