73 / 160
第1章
73.大神官は待っている
しおりを挟む
縋るように哀訴したフルードに、ラミルファは整った美貌を顰めた。
『君は今回の件に関係がない。これ以上の庇いだては無用だ』
9年前にラミルファを勧請したのは、ネイーシャの実家の私的な催しでのことだ。シュードンがネイーシャの実家を訪れたのも、サード家からの付け届けに対する返礼のためで、グランズ家のプライベートな用事だった。
どちらにおいても、帝国の神官府は関与どころか認知すらしていない。しかも、どちらも帝国ではなく属国で起こったことだ。
大神官といえど、一家庭や一個人がプライベートで行った出来事……しかも他国でひっそり起こったこと……にまで責任は負わない。フルードがシュードンを庇う必要はないと、ラミルファは言外に告げていた。
『神託を破り捨てようという発想に至ったのは、神官府での教育が不十分だったことによる愚行だから、大神官の自分にも責任があるなどとは言うなよ。そもそも大神官の管轄ではない』
大神官は神官府と神官の頂点にいる長だが、それらの全てに対して責任を負っているわけではない。国で例えれば、神以外のことや国政に関しては人間の国王が全ての権利と責任を有しており、皇帝たる天威師はノータッチでいるのと同じだ。
シュードンやダライたちを始めとする霊威師……つまり人間の神官の愚行や教育不行き届きに対する責任は、同じく人間である主任神官が負う。神格を持つ聖威師の領分ではない。そういう決まりになっている。
先だっての火炎霊具爆発事件において、ミリエーナとシュードンが懲罰房行きになった件では、主任神官にも戒告や譴責など何らかの処分が降りているはずだ。
なお、アマーリエが初めて佳良に会った際、彼女は見習い神官たちに講義をしていた。後で神官たちの井戸端会議を漏れ聞いた話によると、あれは普通は起こることのない珍事であり、本来ならば有り得ない臨時措置だったという。
本来の講師に急用が入り、予備役も別の講義の代打が入っていて不在だった。特例で代わりを引き受けたオーネリアも緊急任務が入り、さらに代わりに佳良が出ることになったらしい。
「…………」
ラミルファの言葉に、フルードは返事をしない。その通りだからだ。全く反論できないわけではないが、ここで下手に異議を申し立てて藪をつつけば、自分ではなく当時の主任神官の方に火の粉が飛んでしまいかねない。
『こいつは許さない。真の馬鹿だ』
だが、シュードンを睨んで吐き捨てられた言葉には即座に返す。
「私もそう思います」
思ってるのか……。
当人とシュードン以外の全員が心の中で呟いた。
「――しかし、それでも神官の一人です。私が守るべき者です。邪神様の仰せの通り、馬鹿の極みをそのまま体現したような愚の真骨頂だとしても」
『いや、ラミルファそこまでは言ってねぇけど……』
フレイムが小声で突っ込んだ。
『――どうやらはっきりと言わなくてはいけないようだ』
数瞬黙り込んだラミルファが、気を取り直すように咳払いしてから口を開く。
『我が同胞フルード・セイン・レシス。神官シュードン・パース・グランズに対する一切の権利は僕に移管させる。これは決定だよ』
穏やかに、しかしきっぱりと断じて足を踏み出したラミルファに、フルードは否も応も返さず叩頭した。シュードンが絶望的な眼差しで周囲を見回す。
「い、いやだあぁぁ……何してるんだよ大神官! 狼神はどうした、早く俺を守れ! あんたも狼神もどこまで役立たずなんだ!」
シュードンに向かって歩を進めかけていたラミルファが止まり、フレイムがピクリと肩を揺らした。ラミルファの従神たちが何故か身構える。だがシュードンはそれらを気にすることなく、アマーリエの方に視線を巡らせて叫んだ。
「アマーリエ……アマーリエ助けてくれ! 頼む! お前の焔神に俺を助けるように言ってくれ! 言えよ早く! おい言えっての、言えよおおおぉぉぉ!!」
嗚咽混じりの聞き苦しい悲鳴が反響する。もちろんそんなことが言えるはずはない。アマーリエはフルードを盗み見た。
(当時のシュードンはまだ8歳だったはず。ほんの子どもだわ。たった8歳の時の失敗で神罰牢は酷すぎる……なんて人間臭い弁護、神の価値観には通用しないわよね。……どうすればいいのですか、大神官)
そして、はたと気付いた。頭を下げたまま動かないフルードは、床を見てはいない。視線をずらし、虚空を観察している。まるで何かを待っているように――
無言でフルードを窺っていたラミルファが、ふと体の力を抜いて歩みを再開した。
『……この見苦しさは実に美しい。この愚か者も綺麗な気を持っている。だが、悪神を貶める発言と神託廃棄のせいで全部台無しだ。我が神使にする価値はないな。やはり神罰牢に堕とそう』
