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素性 私は……

琴乃 春繁

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 バイパス道路沿いのコンビニエンスストア。

 そこにエンゼル社があった。

「ずっと昔な。まだ小さな町工場の頃よぉ」

 私も正確な位置までは把握していなかった。

「………あそこだったんだねー」

 爺ちゃんが私を睨む。あれ? 聞いたんだっけ?私。

「お茶入ったよ~! ほら、どうぞどうぞ」

 婆ちゃんナイスタイミング。

「若い子が食うもんなくてねー。モナカ食べる?」

「あ、うっ……いえ。このみかんをいただきます」

「そうかい! ゆっくりしていってちょうだい!」

 婆ちゃんは栗本と麗の前にドスドスとみかんを詰み、台所へ戻って行った。

「あの、エンゼルがここにあったのは………どのくらい前ですか?」

 麗は必死で記憶を探っているようだった。

「大火災があったろ? あん時に焼けたんだよ……この辺みぃ~んな……」

 栗本がはっと私を見る。

「それでお前さっき小学校の話したのか!
 と、待てよ。この周辺は新しい建物なんですね? その………エンゼル以外は住宅地だったんですか?」

 爺ちゃんは大笑いすると茶箪笥の上から、古い住宅地図を持ってきた。

「いいか? まずな。今のこの家がここ」

 マーカーで丸を付ける。

「ここがエンゼルな」

 コンビニのあった場所だ。
 そこを見て、情報の処理に二人の眉間にシワがよる。

「え、待って、どっちが北?」

「そうだわ……! 
 この時はまだバイパスが通ってないのよ!」

「そうだぁよ。
  そしてこの辺りも、その目の前の家も、そこ全部桑畑だったんだ」

 バイパスが通ると決まった時、爺ちゃんはかなり潤ったようで、険悪だった母と婆ちゃんを離すように、今の私の家を建てたらしい。

 栗本と麗は一旦、地図から顔をあげる。

 麗の顔がどんどん曇っていく。

「…………」

「麗……その………」

 町工場の頃ってことは、社長の自宅も繋がっていたと聞いている。麗が幼少期住んでいたところなはずだ。
 爺ちゃんの家は小さい為か、周囲の生木たちに守られ火災からは逃れた。

 爺ちゃんと夏野一家はご近所さんだった 。

 果たして年端もいかない頃の麗が覚えているか……。

 麗は額を指で数回撫でると、信じられないとばかりに爺ちゃんを見つめた。

「ごめんなさい。でも……違ってたら……。
 あなたは、シゲおじちゃん? みかん飴の?」

 覚えてたのか!

「そうだよォ。覚えててくれたか!春繁はるしげだ」

「いやだわ私………場所を全然覚えてなくて………」

「みかん飴って何? 爺ちゃん好きだったっけ?」

「私が好きだったの。あの作り物みたいな、酸味のない……。懐かしいわ……。
 母が離婚準備のために働きに出て、父は工場に篭もりっきりで、私よくここに………来てた………。
 シゲおじちゃんはいつもみかん飴を用意しててくれて…………いつも夕方まで私の話し相手に……」

 そして離婚後、母親と黒沢菴に入寮して仁恵と知り合ったのか。

「ははは。人の縁ってやつぁ………なぁ。これがいい再会になるといいんだけどな」

「心配ないよ爺ちゃん。
 麗はしっかり者だよ」

 爺ちゃんは「ん」と言うだけだった。

「それで、うちのはるこが何か?」

 これには雰囲気的に栗本は話しにくいと思えたが……あぁ、そうだ。こいつは敢えて空気を読まない。

「あ、はい。
 縁故入社だって噂で聞いて、それで『本当は縁故組なんじゃないのか』と言い出した奴が出てきたもので。
 あれこれ陰で噂してるより、本人に直接聞きに行った方が矛がおさまると思ったんで来ました。確かめに。
 それでここに案内されたんです」

 まったく。詮索する前に、もっと早く私本人に絡んで欲しかったものだ。どこまで耳に入ってしまったかわかりゃしないな。

「爺ちゃん、もう隠せない。
 麗と一緒にいたらどうしても嗅ぎ回られるし、私も麗と離れたくない」

「今の若いのは情報が回るのが早いよなぁ。SMSだか、ロインだかがあんだろ?
 まぁいい。
 ちょいと昔の話をしようかなぁ」

 爺ちゃんは一度ため息をつき、真っ直ぐ私たちを見据える。

「あの時の火事は酷くてなぁ。俺も助かりはしたけれど、この家も煙に巻かれて……エンゼルも家も工場のマシンもみんなやられてな。
 なかなか役所さんも上手く回らなくて。そらそうよ!役場も燃えちまったんだから。
 怪我のなかった連中は全員、火元になった小学校に避難したもんだから、その夜は芋焼きの実行委員だかと子供のいない家の連中で暴動が起きたんだ。
 燃えた家の瓦礫の撤去作業はすることになったが…………火事のあった場所にまた家を建てるってのは縁起が悪いんだよ。
 それで、この辺りの桑畑をならして、寄付したんだよ」

「寄付っ!? 売ったんではなくて?」

 栗本が身を乗り出す。

「そんな事したら次の日には強盗が入ったりしませんか!?」

 こいつはどんだけ治安悪いとこを旅してきたのか……おっそろしいよ。

「いやいや。うちも困ってたんだよ!
 元々、その桑畑も農家さんに貸してたんだがね……その農家さんが蚕業かいこさま辞めてから桑の木を放置されて邪魔で邪魔で………調度よかったんだよ」

「爺ちゃんはお人好しなんだよ」

 悪態をつく私に、爺ちゃんは心底参ったように頭を抱えた。

「近所の新しく来た連中はそれなりにいい関係で進んだんだが……問題はエンゼルだった。
 あの会社はその頃まだ有限会社で、社員も五人いたかどうかくらいだったんだが………。

 夏野君が寄付の噂を聞きつけて、うちに来てね。
 ちょうど今エンゼルがある所に山があったんだ。それもうちの山だったんだが……」

「はっ!?
 あ、あの!」

 栗本が爺ちゃんを遮り手を挙げた!

「素朴な疑問なんですけど、どうしてそんなに土地持ちなんですか?」

 あぁ、それはすっかり忘れてたわ。

滝野岩市たきのいわに城跡があるだろう?
 うちはそこの城主に遣えてたとかなんとかでな」

「へぇ………」

 と言っても、何か偉業をなしたとかそんなんじゃなかったらしい。土地にかかる厄除けに一人管理者を立てられる、とか……そんな話だ。その時代この辺りではそんな風習があったらしいのだ。

「お……驚きの連続ね…。
 それで、父がここに来たのは………?
 私が別居してからです火災は。何も知らないので教えてください!」

「うんうん。落ち着いて。

 いや、本当に夏野君は真面目な人だったんだよ。
 麗さん、今は分からないけどね。君は間違いなく愛のある家庭で産まれた子供だよ。離婚はしたかもしれないが、確かに幸せだったと思う。
 それが………例え自分の子供でないとしても」

 露木の事か!

「どうして爺ちゃんが知ってるの……?」

「まぁ大人の話だよ。だが夏野君自身、とても悩んでいてね。
 お前たちがこの家を出てからだし。夜中になるとうちによく飲みに来たんだよ」

 私が爺ちゃんと別居してからもここへ頻繁に来ていた事を考えると、麗と出会わなかったのがとんでもない確率だ。

「最初のうちは、君たち母娘を取り戻すために必死でね。会社の軌道も乗って来たし養育費も渡す予定で、事業を拡大したいって。
 それで、あの土地を貸すことにしたんだ。
 思えば、その辺から会社の方針が大きく変わったんだろうな」

