冬の終わりに

馬場 蓮実

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四年ぶりの街で

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 雪が降る故郷の街並みは、自分の記憶から乖離した様子もなく殺伐とした白銀の世界だった。最後に来たのは四年前だから、そこまで経っているわけでもない。でも、この四年で雪の見え方が変わっているのを今ひしひしと感じている。
 毎年冬が楽しみで仕方なかった。純雪国育ちであれば寧ろ鬱陶しい存在なのかもしれないけど、当時の俺は転勤族家庭故の移住者。小学生にとってこれほど心躍る日常遊具はない。雪は友達だった。期間限定の、唯一の友達。
 初めて雪に触れたとき、その冷たさに興奮した。空を見上げ、無数に降りてくる白い粒は天からのプレゼントのようで、積もった雪はあまりに純白。つまるところ、俺はそれを食べて良いものだと思い当然のように食べて案の定下痢を起こした。厳密に雪が友達になったのはその後だ。母さんの仲介を経て、雪への接し方が変わった。
「カズくん、雪だるま作ってみよっか」
「雪だるまって、何?」
「そうだなー……作ってみた方が早いか。ママと一個ずつお団子作ってみよう!できるだけ大きなやつをね」
 見様見真似で俺は不恰好な団子を作った。直径は多分三十センチも無かったけど、初めてにしては頑張った方だと思う。母さんはあの時大人気なかった。俺の背丈近くにもなる巨大な雪玉を作るんだから。
「大きい方が下で、小さい方を上に乗っけて、木枝を刺して…………ほら!これが雪だるまって言うんだよ。寒いだろうからママの手袋とマフラー貸してあげようかな」
「ママこれ頭と体の大きさ合ってないよ」
「ふふっ、そうだね。カズくんがもっと大きな団子を作れるようになったらまた作ろうか」
 子供ながら、あの時は『ママが小さいのを作ってくれたら良いのに』と思ったっけ。

「懐かしいだろ」

 不意に父さんが口を開く。雪道を運転するその雰囲気はやや真剣味を帯びていて、けれど表情は穏やかに見えなくもない。表面上は。
「うん」
「……中一のガキンチョがもう少しで受験生とは、母さんもびっくりするぞ」
 俺は何て返せば良いのか、分からなかった。父さんは非宗教者だ。真剣に『あの世』があるとも思っていなければ『霊』の存在も信じちゃいない。それなのに、毎年『母さん』には会いに行く。その境界線は何処にあるのか。母さんは特別だと妄信しているのか、それともあの日からずっと母さんに囚われているのか——。
 もし後者であれば、やはり俺の思い込みは思い込みとはならないだろう。それが事実であり真理だ。
 小学生時代の数年間に住んだアパートは当然退居済みで、既に別の家庭が入居しているらしい。わざわざ遠回りをしてまで前を通過する必要もないのに、まるでアルバムの一ページ一ページを懐古していく様に進路を変える。
「父さん、日帰りなのに寄り道してて大丈夫なの?」
「せっかくチェーン着けたんだ。さっさと帰ったら勿体無いだろ」
 五分で脱着してしまうくらい手慣れているのに、そこを気にするのは些か疑問だ。きっとこれも、父さんにとっての儀式みたいなものだろう。
 思い返すと、アパートの前では派手な雪遊びをした記憶がない。引っ越して来た身だからこそ、その辺の礼儀というかマナーは教えられたし、俺もなんとなく理解していた。
「カズくん、アパートの前は沢山人が通るから邪魔しちゃダメだよ。遊んで良いのは玄関の前だけね」
「こんな狭いとこじゃ何もできないよ」
「ふっふっふ。実はお洒落な遊び方があるんだよ?今みたいに日が落ちてないと、だけどね」
「えー?どんな?」
「よし!じゃあ小さい団子を沢山作って。おむすびサイズの」
 俺はよく分からないまま、母さんがバケツに詰めた雪を掬っては丸めた。やりながら、ひと季節前に覚えたお月見団子を思い出して『ピラミット状に並べて飾るのかな?』と若干の物足りなさを勝手に感じていたっけ。
 十数個作ったところで「オッケーじゃあ並べていこう!」と新たな指令。やっぱり思った通りかと早って正方形に並べようとすると今度は「あー違う違う!真ん中を空けて。ドーム状になるようにね!」と不可思議な条件が追加される。
「ドーム状って?」
「んー、言葉だけじゃ難しいか。一段目は……こう!」
「これ、ドーナッツ屋さんで見たことある!」
「ポンデ……何とか、でしょ?ふふ」
 同様に二段目も輪になるように載せ、三、四段目で蓋をすると、確かにドーム状の『何か』が完成した。これだけでは『それでどうするんだ?』と子供なら十中八九そう感じるのではないだろうか。当然小学生の俺も何がしたいのか分からなかった。
「……終わり?」
「お洒落なのはここからよ。ちょっと待ってね」
 そう言うと母さんは一度家に入り、小箱を持って戻ってきた。中から白い棒のような物を取り出す。
「カズくん、ちょっと玄関の電気を消してきてくれない?」
「わかった」
 玄関のドアを開け、手を伸ばしてギリギリ届くスイッチを押し、ガラス越しに外灯が消えたことを確認し再びドアを開ける。その瞬間——
 視界に映るのは、闇の中に一際輝きを放つ柔らかな橙の発色。
「うわあ、綺麗!」
「ねー綺麗でしょ?中にろうそくを入れたの。スノーランタンっていうんだよ」
 雪の結晶の中に閉じ込められた光が、殻を破るように空気を渡り、周囲を包み込む。寒さの中に暖かさが共存し、幻想的な世界が心を癒す。これほどの光の綺麗さと優しさに触れたのは、初めてだった。
「……パパが帰って来るまで持つかなー?」
「どうだろうねえ。持つといいねえ」
 母さんの笑顔も、温かかった。
今でも不思議でならない。俺は母さんの、こういう表情ばかりを見て育った。一度も怒られた記憶がない。母さんはただ優しく諭し、俺は純粋にその教えを守った。それなのに『我儘なクソガキ』に育ったわけでもないから不思議なんだ。