ひとりごちてウンウンと頷き、改めて口を開いた。
『退け、フルード。僕は絶対に、君に手出しをしない。だから、自分の意思で退け』
フレイムがフルードを見ると、諭すように言った。
『言われた通りにしろ。こればかりはラミルファの方に理がある』
だが、フルードはてこでも動かない。
『……やれやれ、これは困った』
『……あーもう、変に聞かん坊になりやがって!』
ラミルファが苦笑し、フレイムがガリガリと頭をかいて額を抑えた時。
大気が揺らぎ、えもいわれぬ美しさを宿す虹色の粒子が満ちた。
『君は今回の件に関係がない。これ以上の庇いだては無用だ』
9年前にラミルファを勧請したのは、ネイーシャの実家の私的な催しでのことだ。シュードンがネイーシャの実家を訪れたのも、サード家からの付け届けに対する返礼のためで、グランズ家のプライベートな用事だった。
どちらにおいても、帝国の神官府は関与どころか認知すらしていない。しかも、どちらも帝国ではなく属国で起こったことだ。
大神官といえど、一家庭や一個人がプライベートで行った出来事……しかも他国でひっそり起こったこと……にまで責任は負わない。フルードがシュードンを庇う必要はないと、ラミルファは言外に告げていた。
『神託を破り捨てようという発想に至ったのは、神官府での教育が不十分だったことによる愚行だから、大神官の自分にも責任があるなどとは言うなよ。そもそも大神官の管轄ではない』
大神官は神官府と神官の頂点にいる長だが、それらの全てに対して責任を負っているわけではない。国で例えれば、神以外のことや国政に関しては人間の国王が全ての権利と責任を有しており、皇帝たる天威師はノータッチでいるのと同じだ。
シュードンやダライたちを始めとする霊威師……つまり人間の神官の愚行や教育不行き届きに対する責任は、同じく人間である主任神官が負う。神格を持つ聖威師の領分ではない。そういう決まりになっている。
先だっての火炎霊具爆発事件において、ミリエーナとシュードンが懲罰房行きになった件では、主任神官にも戒告や譴責など何らかの処分が降りているはずだ。
なお、アマーリエが初めて佳良に会った際、彼女は見習い神官たちに講義をしていた。後で神官たちの井戸端会議を漏れ聞いた話によると、あれは普通は起こることのない珍事であり、本来ならば有り得ない臨時措置だったという。
本来の講師に急用が入り、予備役も別の講義の代打が入っていて不在だった。特例で代わりを引き受けたオーネリアも緊急任務が入り、さらに代わりに佳良が出ることになったらしい。
「…………」
ラミルファの言葉に、フルードは返事をしない。その通りだからだ。全く反論できないわけではないが、ここで下手に異議を申し立てて藪をつつけば、自分ではなく当時の主任神官の方に火の粉が飛んでしまいかねない。
『こいつは許さない。真の馬鹿だ』
だが、シュードンを睨んで吐き捨てられた言葉には即座に返す。
「私もそう思います」
思ってるのか……。
当人とシュードン以外の全員が心の中で呟いた。
「――しかし、それでも神官の一人です。私が守るべき者です。邪神様の仰せの通り、馬鹿の極みをそのまま体現したような愚の真骨頂だとしても」
『いや、ラミルファそこまでは言ってねぇけど……』
フレイムが小声で突っ込んだ。
『――どうやらはっきりと言わなくてはいけないようだ』
数瞬黙り込んだラミルファが、気を取り直すように咳払いしてから口を開く。
『我が同胞フルード・セイン・レシス。神官シュードン・パース・グランズに対する一切の権利は僕に移管させる。これは決定だよ』
穏やかに、しかしきっぱりと断じて足を踏み出したラミルファに、フルードは否も応も返さず叩頭した。シュードンが絶望的な眼差しで周囲を見回す。
「い、いやだあぁぁ……何してるんだよ大神官! 狼神はどうした、早く俺を守れ! あんたも狼神もどこまで役立たずなんだ!」
シュードンに向かって歩を進めかけていたラミルファが止まり、フレイムがピクリと肩を揺らした。ラミルファの従神たちが何故か身構える。だがシュードンはそれらを気にすることなく、アマーリエの方に視線を巡らせて叫んだ。
「アマーリエ……アマーリエ助けてくれ! 頼む! お前の焔神に俺を助けるように言ってくれ! 言えよ早く! おい言えっての、言えよおおおぉぉぉ!!」
嗚咽混じりの聞き苦しい悲鳴が反響する。もちろんそんなことが言えるはずはない。アマーリエはフルードを盗み見た。
(当時のシュードンはまだ8歳だったはず。ほんの子どもだわ。たった8歳の時の失敗で神罰牢は酷すぎる……なんて人間臭い弁護、神の価値観には通用しないわよね。……どうすればいいのですか、大神官)
