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9月21日(火)
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今日はどうやら夜中まで曇りらしい。まあ、雨が降らないだけマシとしよう。流石に一年越しの一発勝負で雨降ったら俺泣くわ。いや、そもそもの話、今日が約束の日なのかも確証はないけど。
調べたところ、去年のあの日は『中秋の名月』、所謂お月見だったらしい。美月も「お月見に」と言っていたから、恐らく『この日』ってのは十月一日じゃなく、今年の『お月見』にあたるはずだ。まあなんだ、もし居なけりゃ一日にまた来ればいいんだ……ってのはちょっとズルいか。
この山は、春になると三万本のつつじが咲きみだれるらしい。隣町にそんな県有数の名所があるなんて知らなかった。何せ、この街は昔から『何もない』ことで有名だ。その証拠に、ググってみたらファストフード店が一軒もない。ホント、家を出る前に知れて良かった。
およそ一年ぶりの山道は、なんだか懐かしいような新鮮なような、不思議な場所に思えた。風景は特段変わっていないけど、古くさかった自販機はいつの間にかQRコード決済対応に進化している。もう少し早く導入してくれてたら死にかけずに済んだのに……いや、逆だ。むしろ感謝すべきなのかもしれない。
電灯すらない迂曲した山道の途中、僅かな違和感を感じてあの入口を発見する。その過程は去年と同じだった。自転車を停め、籠に入れていた保冷バッグを取り出す。現在の時刻は『十九時二十七分』。少し早いだろうが、まあ遅くなるよりは良いだろう。
勾配のある砂利道を、草をかき分けながら登っていく。
「……あっ」
視界が開けた先に、見覚えのあるベンチが一基。そしてそこに、見覚えのある後ろ姿の女子が一人。
その女子が、多分俺の声に反応したのかこちらを振り返る。暗くて顔は分からない。でも、あの雰囲気は、間違いない。
「こんばんは、夜空くん」
その音の響きは、とても一年ぶりに聴くものではなかった。つい昨日のことのように俺の脳は覚えている。名前を呼ばれたのは、これが初めてだけど。
「こんばんは、美月」
「ふふっ。覚えててくれたんだ、名前」
「そりゃこっちの台詞だっつーの」
美月は、あの日の再現なのか、最初からベンチの右端に座っていた。この横顔と、両手を着いて空を見上げる姿、懐かしい。ただ一点だけ、多分勘違いではないと思うけど——。
「もしかして、髪切った?」
背中にまで伸びていたはずの黒髪が、首元まで短くなっていることに俺は気付いた。
「うわ、よく分かったね」
「うわって何だようわって」
美月は「確かに」と言いながらクスクス笑う。今日が曇りだから一瞬気付くのが遅れたけど、月の下で靡く黒髪の艶やかさは印象的だった。女子が髪をバッサリ切る理由の一つに『失恋』があるらしいけど、美月はどうなんだろう……?いや、もし仮にそうだとしても、ズケズケと訊くのは野暮ってもんだ。
敢えてそれ以上は触れず、持ってきた保冷バッグを真ん中に置く。中身は当然、ポテトとバーガー。買ってから三十分は経ってるけど、チャックを開けた瞬間手には温かい空気が伝わってきた。断熱仕様なら保温もいけるだろと思って直前で引っ張り出してきたのは正解だったな。
「わざわざバッグに入れてきてくれたんだ」
「そりゃーお返しだから。冷めたもん食べさせるわけにはいかんでしょ」
「もしかして、去年『冷めたもん』食べさせられたの根に持ってる?」
「まさか。アレはここ数年で一番美味かったよ」
それ本当なら私逆に心配、と言いながらポテトを一本食べる。残念ながら嘘はついてないさ。
「……美味しい」
一本丁寧に咀嚼し、飲み込んで次の一本をまた口に運ぶ。まるで、これが最後の晩餐だと思っているかのような仕草。いや、流石にそれは大袈裟か……恐らく美月は、ゆっくり食べながら雲が捌けるのを待つってことなんだろう。
「チーズ月見と普通の月見、どっちが良い?」
「んー、じゃあチーズ月見」
「おっ、意外。ドリンクはコーラで良かったよな?」
「ふふっ。そんなことまで覚えてるの?」
「忘れねえよ俺飲んだんだし」
「……そうだった。ちゃんと私の分も残しててくれたんだよね」
全て昨日のことのように覚えている。でも、その過去を語り合うだけで懐かしさを感じる不思議な感覚。多分、今もそうだけど、俺はここでの出来事をただの出来事として記憶できていない。どこか夢のようで、幻想のようで、しかし事実として、ふわふわとした脳が曖昧に書き記す。
今日は制服なんだね。……あれ?夜空くん今何年生?
