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第1章
19.小鳥のお掃除
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両親は既にテーブルから立ち、食堂に面したベランダに出ていた。
「見ろ、手すりが傷んでいるようだ。ここは剥がれている」
「まあ、本当。可愛いレフィーが怪我でもしたら大変だわ」
「修理用の霊具を買うのももったいないな。近い内にアマーリエに修繕させよう。あの無能でも修理くらいできるだろう」
「そうね、こんな時くらい役に立ってもらわなくては」
(全部私に押し付けるのね)
漏れ聞こえて来る会話に、また仕事が増えそうだと辟易しつつ、雑巾をバケツの水に浸す。肩に乗ったままの小鳥が、じっと父と母を見ているのに気づき、小声で言った。
「あれが私の父と母よ。……こちらを見てもいないし、あなたを紹介しなくてもいいわよね?」
ピ、と小鳥が頷いた。そして、パタパタと羽根を動かし、何かを訴えるように鳴いた。
「キュピ、ピィピ、ピピッピキュー」
「え、なぁに?」
小鳥は懸命に羽根を振り回し、雑巾とバケツ、床に溢れたワイン、そしてネイーシャを順繰りに示す。
「ピピィ、ピパピピピ、ピキュゥ、キュイィ!」
「……もしかして、零した母が自分で掃除すればいいのにと言っているの? 無理よ、この家では私が使用人兼務だもの」
使い古した雑巾を絞りながら、アマーリエは苦笑いした。床を拭くと、濃い紫紺色の液体がみるみる布に染み込んだ。
(これだけのワインを拭いたら、きっと色が落ちないわね。新しい雑巾を用意しておかないと)
あっという間に変色した布を再びバケツに入れて洗いながら、独りごちる。
「仕方ないのよ。霊威が低い私は家の役に立てない。雑用係しかできないから。毎日毎日、無能と蔑まれ続けることも仕方ないの」
父に褒められたい、母に優しく微笑んでもらいたいという願いは、とうの昔に捨てた。
「……ピィ」
じーっとその様子を見ていた小鳥が、小さく一声鳴く。そして、音も立てずに舞い上がると、床とテーブルに向かってファサッと翼を旋回させた。桃色の残像が虚空に引かれ、清冽な波動が放たれる。ぶちまけられていたワインが跡形もなく消えた。
(えっ……)
すぐには状況が飲み込めないアマーリエが瞬きしながら周囲を見回すと、テーブルの上に放置されていたはずの食器やカトラリーまでなくなっている。テーブルクロスの汚れも落ちており、手の中にあった雑巾までもが新品同様に真っ白になっていた。
「……ワインは……食器は?」
呆然と呟いた直後、はっと記憶が蘇る。
(待って、最近同じような光景を見たわ。確か、庭の掃除をさせられていた時……)
あれは数日前のこと。都を大雨と強風が直撃し、サード邸の庭に泥やゴミなどが散乱したため清掃を命じられたのだ。広さだけは立派な庭の掃除に苦戦していると、フレイムがやって来て、チラリと流し目をくれただけで全てを片付けてしまった。
ついでにゴミと一緒に母も片してしまおうとするのを必死で止めたのは良い思い出だ。
(フレイムが聖威を使って一瞬で庭を綺麗にしてくれたのよね。指一本動かさずに。なら、今のも……)
「まさか、あなたがやってくれたの?」
小鳥を見て聞くと、明後日の方を向きながらキュイキュイと鳴いている。念のためにキッチンを確認してみれば、食堂のテーブルから消えた食器とカトラリーが、ピカピカに現れた状態できちんとしまわれていた。
「ありがとう……。さすがは聖威師がお連れになっている神鳥ね」
感嘆の声を上げると、キッチンまで付いてきた小鳥は、別に大したことはしていないとばかりに大欠伸をした。
「おかげで掃除も皿洗いもしなくて良くなったわ」
食堂に戻ってベランダを覗くと、ダライとネイーシャはこちらに気付いた様子もなく手すりの傷を確認している。
(ラッキー。今のうちに部屋に戻ってしまいましょう)
何か言いつけられないうちにと、アマーリエはバケツを持ち上げた。
(気付かれないように、そーっと)
物音を立てないよう注意しながら、食堂を出る。そうして気配を殺すことに注力していたが故に、気がつかなかった。
