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錦総合病院 精神科病棟
堕ちた者
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大きな鉄の音が響く。
看護師の持つ鍵の量に溜め息が出る。
防火シャッターより鈍重な扉を開くと、すぐ二重に鉄格子が現れる。
想像より重みのあるその存在感に心臓が跳ねる。
「入院は閉鎖病棟になります」
「閉鎖…………?」
「開放病棟というものがあります。あれは簡単に言うと日中、一階の売店に行ったり出来る状態です。
閉鎖病棟はこの扉が二十四時間施錠されていて患者さんの行動が制限されます」
二階のみで生活しろ、というルールか。
「他に隔離部屋というのがあります。皆さんがよく想像されるのはそちらのイメージでしょうか……一人部屋で何も危険物のない殺風景な部屋に閉じ込められるとか。基本的に問題行動や病状による理由が無ければ……ふーむ、琴乃さんの場合入ることは無いでしょう」
階段を上がり切ったところに再び現れる鉄格子の扉。
待て待て!こんなところからどうやって抜け出すんだ?
出田の口振りじゃ先人はいるようだが、最早脱獄王レベルじゃないのか?
「このフロアが食堂兼デイケアルームになりますね」
「デイケア?老人ホームみたいな?」
「はい。塗り絵や折り紙、色々やります。二日に一回催されて全員参加です。
反対側のこちらはベランダです」
大きなテラスだが、景色を見ようにもこの格子が邪魔だ。
それもそうか。
ガラガラと開いていたら、万が一…………………自殺……。
「あ、あの………」
こういう事は聞いて失礼な事なのだろうか?
しかし不安なままでいるのもストレスだ。
「どのくらいの症状の人が居るんでしょうか…………?えと…………急に、お………襲って来る人とか……」
「錯乱される方は居ますが、多害が無ければ私たちでまぁなんとかしますので!大丈夫ですよ?」
さ、錯乱するんだ………やっぱり。
こんな格子の中にいるからそうなってしまうんじゃないのかと思えてならないけれども、そうじゃないんだろうな。
最も、それらの人間が本当に病気なら……だが。
「あら、柚菜ちゃん珍しいね」
突然、看護師が私の背後に声をかけた。
振り返ると少女が一人、虚ろな眼差しで立っていた。
な、なんだろう……?
「こ、こんばんわ………お世話になります」
柚菜と呼ばれた少女は私の顔をじっと覗き込む。
そしてそのまま固まってしまった。
覗き込んだ彼女の目は私の顔を通り越して更に先を見ているようだ。
グレーのスェットはいつから着ているのか、所々ほつれて、髪型も必要最低限女性と判る型……と言うしかいいようがない。
「まだ会話は無理かな!でも、歳が近いからねぇ!気になったんでしょ!?ちゃんと食べなきゃ駄目です!」
看護師は明るく笑い、彼女を食堂へ戻した。
歳が近い……と言っても高校生くらいに見えるのだが…。生気がないというのがしっくりくる。彼女はいつからここにいるのだろう……。
正直、なんだったんだろうと言う気持ちと、当たり前の光景なんだと自分を納得させる気持ちが同時に渦巻く。
「ん?びっくりしましたか?」
「えっ?…あ………はい」
「色んな方が居ますが、琴乃さんが考えるような怖いことは何も無いですよ?
