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第1章
56.私の家族
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◆◆◆
「アマーリエ! 何をしているのです、早くこの場から去りなさい!」
鋭い声が響く。皆が退避する中で、斎場から動こうとしないフルードだ。儚げな美貌を硬くしてこちらを見据えている。彼が留まっている理由は一つ。
「ぎゃああぁぁ! 助けてくれ、俺も逃げる! 俺もおおぉぉぉ!」
ラミルファの影から伸びた黒いツタに両脚を絡め取られて動けないシュードンが、ここに取り残されているからだ。
「大神官、ですが私の霊獣が!」
『ディモス』
泣きそうな顔で言い募ろうとしたアマーリエを遮り、ラモスが静かに口を開いた。不自然なほど穏やかで――優しい眼差しで言う。
『先に行く』
(……え?)
アマーリエの時が止まった。
ラモスはこちらを見ない。己と同じ姿をした片割れだけを見つめている。
ディモスが頷いた。揺らぐことのない凛とした双眸で。
『承知した』
「ちょ――何を言っているの? ディモスも一緒に行くのよ? ねえ、一緒に逃げるのよ!?」
ラミルファから噴き出す黒炎と蛆虫はすぐにでも広がり、ここに取り残された生命を食い散らすだろう。
通常であれば、霊獣は死後天に召される。だが、不幸と災厄を具象する悪神の神威に呑まれて死んだとなれば、果たして真っ直ぐ天に行けるか疑問だ。最悪、永遠に地獄で苦しみ続けることになる可能性もあった。
(わ……私のせいだわ。私が不用意にラミルファ様に近付かなければ、ディモスがこんな大怪我をすることはなかったのに!)
様子を見ていたフルードがこちらに駆け寄ろうとする。だが、シュードンが自由な上体を投げ出し、必死の形相で縋り付いた。
「嫌だああぁぁ! 大神官行かないで! 何でそっちに行こうとするんですか! 俺を見捨てるんですか! あなたがいなくなったら俺は殺されるうぅぅ!!」
「静かに! 見捨てないから、少しだけ待っていなさい!」
「嘘だもう戻ってこないつもりでしょおおぉぉ! 早くこの黒いのを何とかして下さいよ! あいつらなんかほっといて、さっさと俺をここから逃がして下さいぃぃ!」
ぎゃあぎゃあと喚くシュードンを無視し、傷だらけのディモスがアマーリエを見上げた。ボタボタと赤いものが床に落ちる。べっとりと血に濡れた体毛、骨が見えるほどえぐれた体、無残に腐食した傷口。
どれだけ痛いだろう。どれほど苦しいだろう。だが、その苦痛を些かも見せることはない。
「ディ、ディモス……ごめんなさい、私、私が……」
『ご主人様。何を謝るのですか。かつて死んでいたはずの私とラモスを助け、今まで永らえさせて下さったのはあなたです。優しい主に恵まれた私は幸運でした。心より感謝申し上げます。……ラモス、後は頼んだ』
一番怖いであろうディモスが、最も堂々と、気高く告げる。
『任せておけ。我が主は私が生涯守り通す。お前の意思に恥じることのなきように。この精神と躯の全てに賭けて誓おう』
一番泣きたいであろうラモスが、誰よりも強く、毅然と返す。
『行こう――主』
「行くって……」
(ディモスを置いて? どこに?)
呆然と立ち尽くすアマーリエの胸に、様々な思い出が去来した。
◆◆◆
少し大きめの犬ほどのサイズしかない霊獣たちに、幼いアマーリエが笑いかける。
『私の霊獣になってくれてありがとう。名前を付けてあげるわね。あなたはラモス、あなたはディモス』
薄い毛布しか与えられない夜でも、ふかふかの霊獣がいれば寒くなかった。
『ラモス~、ディモス~、一緒に寝よう。ふふ、あなたたちはモフモフねぇ』
家事に失敗して食事を与えられない時は、彼らが山から取って来てくれた果物や木の実を分け合って食べた。
『美味しいわ。ラモスとディモスは食料調達の達人ね!』
父に罵られ母に叩かれ、妹に馬鹿にされた時、ラモスとディモスだけがアマーリエのために怒り、側に寄り添い、アマーリエの良いところを挙げては励まし、一緒に泣いてくれた。
『あんな人たち、私の家族じゃない。私の家族はあなたたちよ』
いつでもどこでも、二頭の霊獣はアマーリエの味方だった。
一緒に泣き、笑い、走り、眠り、苦楽を共に過ごして来た。
彼らだけがアマーリエの家族だった。
「アマーリエ! 何をしているのです、早くこの場から去りなさい!」
鋭い声が響く。皆が退避する中で、斎場から動こうとしないフルードだ。儚げな美貌を硬くしてこちらを見据えている。彼が留まっている理由は一つ。
「ぎゃああぁぁ! 助けてくれ、俺も逃げる! 俺もおおぉぉぉ!」
ラミルファの影から伸びた黒いツタに両脚を絡め取られて動けないシュードンが、ここに取り残されているからだ。
「大神官、ですが私の霊獣が!」
『ディモス』
泣きそうな顔で言い募ろうとしたアマーリエを遮り、ラモスが静かに口を開いた。不自然なほど穏やかで――優しい眼差しで言う。
『先に行く』
(……え?)