二年。美月は今日も制服だけど——
私も二年。なんだ、同い年だったんだ。
良かったー……先輩じゃなくて。
ふふっ。先輩だったら敬語使ってくれるの?
いーや、使わないな。
なにそれー。ならどっちでもいいじゃん。
月島美月って、お洒落な名前だよな。月二回も出てくるし。
そうかな?桜井夜空も十分お洒落だと思うよ?
いやなんか、ペットの名前みたいじゃない?
こら。今全国の夜空さん敵に回したね。
でも、そのせいかな?『桜』と『夜空』を観るのは好きかも。
あ、やっぱり?私も綺麗な月はずっと眺めちゃうなあ。
残念だな、今日に限って曇りなんて。
大丈夫。そのうちきっと見えるよ。
……月のプロがそう言うなら、信じてみようか。
高校卒業した後って、何か考えてる?
んー、私は特に。今は高校生活を謳歌できればいいかなぁ。
見かけによらず案外楽天的じゃん。
えーそう?そういう夜空くんは?
俺はー……あの光の中心に行きたい。
ははっ。じゃあ私もそれで。
……てことは、来年も再来年も『今日』はここに居るんだな。
んー、そうだね。生きていれば。
え、死ぬの?
ふふっ。人間いつ死ぬかなんて分かんないでしょ?
急に年寄りみたいなこと言う。
長生きする前提だと今を謳歌できないよ。
なるほど確かに……流石っす、美月センパイ。
うわっ、なんかすごい違和感あるー。
ほんの少しずつ変化していくこの空の様に、俺の中の『美月』は変化していった。あの日何故か感じた心の翳りが、少しずつ解けていく。黒々と閉ざされていた世界が、徐々に白く光りはじめる。
明るくて、きれいで、美しい。
全てが開けたとき、俺はもう一度願った。これが夢ではないことを。
「ほら、見えたでしょ」
白黄色に煌く月が、もう一方の月を照らし、その瞳に映る海月がまた、俺を魅了する。
「綺麗だ……」
蒼白く光る肌、黒白に流れる艶やかな髪、火照る表情、その全てが幻想を引き寄せる。
「八年ぶりの、満月だからね」
「ハハッ……さすが月のプロ」
ここに、もう現実を知らせるものはない。時の流れを知らせる味覚も、過去を教える味も。今この瞬間が新しい過去になり、またその過去を感じるために、また俺は言葉を交わす。
「また、一年後に——」
「『この日』、この時間、この場所で」
美月は、合わせるようにつぶやいた。現実にするのは次で良い。今日までは、現実を幻想として愉しもう。
きっと、また会えるから。
調べたところ、去年のあの日は『中秋の名月』、所謂お月見だったらしい。美月も「お月見に」と言っていたから、恐らく『この日』ってのは十月一日じゃなく、今年の『お月見』にあたるはずだ。まあなんだ、もし居なけりゃ一日にまた来ればいいんだ……ってのはちょっとズルいか。
この山は、春になると三万本のつつじが咲きみだれるらしい。隣町にそんな県有数の名所があるなんて知らなかった。何せ、この街は昔から『何もない』ことで有名だ。その証拠に、ググってみたらファストフード店が一軒もない。ホント、家を出る前に知れて良かった。
およそ一年ぶりの山道は、なんだか懐かしいような新鮮なような、不思議な場所に思えた。風景は特段変わっていないけど、古くさかった自販機はいつの間にかQRコード決済対応に進化している。もう少し早く導入してくれてたら死にかけずに済んだのに……いや、逆だ。むしろ感謝すべきなのかもしれない。
電灯すらない迂曲した山道の途中、僅かな違和感を感じてあの入口を発見する。その過程は去年と同じだった。自転車を停め、籠に入れていた保冷バッグを取り出す。現在の時刻は『十九時二十七分』。少し早いだろうが、まあ遅くなるよりは良いだろう。
勾配のある砂利道を、草をかき分けながら登っていく。
「……あっ」
視界が開けた先に、見覚えのあるベンチが一基。そしてそこに、見覚えのある後ろ姿の女子が一人。
その女子が、多分俺の声に反応したのかこちらを振り返る。暗くて顔は分からない。でも、あの雰囲気は、間違いない。
「こんばんは、夜空くん」
その音の響きは、とても一年ぶりに聴くものではなかった。つい昨日のことのように俺の脳は覚えている。名前を呼ばれたのは、これが初めてだけど。
「こんばんは、美月」
「ふふっ。覚えててくれたんだ、名前」
「そりゃこっちの台詞だっつーの」
美月は、あの日の再現なのか、最初からベンチの右端に座っていた。この横顔と、両手を着いて空を見上げる姿、懐かしい。ただ一点だけ、多分勘違いではないと思うけど——。
「もしかして、髪切った?」