何もなくするように、ここは治療をするところです」
やっぱり、申し訳ない気分だ。
無言で顔を覗き込んでくる少女を、私は恐怖の対象として見てしまった。
別に何かされた訳でもないのに。
「皆これから夕食ですか?」
「はい。では先に部屋の方を案内しますね」
看護師について西に向かう。
「女性はこの格子の向こうの各部屋に四人ずつ入ります。この格子は夜だけ施錠します」
東は男性が居るからか。
ふと目に止まる。
「……………」
格子の上には外向きにも内向きにも二台の監視カメラが設置されていた。
その廊下の奥、突き当たりにも四台のカメラが部屋の入口を写しているようだった。
まさかと来た道を振り返ると、登ってきた階段から等間隔で監視カメラがこれでもかと言うほど付いていた。
「カメラ………い、いっぱいなんですね………」
「はい。ただの念の為ですよ。
はい、部屋はこちらになりますね!」
病室にドアはなかった。
カーテンや洗面台も無い。
ベッド四台だけの部屋。
窓の外にも格子。
この環境でネットも使えないとか…………その方が病みそうだ。
病室の前にも名前の記載はない。
面会人がここまで尋ねてくるわけじゃないのだ。
必要が無いんだろう。
「ちょうど隣のベッドはさっきの柚菜ちゃんですねぇ」
「か、彼女はどんな人なんですか?」
「いい子ですよ!大丈夫です。
この病室にいる方は大人しい方たちなので夜も眠れると思います」
不眠の心配ではないのだが。
まぁ、そうだな。寝てしまえば、気になることもないし。
考えすぎというか、怯えすぎだな私。
「一階の売店への買い出しは、買い出し申し込みシートに欲しいものを書いて私たちに午前中に渡してください。
消灯は二十一時、起床は六時です。朝は体操があるのでベランダの広場に六時半に集合してくださいね」
「お風呂は入れますか?」
「お風呂は…」
看護師の説明を遮って、食堂の方から叫び声が谺響する。
びっくりする私をよそに、看護師は壁の時計で時間を見るかのように一瞬顔を向け、何事も無かったように再び私に向かって話し出す。
「お風呂は二日に一回で、時間は予約制です。朝イチに入りたい場合は前日に予約してください。当日に予約すれば、入りそびれることは無いので心配いりません。時間は十分です」
「十分っ!!?」
一人ずつ入るとして、浴槽にお湯はないんだよな?
貯めるだけで十分経過してしまうんじゃないのか?
「私…………十分で済むかどうか…」
「その時は事前に断ってから入浴してくださいね。途中で見回りに行きますので」
「風呂にですか?」
「…………一人になると危険な患者さんも居るんです。ご理解ください」
自殺……防止……?
そうか。それもそうか。
部屋にも御丁寧に各ベッド毎にカメラが向けられている。
これは思ったより難しいことになった。
いや。
脱走者が何人もいるんだ。
何か穴があるに違いない。すぐ悲観してしまうのは早すぎる。
「琴乃さん。食事は明日から入院費と一緒に含まれますが、今日の夕食はどうしますか?もう消灯までぎりぎりですけど。
代金かかっちゃいますけど、食べることもできますよ?」
「あ、そういえば夕食食べてないんでした。
じゃあ、頂きます」
「では食堂に戻りましょう」
まさか娑婆の最後の晩餐が川田家の高級紅茶とは………!もっと味わっておけばよかった………!
来た道とは反対側の廊下を通り食堂へ向かう。
廊下と廊下の間は観葉植物の群れとソファ席。
固定された本棚があった。
テレビは見当たらない。
まさか娯楽はこの本棚の薄汚れた小説だけか………。
食堂に着くと、人の群れと出くわした。
皆食事を終えて、食器を下げるところのようだ。
会話をしている者が少ない。
大声で何か喚いている者も居るが、基本的に皆黙って葬式の列のように皿を置きに来る。
一見健常者に見える者も多いが………ここにいるということは何らかの病状があるのだろう。
その時だった。
人だかりの中。
私とそいつと。
お互い存在に気が付き、視線が合う。
「琴乃………春子か……?」
「幸田…………!?………さん」
幸田が食堂の食器を持ち、その列の中に紛れていた。
職員がここで食事を摂ることはない。
転職したわけでもないだろう。
幸田はにやにやしながら私に言う。
「こりゃあ、いい暇つぶしが来たな」
災難だ。
雨宮次長は幸田がいることを知ってて私を入れたのか!?
復讐の文字が頭に浮かぶが……………このカメラが多い環境で果たしてそれは可能か?
「お知り合いですか?よかったですね。トラブルがないようにだけはよろしくお願いしますね」
「あ………はい」
看護師も二十四時間いるのだ。
幸田に何かをされることは無いだろうが、あまり近付かないようにしよう。
看護師から食事を受け取る。
鶏の胸肉のメインディッシュだった。
な、なんかモソモソしそう!