桃色の小鳥が羽ばたきもせずに中空に浮かび、感情の読めない双眸でじっとダライとネイーシャを見つめていたことに。
「見ろ、手すりが傷んでいるようだ。ここは剥がれている」
「まあ、本当。可愛いレフィーが怪我でもしたら大変だわ」
「修理用の霊具を買うのももったいないな。近い内にアマーリエに修繕させよう。あの無能でも修理くらいできるだろう」
「そうね、こんな時くらい役に立ってもらわなくては」
(全部私に押し付けるのね)
漏れ聞こえて来る会話に、また仕事が増えそうだと辟易しつつ、雑巾をバケツの水に浸す。肩に乗ったままの小鳥が、じっと父と母を見ているのに気づき、小声で言った。
「あれが私の父と母よ。……こちらを見てもいないし、あなたを紹介しなくてもいいわよね?」
ピ、と小鳥が頷いた。そして、パタパタと羽根を動かし、何かを訴えるように鳴いた。
「キュピ、ピィピ、ピピッピキュー」
「え、なぁに?」
小鳥は懸命に羽根を振り回し、雑巾とバケツ、床に溢れたワイン、そしてネイーシャを順繰りに示す。
「ピピィ、ピパピピピ、ピキュゥ、キュイィ!」
「……もしかして、零した母が自分で掃除すればいいのにと言っているの? 無理よ、この家では私が使用人兼務だもの」
使い古した雑巾を絞りながら、アマーリエは苦笑いした。床を拭くと、濃い紫紺色の液体がみるみる布に染み込んだ。
(これだけのワインを拭いたら、きっと色が落ちないわね。新しい雑巾を用意しておかないと)
あっという間に変色した布を再びバケツに入れて洗いながら、独りごちる。
「仕方ないのよ。霊威が低い私は家の役に立てない。雑用係しかできないから。毎日毎日、無能と蔑まれ続けることも仕方ないの」
父に褒められたい、母に優しく微笑んでもらいたいという願いは、とうの昔に捨てた。
「……ピィ」
じーっとその様子を見ていた小鳥が、小さく一声鳴く。そして、音も立てずに舞い上がると、床とテーブルに向かってファサッと翼を旋回させた。桃色の残像が虚空に引かれ、清冽な波動が放たれる。ぶちまけられていたワインが跡形もなく消えた。
(えっ……)
すぐには状況が飲み込めないアマーリエが瞬きしながら周囲を見回すと、テーブルの上に放置されていたはずの食器やカトラリーまでなくなっている。テーブルクロスの汚れも落ちており、手の中にあった雑巾までもが新品同様に真っ白になっていた。
「……ワインは……食器は?」
呆然と呟いた直後、はっと記憶が蘇る。
(待って、最近同じような光景を見たわ。確か、庭の掃除をさせられていた時……)
あれは数日前のこと。都を大雨と強風が直撃し、サード邸の庭に泥やゴミなどが散乱したため清掃を命じられたのだ。広さだけは立派な庭の掃除に苦戦していると、フレイムがやって来て、チラリと流し目をくれただけで全てを片付けてしまった。
ついでにゴミと一緒に母も片してしまおうとするのを必死で止めたのは良い思い出だ。
(フレイムが聖威を使って一瞬で庭を綺麗にしてくれたのよね。指一本動かさずに。なら、今のも……)
「まさか、あなたがやってくれたの?」
小鳥を見て聞くと、明後日の方を向きながらキュイキュイと鳴いている。念のためにキッチンを確認してみれば、食堂のテーブルから消えた食器とカトラリーが、ピカピカに現れた状態できちんとしまわれていた。
「ありがとう……。さすがは聖威師がお連れになっている神鳥ね」
感嘆の声を上げると、キッチンまで付いてきた小鳥は、別に大したことはしていないとばかりに大欠伸をした。
「おかげで掃除も皿洗いもしなくて良くなったわ」
食堂に戻ってベランダを覗くと、ダライとネイーシャはこちらに気付いた様子もなく手すりの傷を確認している。
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何か言いつけられないうちにと、アマーリエはバケツを持ち上げた。
(気付かれないように、そーっと)
物音を立てないよう注意しながら、食堂を出る。そうして気配を殺すことに注力していたが故に、気がつかなかった。
桃色の小鳥が羽ばたきもせずに中空に浮かび、感情の読めない双眸でじっとダライとネイーシャを見つめていたことに。
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