「一軒家が増えただろ」

 アパートを通り過ぎ、暫くして再び父さんが口を開く。周辺の街並みは、言われてみれば確かに昔ほど殺風景ではない。昔はもっと田んぼが多かった。小学生の俺がアパートでの『縛り』があるのに遊び場に困らなかったのも、その田んぼの恩恵が深い。アパートの裏手から畦道を抜けると、二百メートル先に広々とした公園があるからだ。初めてその銀世界を一望した時は、どれほど心が躍ったことか。
「すごーい!真っ白だ!」
「こんだけ雪があったら、かまくらが作れるね」
「かまくら!作りたい!」
「んー……でも二人だと流石にキツいかなあ。パパが居る時にチャレンジしようね」
 かまくらを実際に作ったのはその後、あの一度きりだ。残念ながら二度目は無かった。
「よーしカズ!この段ボールを埋めるように雪を積んでいけ!」
「段ボール埋めちゃうの?」
「後で取り出すさ。一から全部雪で作ってたら疲れるからな。何事も効率良くこなすのが一流の漢だぞ」
 特に子供の頃は、父さんがカッコ良い存在だった。仕事が忙しく中々遊ぶ余裕が無かったけど、こういう偶に遊んでくれる時に何事もスマートにこなす。それが凄くカッコ良かった。
 雪山はみるみるうちに積もっていき、俺がスコップの扱いに慣れ始めた頃には完全にお役御免となっていた。俺の背丈を優に超えてもどんどん積み上がっていくその山と父さんの動きに見惚れるしかなかった。高二の俺が今あの動きをしろと言われても出来る自信はない。
「カズ、小枝を数本拾ってきてくれ」
「何に使うの?」
「外側から刺して、それを目安に内側を掘るんだ。そうすれば綺麗な形になるだろ?」
「おー!パパ賢い!」
 その後、外側は父さんが固め、入口を俺と母さんで掘り進めた。すぐにスコップの先端が空の段ボールに当たり、そこからは優しく広げるように周辺を削って、全貌が見えたところで上段から抜き取っていく。一個、二個、三個……バケツリレー方式で外に出し、母さんが最後の一つを持って出てくると、最早立派な『かまくら』だった。当然これでは小枝の意味がないから、再び二人で中に入り内側からどんどん掘り進める。そして、枝の先端が見えたところでそれを抜いて、遂に完成だ。
「できたー!」
「凄いねえ。パパお疲れさま」
「いやー、疲れた。じゃあ、俺は先に家で休んどくよ」
「パパは入らないの!?」
「ハハハ!三人入ると狭いからなぁ!」
 今なら分かる。折角の休みを子供に潰されるだけじゃなく体力を奪われるなんて、とんでもなくいい迷惑だろう。一刻も早く家でのんびりと自分の時間を過ごしたいはずだ。
「次はもっと大きなの作ろう!三人で入れるやつ」
「ふふ。パパお疲れだろうから、『次』は来年の冬にしてあげようね」
「わかった!……なんでこの中暖かいの?」
「おっ、気付いた?実はかまくらの中は暖かいんだよ。理屈は……もう少し理科の勉強しないと難しいかなあ」
 本当に不思議な感覚だった。冷たいものに覆われているのに暖かい。この時は下手すると家の中より暖かいかもしれない、とも思った。まあ、痺れた手から電気が出せるんじゃないかと真面目に考えていた餓鬼には分かるはずもない。
「さて!」
 数分経って、母さんは切り替えるようにズボンの雪を叩き外に出た。
「もう出るの?」
「カズくん。実はね、かまくらの中では餅を食べるのが日本の風習なんだよ」
 衝撃の一言。餅って、正月に食べるあの餅のことか?と、理解が追いつかないでいる俺を他所に、母さんは最後に自分で出した段ボールを開け、中からあろう事か七輪を取り出した。全部空だと思っていたこの時の俺は、一種のマジックを見せられた気分だ。
 父さんのかまくら作りの手際には驚いたが、この時の母さんの手際の良さにも驚いた。炭独特の輻射熱がじんわり顔肌に伝わってきたのは、始めてほんの数分。学校行事で何度か火起こしを経験したけど、まあこんなに上手くはいかない。
「よーし、じゃあ中で餅焼こうか」
「な、中で!?かまくら溶けちゃうよ!」
 それは流石に冗談だろうと、子供なら誰しもが思うのではないだろうか。この時ばかりは母さんの「大丈夫大丈夫!」も信じきれないでいた。七輪が中に入ってからの数分間は上が気になって仕方なかったのを鮮明に覚えている。もし崩れたら、母さんと一緒に埋もれて……最悪死んでしまう。頭はそんな可愛らしい杞憂でいっぱいだった。
「ね、大丈夫でしょ?」
「ほんとだね……あったかいのに」
「三十分くらいなら溶ける心配はないかなー…………ぃよしっ!はい、カズくん食べな!」
表面が金色に焼け、ふっくらと膨らむ餅の香ばしい匂いが空気を満たし、食欲をそそる。
「いただきます!」
火傷に細心の注意を払い一口噛むと、パリッとした食感の先に香ばしさと溶けていく甘さが一気に広がった。炭火焼きの餅はこの時が初めてだったけど、いつも食べる餅とは思えないほどに美味しかった。あれはきっと、人生で一番美味しい餅として死ぬまで記憶に残るだろう。
「美味しい?」
「うん!」
「そっかあ。まだ何個あるけど、食べる?」
「食べる!」
 気が付けば、数分前の心配はどこへやら。天井を注視していた目線はすっかり下に降りてしまい、膨らむ白い個体に釘付けとなっていた。
 
 まさにその時だ。ある意味、現人生における転換点となる出来事が俺を襲う。

カタカタカタカタカタッ——

突然、七輪の網が小刻みに震え出した。膝をついて前屈みになっていた俺はその『警告』を体感するのに一刻遅れ、心の準備なんて過程を経ることなく地盤の衝撃が伝わってきた。人生で初めての、地震だ。
数値は忘れたけど、そこまで強いわけでもなかったらしい。ただ、餓鬼の自分が初めて体験した地球のエネルギーは、そりゃそれなりのインパクトだ。
網の上で不恰好に膨らむ餅が、コロコロと転がり落ちる。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫。大丈夫よ」
 母さんは何事も無いかのように、優しく俺を抱きしめてくれた。視界がジャケットで遮られても、この時の母さんの温もりが俺に充分な安心感を与えた。怖くない、怖くない……そう心の中で唱え「もう大丈夫だよ」と再び視界が開けるとそこは何故か明るい世界。遅れて、体の至る所から冷気を感じる。母さんに守られている間に、かまくらの上部が崩落していたんだ。
 雪に埋もれている自分らを見て、思わず二人して笑ってしまった。恐怖の後の安堵がもたらす感情、言葉で説明するのは難しい。とにかく笑った。
 心配のし過ぎがいかに馬鹿らしい事か。目の前のシュールな光景がそう思わせたのかもしれない。
「これは……鎮火する手間が減ったね」
「ママ、餅食べれる?」
「ハハハ!まーたお腹壊すよー?」
 あの頃が、冬の中でも一番楽しかった。

 目的地のやや手前、父さんの車がゆっくりと減速する。
「一応、手合わせとくか」
 小山の麓の小公園。そこの僅かに広い道路の路肩に停車し、父さんは車から出た。俺も合わせるように出て、父さんの後を追う。
 四年前に来た時は、脚が震えた。怒りと、悲しみ。今はどうやら大丈夫らしい。心臓は、少し痛いけど。
 
 あれから一年経って、餓鬼ながらも大きくなった俺は、もう少しスリリングな遊びを求めるようになった。とは言っても所詮は小学生。スキーやスノボーを日常的に出来るわけでもないから、内容自体は可愛いもんだ。小山に出来た『天然の滑り台』を、プラスチック製のソリで滑る。天然だから若干危険は伴っているんだけど、その程度は好奇心旺盛な冒険心ある小学生の弊害にはならない。父さんは当然の如く許してくれた。ただ、最終的には母さんが付き添ってる時のみに限定された。今となっては、これが良かったのか悪かったのか——。
「今日あったかいねえ」
「転けたらびしょ濡れになっちゃうんじゃない?やめといたら?」
 あの日、積もった雪景色とは裏腹に空は真っ青だった。幸い木々で覆われたこの滑り台は生きていて、母さんの言う通り濡れはすれども滑れなくはない、といった状況。
「大丈夫!ママは滑らない?」
「ふふっ。ママは濡れたくないから見てるよ」
 まともな会話は……これが最後だったと思う。この会話自体、まともと言って良いのかは分からない。
 埋もれた石階段に足をとられないように手摺を掴み、ゆっくり登っては、キリの良いところで横の斜面に移動して一気に滑る。障害物の木にぶつかりそうになると母さんが心配するから、あまり高いところからは滑れない。
 だけど、ほんのたまに、母さんの視線から外れるタイミングがある。それは————
「カズくん、ママお手洗い行ってくるね」
 一瞬だけど、母さんを心配させることなく冒険できる稀な機会。この時は、全てが重なってしまったんだ。今ならいつもの倍は行ける。そのくらい登っていた。
 それは未知の領域だった。早くしないと母さんが戻ってくる、だから悠長にはしてられない。それなのに、いざ登ってみると脚がすくんだ。下から見る景色とまるで違う。
 でも、いよいよ母さんが公園から戻ってくる姿が目に入ると、意を決するしかなくなり、半分思考を止めて両足を地面から離した。
加速するソリに身を委ね、風を切る。この時の、恐怖と高揚は中々のものだった。いつもの高さまで戻ってきた時、既にその速度の危険さを無意識に理解し、再び両足を地面に着けた。減速させようとしたんだ。でも、止まらない。止まらない上に、バランスを取ることすらままならなくなり、意地でも回避しなければいけない木へそのままぶつかってしまった。
横に吹っ飛んだ俺を置き去りに、ソリはひっくり返ったまま残りの傾斜を滑っていく。
「カズくん!大丈夫!?」
 この時の俺は意識が朦朧としていた。天と地が混ざりあって、雪の冷たさも何もかも感じる余裕がないほどに。ただ、母さんが近づいてくるのは分かった。ずっと俺を呼んでいた。そして、段々とその声質が変化していることも——。
「カズくん!!起きて!カズくん!!」
 俺はこの日、人生で二度目の『揺れ』を経験した。恐らくだけど、それは丁度、俺が滑り始めた直後だっと思う。だから気付けなかったんだ。
 いつも穏やかな母さんが、あそこまで声を張っていたのはあの瞬間だけだった。最初で、最後。
 意識をほぼ取り戻した時、俺は母さんに抱えられていた。でも、気付いてすぐ、母さんは俺を投げ飛ばした。俺の顔を見て、泣きながら、笑顔で「生きて」と言った。それが最後の、『一方的』な会話だ。
 母さんは、雪崩に巻き込まれた。別に大した規模じゃない。俺は運良く、その雪の流れの外に投げ出された。遂には、別の傾斜に助けられ、偶々その近くで避難していた大人に保護され一命をとりとめることになる。もし俺一人だけなら、多分その後俺も死んでいたことだろう。二年前の経験から、俺は目の前の雪崩というものの危険さを誤認していたから。一目散に母さんを助けに行こうとして、結果止められた。
 
母さんが死んだ。なんて、誰が認めるものか。死ぬわけない。あの優しい母さんが。
 
 でも、いよいよ世界は残酷だった。あの日のように何事もなく笑って会えると思っていても、そんな瞬間は訪れることなく、気付けば母さんの遺品だけが手元に残った。
 俺は雪を呪った。恨んで憎んで、涙を流しながら地面の雪をただひたすら踏みつけた。毎日だ。毎日、毎日。雪が嫌いになり、冬が嫌いになり、いつの間にか、この街さえも嫌いになった。母さんとの思い出が詰まった、この街を。
 
 その感情は四年前、三回忌でここを訪れた時も変わらなかった。ただひたすらに、雪への憎しみを増幅させ、母さんを返せと天を仰いだ。中学一年生だ、仕方がない。
 では、今……四年ぶりにこの街に来て、俺が何を思うのか。憎しみは……無い、と言えば嘘になる。でも、今の俺には、それ以上に憎むべき対象が居る。
 俺自身だ。大人に近づいて、そう思うようになった。母さんを殺したのは俺なんだ。そして、俺が憎しみを語って良いような立場じゃない。一番それを語って良いのは——
「父さん」
「……なんだ?」
 ずっと、訊きたかったことがある。
「父さんは、俺のこと、恨んでないの?」
 父さんは、母さんを心底愛していたと思う。母さんが亡くなって以降、別の女性と仲良くすることもなく、毎年命日にはこの場所に来て、後は淡々と、俺を育ててくれている。そんな父さんの背中を毎日見ていると、段々と俺の中で別の感情が芽生えてきた。
一番の被害者は父さんじゃないか。一番悲しんでいいのは父さんであり、一番憎まれて当然なのは俺なんだ。と。
「ハハハハ!」
 突然、父さんは高笑いをしてみせた。「なんだそりゃ」と、笑顔のまま横目で俺を見る。
「いや……だって——」
「それ、仮に俺が『恨んでねえよ』と返したらお前信じるのか?」
「…………それは……」
 父さんは脚を止め、俺の方に正対した。
「本心であろうとなかろうと多分今俺の言葉は伝わらない。お前がそれを理解できるのは、お前が『父親』になった時だ。その時、想像してみろ。その時思った事が、きっと俺の答えだ。お前が『やっぱり子供を恨むと思う』って思えば、それが答えさ。ハハハ!」
 唖然とする俺を他所に、父さんはまた前を歩き出す。
「でもなカズ、これだけは言っておくぞ。母さんには本当に感謝してる。お前を助けてくれたことだ。そして、に育ててくれたことにもな。まあ、流石俺たちの子供だ」
 それ以上、父さんは何も言わなかった。

 四年ぶりに見る母さんの墓は、綺麗に手入れされている様子で、石材の劣化や文字の風化は見られない。雪はしっかり積もってしまうわけだけど。
 分かっていながらも、俺はその雪をゆっくりと落とした。心に積もっていたモヤを取り除くように。
 墓石をしっかり拭く父を見ていると、自分が遊んでいるように感じてしまう。でも、これはある意味俺にとっての儀式。
「次は来年、また来るよ。母さん」
 ここには、忘れてはいけない記憶が沢山ある。優しかった母さんが、俺の中で生き続けるように、今までのモヤと区切りをつけるように、小さな雪だるまを横に添えて、俺たちはこの場所を後にした。
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