私は消灯ぎりぎりまで、その水分のない物体と戦う事となった。
看護師の持つ鍵の量に溜め息が出る。
防火シャッターより鈍重な扉を開くと、すぐ二重に鉄格子が現れる。
想像より重みのあるその存在感に心臓が跳ねる。
「入院は閉鎖病棟になります」
「閉鎖…………?」
「開放病棟というものがあります。あれは簡単に言うと日中、一階の売店に行ったり出来る状態です。
閉鎖病棟はこの扉が二十四時間施錠されていて患者さんの行動が制限されます」
二階のみで生活しろ、というルールか。
「他に隔離部屋というのがあります。皆さんがよく想像されるのはそちらのイメージでしょうか……一人部屋で何も危険物のない殺風景な部屋に閉じ込められるとか。基本的に問題行動や病状による理由が無ければ……ふーむ、琴乃さんの場合入ることは無いでしょう」
階段を上がり切ったところに再び現れる鉄格子の扉。
待て待て!こんなところからどうやって抜け出すんだ?
出田の口振りじゃ先人はいるようだが、最早脱獄王レベルじゃないのか?
「このフロアが食堂兼デイケアルームになりますね」
「デイケア?老人ホームみたいな?」
「はい。塗り絵や折り紙、色々やります。二日に一回催されて全員参加です。
反対側のこちらはベランダです」
大きなテラスだが、景色を見ようにもこの格子が邪魔だ。
それもそうか。
ガラガラと開いていたら、万が一…………………自殺……。
「あ、あの………」
こういう事は聞いて失礼な事なのだろうか?
しかし不安なままでいるのもストレスだ。
「どのくらいの症状の人が居るんでしょうか…………?えと…………急に、お………襲って来る人とか……」
「錯乱される方は居ますが、多害が無ければ私たちでまぁなんとかしますので!大丈夫ですよ?」
さ、錯乱するんだ………やっぱり。
こんな格子の中にいるからそうなってしまうんじゃないのかと思えてならないけれども、そうじゃないんだろうな。
最も、それらの人間が本当に病気なら……だが。
「あら、柚菜ちゃん珍しいね」
突然、看護師が私の背後に声をかけた。
振り返ると少女が一人、虚ろな眼差しで立っていた。
な、なんだろう……?
「こ、こんばんわ………お世話になります」
柚菜と呼ばれた少女は私の顔をじっと覗き込む。
そしてそのまま固まってしまった。
覗き込んだ彼女の目は私の顔を通り越して更に先を見ているようだ。
グレーのスェットはいつから着ているのか、所々ほつれて、髪型も必要最低限女性と判る型……と言うしかいいようがない。
「まだ会話は無理かな!でも、歳が近いからねぇ!気になったんでしょ!?ちゃんと食べなきゃ駄目です!」
看護師は明るく笑い、彼女を食堂へ戻した。
歳が近い……と言っても高校生くらいに見えるのだが…。生気がないというのがしっくりくる。彼女はいつからここにいるのだろう……。
正直、なんだったんだろうと言う気持ちと、当たり前の光景なんだと自分を納得させる気持ちが同時に渦巻く。
「ん?びっくりしましたか?」
「えっ?…あ………はい」
「色んな方が居ますが、琴乃さんが考えるような怖いことは何も無いですよ?
何もなくするように、ここは治療をするところです」
やっぱり、申し訳ない気分だ。
無言で顔を覗き込んでくる少女を、私は恐怖の対象として見てしまった。
別に何かされた訳でもないのに。
「皆これから夕食ですか?」
「はい。では先に部屋の方を案内しますね」
看護師について西に向かう。
「女性はこの格子の向こうの各部屋に四人ずつ入ります。この格子は夜だけ施錠します」
東は男性が居るからか。
ふと目に止まる。
「……………」
格子の上には外向きにも内向きにも二台の監視カメラが設置されていた。
その廊下の奥、突き当たりにも四台のカメラが部屋の入口を写しているようだった。
まさかと来た道を振り返ると、登ってきた階段から等間隔で監視カメラがこれでもかと言うほど付いていた。
「カメラ………い、いっぱいなんですね………」
「はい。ただの念の為ですよ。
はい、部屋はこちらになりますね!」
病室にドアはなかった。
カーテンや洗面台も無い。
ベッド四台だけの部屋。
窓の外にも格子。
この環境でネットも使えないとか…………その方が病みそうだ。
病室の前にも名前の記載はない。
面会人がここまで尋ねてくるわけじゃないのだ。
必要が無いんだろう。
「ちょうど隣のベッドはさっきの柚菜ちゃんですねぇ」
「か、彼女はどんな人なんですか?」
「いい子ですよ!大丈夫です。
この病室にいる方は大人しい方たちなので夜も眠れると思います」
不眠の心配ではないのだが。
まぁ、そうだな。寝てしまえば、気になることもないし。
考えすぎというか、怯えすぎだな私。
「一階の売店への買い出しは、買い出し申し込みシートに欲しいものを書いて私たちに午前中に渡してください。
消灯は二十一時、起床は六時です。朝は体操があるのでベランダの広場に六時半に集合してくださいね」
「お風呂は入れますか?」
「お風呂は…」
看護師の説明を遮って、食堂の方から叫び声が谺響する。
びっくりする私をよそに、看護師は壁の時計で時間を見るかのように一瞬顔を向け、何事も無かったように再び私に向かって話し出す。
「お風呂は二日に一回で、時間は予約制です。朝イチに入りたい場合は前日に予約してください。当日に予約すれば、入りそびれることは無いので心配いりません。時間は十分です」
「十分っ!!?」
一人ずつ入るとして、浴槽にお湯はないんだよな?
貯めるだけで十分経過してしまうんじゃないのか?
「私…………十分で済むかどうか…」
「その時は事前に断ってから入浴してくださいね。途中で見回りに行きますので」
「風呂にですか?」
「…………一人になると危険な患者さんも居るんです。ご理解ください」
自殺……防止……?
そうか。それもそうか。
部屋にも御丁寧に各ベッド毎にカメラが向けられている。
これは思ったより難しいことになった。
いや。
脱走者が何人もいるんだ。
何か穴があるに違いない。すぐ悲観してしまうのは早すぎる。
「琴乃さん。食事は明日から入院費と一緒に含まれますが、今日の夕食はどうしますか?もう消灯までぎりぎりですけど。
代金かかっちゃいますけど、食べることもできますよ?」
「あ、そういえば夕食食べてないんでした。
じゃあ、頂きます」
「では食堂に戻りましょう」
まさか娑婆の最後の晩餐が川田家の高級紅茶とは………!もっと味わっておけばよかった………!
来た道とは反対側の廊下を通り食堂へ向かう。
廊下と廊下の間は観葉植物の群れとソファ席。
固定された本棚があった。
テレビは見当たらない。
まさか娯楽はこの本棚の薄汚れた小説だけか………。
食堂に着くと、人の群れと出くわした。
皆食事を終えて、食器を下げるところのようだ。
会話をしている者が少ない。
大声で何か喚いている者も居るが、基本的に皆黙って葬式の列のように皿を置きに来る。
一見健常者に見える者も多いが………ここにいるということは何らかの病状があるのだろう。
その時だった。
人だかりの中。
私とそいつと。
お互い存在に気が付き、視線が合う。
「琴乃………春子か……?」
「幸田…………!?………さん」
幸田が食堂の食器を持ち、その列の中に紛れていた。
職員がここで食事を摂ることはない。
転職したわけでもないだろう。
幸田はにやにやしながら私に言う。
「こりゃあ、いい暇つぶしが来たな」
災難だ。
雨宮次長は幸田がいることを知ってて私を入れたのか!?
復讐の文字が頭に浮かぶが……………このカメラが多い環境で果たしてそれは可能か?
「お知り合いですか?よかったですね。トラブルがないようにだけはよろしくお願いしますね」
「あ………はい」
看護師も二十四時間いるのだ。
幸田に何かをされることは無いだろうが、あまり近付かないようにしよう。
看護師から食事を受け取る。
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