 流石は栗本か。
 爺ちゃんの言葉にピクリと反応した。

「土地を……貸した……?」

「そう。仲介業者を挟んであの土地をリースとして貸してる。
 勿論、土地の権利書も俺の手元にある」

「それって……!!!!」

 爺ちゃんの目がぎらりと光る。

「俺ァな。あいつが真面目で骨があると思って、その辺のマンションに住むほどのハシタで貸してるんだよ。

 あくまでリースだから。
 いつでも取り返すことが出来るんだよ」

「………………」

「しかし、最近はどうだ? 俺もただの不景気なら何も言わねぇよ。
 会社の評判と来たら…………目も当てられないじゃないか。死人まで出して。

 お恥ずかしい話だが、うちの孫はそんなに頭の出来が良くなくてね」

 悪かったね!

「大学に進学もしないし、就職するにも短気な上に当時は手が付けられないほど高校生活も荒れてて…………」

 なんの話? なんの話!?

「ちょっ……!! 爺ちゃんやめてよ!」

「すまんすまん。
 それで、適当にただ就職させたら不平不満を言ってすぐに辞めちまうんじゃないかと、母親も心配していたようだし。

 ならばこの機会に、エンゼルに潜入捜査させようと思いついたんだ」

 へぇ~! なんだか面白そうじゃん☆
 ……なんて気楽に考えた私は馬鹿だったな。

「あの……」

 栗本が私を見やり、爺ちゃんに断言した。

「春子さんはまさに適任だったと思います。
 責任感もあるし正義感も強い。何より誰も見捨てない。
 現場でも好かれてますから」

 疑ってしまったことへの罪滅ぼしなのだろう。分かりやすすぎて、爺ちゃんも聞き流し感が半端ない。

 勿論、話は終わらない。
 なんかいい感じに纏めかかった栗本を麗が遮る。

「ちょっと待ってください。
 土地の権利書を持っていたとしても、大打撃にはなりえないのでは?
 仲介業者を通していること、建設後に稼働してから既に何年も経過していることを考えると、エンゼルに弁護士が付いたらシゲおじちゃんは赤字のままですよ?」

「確かに。エンゼルもただどこかに移転する、ってだけであんまダメージは………。騒ぎにもなるし、そんなことをしたら春子が恨まれて………んん?

 あ…………違う………! そうじゃねぇ!!」

 そう。気付いた?

 祖父がエンゼルの土地を取り上げて、エンゼルが移転する………どこかに土地を買うとしたら……。

「エンゼルの必要とする程の規模の土地は……もう、あの町には、残ってないんだよ」

 残っていても、そこは藤野宮家派閥のテリトリーか、海堂たち漁業者たち浜の連中のテリトリー。そして黒沢さんたちの温泉街のテリトリー。
 まさに現在のエンゼルは村八分に等しいのだ。

 どんなに金を積んでも皆土地を売らないだろう。

 仮にフルムーンのように山手工業団地などに会社を構えたら、他の企業と交流や比較が進み、今まで隠蔽して有耶無耶にして来たようなことはできなくなるのだ。

「なるほど………!」

「でも………最終手段ね………」

 麗の言葉に祖父も頷く。

「そうだな。場所が変わっても中身がそのままでは意味が無い。

 今から変われば済む話だが……。
 中立にいる者もいるんだろうから………移転に困る連中も出てくんだろう。俺が取り上げちまうのは簡単だがよぉ。
 だからこれは最終手段。

 そもそも夏野君一人で会社が荒れたわけでもあるまいしな」

 確かに。
 経営陣には露木のように人畜無害の社員もいるが、それは稀だ。

 問題はそいつらの殲滅。

「見届けるまで死ねねぇなぁ。
 でも、もしもの時のために遺書に書いてもいい。
 どうするかは………俺は、お前たち『変える者』に期待している」

「最善を尽くします」

 麗は深深と頭を下げた。
 つられて栗本も。

 疑いが晴れてよかったが………出来れば切り札にしておきたかった。

 これは現場にいるような社員にはピンと来ない脅しだ。
 有効なのはもっと上の社長、そしてその取り巻きたちだ。
 役職もなく、名簿だけで金を食う幽霊社員。

 今はまだそんな段階じゃない。
 麗が私を見て気の抜けた顔で微笑む。

「はぁ~。
 あんたも、よく『家を買う』だとか簡単に言い出すと思ったら……根底にある感覚が麻痺してるのね。
 土地を譲るなんて普通は簡単に出来ない事なのよ? シゲおじちゃんは特別」

「えー? 別に感覚は普通だよ」

「どうかしら?

