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桜食堂

着信

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 家に帰るも、全く眠れない。
 ここのところずっとだ。

 いや、うまく事は進んでいる。何も心配はない。
 ……はずだ。
 麗から貰った教科書の一つを手に取る。
 やれば出来ないことは無い。
 だが教習所に行ったら社員にはバレるだろう。
 あたかも転職の為の準備のような素振りにも見えるかもしれない。人目が怖い。

 とりあえず中を開くも、何故か全く文字が頭に入らない。
 慢性的な睡眠不足。
 しかし気が立っているからか、身体の疲労感だけで睡魔は来ず。

 そうだ。

 次は土井だ。
 どう取り戻せばいいか。
 土井が器用に立ち回り、A棟に残れるようなら問題ないのだが。
 冬野は既に降格している。
 元々平社員の土井と、降格して平社員に戻った冬野。
 これは我が社では相当、身分の違う者として扱われるのが現状だった。
 そう、本来冬野は後ろ指を指されて笑われる立場にある。
 だが、縁故組………このパイプがある限り奴に限っては許されてしまうのだ。

 冬野だけじゃ駄目だ。
 なんとか縁故組の骨をバラす取っ掛かりが欲しいものだが。

 夜が明ける。
 とりあえず近所の教習所のカウンターで説明だけ受けて帰宅した。パンフレットをごっそり持たされうんざりした。
 自宅に戻り、貯金残高を確認。

 とりあえず…………溶接は使わない気がする。
 フォーク、大型………このあたりは…どうなんだ?

 自分に限って退社するなんてことは無い。
 先に幸田を潰して人事をのっとった方が性に合う。

 どんな奴なのか…。
 人事はほぼ現場に顔を出さない。総務や営業もだ。
 本社のC棟にいる課は会議にも出ない。
 得体が知れないとしか感じない。

 会議の時にでも幸田を見かける事でもあればいいが、秋沢も山口も顔を知らないだろうし。

 出田には聞いたが………出田の年齢の男が言う男から見ての二枚目と言うのは、少し私にはピンと来ないような気がする。

 そうか…社食。
 社員食堂なら人に紛れ込める。

 今は休憩所で自前の弁当か、最寄りの中華店の出前しか食べていない社員達。

 社員食堂が入れば顔を合わせることもあるだろう。
 幸田なら必ずそこで働く予定の仁恵の様子も見たいはずだ。

 幸田、仁恵。
 この両者はまず社員食堂が出来てからが勝負になる。

 土井の様子は明日、倉庫に行くふりをしてA棟に見に行こう。


 翌日、夜勤。
 出勤すると現場に佐伯次長がいた。

 簡単な朝礼を終えマシンを稼働する社員たちを縫ってひっそりと声をかけてきた。

「おう」

「お疲れ様です」

「お疲れ様です」

 私も山口も佐伯次長を見上げる。

「あぁ。ご苦労。
 琴乃、慎也が今どこにいるか……何か知ってるか?」

 慎也?
 B棟にいるのでは?

「いいえ。
 そう言えば、その後どうですか?
 あいつ……いえ、彼はB棟ではうまくやれていますか?」

「ん?あぁ、あの類の男は年寄り受けがいいからな」

「えぇ……?」

 思わず声が漏れる。不公平な…………無礼者極まりない若者って印象なんだが…。

「な、山口。
 あーゆーのは猫可愛がりされるんだよ」

「この会社は中堅の若者が少ないですからね。彼は明るい性分で顔にも感情が出ますから。好かれるでしょうね」

「そういうことだ」

 てっきり気難しい技術者の中で、狭っ苦しい思いをしていると予想していたのだが。

「まぁ、それでな。
 仕事は上手くいってたんだが、会社に顔を出していない。
 それも無断で」

「欠勤ですか……?」

「………うむ……」

 借金が無くなったんだ。
 もしや………ということか。
 人間だ、有り得なくもないだろう。

 いや、待て。

「……そう言えば、三日前に慎也から着信がありました。
 無言電話で………」

「無言……?」

 佐伯次長が山口と顔を見合わせる。

「春子ちゃん、それは留守電?」

「はい」

「音声は残ってる?聴いてもいい?」

「構いません。どうぞ」

 私はスマホを取り出し再生ボタンを押すだけの状態にして、山口に渡す。
 山口は私と佐伯次長を手招きして非常口から外に出るよう促す。

「嫌な予感するねぇ。当たらなければいいけれど」

 誰もいないF棟の裏の横道。
 側に建つB棟のその向こうに、大型トラックが多く通る国道が見える。

「……………静かにね」

 山口が、まずはスピーカーにして再生する。

『……………!………………!!……』

 何かは聞こえるが、特にそれが何かまでは分からない。

「生活音ですかね?」

「しぃ」

 山口はスピーカーを切り替え、今度は直に聞き取る。片耳を塞いで、もう一方の耳をスマホにあて、全神経を集中する。

 どんどん山口の顔が険しくなる。

 生活音………じゃない?
 まさか…………。

 ならば私に電話をかけてきた理由………はなんだ。
 会話をせずに無言だったのはなぜだ。

「どうだ?」

 佐伯次長がスマホを差し出した山口を見る。

「俺、耳いいんですがねぇ………。足音しかしないんですわ」

「足音?」

「んー。足音。
 フローリングに土足。一人の足音じゃないんですわ。
 もし喧嘩ならワーワーと何か罵倒が聞こえたり………。これはまるでこっそり発信ボタンを押したような………事が済んだ後の静けさですわ」

 事が済んだ…とは、どういうことだ。

「あいつ…………!
 いや、いい。お前達は仕事に戻れ!」

「は、はい」

 佐伯次長も一度はスマホから音声を聞くも、足早に踵を返して戻って行った。
 スマホを抱えたまま、山口と呆然と立ち尽くす。

「春子ちゃん、慎也くんは一人暮らしかい?」

 それだ。

「…………あの、既婚者ですよ…?多分子供も小さかったはずですし、奥さんは妊娠中な筈なんです…」

 それが何を意味するのか…。

「えぇっ!?
 もう一度!着信時間はいつ!?」

「夜の十時半………ですね」

 本来、子供など寝てる時間だろう。
 これが慎也と妻の足音ならそれでいいが…。

 最悪の事態が脳裏をよぎる。

「まさか………強盗とか……?」

 冬野は元々悪い付き合いがあったはずだ。
 襲撃なんて事も。原因はあのメモリーカードか。

 スマホを持ったまま固まる私のそば、山口は眉を顰めていたが、しばらくして口を開いた。

「………いや、奥さんや子供さんは大丈夫じゃないかな。

 女子供は泣き喚く。
 慎也君、着信を入れる余裕があったら反撃する方を優先するタイプだと思うし」

「そうでしょうか?
 既に…………」

 言いかけ、あまりに不謹慎過ぎて口を紡ぐ。

 とにかく慎也に何かあったのは間違いない。
 仁恵のことであの時はいっぱいいっぱいだった。
 冬野は今でも慎也がデータを持っていると思ってるはずだ。
 身の危険があってもおかしくないのに。

「慎也君、どこに住んでるの?」

「いえ、そこまで聞いたことないです。
 栗本なら仲が良かったみたいだし、知っているかも知れません」

「そう…。
 とりあえず現場に戻ろう」

 山口が非常口を開け、私が通るのを待つ。
 気が気でない。

「大丈夫だよ。佐伯さんが行ったんだから」

「そうですね……」

 とにかく、情報が入るまでは仕方がない。
 仕事に戻るしかない。
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