背中にまで伸びていたはずの黒髪が、首元まで短くなっていることに俺は気付いた。
「うわ、よく分かったね」
「うわって何だようわって」
美月は「確かに」と言いながらクスクス笑う。今日が曇りだから一瞬気付くのが遅れたけど、月の下で靡く黒髪の艶やかさは印象的だった。女子が髪をバッサリ切る理由の一つに『失恋』があるらしいけど、美月はどうなんだろう……?いや、もし仮にそうだとしても、ズケズケと訊くのは野暮ってもんだ。
敢えてそれ以上は触れず、持ってきた保冷バッグを真ん中に置く。中身は当然、ポテトとバーガー。買ってから三十分は経ってるけど、チャックを開けた瞬間手には温かい空気が伝わってきた。断熱仕様なら保温もいけるだろと思って直前で引っ張り出してきたのは正解だったな。
「わざわざバッグに入れてきてくれたんだ」
「そりゃーお返しだから。冷めたもん食べさせるわけにはいかんでしょ」
「もしかして、去年『冷めたもん』食べさせられたの根に持ってる?」
「まさか。アレはここ数年で一番美味かったよ」
それ本当なら私逆に心配、と言いながらポテトを一本食べる。残念ながら嘘はついてないさ。
「……美味しい」
一本丁寧に咀嚼し、飲み込んで次の一本をまた口に運ぶ。まるで、これが最後の晩餐だと思っているかのような仕草。いや、流石にそれは大袈裟か……恐らく美月は、ゆっくり食べながら雲が捌けるのを待つってことなんだろう。
「チーズ月見と普通の月見、どっちが良い?」
「んー、じゃあチーズ月見」
「おっ、意外。ドリンクはコーラで良かったよな?」
「ふふっ。そんなことまで覚えてるの?」
「忘れねえよ俺飲んだんだし」
「……そうだった。ちゃんと私の分も残しててくれたんだよね」
全て昨日のことのように覚えている。でも、その過去を語り合うだけで懐かしさを感じる不思議な感覚。多分、今もそうだけど、俺はここでの出来事をただの出来事として記憶できていない。どこか夢のようで、幻想のようで、しかし事実として、ふわふわとした脳が曖昧に書き記す。
今日は制服なんだね。……あれ?夜空くん今何年生?
二年。美月は今日も制服だけど——
私も二年。なんだ、同い年だったんだ。
良かったー……先輩じゃなくて。
ふふっ。先輩だったら敬語使ってくれるの?
いーや、使わないな。
なにそれー。ならどっちでもいいじゃん。
月島美月って、お洒落な名前だよな。月二回も出てくるし。
そうかな?桜井夜空も十分お洒落だと思うよ?
いやなんか、ペットの名前みたいじゃない?
こら。今全国の夜空さん敵に回したね。
でも、そのせいかな?『桜』と『夜空』を観るのは好きかも。
あ、やっぱり?私も綺麗な月はずっと眺めちゃうなあ。
残念だな、今日に限って曇りなんて。
大丈夫。そのうちきっと見えるよ。
……月のプロがそう言うなら、信じてみようか。
高校卒業した後って、何か考えてる?
んー、私は特に。今は高校生活を謳歌できればいいかなぁ。
見かけによらず案外楽天的じゃん。
えーそう?そういう夜空くんは?
俺はー……あの光の中心に行きたい。
ははっ。じゃあ私もそれで。
……てことは、来年も再来年も『今日』はここに居るんだな。
んー、そうだね。生きていれば。
え、死ぬの?
ふふっ。人間いつ死ぬかなんて分かんないでしょ?
急に年寄りみたいなこと言う。
長生きする前提だと今を謳歌できないよ。
なるほど確かに……流石っす、美月センパイ。
うわっ、なんかすごい違和感あるー。
ほんの少しずつ変化していくこの空の様に、俺の中の『美月』は変化していった。あの日何故か感じた心の翳りが、少しずつ解けていく。黒々と閉ざされていた世界が、徐々に白く光りはじめる。
明るくて、きれいで、美しい。
全てが開けたとき、俺はもう一度願った。これが夢ではないことを。
「ほら、見えたでしょ」
白黄色に煌く月が、もう一方の月を照らし、その瞳に映る海月がまた、俺を魅了する。
「綺麗だ……」
蒼白く光る肌、黒白に流れる艶やかな髪、火照る表情、その全てが幻想を引き寄せる。
「八年ぶりの、満月だからね」
「ハハッ……さすが月のプロ」
ここに、もう現実を知らせるものはない。時の流れを知らせる味覚も、過去を教える味も。今この瞬間が新しい過去になり、またその過去を感じるために、また俺は言葉を交わす。
「また、一年後に——」
「『この日』、この時間、この場所で」
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