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琴乃 春子。株式会社エンゼルに入社

冬野 剛と言う男

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    三月二十八日。
    入社式当日だ。私は通常他の企業より早く新社会人としてデビューとなった。

    株式会社エンゼル。地元では結構大きい方の部類に入っていて、ここに就職できた私を周囲の友人は皆羨ましがった。
    製造業の下請け業者で、その工場五棟の内の一つの棟で会食パーティーが開催された。

    本社のC棟だ。二階に大きなホールがあり、新社会人の私達二百人を軽々と飲みこんだ。
    皆、十八歳。今年大卒者はいないと聞いた。

「さぁ卓についてくださいね!」

    総務の男性が声をあげる。

    ホールは式場程の設備で、円卓がいくつも列んでいた。
    あまりステージ側も目立ちそうだな。
    どこに座ればいいんだろうか。

    円卓に列ぶ酒と皿。
    ナプキンの横に本日の進行が書いてある紙が乗っていた。

「ん?君はどこの子?」

    目の前の席に座った男性社員が呼び止められた。

「あ………栗本 敦と申します」

「栗本ね……く~りも~…………」

    男性社員が名簿を捲る。

「あ、あった!栗本君ね!
君はD棟の杉山課長の所だよ右端の前から二番目。あそこだよ!」

「あ、すみません。ありがとうございます」

    栗本は私にも頭を下げると直ぐに上着を抱えて立ち上がった。
    名前でも書いてあれば分かりやすいのに。皆入るに入れず、入口でモタモタしていた。

「あの……」

「はい?」

「新入社員の琴乃 春子と申します。私も自分の席を確認したいのですが………」

「はいはい。えーとね。
    A棟の冬野課長のところだよ。
真ん中のステージの目の前ね」

「あ、ありがとうございました」

    よりによってこんな目立ちそうな席か。
    うわぁ。本当に目の前だ。

    そして、円卓には既に男が座っていた。
    この男の名は知っている。
    思わず、生唾を飲み込む。初対面だ。何も恐れることは無い。

    この男は冬野 ごう
    現在三十四歳と聞いている。

「冬野課長。新入社員の琴乃 春子です。よろしくお願いいたします」

「おー。待ってたぜぇ~よろしくな!
何飲む?ビールでいいか?」

    冬野の評判は高校の時の先輩から聞いている。早い時期からグレて、この小さな町では負け知らずの有名不良児だったって。

それが心機一転、やんちゃが落ち着きエンゼルに入社後、トントン拍子に出世という訳だ。もちろん、縁故入社だが。

「車で来ましたので………」

「なんだよ。飲む気で来いよなぁー」

    二十歳かどうかは問題では無いのか? 飲んでいいならその気で来ればよかったかな。

    それにしても……冬野はまだ乾杯音頭もしていないうちから一人、瓶ビールの栓を抜いていた。
    なるほど。これは曲者そうだな。

    全員が卓に付くまでそれから三十分かかった。
    やがて照明が絞られ、ステージ横に司会が立つ。

『皆さん、入社おめでとうございます!』

    新入社員は計二百人。

    私達二百人をとるために、去年の夏に大規模なリストラがあったらしい。
    最初は高齢者から切っていたが、そのうち一律二百万の退職金で希望退職を募るようになると、本来働き盛りの三十代、四十代の社員も次々と飛び付き、終いには遊ぶ金を求めた二十代の若者すら出ていってしまった。

    現場に残されたのは一握りの技術者や役職者、他の会社に行けない理由のある者だけとなった。

「彼氏いねぇの? 若いうちに遊んだ方がいいぜぇ? 俺なんかなぁ…!」

「へぇー! やばくないですか~?」

「だろ~?」

    しばらく飲み食いしてる間は冬野に絡まれ続けたが、ふと神妙な面持ちで私の方を探って来た。

「それにしてもよ。
    こんな不況の中、しかも俺の現場に就職なんて。琴乃は運がいいな!はははは」

「はぁ。お世話になります」


『いいか? 春子。
    エンゼルは既に三つの派閥に分かれている。

    縁故入社で、実力はないが仕切りたがる縁故組。
    穏便に給料だけ欲しい中立組。
    引き抜きでここに入社した実力のある技術組。
    この三つの勢力で派閥争いが続いている』

    冬野は無論、縁故組だ。それも派閥の中では一番発言権があると言う。この様子だと冬野はやりたい放題、ろくなことしてないだろうな。

「まぁー、明日からよろしく~。
それで?お前は何?
誰かここに知ってる奴でもいんの?」

「………あー……いえ……」

「いや。いるよなぁ?
俺の課に配属されるくらいだもんな!誰だ?」

    私はお前を潰すためにここにいる。
    私はブラック企業と知った上でここにいる。

「進路指導をしてくださった先生の知り合いの知り合いとか………そんな感じですよ。お恥ずかしい」

「えぇ~?ほーん、まぁいいや。期待してるぜ~」

    明日休日を挟んで、明後日からはフルタイムでこの冬野の仕切るA棟で缶詰めだ。
    不本意だが、それは私も縁故組の一員として迎えられるという事。
    果たしてどんな生活が待っているのか………。

    不安だ。

「では、これで御開になりますので!」

    やれやれだな。

「冬野課長、明後日からよろしくお願いします」

「ああ。じゃあな!」

    シラフの奴に用事はない、か。引き止められるよりいい。
    ホールの外に出ると、既に上着を羽織った同期で溢れ賑やかだった。

「あ、さっきの」

    声をかけられた。
    最初に席を間違っていた男だ。

「栗本です。よろしく。
    俺変なとこに座っちゃってさ。焦ったァ~」

「琴乃  春子です。よろしく」

「今さ、適当にLINEの交換してたんだよ。一緒にどう?」

    栗本のそばには十人ほどの、比較的目立たない優等生タイプの男女が集まっていた。

『いいか? 今までみたいな派手な生活、派手な付き合いはするんじゃないぞ。
    お前は俺の武器であり、耳でもある。
    ガキのいきがりの様な遊びは卒業しろ。
    それよりも暴れられる場所を用意してやる』

「じゃあ、お願いします。皆さん地元の方ですか?」

「いや、バラバラ!」

「あたしは近いけど一人暮らし始めるんだぁ」

「うわ、羨ましい~」

「交換ありがとう、じゃあ先に失礼するね! 用事があるんだぁ」

「うん、ありがとう琴乃さん」


    本社のC棟を出る。
    春とは言え、まだ三月下旬。凍てつくような冷たいビル風が頬を撫で切って行く。


『春子。

    ブラック企業を、ひっくり返せ!』


    何事もないなら、それでいいんだけどな。
    だいたい、ブラックじゃない企業なんて無いってよく先輩は言ってたし。

    まぁ、でも。
    私も過去を清算しなきゃだし。

「もしもし? 私。
    終わったよ。……………うん。しばらくは様子見るよ。
    ……分かってるって! じゃあね」

    
    タバコは隠れて吸えばいいか。ネイルも短めにして少し塗るくらいなら大丈夫だよね。
    髪色は……覚悟を決めよう。どうせそのうち退色するだろうし。

    はぁ。今日から地味子生活かぁ。
    

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