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第1章
73.大神官は待っている
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縋るように哀訴したフルードに、ラミルファは整った美貌を顰めた。
『君は今回の件に関係がない。これ以上の庇いだては無用だ』
9年前にラミルファを勧請したのは、ネイーシャの実家の私的な催しでのことだ。シュードンがネイーシャの実家を訪れたのも、サード家からの付け届けに対する返礼のためで、グランズ家のプライベートな用事だった。
どちらにおいても、帝国の神官府は関与どころか認知すらしていない。しかも、どちらも帝国ではなく属国で起こったことだ。
大神官といえど、一家庭や一個人がプライベートで行った出来事……しかも他国でひっそり起こったこと……にまで責任は負わない。フルードがシュードンを庇う必要はないと、ラミルファは言外に告げていた。
『神託を破り捨てようという発想に至ったのは、神官府での教育が不十分だったことによる愚行だから、大神官の自分にも責任があるなどとは言うなよ。そもそも大神官の管轄ではない』
大神官は神官府と神官の頂点にいる長だが、それらの全てに対して責任を負っているわけではない。国で例えれば、神以外のことや国政に関しては人間の国王が全ての権利と責任を有しており、皇帝たる天威師はノータッチでいるのと同じだ。
シュードンやダライたちを始めとする霊威師……つまり人間の神官の愚行や教育不行き届きに対する責任は、同じく人間である主任神官が負う。神格を持つ聖威師の領分ではない。そういう決まりになっている。
先だっての火炎霊具爆発事件において、ミリエーナとシュードンが懲罰房行きになった件では、主任神官にも戒告や譴責など何らかの処分が降りているはずだ。
なお、アマーリエが初めて佳良に会った際、彼女は見習い神官たちに講義をしていた。後で神官たちの井戸端会議を漏れ聞いた話によると、あれは普通は起こることのない珍事であり、本来ならば有り得ない臨時措置だったという。
本来の講師に急用が入り、予備役も別の講義の代打が入っていて不在だった。特例で代わりを引き受けたオーネリアも緊急任務が入り、さらに代わりに佳良が出ることになったらしい。
「…………」
ラミルファの言葉に、フルードは返事をしない。その通りだからだ。全く反論できないわけではないが、ここで下手に異議を申し立てて藪をつつけば、自分ではなく当時の主任神官の方に火の粉が飛んでしまいかねない。
『こいつは許さない。真の馬鹿だ』
だが、シュードンを睨んで吐き捨てられた言葉には即座に返す。
「私もそう思います」
思ってるのか……。
当人とシュードン以外の全員が心の中で呟いた。
「――しかし、それでも神官の一人です。私が守るべき者です。邪神様の仰せの通り、馬鹿の極みをそのまま体現したような愚の真骨頂だとしても」
『いや、ラミルファそこまでは言ってねぇけど……』
フレイムが小声で突っ込んだ。
『――どうやらはっきりと言わなくてはいけないようだ』
数瞬黙り込んだラミルファが、気を取り直すように咳払いしてから口を開く。
『我が同胞フルード・セイン・レシス。神官シュードン・パース・グランズに対する一切の権利は僕に移管させる。これは決定だよ』
穏やかに、しかしきっぱりと断じて足を踏み出したラミルファに、フルードは否も応も返さず叩頭した。シュードンが絶望的な眼差しで周囲を見回す。
「い、いやだあぁぁ……何してるんだよ大神官! 狼神はどうした、早く俺を守れ! あんたも狼神もどこまで役立たずなんだ!」
シュードンに向かって歩を進めかけていたラミルファが止まり、フレイムがピクリと肩を揺らした。ラミルファの従神たちが何故か身構える。だがシュードンはそれらを気にすることなく、アマーリエの方に視線を巡らせて叫んだ。
「アマーリエ……アマーリエ助けてくれ! 頼む! お前の焔神に俺を助けるように言ってくれ! 言えよ早く! おい言えっての、言えよおおおぉぉぉ!!」
嗚咽混じりの聞き苦しい悲鳴が反響する。もちろんそんなことが言えるはずはない。アマーリエはフルードを盗み見た。
(当時のシュードンはまだ8歳だったはず。ほんの子どもだわ。たった8歳の時の失敗で神罰牢は酷すぎる……なんて人間臭い弁護、神の価値観には通用しないわよね。……どうすればいいのですか、大神官)
そして、はたと気付いた。頭を下げたまま動かないフルードは、床を見てはいない。視線をずらし、虚空を観察している。まるで何かを待っているように――
無言でフルードを窺っていたラミルファが、ふと体の力を抜いて歩みを再開した。
『……この見苦しさは実に美しい。この愚か者も綺麗な気を持っている。だが、悪神を貶める発言と神託廃棄のせいで全部台無しだ。我が神使にする価値はないな。やはり神罰牢に堕とそう』
ひとりごちてウンウンと頷き、改めて口を開いた。
『退け、フルード。僕は絶対に、君に手出しをしない。だから、自分の意思で退け』
フレイムがフルードを見ると、諭すように言った。
『言われた通りにしろ。こればかりはラミルファの方に理がある』
だが、フルードはてこでも動かない。
『……やれやれ、これは困った』
『……あーもう、変に聞かん坊になりやがって!』
ラミルファが苦笑し、フレイムがガリガリと頭をかいて額を抑えた時。
大気が揺らぎ、えもいわれぬ美しさを宿す虹色の粒子が満ちた。
『君は今回の件に関係がない。これ以上の庇いだては無用だ』
9年前にラミルファを勧請したのは、ネイーシャの実家の私的な催しでのことだ。シュードンがネイーシャの実家を訪れたのも、サード家からの付け届けに対する返礼のためで、グランズ家のプライベートな用事だった。
どちらにおいても、帝国の神官府は関与どころか認知すらしていない。しかも、どちらも帝国ではなく属国で起こったことだ。
大神官といえど、一家庭や一個人がプライベートで行った出来事……しかも他国でひっそり起こったこと……にまで責任は負わない。フルードがシュードンを庇う必要はないと、ラミルファは言外に告げていた。
『神託を破り捨てようという発想に至ったのは、神官府での教育が不十分だったことによる愚行だから、大神官の自分にも責任があるなどとは言うなよ。そもそも大神官の管轄ではない』
大神官は神官府と神官の頂点にいる長だが、それらの全てに対して責任を負っているわけではない。国で例えれば、神以外のことや国政に関しては人間の国王が全ての権利と責任を有しており、皇帝たる天威師はノータッチでいるのと同じだ。
シュードンやダライたちを始めとする霊威師……つまり人間の神官の愚行や教育不行き届きに対する責任は、同じく人間である主任神官が負う。神格を持つ聖威師の領分ではない。そういう決まりになっている。
先だっての火炎霊具爆発事件において、ミリエーナとシュードンが懲罰房行きになった件では、主任神官にも戒告や譴責など何らかの処分が降りているはずだ。
なお、アマーリエが初めて佳良に会った際、彼女は見習い神官たちに講義をしていた。後で神官たちの井戸端会議を漏れ聞いた話によると、あれは普通は起こることのない珍事であり、本来ならば有り得ない臨時措置だったという。
本来の講師に急用が入り、予備役も別の講義の代打が入っていて不在だった。特例で代わりを引き受けたオーネリアも緊急任務が入り、さらに代わりに佳良が出ることになったらしい。
「…………」
ラミルファの言葉に、フルードは返事をしない。その通りだからだ。全く反論できないわけではないが、ここで下手に異議を申し立てて藪をつつけば、自分ではなく当時の主任神官の方に火の粉が飛んでしまいかねない。
『こいつは許さない。真の馬鹿だ』
だが、シュードンを睨んで吐き捨てられた言葉には即座に返す。
「私もそう思います」
思ってるのか……。
当人とシュードン以外の全員が心の中で呟いた。
「――しかし、それでも神官の一人です。私が守るべき者です。邪神様の仰せの通り、馬鹿の極みをそのまま体現したような愚の真骨頂だとしても」
『いや、ラミルファそこまでは言ってねぇけど……』
フレイムが小声で突っ込んだ。
『――どうやらはっきりと言わなくてはいけないようだ』
数瞬黙り込んだラミルファが、気を取り直すように咳払いしてから口を開く。
『我が同胞フルード・セイン・レシス。神官シュードン・パース・グランズに対する一切の権利は僕に移管させる。これは決定だよ』
穏やかに、しかしきっぱりと断じて足を踏み出したラミルファに、フルードは否も応も返さず叩頭した。シュードンが絶望的な眼差しで周囲を見回す。
「い、いやだあぁぁ……何してるんだよ大神官! 狼神はどうした、早く俺を守れ! あんたも狼神もどこまで役立たずなんだ!」
シュードンに向かって歩を進めかけていたラミルファが止まり、フレイムがピクリと肩を揺らした。ラミルファの従神たちが何故か身構える。だがシュードンはそれらを気にすることなく、アマーリエの方に視線を巡らせて叫んだ。
「アマーリエ……アマーリエ助けてくれ! 頼む! お前の焔神に俺を助けるように言ってくれ! 言えよ早く! おい言えっての、言えよおおおぉぉぉ!!」
嗚咽混じりの聞き苦しい悲鳴が反響する。もちろんそんなことが言えるはずはない。アマーリエはフルードを盗み見た。
(当時のシュードンはまだ8歳だったはず。ほんの子どもだわ。たった8歳の時の失敗で神罰牢は酷すぎる……なんて人間臭い弁護、神の価値観には通用しないわよね。……どうすればいいのですか、大神官)
そして、はたと気付いた。頭を下げたまま動かないフルードは、床を見てはいない。視線をずらし、虚空を観察している。まるで何かを待っているように――
無言でフルードを窺っていたラミルファが、ふと体の力を抜いて歩みを再開した。
『……この見苦しさは実に美しい。この愚か者も綺麗な気を持っている。だが、悪神を貶める発言と神託廃棄のせいで全部台無しだ。我が神使にする価値はないな。やはり神罰牢に堕とそう』
ひとりごちてウンウンと頷き、改めて口を開いた。
『退け、フルード。僕は絶対に、君に手出しをしない。だから、自分の意思で退け』
フレイムがフルードを見ると、諭すように言った。
『言われた通りにしろ。こればかりはラミルファの方に理がある』
だが、フルードはてこでも動かない。
『……やれやれ、これは困った』
『……あーもう、変に聞かん坊になりやがって!』
ラミルファが苦笑し、フレイムがガリガリと頭をかいて額を抑えた時。
大気が揺らぎ、えもいわれぬ美しさを宿す虹色の粒子が満ちた。
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