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第6話 池袋のさつまいもと鶏のドリア
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どうしてこうなった……。
僕は深まる秋に合わせて落ち葉色のワンピースに、タータンチェックのショールを肩にかけていた。
前に座っている川上は、着慣れてないのがわかってしまうジャケット姿。揃えられた短い髪は、丁寧にワックスをつけている。
木目調の落ち着いた店内。ベージュ色のふかふかするソファー。
ここはサンシャインシティのなかにある、チーズとドリアのお店。お客さんは女の人ばっかりで……。
川上とは行かなくなった高校で同じクラスだった。僕の前の席に座っていて、その大きな背中を見て思い出した。
「すげーな、ここ。女の人ばっかりだ」
川上が気まずさを紛らわすように言う。デリカシーとか、これっぽっちもなさそう……。
男の人は嫌いだった。川上だって例外じゃない。こうして話してるのなんか、とても無理。
「なあ、渕崎さ。なんでこうなったんだっけ?」
「こっちが聞きたいよ!」
「そうだけどさ……。言っただろ? 俺は渕崎にしか頼れないんだ」
「それって僕じゃなくても良くない?」
川上がわかりやすくしょんぼりとする。
「女がわからないんだよ」
絞り出すような声。下を向いて何かを耐えている顔。
少しかわいそう。そして、少しだけかわいい。
ちょっとだけ助けてあげようかな……。
「わからないって、どこが?」
「何考えてるかわからないし。何をしたら嫌われるのかもわからないし。付き合うとか怖くて出来ないって……」
「何それ。だから僕?」
「渕崎なら女心がわかるって、丸山さんが言ってたから……」
あの陽キャめ。それで僕の連絡先も教えたのか。もう……。丸山さんが「一生のお願いだから」と言ったから来たのに。川上に会って、川上しか来ないことを知ったときに逃げれば良かった。
僕は、そんな想いを後ろに隠して、にっこりと微笑んだ。
「じゃ今日は、女の子を勉強しようね」
「先生! よろしくお願いします!」
「もう、声が大きいって」
店員さんがやってきた。「失礼します」と言われながら、鉄の小鍋で熱々しているドリアが目の前に置かれた。
川上の前に置かれたのはビーフシチュードリア。褐色のソースが嬉しそうにふつふつと湯気を立ててる。
僕のはサツマイモとチキンのクリームドリア。秋色をした焼き目がとてもきれいに見える。
川上の喉が鳴る音が聞こえた。わかるよ、その気持ち。
「川上、熱いうちに食べよっか?」
「うん……」
ふーふーしてから、いざ。あむっ。
ひぎゅうぅぅ。んまーい。
カリカリがほくほくしてるぅ。
喉の奥がずんずん熱くなっちゃうよお!
サツマイモが嫌いな女子はいない。そう信じてる。カリカリとしたところと、ほくほくしたところが、コクのあるホワイトソースに合わさってなんともおいしい。そこにチキンのうま味が加わると、僕の口の中で演奏会が始まってしまう。奏でられた味がいくつも重なっていく。甘いのとしょっぱいの弦楽二重奏。そのハーモニーが僕を惑わしていく。
やっぱりドリア、いいな。秋も深まっているこの季節なら、なおのこと。でも、姉さんといっしょに食べたあの日のことを思い出してしまう。たぶん、僕はあのときから……。
「渕崎、そっちはおいしい?」
「うん、僕の好きな味かな」
「さつまいもだろ? おかずになるのかよ」
「え? なるよ。少し甘いから、チーズとかクリームに合わせたりするけど」
「わかんないなあ。俺が食ってたの、焼き芋ぐらいだから。どうして女はクリームとかチーズとかが好きなんだ?」
「食べる?」
「は?」
あれ、なんか顔を赤くしてる。
そんな顔をされたら、いたずらしちゃいたくなる。
僕はスプーンにソースを絡めたさつまいもをすくいあげる。
「ほら、あーん」
「ちょ、ちょっと」
「男同士だよ?」
「いまのおまえは、どう見ても違うだろうが!」
「ほら、みんな見てる。食べないとおかしいよ?」
何度もあたりを見ながら、川上の顔が紅葉に染まってく。差し出したスプーンに顔を近づけると、意を決したようにぱくりと食べた。
「美味しい?」
「うん、まあ……」
「ほら、お返しは?」
「できるかっ!」
僕はくすくすといじ悪く笑う。ちょっと楽しくなってきた。
顔を赤くさせながら川上がすねたように言う。
「あとは自分で食べろよ」
「ふふ。そうする」
僕が嬉しそうな声で返事すると、川上はビーフシチュードリアに食らいつく。がつがつと熱々を食べていく。
こうやってご飯を食べるんだ。とても男の子ぽい。たくましいとか、やんちゃとか、そんな……。
それは僕にとっては微笑ましい感じがした。あんなに嫌いな男の人なのに……。
スプーンが小鍋に当たってからんという音がした。
すっかりたいらげた川上に、僕はたずねる。
「どう? 美味しかった?」
「もっとがっつりしたものが食べたい……」
「え。それ、女の子の前で言わないほうがいいよ」
「本当かよ? やっぱり窮屈だな……」
「知るのって、そういうものじゃない? 最初はめんどくさいんだけどさ。わかったら楽しくなるよ」
玉川さんなら何でも許しそうだけど。優しそうだし。
ふいに川上の表情が真剣になる。
「なあ、渕崎。デートってどうやるんだ?」
僕に聞かれても……。困ったまま言葉を返す。
「そんなの、自分で決めなよ」
「やっぱり映画を見に行ったりしなきゃダメかな? ずっと陸上やってたから、こういうのちんぷんかんぷんでさ」
「知らないよ。僕もしたことないし」
「でも、食べ歩いてはいるんだろ?」
「誰かといっしょというわけじゃ……」
というわけではないけれど、そういうわけでもなかった。最近は松浦さんといっしょに何か食べることが多かった。横浜のときはデートだって松浦さんのほうが言ってたし。
うーん。松浦さんといっしょにしたいことなら……。
それなら話せる。
仕方ないか……。
「ふたりでいれば、なんでもデートになるんだよ」
「そ、そっか。デートって奥が深いな」
「でも、最初は雰囲気のいいとこのほうが良いかも」
「わかんねえ!」
そうだよね。わからないよね。
わかるほうがどうかしてる……。
僕は食べかけのドリアを見ながら、自分が思ってることを川上に語ってみた。
「でも、女の子ってそういうもんじゃないかな。ふたりきりならどこでもいい、でも最初は思い出に残るところがいい。いつも矛盾しているから、かわいいんだと思う」
「そうかな……」
「玉川さんだってそうでしょ? おとなしそうだけど芯の強い人だと思う。気配りもできるし。丸山さんのお姉さんぽいところもあるし。ずっと矛盾してる」
「そうなのか?」
「川上はちゃんと人を見ないとだめだよ」
「めんどくせえ」
口をとがらして川上が頬杖をつく。それからあたりを見ながら、ぼそっとぼやく。
「しっかし、見事に女ばっかりだなあ」
「浮いてることを理解した?」
「まあ、渕崎の気持ちもわかるよ」
「そうなんだよ。だから僕は女の恰好をして……」
「おまえ、かわいいもん。溶け込んでる」
川上が目をそらしながらそう言う。僕はあわてた。
「な、何を言ってるかー」
「女装して食べるごはんは、きっと美味しいんだろうな」
「そうだよ、だから……」
僕はその先が言えなくなった。
松浦さんにかわいいと言って欲しかった。そして困らせたかった。
でも、いまは……。
それにとまどう。
松浦さん以外の男の人に言われたから。
黙ったままの僕に、川上がたずねてきた。
「次、どうする?」
「それ、将来の彼女にも、そう聞くの?」
「いや、だってさ……。本当にどうしたらいいのか、わかんないんだよ」
川上の視線を感じる。それが僕をわからなくさせる。とまどう自分はなんなのだろう。よくわかんない……。
僕は自分に苦笑いしながら、川上へ明るく言った。
「もう、しょうがないな。なら、水族館行こうよ。デートらしくさ。あ、練習だからね」
川上は「そんなことぐらい、わかってるよ」とぶっきらぼうに言いながら、席を立った。
◆◇◆
空飛ぶペンギン。
カタカタ言うペリカン。
ゆらゆらするクラゲ。
僕たちはそれを見てはしゃいでいた。照れてしまうのを隠すように、やけになってはしゃいでいた。
いつのまにか川上と手をつないでいた。
でも、それは自然なことだと思った。僕も手をつなぎたい気分だったから。
言い訳はできると思う。はぐれないようにとか。あと……。あと、なんだろう。
大きな水槽に南の色をした魚がゆらゆらと泳いでいた。僕の気持ちも揺らいでいた。
エイが翼をしなやかに動かしながら、僕らの前を通り過ぎていく。黙ったままでいる僕らを興味深そうに見つめながら、エイはその身をゆるりとひるがえした。
握り締めたままの手がふいに揺れる。川上は泳ぐエイを見つめたまま、僕に話しかけた。
「なあ、渕崎」
「なに?」
「おまえはやっぱり女だよ」
「だから?」
「なんか誘ってくる」
「そう?」
僕は笑ってはぐらかす。
川上はそんな僕を見つめている。
感情がふいに沸く。このままぎゅっと抱きしめられたい。川上の大きな体に包まれたい。そんな想いに体が染められる。
必死に抵抗する。僕は代理品なんだ。練習なんだ。この人には玉川さんがいる。僕には松浦さんだって……。
いまの気持ちを丁寧に密閉して、一滴もこぼれないようにすると、静かに言った。
「僕じゃだめだよ」
川上の手は震えていた。
我慢している。葛藤している。
そして、つないでいた手をゆっくりと離した。
「そうだな。そうだよな……」
川上は少し悔しそうに僕から顔をそむけた。
エイがまた僕たちのほうにやってきた。
僕はそれを見守る。そうするふりをした。
これでいいんだよね。これで……。
つないでいた川上の手の感触をそっと握り締める。いまの僕はきっとせつないムシュル味だ。
◆◇◆
大勢の人が行き交う池袋駅の通路で、僕たちは別れの挨拶をしていた。
川上に買ってもらった小さなペンギンのぬいぐるみを手にしたまま、僕はお礼を言った。
「ありがとう。この子、だいじにする」
「詫びだよ」
「詫び? 今日は楽しかったのに」
「……ごめん」
僕は川上を慰めるように微笑んだ。
「気にしてないよ」
「でもさ……」
「玉川さんと仲良くね」
「うん……」
「ほら。遅くなるよ」
「わかったから押すなって。じゃあな、渕崎」
「うん。がんばって」
僕は手を振っていた。
離れていく川上の後ろ姿をずっと見つめていた。
ひかれている。どうしようもなく……。
広い肩幅、少しごつい手、低い声に……。
このねばりつくような欲望は何だろう。
自分は女のじゃないのに。それでも、それに女を感じてしまう。
松浦さんに会いたい。
この行き場のない感情を預けたい。
でも、そんなことをしても……。
「どうしたらいいんだろう……。僕、男なのに……」
何人もの人が、立ち尽くす僕を通り過ぎていく。きっと誰も答えを教えてくれない。
僕は歩き出した。歩かないといけないから。その先がわからなくても。
◆◇◆
家に帰ってきた。マンションの古びたドアにそっと鍵を差す。カチャリという音を聞いて、ノブを回す。
あれ……。
誰もいないはずだったのに。
姉さんの赤いハイヒールがある。
そして見慣れない男物の革靴が並んでいた。
……松浦さんの……じゃ……ない。
くぐもった女のあえぎ声が漏れていた。
それから、あわてる音がした。
姉さんの部屋の扉が開く。
「夏稀……」
上気した姉さんの顔。
発情したメスの顔。
姉さんは、薄い毛布で胸元を隠しながら、裸のままで僕を見ていた。薄暗い中で、それは透き通ったように見えた。
逃げなきゃ。
とっさにそう思った。
駆け出した。
何もかも考えなくて済む場所へ向かって。
そんな場所はないくせに。
マンションを、家々が立ち並ぶ道を、車が通る大きな通りを、僕はずっと走っていく。ゴールテープなんてないのに、ただ必死に走っていく。
アスファルトにつまづいた。
倒れる。うずくまる。吐く。
自分の中にある女が体から這い出そうとしていた。僕はそれを何度も吐き出した。
僕は深まる秋に合わせて落ち葉色のワンピースに、タータンチェックのショールを肩にかけていた。
前に座っている川上は、着慣れてないのがわかってしまうジャケット姿。揃えられた短い髪は、丁寧にワックスをつけている。
木目調の落ち着いた店内。ベージュ色のふかふかするソファー。
ここはサンシャインシティのなかにある、チーズとドリアのお店。お客さんは女の人ばっかりで……。
川上とは行かなくなった高校で同じクラスだった。僕の前の席に座っていて、その大きな背中を見て思い出した。
「すげーな、ここ。女の人ばっかりだ」
川上が気まずさを紛らわすように言う。デリカシーとか、これっぽっちもなさそう……。
男の人は嫌いだった。川上だって例外じゃない。こうして話してるのなんか、とても無理。
「なあ、渕崎さ。なんでこうなったんだっけ?」
「こっちが聞きたいよ!」
「そうだけどさ……。言っただろ? 俺は渕崎にしか頼れないんだ」
「それって僕じゃなくても良くない?」
川上がわかりやすくしょんぼりとする。
「女がわからないんだよ」
絞り出すような声。下を向いて何かを耐えている顔。
少しかわいそう。そして、少しだけかわいい。
ちょっとだけ助けてあげようかな……。
「わからないって、どこが?」
「何考えてるかわからないし。何をしたら嫌われるのかもわからないし。付き合うとか怖くて出来ないって……」
「何それ。だから僕?」
「渕崎なら女心がわかるって、丸山さんが言ってたから……」
あの陽キャめ。それで僕の連絡先も教えたのか。もう……。丸山さんが「一生のお願いだから」と言ったから来たのに。川上に会って、川上しか来ないことを知ったときに逃げれば良かった。
僕は、そんな想いを後ろに隠して、にっこりと微笑んだ。
「じゃ今日は、女の子を勉強しようね」
「先生! よろしくお願いします!」
「もう、声が大きいって」
店員さんがやってきた。「失礼します」と言われながら、鉄の小鍋で熱々しているドリアが目の前に置かれた。
川上の前に置かれたのはビーフシチュードリア。褐色のソースが嬉しそうにふつふつと湯気を立ててる。
僕のはサツマイモとチキンのクリームドリア。秋色をした焼き目がとてもきれいに見える。
川上の喉が鳴る音が聞こえた。わかるよ、その気持ち。
「川上、熱いうちに食べよっか?」
「うん……」
ふーふーしてから、いざ。あむっ。
ひぎゅうぅぅ。んまーい。
カリカリがほくほくしてるぅ。
喉の奥がずんずん熱くなっちゃうよお!
サツマイモが嫌いな女子はいない。そう信じてる。カリカリとしたところと、ほくほくしたところが、コクのあるホワイトソースに合わさってなんともおいしい。そこにチキンのうま味が加わると、僕の口の中で演奏会が始まってしまう。奏でられた味がいくつも重なっていく。甘いのとしょっぱいの弦楽二重奏。そのハーモニーが僕を惑わしていく。
やっぱりドリア、いいな。秋も深まっているこの季節なら、なおのこと。でも、姉さんといっしょに食べたあの日のことを思い出してしまう。たぶん、僕はあのときから……。
「渕崎、そっちはおいしい?」
「うん、僕の好きな味かな」
「さつまいもだろ? おかずになるのかよ」
「え? なるよ。少し甘いから、チーズとかクリームに合わせたりするけど」
「わかんないなあ。俺が食ってたの、焼き芋ぐらいだから。どうして女はクリームとかチーズとかが好きなんだ?」
「食べる?」
「は?」
あれ、なんか顔を赤くしてる。
そんな顔をされたら、いたずらしちゃいたくなる。
僕はスプーンにソースを絡めたさつまいもをすくいあげる。
「ほら、あーん」
「ちょ、ちょっと」
「男同士だよ?」
「いまのおまえは、どう見ても違うだろうが!」
「ほら、みんな見てる。食べないとおかしいよ?」
何度もあたりを見ながら、川上の顔が紅葉に染まってく。差し出したスプーンに顔を近づけると、意を決したようにぱくりと食べた。
「美味しい?」
「うん、まあ……」
「ほら、お返しは?」
「できるかっ!」
僕はくすくすといじ悪く笑う。ちょっと楽しくなってきた。
顔を赤くさせながら川上がすねたように言う。
「あとは自分で食べろよ」
「ふふ。そうする」
僕が嬉しそうな声で返事すると、川上はビーフシチュードリアに食らいつく。がつがつと熱々を食べていく。
こうやってご飯を食べるんだ。とても男の子ぽい。たくましいとか、やんちゃとか、そんな……。
それは僕にとっては微笑ましい感じがした。あんなに嫌いな男の人なのに……。
スプーンが小鍋に当たってからんという音がした。
すっかりたいらげた川上に、僕はたずねる。
「どう? 美味しかった?」
「もっとがっつりしたものが食べたい……」
「え。それ、女の子の前で言わないほうがいいよ」
「本当かよ? やっぱり窮屈だな……」
「知るのって、そういうものじゃない? 最初はめんどくさいんだけどさ。わかったら楽しくなるよ」
玉川さんなら何でも許しそうだけど。優しそうだし。
ふいに川上の表情が真剣になる。
「なあ、渕崎。デートってどうやるんだ?」
僕に聞かれても……。困ったまま言葉を返す。
「そんなの、自分で決めなよ」
「やっぱり映画を見に行ったりしなきゃダメかな? ずっと陸上やってたから、こういうのちんぷんかんぷんでさ」
「知らないよ。僕もしたことないし」
「でも、食べ歩いてはいるんだろ?」
「誰かといっしょというわけじゃ……」
というわけではないけれど、そういうわけでもなかった。最近は松浦さんといっしょに何か食べることが多かった。横浜のときはデートだって松浦さんのほうが言ってたし。
うーん。松浦さんといっしょにしたいことなら……。
それなら話せる。
仕方ないか……。
「ふたりでいれば、なんでもデートになるんだよ」
「そ、そっか。デートって奥が深いな」
「でも、最初は雰囲気のいいとこのほうが良いかも」
「わかんねえ!」
そうだよね。わからないよね。
わかるほうがどうかしてる……。
僕は食べかけのドリアを見ながら、自分が思ってることを川上に語ってみた。
「でも、女の子ってそういうもんじゃないかな。ふたりきりならどこでもいい、でも最初は思い出に残るところがいい。いつも矛盾しているから、かわいいんだと思う」
「そうかな……」
「玉川さんだってそうでしょ? おとなしそうだけど芯の強い人だと思う。気配りもできるし。丸山さんのお姉さんぽいところもあるし。ずっと矛盾してる」
「そうなのか?」
「川上はちゃんと人を見ないとだめだよ」
「めんどくせえ」
口をとがらして川上が頬杖をつく。それからあたりを見ながら、ぼそっとぼやく。
「しっかし、見事に女ばっかりだなあ」
「浮いてることを理解した?」
「まあ、渕崎の気持ちもわかるよ」
「そうなんだよ。だから僕は女の恰好をして……」
「おまえ、かわいいもん。溶け込んでる」
川上が目をそらしながらそう言う。僕はあわてた。
「な、何を言ってるかー」
「女装して食べるごはんは、きっと美味しいんだろうな」
「そうだよ、だから……」
僕はその先が言えなくなった。
松浦さんにかわいいと言って欲しかった。そして困らせたかった。
でも、いまは……。
それにとまどう。
松浦さん以外の男の人に言われたから。
黙ったままの僕に、川上がたずねてきた。
「次、どうする?」
「それ、将来の彼女にも、そう聞くの?」
「いや、だってさ……。本当にどうしたらいいのか、わかんないんだよ」
川上の視線を感じる。それが僕をわからなくさせる。とまどう自分はなんなのだろう。よくわかんない……。
僕は自分に苦笑いしながら、川上へ明るく言った。
「もう、しょうがないな。なら、水族館行こうよ。デートらしくさ。あ、練習だからね」
川上は「そんなことぐらい、わかってるよ」とぶっきらぼうに言いながら、席を立った。
◆◇◆
空飛ぶペンギン。
カタカタ言うペリカン。
ゆらゆらするクラゲ。
僕たちはそれを見てはしゃいでいた。照れてしまうのを隠すように、やけになってはしゃいでいた。
いつのまにか川上と手をつないでいた。
でも、それは自然なことだと思った。僕も手をつなぎたい気分だったから。
言い訳はできると思う。はぐれないようにとか。あと……。あと、なんだろう。
大きな水槽に南の色をした魚がゆらゆらと泳いでいた。僕の気持ちも揺らいでいた。
エイが翼をしなやかに動かしながら、僕らの前を通り過ぎていく。黙ったままでいる僕らを興味深そうに見つめながら、エイはその身をゆるりとひるがえした。
握り締めたままの手がふいに揺れる。川上は泳ぐエイを見つめたまま、僕に話しかけた。
「なあ、渕崎」
「なに?」
「おまえはやっぱり女だよ」
「だから?」
「なんか誘ってくる」
「そう?」
僕は笑ってはぐらかす。
川上はそんな僕を見つめている。
感情がふいに沸く。このままぎゅっと抱きしめられたい。川上の大きな体に包まれたい。そんな想いに体が染められる。
必死に抵抗する。僕は代理品なんだ。練習なんだ。この人には玉川さんがいる。僕には松浦さんだって……。
いまの気持ちを丁寧に密閉して、一滴もこぼれないようにすると、静かに言った。
「僕じゃだめだよ」
川上の手は震えていた。
我慢している。葛藤している。
そして、つないでいた手をゆっくりと離した。
「そうだな。そうだよな……」
川上は少し悔しそうに僕から顔をそむけた。
エイがまた僕たちのほうにやってきた。
僕はそれを見守る。そうするふりをした。
これでいいんだよね。これで……。
つないでいた川上の手の感触をそっと握り締める。いまの僕はきっとせつないムシュル味だ。
◆◇◆
大勢の人が行き交う池袋駅の通路で、僕たちは別れの挨拶をしていた。
川上に買ってもらった小さなペンギンのぬいぐるみを手にしたまま、僕はお礼を言った。
「ありがとう。この子、だいじにする」
「詫びだよ」
「詫び? 今日は楽しかったのに」
「……ごめん」
僕は川上を慰めるように微笑んだ。
「気にしてないよ」
「でもさ……」
「玉川さんと仲良くね」
「うん……」
「ほら。遅くなるよ」
「わかったから押すなって。じゃあな、渕崎」
「うん。がんばって」
僕は手を振っていた。
離れていく川上の後ろ姿をずっと見つめていた。
ひかれている。どうしようもなく……。
広い肩幅、少しごつい手、低い声に……。
このねばりつくような欲望は何だろう。
自分は女のじゃないのに。それでも、それに女を感じてしまう。
松浦さんに会いたい。
この行き場のない感情を預けたい。
でも、そんなことをしても……。
「どうしたらいいんだろう……。僕、男なのに……」
何人もの人が、立ち尽くす僕を通り過ぎていく。きっと誰も答えを教えてくれない。
僕は歩き出した。歩かないといけないから。その先がわからなくても。
◆◇◆
家に帰ってきた。マンションの古びたドアにそっと鍵を差す。カチャリという音を聞いて、ノブを回す。
あれ……。
誰もいないはずだったのに。
姉さんの赤いハイヒールがある。
そして見慣れない男物の革靴が並んでいた。
……松浦さんの……じゃ……ない。
くぐもった女のあえぎ声が漏れていた。
それから、あわてる音がした。
姉さんの部屋の扉が開く。
「夏稀……」
上気した姉さんの顔。
発情したメスの顔。
姉さんは、薄い毛布で胸元を隠しながら、裸のままで僕を見ていた。薄暗い中で、それは透き通ったように見えた。
逃げなきゃ。
とっさにそう思った。
駆け出した。
何もかも考えなくて済む場所へ向かって。
そんな場所はないくせに。
マンションを、家々が立ち並ぶ道を、車が通る大きな通りを、僕はずっと走っていく。ゴールテープなんてないのに、ただ必死に走っていく。
アスファルトにつまづいた。
倒れる。うずくまる。吐く。
自分の中にある女が体から這い出そうとしていた。僕はそれを何度も吐き出した。
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