そして、はたと気付いた。頭を下げたまま動かないフルードは、床を見てはいない。視線をずらし、虚空を観察している。まるで何かを待っているように――
無言でフルードを窺っていたラミルファが、ふと体の力を抜いて歩みを再開した。
『……この見苦しさは実に美しい。この愚か者も綺麗な気を持っている。だが、悪神を貶める発言と神託廃棄のせいで全部台無しだ。我が神使にする価値はないな。やはり神罰牢に堕とそう』
ひとりごちてウンウンと頷き、改めて口を開いた。
『退け、フルード。僕は絶対に、君に手出しをしない。だから、自分の意思で退け』
フレイムがフルードを見ると、諭すように言った。
『言われた通りにしろ。こればかりはラミルファの方に理がある』
だが、フルードはてこでも動かない。
『……やれやれ、これは困った』
『……あーもう、変に聞かん坊になりやがって!』
ラミルファが苦笑し、フレイムがガリガリと頭をかいて額を抑えた時。
大気が揺らぎ、えもいわれぬ美しさを宿す虹色の粒子が満ちた。
15
お気に入りに追加
121
あなたにおすすめの小説

悪役令嬢、資産運用で学園を掌握する 〜王太子?興味ない、私は経済で無双する〜
言諮 アイ
ファンタジー
異世界貴族社会の名門・ローデリア学園。そこに通う公爵令嬢リリアーナは、婚約者である王太子エドワルドから一方的に婚約破棄を宣言される。理由は「平民の聖女をいじめた悪役だから」?——はっ、笑わせないで。
しかし、リリアーナには王太子も知らない"切り札"があった。
それは、前世の知識を活かした「資産運用」。株式、事業投資、不動産売買……全てを駆使し、わずか数日で貴族社会の経済を掌握する。
「王太子?聖女?その程度の茶番に構っている暇はないわ。私は"資産"でこの学園を支配するのだから。」
破滅フラグ?なら経済で粉砕するだけ。
気づけば、学園も貴族もすべてが彼女の手中に——。
「お前は……一体何者だ?」と動揺する王太子に、リリアーナは微笑む。
「私はただの投資家よ。負けたくないなら……資本主義のルールを学びなさい。」
学園を舞台に繰り広げられる異世界経済バトルロマンス!
"悪役令嬢"、ここに爆誕!
婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します
けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」
五年間、婚約者として尽くしてきたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。
他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。
だが、彼らは知らなかった――。
ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。
そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。
「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」
逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。
「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」
ブチギレるお兄様。
貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!?
「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!?
果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか?
「私の未来は、私が決めます!」
皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!

追放された引きこもり聖女は女神様の加護で快適な旅を満喫中
四馬㋟
ファンタジー
幸福をもたらす聖女として民に崇められ、何不自由のない暮らしを送るアネーシャ。19歳になった年、本物の聖女が現れたという理由で神殿を追い出されてしまう。しかし月の女神の姿を見、声を聞くことができるアネーシャは、正真正銘本物の聖女で――孤児院育ちゆえに頼るあてもなく、途方に暮れるアネーシャに、女神は告げる。『大丈夫大丈夫、あたしがついてるから』「……軽っ」かくして、女二人のぶらり旅……もとい巡礼の旅が始まる。

司書ですが、何か?