 それにしても、出田さんはなんで知ったのかしら?」

「おそらく藤野宮家で私を見た裏切り者が詮索して、噂を流したんでしょ。麗と行動していれば人目につくしね。

 でも面接受けて入社したわけだしね。面接官だった連中は知ってるはずなんだよ。

 夏野社長とは結局顔を合わせなかったけど、もし私を見かけても『琴乃』と聞いただけで、あの権力者の集まりに私がお手伝いで居ても不自然じゃないでしょ?

 幸田の方がなんでお前がいるのって言ってたもんね」

「確かに」

「裏切り者の……えと、鈴木だっけ? 
 その人の言ってることと私が縁故入社だった事で、出田さんは不信感を持ったんだろうね。
 正直、噂に踊らされて栗本が来たあたり……出田さんも稚拙な気はする。尻尾を握った動物が何かまで確かめたかったんだと思うけれど、焦りすぎだよ」

 言ってはなんだが、出田が今の生活になった理由だって『先走って失敗した』訳だから。
 行動力はあるが、多少無茶をする性分なのだろうな。

「それだけどさ。問題は縁故入社って言うからには、誰かの口利きだったわけだよね?
 そいつは味方なの?」

「専務に|鴫山《しぎやま
 》って人がいる。その人。面接もね」

「専務かぁ………そら当てにならんわ!」

「そう。連中、出勤しないで部下にタイムカード押させてるからね。
 爺ちゃんが寄付した土地にそいつの親が住んでるんだよ。それで口利き。
 やや中立寄りの縁故組だね。

 私の縁故ルートも、エンゼルの土地の話も、冬野たちは知ってる様子なかったし、こりゃ下手したら私が掌返してF棟にいることすら無関心なんだと確信したよ」

「鴫山ぁー。役ん立たねぇな。
 ………そりゃ噂になるまでラグがあったはずだぜ」

 仲介業者のいるおかげで、会社が土地を借りてる相手までうちの爺ちゃんだとは分かっていないようだ。これは爺ちゃんが上手く業者とやっている。

「とにかく、出田さん夫婦にはよろしくね」

「う、うん」

 私に睨まれた栗本は苦笑いで頷いた。

「……悪かったよ」

 そろそろ帰るかという空気の中、玄関のドアを叩く音がした。

「おとーさん!!俺だよ~!」

 うちの父だ。迎えに来たのか。婆ちゃんが連絡したんだな。

「おとーさーん。開けて~俺だよ~」

 家中に響く父の声。
 恥ずかしいんですけど。

「ふふふ。あんたお父さん似ね」

「え!? なんで?!」

「だって、ねぇ」

 麗と栗本が顔を見合わせて笑う。

「玄関の入り方そっくりだもの」

「呼び出し方とか、そっくり」

 えぇー……じゃあみんなインターホンがない家ではどうしてるんだろう。

「それじゃあ、私たちもおいとまします」

「ああ。麗ちゃんまたな」

 その後、栗本はタクシーで帰り、麗は相変わらずガリガリが沢山着いた車に乗り込み帰って行った。

「退院できてよかったな。さ、帰ろう」

 そういえば、水槽の話聞けずじまいだったな。次の機会でいいか。

「爺ちゃんまたね」

「うむ」

 どっと疲れた。
 数日まともに動いてなかったから身体が訛っていたのかもしれない。
 疲労感につい、車の中でうとうとしてしまった。

 気付いたら自分のベッドに寝ていた。
 車から父が私を抱えて運んだのかと思うと、申し訳ないという気持ちと共に、やはり体重減っていたんだと実感した。
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