アマーリエの時が止まった。
ラモスはこちらを見ない。己と同じ姿をした片割れだけを見つめている。
ディモスが頷いた。揺らぐことのない凛とした双眸で。
『承知した』
「ちょ――何を言っているの? ディモスも一緒に行くのよ? ねえ、一緒に逃げるのよ!?」
ラミルファから噴き出す黒炎と蛆虫はすぐにでも広がり、ここに取り残された生命を食い散らすだろう。
通常であれば、霊獣は死後天に召される。だが、不幸と災厄を具象する悪神の神威に呑まれて死んだとなれば、果たして真っ直ぐ天に行けるか疑問だ。最悪、永遠に地獄で苦しみ続けることになる可能性もあった。
(わ……私のせいだわ。私が不用意にラミルファ様に近付かなければ、ディモスがこんな大怪我をすることはなかったのに!)
様子を見ていたフルードがこちらに駆け寄ろうとする。だが、シュードンが自由な上体を投げ出し、必死の形相で縋り付いた。
「嫌だああぁぁ! 大神官行かないで! 何でそっちに行こうとするんですか! 俺を見捨てるんですか! あなたがいなくなったら俺は殺されるうぅぅ!!」
「静かに! 見捨てないから、少しだけ待っていなさい!」
「嘘だもう戻ってこないつもりでしょおおぉぉ! 早くこの黒いのを何とかして下さいよ! あいつらなんかほっといて、さっさと俺をここから逃がして下さいぃぃ!」
ぎゃあぎゃあと喚くシュードンを無視し、傷だらけのディモスがアマーリエを見上げた。ボタボタと赤いものが床に落ちる。べっとりと血に濡れた体毛、骨が見えるほどえぐれた体、無残に腐食した傷口。
どれだけ痛いだろう。どれほど苦しいだろう。だが、その苦痛を些かも見せることはない。
「ディ、ディモス……ごめんなさい、私、私が……」
『ご主人様。何を謝るのですか。かつて死んでいたはずの私とラモスを助け、今まで永らえさせて下さったのはあなたです。優しい主に恵まれた私は幸運でした。心より感謝申し上げます。……ラモス、後は頼んだ』
一番怖いであろうディモスが、最も堂々と、気高く告げる。
『任せておけ。我が主は私が生涯守り通す。お前の意思に恥じることのなきように。この精神と躯の全てに賭けて誓おう』
一番泣きたいであろうラモスが、誰よりも強く、毅然と返す。
『行こう――主』
「行くって……」
(ディモスを置いて? どこに?)
呆然と立ち尽くすアマーリエの胸に、様々な思い出が去来した。
◆◆◆
少し大きめの犬ほどのサイズしかない霊獣たちに、幼いアマーリエが笑いかける。
『私の霊獣になってくれてありがとう。名前を付けてあげるわね。あなたはラモス、あなたはディモス』
薄い毛布しか与えられない夜でも、ふかふかの霊獣がいれば寒くなかった。
『ラモス~、ディモス~、一緒に寝よう。ふふ、あなたたちはモフモフねぇ』
家事に失敗して食事を与えられない時は、彼らが山から取って来てくれた果物や木の実を分け合って食べた。
『美味しいわ。ラモスとディモスは食料調達の達人ね!』
父に罵られ母に叩かれ、妹に馬鹿にされた時、ラモスとディモスだけがアマーリエのために怒り、側に寄り添い、アマーリエの良いところを挙げては励まし、一緒に泣いてくれた。
『あんな人たち、私の家族じゃない。私の家族はあなたたちよ』
いつでもどこでも、二頭の霊獣はアマーリエの味方だった。
一緒に泣き、笑い、走り、眠り、苦楽を共に過ごして来た。
彼らだけがアマーリエの家族だった。
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