みつまめ つぼみ
ファンタジー
16歳の小さな司書ヴィルマが、王侯貴族が通う王立魔導学院付属図書館で仲間と一緒に仕事を頑張るお話です。
ほのぼの日常系と思わせつつ、ちょこちょこドラマティックなことも起こります。ロマンスはふんわり。

学園首席の私は魔力を奪われて婚約破棄されたけど、借り物の魔力でいつまで調子に乗っているつもり?
今川幸乃
ファンタジー
下級貴族の生まれながら魔法の練習に励み、貴族の子女が集まるデルフィーラ学園に首席入学を果たしたレミリア。
しかし進級試験の際に彼女の実力を嫉妬したシルヴィアの呪いで魔力を奪われ、婚約者であったオルクには婚約破棄されてしまう。
が、そんな彼女を助けてくれたのはアルフというミステリアスなクラスメイトであった。
レミリアはアルフとともに呪いを解き、シルヴィアへの復讐を行うことを決意する。
レミリアの魔力を奪ったシルヴィアは調子に乗っていたが、全校生徒の前で魔法を披露する際に魔力を奪い返され、醜態を晒すことになってしまう。
※3/6~ プチ改稿中
勇者パーティを追放された聖女ですが、やっと解放されてむしろ感謝します。なのにパーティの人たちが続々と私に助けを求めてくる件。
八木愛里
ファンタジー
聖女のロザリーは戦闘中でも回復魔法が使用できるが、勇者が見目麗しいソニアを新しい聖女として迎え入れた。ソニアからの入れ知恵で、勇者パーティから『役立たず』と侮辱されて、ついに追放されてしまう。
パーティの人間関係に疲れたロザリーは、ソロ冒険者になることを決意。
攻撃魔法の魔道具を求めて魔道具屋に行ったら、店主から才能を認められる。
ロザリーの実力を知らず愚かにも追放した勇者一行は、これまで攻略できたはずの中級のダンジョンでさえ失敗を繰り返し、仲間割れし破滅へ向かっていく。
一方ロザリーは上級の魔物討伐に成功したり、大魔法使いさまと協力して王女を襲ってきた魔獣を倒したり、国の英雄と呼ばれる存在になっていく。
これは真の実力者であるロザリーが、ソロ冒険者としての地位を確立していきながら、残念ながら追いかけてきた魔法使いや女剣士を「虫が良すぎるわ!」と追っ払い、入り浸っている魔道具屋の店主が実は憧れの大魔法使いさまだが、どうしても本人が気づかない話。
※11話以降から勇者パーティの没落シーンがあります。
※40話に鬱展開あり。苦手な方は読み飛ばし推奨します。
※表紙はAIイラストを使用。

僕のギフトは規格外!?〜大好きなもふもふたちと異世界で品質開拓を始めます〜
犬社護
ファンタジー
5歳の誕生日、アキトは不思議な夢を見た。舞台は日本、自分は小学生6年生の子供、様々なシーンが走馬灯のように進んでいき、突然の交通事故で終幕となり、そこでの経験と知識の一部を引き継いだまま目を覚ます。それが前世の記憶で、自分が異世界へと転生していることに気付かないまま日常生活を送るある日、父親の職場見学のため、街中にある遺跡へと出かけ、そこで出会った貴族の幼女と話し合っている時に誘拐されてしまい、大ピンチ! 目隠しされ不安の中でどうしようかと思案していると、小さなもふもふ精霊-白虎が救いの手を差し伸べて、アキトの秘めたる力が解放される。
この小さき白虎との出会いにより、アキトの運命が思わぬ方向へと動き出す。
これは、アキトと訳ありモフモフたちの起こす品質開拓物語。

死に戻り公爵令嬢が嫁ぎ先の辺境で思い残したこと
Yapa
ファンタジー
ルーネ・ゼファニヤは公爵家の三女だが体が弱く、貧乏くじを押し付けられるように元戦奴で英雄の新米辺境伯ムソン・ペリシテに嫁ぐことに。 寒い地域であることが弱い体にたたり早逝してしまうが、ルーネは初夜に死に戻る。 もしもやり直せるなら、ルーネはしたいことがあったのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる