Re: 女装めしっ! スカートを履いても食べたいご飯がそこにあるっ!

冬寂ましろ

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第2話 横浜のパンケーキ

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 車のドアに手をかけて押し開く。車内の冷気と入れ替わりに、すぐに沸騰した夏が入り込んできた。じわりとした不快感を感じながら、熱いアスファルトの上に立つ。反対側から降りた松浦さんは、僕に向かって余計なことを言い出した。

 「夏稀君から誘われるなんて、雪でも降るのかな」

 僕は車のドアをバムッと閉める。キッと松浦さんをにらむと、不機嫌なふりをする。

 「ほかに頼める人がいればそうしてます」
 「まあ、私には光栄なことだけどね」
 「どこがです?」
 「何しろ君は、たいせつな恋人の弟君だから」

 キュイと車が鳴ると、ロックが落ちる音がした。松浦さんが車の鍵をぽんぽんと弾ませて胸ポケットにしまう。「暑いな」と言いながら、シャツの上のボタンをひとつ外すと、歩き出した。少し角ばった顎から、もう汗が垂れているのが見えた。

 僕はそのあとを追いかけていく。着ている夏色のワンピースが涼やかにふわりと揺れた。

 少し狭い道を歩いていく。照り返す暑さの中に、うっすらと潮の香りが混ざり出した。

 「おお、なんというかその、横浜だな」

 目の前には山下公園の緑が広がっている。その奥には大きな船と広がる海が見えた。

 実に横浜。文句のつけようがない横浜。やっと来れたんだ……。
 あ……、違う。
 そうじゃない。むっとしなきゃ。

 緩んだ表情を元に戻す。なぜなら僕は「姉さんを取られると思って、いつも困ったことをしている弟」というのを演じなくてはいけないから。だから、不機嫌そうにしていて、女の子の格好をしていて、こうして松浦さんを困らしている。
 だけど……。

 「なあ、夏稀君。これはデートなのかな?」

 なっ。何を言う。僕は冷徹に間違いを指摘する。

 「デートというのはもっと清純な物だと思います」
 「まあ、確かに。私と夏稀君は、もっとやさぐれた関係だと思うがね」
 「なんですか、それ」
 「君のお姉さんに頼まれているんだ。君を無下にできない事情が、こちらにはある」
 「それは、やさぐれの意味が違います。いい加減でも、ふしだらでも、ありませんし」
 「そうかな? そうかもしれないな。ふふっ」

 松浦さんが少し笑った。
 僕はまだ不機嫌な表情のままでいられた。今日の僕はきっといらだつガラニャム味で……。

◆◇◆

 去年の夏の日、部屋に引きこもってる僕を見かねて、松浦さんは「横浜に行こう。山下公園近くのパンケーキのお店がうまいらしい」と話しかけてきた。なにかテレビで見たとか、女性の同僚から教わったとか、そんなので知ったようだった。

 そのときの僕は「何を言ってるんだ、この人は?」としか思わなかった。そんな流行ってそうなお店に、促成もやしのような僕が行けるわけがない。しつこく誘う松浦さんに僕はキレて、女の子の格好をして抵抗した。姉さんのワンピースを勝手に着ると「はは、ざまあみろ、恥ずかしくて連れて行けないだろう!」と叫んだ。そうだ、僕にとって女装は反逆の証なんだ。

 松浦さんは「ふむ……」とだけ言って、僕の頭を何度か撫でた。そのときの困り顔はずっと覚えてる。それから嫌がる僕を抱えるように連れ出すと、代官山や原宿の洋服屋さんをとにかく巡った。僕に女の子の服を片っぱしから着させて、「なるほど。確かに似合う」と言って、女物の服を僕へ買い与えた。

 あのとき行けなかったパンケーキのお店。それは僕にとって、いろんな味がするものだった。

◆◇◆

 お店の近くまで来ると、お客さんが並んでいるのが見えた。10人ぐらいだろうか。みんな女の人でちょっと安心する。ふたりでその最後尾に並ぶ。

 「すんなり入れるとは思ってはなかったが……」
 「普段はもっと並んでいるらしいですよ」
 「夏稀君は暑くないかい?」
 「ええ、ちっとも」

 そう言いながら、僕はワンピースをチラチラとさせる。

 「涼しそうだな、確かに」
 「それだけですか?」
 「ああ、それだけだよ」

 もっと困って欲しいのに。

 店の人に呼ばれてお客さんが4人ほど店内へ入っていく。列が少し進む。

 「あのとき買ったワンピースかい?」

 松浦さんがなんとなくたずねる。僕はむっとしながら答える。

 「そうです」
 「うれしいね。あの日はハシゴしていろいろ買いまくって……。君のお姉さんから電話が来て、あわてて帰ったっけ」
 「ひどい目に遭いました」
 「まあ、いいじゃないか。かわいければ何でもよしだ」
 「ほんとにそう思ってます?」

 もっとかわいいと思って欲しくて、夏の日差しのように僕はまぶしく微笑む。
 松浦さんがそんな僕をじっと見つめる。それから、少し照れたように言う。

 「やっぱりな。デートぽく感じる」
 「また、そういうことを言う」
 「仕方ないだろう。君がかわいいのが悪い」
 「そもそも僕がこんな格好しているのは、女の人の中でも、心穏やかにご飯が食べたいからで……」
 「そんなうれしそうに言い訳を言われてもね」

 むう。むむう。
 松浦さんを困らすのは、なかなかむずかしい。僕は男なんだから、女の子の姿に困ってくれないと、僕が困る。

 「先頭でお待ちのお客様ー」

 じゃれるように言い争っているとき、お店の人が僕たちを呼びに来た。

◆◇◆

 アーリーアメリカンとかハワイアンとかいう言葉は知っていたけれど、そういうものでいっぱいなお店は、初めてだった。白くて明るい壁、大きなお花が描かれたソファ、テーブルも椅子も南国ぽい良い感じ、お店の人の服にも大きな花柄があしらわれて、それは全体で圧倒してきて、「夏にハワイ気分、イイネ!」という気持ちにさせる。

 「いらっしゃいませ」

 席に着いた僕たちに、店員さんがメニューを渡してくれる。パンケーキばかりかと思ったら、ステーキとかもある。なんてアメリカン。「いやっはー」と、精一杯アメリカの人に、心の中でなりきる。
 松浦さんはメニューを見ながら悩んでた。

 「しょっぱいものが食べたいな」
 「わがままですよ。ここはパンケーキを食べてください」
 「うーん、エッグベネディクト、という手もある」
 「むう」

 あいかわらず松浦さんは、僕の言うことを聞いてくれない。

 僕は迷うことなくパンケーキを選び、そこにストロベリーのトッピングをつけることにした。

 人に声を聞かせたくない僕に代わって、松浦さんが注文してくれた。こういうとき、松浦さんは便利に思う。あ、エッグベネディクトにしてる。せっかく来たのに、もう……。僕のパンケーキは、分けてあげないぞ。

 ゆっくり店内を見渡したら、少し落ち着いてきた。軽く目をつぶる。隣のテーブルにいる女の人たちの会話が聞こえてくる。
 他愛もない話。誰が何を食べた。誰それさんが何をした。あれが好き、これが嫌い。食べ物の話、洋服の話、化粧品の話……。

 化粧品のことを聞いて、姉さんの顔が思い浮かぶ。あの日の夜、化粧水の瓶をあわてて転がし、ファンデの減りが早いと文句を言われたあの日……。
 心の中で姉さんへ言い訳を始める。僕はパンケーキが食べたかった。家からちょっと遠い横浜だから、松浦さんにお願いして一緒に来てもらった。ただ、それだけ。それだけだから……。

 「悠香……、あ、いや、お姉さんのほうは大丈夫かい?」

 どうして、ここで姉さんのことを口に出すのか。僕はむすっとして答える。

 「姉さんはいつも通りです。夜のお店の方には、行ってないんですか?」
 「最近は仕事が忙しくてね。午前様ばかりで、なかなか出勤日に行けないんだ」
 「そう、ですか」

 松浦さんが微笑んでいる。松浦さんは僕たち姉弟のことをどう思っているのだろう。両親が居なくて姉弟だけで暮らしている姿を哀れんでいるのだろうか。それとも姉さんを愛しているから、こうして家族ごっこをしてくれているのだろうか。そもそも僕のことなんか……。

 いろいろ聞いてみたいけれど、聞いたらすべてが終わる気がする。だから、僕は口をつぐむ。

 そんな僕たちにお店の人が割り込んできた。

 「お待たせしました。こちらがパンケーキ、こちらがエッグベネティクトになります」

 運ばれてきたものに目が釘付けになる。

 「こ、これが…、女の人を虜にする魔性のパンケーキ……」

 そびえ立つ山のようになってるホイップクリーム。パンケーキよりも何よりも、このホイップクリームが大きい。パンケーキ自体は小さめだけれど、香ばしい香りがする。トッピングのイチゴはシロップで煮ていて、見るからに甘酸っぱそうだった。

 ひとくち切り出す。たっぷりクリームをつけて、口に入れる。


 ひぎゅ~。くぅぅーんんっ!
 甘いのがっ、甘いのがたくさんっっ!
   お口の中でいっぱいだよぉ!!


 パンケーキは、ふわっふわで、もっちもちで、あたたかい。メイプルシロップの濃くて甘い香りがすごくそそられる。
 そして、てんこもりになってるクリームがなんといってもおいしい。あまり甘くはなく、コクが感じられる。これならいくらでも食べられそう!

 「おいしいですね、これ」
 「こっちもなかなかいいぞ」

 松浦さんがナイフで切り出したエッグベネティクトをお皿にちょっともらう。ポーチドエッグとマフィン、それにかかっているソースはチーズぽく見えるけれど、オランデーズソースというものらしい。一口にみんなまとめて食べると、このソースからするわずかな酸味がおいしい。半熟の黄身とマフィンがからまって、ああ、もう……。これまで食べたことがないおいしさ!

 「うまいものを食べると幸せだな」

 松浦さんがもぐもぐさせながら言う。そこは僕も同意する。

 「そして、夏稀君が喜んでいる姿を見るのも幸せだ」

 また、もう……。僕はぴしゃりと言い返す。

 「これはデートじゃありませんよ」
 「食事は性的なことの代替行為ともいう」

 は、はあ?

 「なんですかそれ」
 「とすると、君とはもう、そういう関係なんじゃないのかな?」
 「知りませんよ、そんなの」

 僕はぷいっとして、もぐもぐと食べる。
 いまの幸せは口の中にある。そう思い込む。

◆◇◆

 それから15分後。


 も、もう、らめえ。お口の中が……。
 ……げふっ。


 このパンケーキのもうひとつの名前「女のジロー」と呼ばれているのが、いまわかった。

 「なんで、ですか。なんなんですか。なんで、こんなにおなかにたまるんですか。食べても食べても減らないし……」

 意味わからなすぎて、涙が出てくる。
 おいしいんだ。あと少しなんだ。でも、その一口がどうしても食べられない。

 「夏稀君、大丈夫か?」
 「大丈夫……じゃないです」

 あっさりとしたホイップクリームのくせに、これがじわりじわりとおなかに効いていく。クリームとシロップとパンケーキという三位一体攻撃に、僕は為す術がなかった。さっきから、パンケーキを小さく何度も切り出してはフォークに突き刺し、それをじっと見つめることを繰り返している。

 「余すようなら私が食べるよ」

 そういう松浦さんに、僕はぶんぶんと首を振る。

 「それはなんか悪い気がします」
 「そうかい?」

 そう言うと手を伸ばして、僕が食べ残して細切れになったパンケーキのひとつをフォークに刺し、そのままぱくりと食べてしまった。

 「おいしいじゃないか」
 「そうなんですけどね……」
 「うん、クリームがいいな」
 「いいんですけどね……」
 「ふむ」

 松浦さんがおいしそうに僕が余したパンケーキを何度も口に運ぶ。
 僕はコーヒーに救いを求めながら、そのようすを困りながら眺めていた。

◆◇◆

 お会計を松浦さんに押しつけて、僕は一足早く外に出た。冷房の効いてたお店から一転して、熱くたぎる日差しを浴びる。そんな暑さを気にせず、僕は自分のおなかをこっそりさする。うう、満腹すぎる。

 松浦さんがお店から出てくると、僕へ嬉しそうに言った。

 「来てよかったな」

 僕の頭を松浦さんがぽんぽんと撫でる。おなかが苦しくて抵抗する気も起きず、僕は素直に言う。

 「食べ過ぎましたね」
 「そうだな。最後のが効いた」
 「もう。それなら食べなきゃいいのに」
 「君と同じものが食べたかったんだよ」

 何を言ってるんだ、この人は。

 「夏稀君、腹ごなしにぶらぶらと歩いてもいいかい?」
 「はい……。あ、海が見たいです」
 「ああ、いいね。わかった。山下公園を歩くとしよう」

 海沿いに歩いて行く。少し涼やかな潮風が心地いい。わずかに波の音がする。役目を終えた大きな船を通り過ぎ、海に向かう突堤のところに出ると、公園は終わりだった。もう帰るんだ……。帰らなきゃ、いけないのかな……。

 「ああ、そうだ。あの山を登ろう」
 「え?」
 「行くぞ」

 松浦さんが僕の手を引く。公園を出て、道を渡る。鬱蒼とした緑の中へ吸い込まれていく長い階段を見上げる。
 登るのはたいへんそうに思ったけれど、僕は何も言わず手を引かれるままにしていた。少し嬉しい。少し恥ずかしい。そして……。この感情が松浦さんへ伝わらないようにと願いながら、僕は歩いていく。

 階段を登り切り、山の上に出ると、そこは開けた気持ちの良い場所だった。

 「どうだい。きれいだろ、ここ」

 横にいる松浦さんが嬉しそうに言う。

 コンテナがたくさんある埠頭が手前に見える。右側にはベイブリッジが見えて、大きな客船がぷかりと浮かんでる。広がる海はきらきらとまぶしく光り、小さな船がその間をゆっくり動いている。港が見える丘公園というのは、ほんとに港が見える丘なんだ……。

 僕はぽつりと松浦さんに言い返す。

 「海っていいですね。ずっと眺めていたくなる」
 「だいぶ前だが、悠香とここに来たんだよ。喜んでた」

 心にざらりとした潮風が吹き込む。

 「僕と同じように姉さんは喜んでましたか?」
 「違うな。悠香は自分の気持ちをあまり言わない。夏稀君のほうが素直だよ。私にはそのほうが嬉しい」
 「そう、ですか……」

 困らしたいのに、僕は困っていた。姉さんに嫉妬している自分がここにいる。姉さんよりも素直で嬉しいと言われて喜んでいる。そんな気持ちを認めたくなくて、僕はずっと夏の海を見つめていた。

 「さて、夏稀君。次は何食べたい?」
 「……パフェ、かな」
 「あんだけ甘いものを食べたのに。君はほんとに甘いものが好きだな」
 「いいじゃないですか」
 「ああ、いいさ。最近だと渋谷にあるフルーツパーラーがおいしかった。今度行こう」

 僕は海を見たままうなづいた。
 もう不機嫌な弟の役ができなくなってた僕は、松浦さんをそばで感じながら、いっしょに食べたパンケーキの味を思い出していた。
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