2 / 108
琴乃 春子。株式会社エンゼルに入社
冬野 剛と言う男
しおりを挟む
三月二十八日。
入社式当日だ。私は通常他の企業より早く新社会人としてデビューとなった。
株式会社エンゼル。地元では結構大きい方の部類に入っていて、ここに就職できた私を周囲の友人は皆羨ましがった。
製造業の下請け業者で、その工場五棟の内の一つの棟で会食パーティーが開催された。
本社のC棟だ。二階に大きなホールがあり、新社会人の私達二百人を軽々と飲みこんだ。
皆、十八歳。今年大卒者はいないと聞いた。
「さぁ卓についてくださいね!」
総務の男性が声をあげる。
ホールは式場程の設備で、円卓がいくつも列んでいた。
あまりステージ側も目立ちそうだな。
どこに座ればいいんだろうか。
円卓に列ぶ酒と皿。
ナプキンの横に本日の進行が書いてある紙が乗っていた。
「ん?君はどこの子?」
目の前の席に座った男性社員が呼び止められた。
「あ………栗本 敦と申します」
「栗本ね……く~りも~…………」
男性社員が名簿を捲る。
「あ、あった!栗本君ね!
君はD棟の杉山課長の所だよ右端の前から二番目。あそこだよ!」
「あ、すみません。ありがとうございます」
栗本は私にも頭を下げると直ぐに上着を抱えて立ち上がった。
名前でも書いてあれば分かりやすいのに。皆入るに入れず、入口でモタモタしていた。
「あの……」
「はい?」
「新入社員の琴乃 春子と申します。私も自分の席を確認したいのですが………」
「はいはい。えーとね。
A棟の冬野課長のところだよ。
真ん中のステージの目の前ね」
「あ、ありがとうございました」
よりによってこんな目立ちそうな席か。
うわぁ。本当に目の前だ。
そして、円卓には既に男が座っていた。
この男の名は知っている。
思わず、生唾を飲み込む。初対面だ。何も恐れることは無い。
この男は冬野 剛。
現在三十四歳と聞いている。
「冬野課長。新入社員の琴乃 春子です。よろしくお願いいたします」
「おー。待ってたぜぇ~よろしくな!
何飲む?ビールでいいか?」
冬野の評判は高校の時の先輩から聞いている。早い時期からグレて、この小さな町では負け知らずの有名不良児だったって。
それが心機一転、やんちゃが落ち着きエンゼルに入社後、トントン拍子に出世という訳だ。もちろん、縁故入社だが。
「車で来ましたので………」
「なんだよ。飲む気で来いよなぁー」
二十歳かどうかは問題では無いのか? 飲んでいいならその気で来ればよかったかな。
それにしても……冬野はまだ乾杯音頭もしていないうちから一人、瓶ビールの栓を抜いていた。
なるほど。これは曲者そうだな。
全員が卓に付くまでそれから三十分かかった。
やがて照明が絞られ、ステージ横に司会が立つ。
『皆さん、入社おめでとうございます!』
新入社員は計二百人。
私達二百人をとるために、去年の夏に大規模なリストラがあったらしい。
最初は高齢者から切っていたが、そのうち一律二百万の退職金で希望退職を募るようになると、本来働き盛りの三十代、四十代の社員も次々と飛び付き、終いには遊ぶ金を求めた二十代の若者すら出ていってしまった。
現場に残されたのは一握りの技術者や役職者、他の会社に行けない理由のある者だけとなった。
「彼氏いねぇの? 若いうちに遊んだ方がいいぜぇ? 俺なんかなぁ…!」
「へぇー! やばくないですか~?」
「だろ~?」
しばらく飲み食いしてる間は冬野に絡まれ続けたが、ふと神妙な面持ちで私の方を探って来た。
「それにしてもよ。
こんな不況の中、しかも俺の現場に就職なんて。琴乃は運がいいな!はははは」
「はぁ。お世話になります」
『いいか? 春子。
エンゼルは既に三つの派閥に分かれている。
縁故入社で、実力はないが仕切りたがる縁故組。
穏便に給料だけ欲しい中立組。
引き抜きでここに入社した実力のある技術組。
この三つの勢力で派閥争いが続いている』
冬野は無論、縁故組だ。それも派閥の中では一番発言権があると言う。この様子だと冬野はやりたい放題、ろくなことしてないだろうな。
「まぁー、明日からよろしく~。
それで?お前は何?
誰かここに知ってる奴でもいんの?」
「………あー……いえ……」
「いや。いるよなぁ?
俺の課に配属されるくらいだもんな!誰だ?」
私はお前を潰すためにここにいる。
私はブラック企業と知った上でここにいる。
「進路指導をしてくださった先生の知り合いの知り合いとか………そんな感じですよ。お恥ずかしい」
「えぇ~?ほーん、まぁいいや。期待してるぜ~」
明日休日を挟んで、明後日からはフルタイムでこの冬野の仕切るA棟で缶詰めだ。
不本意だが、それは私も縁故組の一員として迎えられるという事。
果たしてどんな生活が待っているのか………。
不安だ。
「では、これで御開になりますので!」
やれやれだな。
「冬野課長、明後日からよろしくお願いします」
「ああ。じゃあな!」
シラフの奴に用事はない、か。引き止められるよりいい。
ホールの外に出ると、既に上着を羽織った同期で溢れ賑やかだった。
「あ、さっきの」
声をかけられた。
最初に席を間違っていた男だ。
「栗本です。よろしく。
俺変なとこに座っちゃってさ。焦ったァ~」
「琴乃 春子です。よろしく」
「今さ、適当にLINEの交換してたんだよ。一緒にどう?」
栗本のそばには十人ほどの、比較的目立たない優等生タイプの男女が集まっていた。
『いいか? 今までみたいな派手な生活、派手な付き合いはするんじゃないぞ。
お前は俺の武器であり、耳でもある。
ガキのいきがりの様な遊びは卒業しろ。
それよりも暴れられる場所を用意してやる』
「じゃあ、お願いします。皆さん地元の方ですか?」
「いや、バラバラ!」
「あたしは近いけど一人暮らし始めるんだぁ」
「うわ、羨ましい~」
「交換ありがとう、じゃあ先に失礼するね! 用事があるんだぁ」
「うん、ありがとう琴乃さん」
本社のC棟を出る。
春とは言え、まだ三月下旬。凍てつくような冷たいビル風が頬を撫で切って行く。
『春子。
ブラック企業を、ひっくり返せ!』
何事もないなら、それでいいんだけどな。
だいたい、ブラックじゃない企業なんて無いってよく先輩は言ってたし。
まぁ、でも。
私も過去を清算しなきゃだし。
「もしもし? 私。
終わったよ。……………うん。しばらくは様子見るよ。
……分かってるって! じゃあね」
タバコは隠れて吸えばいいか。ネイルも短めにして少し塗るくらいなら大丈夫だよね。
髪色は……覚悟を決めよう。どうせそのうち退色するだろうし。
はぁ。今日から地味子生活かぁ。
入社式当日だ。私は通常他の企業より早く新社会人としてデビューとなった。
株式会社エンゼル。地元では結構大きい方の部類に入っていて、ここに就職できた私を周囲の友人は皆羨ましがった。
製造業の下請け業者で、その工場五棟の内の一つの棟で会食パーティーが開催された。
本社のC棟だ。二階に大きなホールがあり、新社会人の私達二百人を軽々と飲みこんだ。
皆、十八歳。今年大卒者はいないと聞いた。
「さぁ卓についてくださいね!」
総務の男性が声をあげる。
ホールは式場程の設備で、円卓がいくつも列んでいた。
あまりステージ側も目立ちそうだな。
どこに座ればいいんだろうか。
円卓に列ぶ酒と皿。
ナプキンの横に本日の進行が書いてある紙が乗っていた。
「ん?君はどこの子?」
目の前の席に座った男性社員が呼び止められた。
「あ………栗本 敦と申します」
「栗本ね……く~りも~…………」
男性社員が名簿を捲る。
「あ、あった!栗本君ね!
君はD棟の杉山課長の所だよ右端の前から二番目。あそこだよ!」
「あ、すみません。ありがとうございます」
栗本は私にも頭を下げると直ぐに上着を抱えて立ち上がった。
名前でも書いてあれば分かりやすいのに。皆入るに入れず、入口でモタモタしていた。
「あの……」
「はい?」
「新入社員の琴乃 春子と申します。私も自分の席を確認したいのですが………」
「はいはい。えーとね。
A棟の冬野課長のところだよ。
真ん中のステージの目の前ね」
「あ、ありがとうございました」
よりによってこんな目立ちそうな席か。
うわぁ。本当に目の前だ。
そして、円卓には既に男が座っていた。
この男の名は知っている。
思わず、生唾を飲み込む。初対面だ。何も恐れることは無い。
この男は冬野 剛。
現在三十四歳と聞いている。
「冬野課長。新入社員の琴乃 春子です。よろしくお願いいたします」
「おー。待ってたぜぇ~よろしくな!
何飲む?ビールでいいか?」
冬野の評判は高校の時の先輩から聞いている。早い時期からグレて、この小さな町では負け知らずの有名不良児だったって。
それが心機一転、やんちゃが落ち着きエンゼルに入社後、トントン拍子に出世という訳だ。もちろん、縁故入社だが。
「車で来ましたので………」
「なんだよ。飲む気で来いよなぁー」
二十歳かどうかは問題では無いのか? 飲んでいいならその気で来ればよかったかな。
それにしても……冬野はまだ乾杯音頭もしていないうちから一人、瓶ビールの栓を抜いていた。
なるほど。これは曲者そうだな。
全員が卓に付くまでそれから三十分かかった。
やがて照明が絞られ、ステージ横に司会が立つ。
『皆さん、入社おめでとうございます!』
新入社員は計二百人。
私達二百人をとるために、去年の夏に大規模なリストラがあったらしい。
最初は高齢者から切っていたが、そのうち一律二百万の退職金で希望退職を募るようになると、本来働き盛りの三十代、四十代の社員も次々と飛び付き、終いには遊ぶ金を求めた二十代の若者すら出ていってしまった。
現場に残されたのは一握りの技術者や役職者、他の会社に行けない理由のある者だけとなった。
「彼氏いねぇの? 若いうちに遊んだ方がいいぜぇ? 俺なんかなぁ…!」
「へぇー! やばくないですか~?」
「だろ~?」
しばらく飲み食いしてる間は冬野に絡まれ続けたが、ふと神妙な面持ちで私の方を探って来た。
「それにしてもよ。
こんな不況の中、しかも俺の現場に就職なんて。琴乃は運がいいな!はははは」
「はぁ。お世話になります」
『いいか? 春子。
エンゼルは既に三つの派閥に分かれている。
縁故入社で、実力はないが仕切りたがる縁故組。
穏便に給料だけ欲しい中立組。
引き抜きでここに入社した実力のある技術組。
この三つの勢力で派閥争いが続いている』
冬野は無論、縁故組だ。それも派閥の中では一番発言権があると言う。この様子だと冬野はやりたい放題、ろくなことしてないだろうな。
「まぁー、明日からよろしく~。
それで?お前は何?
誰かここに知ってる奴でもいんの?」
「………あー……いえ……」
「いや。いるよなぁ?
俺の課に配属されるくらいだもんな!誰だ?」
私はお前を潰すためにここにいる。
私はブラック企業と知った上でここにいる。
「進路指導をしてくださった先生の知り合いの知り合いとか………そんな感じですよ。お恥ずかしい」
「えぇ~?ほーん、まぁいいや。期待してるぜ~」
明日休日を挟んで、明後日からはフルタイムでこの冬野の仕切るA棟で缶詰めだ。
不本意だが、それは私も縁故組の一員として迎えられるという事。
果たしてどんな生活が待っているのか………。
不安だ。
「では、これで御開になりますので!」
やれやれだな。
「冬野課長、明後日からよろしくお願いします」
「ああ。じゃあな!」
シラフの奴に用事はない、か。引き止められるよりいい。
ホールの外に出ると、既に上着を羽織った同期で溢れ賑やかだった。
「あ、さっきの」
声をかけられた。
最初に席を間違っていた男だ。
「栗本です。よろしく。
俺変なとこに座っちゃってさ。焦ったァ~」
「琴乃 春子です。よろしく」
「今さ、適当にLINEの交換してたんだよ。一緒にどう?」
栗本のそばには十人ほどの、比較的目立たない優等生タイプの男女が集まっていた。
『いいか? 今までみたいな派手な生活、派手な付き合いはするんじゃないぞ。
お前は俺の武器であり、耳でもある。
ガキのいきがりの様な遊びは卒業しろ。
それよりも暴れられる場所を用意してやる』
「じゃあ、お願いします。皆さん地元の方ですか?」
「いや、バラバラ!」
「あたしは近いけど一人暮らし始めるんだぁ」
「うわ、羨ましい~」
「交換ありがとう、じゃあ先に失礼するね! 用事があるんだぁ」
「うん、ありがとう琴乃さん」
本社のC棟を出る。
春とは言え、まだ三月下旬。凍てつくような冷たいビル風が頬を撫で切って行く。
『春子。
ブラック企業を、ひっくり返せ!』
何事もないなら、それでいいんだけどな。
だいたい、ブラックじゃない企業なんて無いってよく先輩は言ってたし。
まぁ、でも。
私も過去を清算しなきゃだし。
「もしもし? 私。
終わったよ。……………うん。しばらくは様子見るよ。
……分かってるって! じゃあね」
タバコは隠れて吸えばいいか。ネイルも短めにして少し塗るくらいなら大丈夫だよね。
髪色は……覚悟を決めよう。どうせそのうち退色するだろうし。
はぁ。今日から地味子生活かぁ。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
和菓子は太らない
魔茶来
経済・企業
私は佐々木ナナ、和菓子大好きな女の子です。
傾いた和菓子屋の店員の私は、二代目社長により店を首になりました。
しかし驚くことにそんな私に前社長の会長は退職金としてその店を任せると言ってくれたのです。
何も分からない私による、和菓子屋立て直し奮戦記。
扉絵のウサギはうちのマスコットエコーちゃんですよ。
えっ?私を首にした二代目社長ですか?
読んでもらえばやがて分かる手はずになっています。
だから、最後まで読んでね。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
借金地獄からの逆転劇 AIがもたらした奇跡
hentaigirl
経済・企業
プロローグ
篠原隆(しのはら たかし)は、40代半ばのごく普通のサラリーマンだった。
しかし、彼の人生は一瞬にして大きく変わった。
投資の失敗と親族の急病による医療費の増加で、彼は1000万円もの借金を抱えることになった。
途方に暮れる中、彼はある日一冊の本と出会い、それが彼の運命を劇的に変えることになる。
S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります
内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品]
冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた!
物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。
職人ギルドから追放された美少女ソフィア。
逃亡中の魔法使いノエル。
騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。
彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。
カクヨムにて完結済み。
( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )
華都のローズマリー
みるくてぃー
ファンタジー
ひょんな事から前世の記憶が蘇った私、アリス・デュランタン。意地悪な義兄に『超』貧乏騎士爵家を追い出され、無一文の状態で妹と一緒に王都へ向かうが、そこは若い女性には厳しすぎる世界。一時は妹の為に身売りの覚悟をするも、気づけば何故か王都で人気のスィーツショップを経営することに。えっ、私この世界のお金の単位って全然わからないんですけど!?これは初めて見たお金が金貨の山だったという金銭感覚ゼロ、ハチャメチャ少女のラブ?コメディな物語。
新たなお仕事シリーズ第一弾、不定期掲載にて始めます!
1on1? 何それ? バスケかよ
うたた寝
経済・企業
1on1が我が社に導入されることになった、と役員から発表があった。
しかし、集められたマネージャー陣の反応は良くなく……?
これは彼のとある日の会議室の話を切り取った物語。
琉球お爺いの綺談
Ittoh
経済・企業
歴史ifの小説、異世界歴史ifについて小説を描いております。
琉球お爺ぃは、小説などで掲載している、背景事情なんかを中心に記述してたりしています。
朝、寝て起きない、知人を起こしに行って、ゆすっても起きなかったという話をよく聞くようになった。職場で、昼寝をした状態から、自力で起き上がることができない知人もいる。
そんな時代に生きるお爺の一考察
琉球お爺ぃは、世界がみんな日本になったら、平和になるとは思うけど、その前に、日本は滅ぼされるだろうな。そんな風に、世界を見ています。
他に、技術関連のお話なんかも描いてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる