Re: 女装めしっ! スカートを履いても食べたいご飯がそこにあるっ!

冬寂ましろ

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第1話 恵比寿のカジュアルフレンチ

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 敵は何かと聞かれたら、それはアブラギッシュでハゲ散かしたような男の人だった。男というのは、歳とともに醜く育っていく生き物だと思う。にきびが出ればクレーターだらけの月のようになるし、匂いも日々きつくなる。口を開けば、女の子とどうのこうのという話しばかり。近くにいるとひどく不安にさせられる。

 そして、この僕、渕崎夏稀も男だ。

 「男の友達といっしょにご飯を食べる」、「男の人と話をする」ということが、中学の頃からすごく嫌になった。高校に入ってからは、それがより悪化してしまった。嫌いな男たちが教室にいる。やがて僕もそうなる。だから、逃げた。僕は学校へ行かずに引きこもった。

 姉さんの彼氏である松浦さんは、男の人だけど唯一話せる。その人に教えてもらっている。男の人には食べづらい、おいしいご飯のありかを……。

◆◇◆

 恵比寿の駅を降ると、僕は食べ物屋さんが立ち並ぶ通りを歩いていく。6月の雨は過ぎ去り、あじさいは少し残念そうにしていた。いまは昼間のいい時間のせいか、あたりで働いているっぽい人たちが、腹ペコゾンビの群れのように通りを行き来している。

 んー、どこだろ……。松浦さんから教しえてもらったカジュアルフレンチのレストランが見つからない。前に教えられた洋風の一軒家ぽいガレット屋さんは雰囲気が良くて最高だった。今回も、きっと……。

 ……え、ここ?

 看板はある。でも、なんとも言えないこの感じ……。そこは、夜のお店も入っている、いかがわしい雑居ビルだった。足を踏み入れるのには、ちょっとどころか、かなり勇気がいる。「隠れ家みたいなレストランで、店内は女性客だらけだ」と松浦さんは言ってたけれど、これは隠れ過ぎだよ……。

 うーん、帰る? 
 でも、せっかく来たし……。

 すんなりとお店に入れない、自分の自信のなさにがっかりとする。このまま僕が誰かに食べられたら、きっとすかすかとしたフニュル味だと思う。

 なにしろ恥ずかしい。
 そう、恥ずかしくて……。
 だんだん恥ずかしさが死にそうなレベルになってくる。

 それは、女の子の格好をしているせい。

 でも、でもね。
 絶対、おいしいはず。

 女装してでも食べたいご飯がそこにある。
 そこにあるんだ!

 えいっ。
 エレベータのボタンを勢いよく押す。扉が開く。中に乗る。5って書いてある丸いボタンを迷わずびしっと押す。がくんと揺れる。そして、そわそわする。

 エレベータにある鏡には、少し長い髪をシュシュでまとめ、水色のスカートとふわりとしたブラウスで、ゆるふわ系になっている自分の姿が映っていた。身長は160cmぐらいだし、顔も姉さんに良く似てる。「妹さんですか?」といつも言われて、姉さんは困っていた。だから……。
 ひらっ、ひらっ、とその場で回ってみる。
 昨日買ってきた赤い伊達メガネだけが、僕のささやかな防御の盾。そして安心のお守り。これで男だってバレないだろう。きっと……、たぶん……。

 エレベータの扉が開くと、目の前には、薄緑色の華奢な作りの扉があった。ゆっくりと開けてみる。お店の中は南欧風という感じ? アンティークなソファと淡い緑色の棚が見えた。

 「いらっしゃいませ。おひとりさまですか?」

 ひあっ! びっくりした。声をかけてくれたのは、ショートカットが似合う女の店員さんだった。僕は口を閉じたまま、こくりとうなずく。

 「こちらか、あちらにどうぞ」

 僕は黙ったまま、最初に言われた赤いソファの席をすぐに選ぶ。迷っていたら、店員さんがまた話しかけてくる。答えないといけなくなる。それは避けたかった。自分が嫌っている男の声を聞かれたくなったから。

 座ってみると……、うわっ、ふかふか。体が沈み込んでテーブルがすごく近くなる。あはは。ちょっと楽しくなってきた。

 店員さんがメニューをすっと差し出した。僕はあわてて座り直す。遊んでいたの見られて笑われていなかったか、ちょっと心配する。

 「こちらメニューです。決まりましたらお呼びください」

 松浦さんは『カレーとかもあるけれど、おすすめはコンフィ』とか言ってたっけ? コンフィって何?

 「本日のプレートは、骨付き若鶏のコンフィになります」

 そう、それ、コンフィ!
 店員さんを呼ぶために大きな声を出すのなんて嫌だ。いまのうちに注文する。

 「……すみません。それを」

 蚊の鳴くような声って、いまの自分の声だろうなと、ふと思う。

 「はい。お飲み物はどうしましょう?」

 え、また喋るの? え、えと……。

 「……アイスコーヒーで」

 「わかりました。少々お待ちください」

 店員さんが離れていく。僕はようやくほっとする。

 まわりを少し見ると、女の人しかいない。そのことに少し安心する。自分はこの場に溶け込んでいるのだろうか……。僕はいつも心配ばかりしている。

 みんな他愛もない話を真剣に楽しく話している。さっそく付けてみたヘアネイルの新色の話。テレビのドラマで主演がおかしいことを言ってた話。職場の同僚が持ってきた微妙な味のおみやげの話……。

 そんな会話を少しずつ聞いていると、ぎゅっとしていた気持ちがほどけていく。僕はこの感情が好き。きっとふんわりとしたホニャム味かな。

 このおだやかな空気は、少しの異物でもあれば、すぐ壊れてしまう。だから僕は……。両手でスカートを握り締める。女の子の格好をしてたら大丈夫なはずなんだ。

 「サラダです。料理はもう少々お待ちくださいね」

 僕の目の前に皿が置かれた。瑞々しい色どりの野菜が、ぐるぐるとしていた気持ちを吹き飛ばす。

 さっそくフォークを持つ。いただきます。はむっ。

 ……おお。

 ドレッシングはちょっと酸っぱくて白っぽいから、たぶんフレンチドレッシングかな。細かい刻みオニオンの食感が楽しくて、パリっとした野菜たちを引き立ててる。んっ、おいしいっ!

 サラダがおいしいお店には外れがない。お野菜をもぐもぐほおばる幸せを楽しんでいたら、すぐに次の幸せがやってきた。

 「コンフィです。ちょっと熱いので、気を付けてくださいね」

 うわあ。鶏肉から湯気が出てる。いい香り。おなかがぎゅーとする。コンフィって、フライドチキン? なんかパリッとしている感じ。鶏肉の横にはご飯とマッシュポテトが添えられている。
 ナイフとフォークで端っこを切り出す。そしてひとくち。


 ひぎゅ~。おいしいっ。よじれちゃう!
 あふれちゃうよお! お口いっぱいにぃ!


 鶏肉はパリッとしているのに中はとても柔らかく、噛むたびにぎゅっとしたおいしさが、口の中に広がっていく。普通に焼いただけでは、こんなふうにじゅわりとあふれる感じにはならないのだろう。不思議な料理……と、瞳がハートになりながら思う。

 ライスといっしょにほおばる。これもまたおいしい。ご飯と一緒に食べると甘みも加わり、なんとも幸せになれる。

 次はマッシュポテトかな。フォークですくい、口に入れてみる。

 ポテトってこんなにトロトロになるんだ…。
 なめらかですごくトロッとしている。舌触りがとても心地いいよぉ。

 どうしたらこんなふうになるんだろう……。
 このおいしさ……。これが女の人しか知ることができない味……なのかな。

 でもね。骨付きチキンはフォークとナイフだと食べにくい。このままかぶりつきたい……。うーん。きょろきょろ周りを見る。女の子っぽい食べ方ってどんなんだろうって。なるほど……。ナイフとフォークで器用に少しずつ食べてた。自分も少しずつ鶏肉を取り分けていく。割と柔らかいので、骨から身も外れやすいのが救いだった。

 頬張るたびに幸せがもらえる。でもその幸せもあと少し……。あー、最後の一口なのに……。ぱくり。さようなら、幸せ。うう、もっと幸せが欲しかった……。

 あ。

 そうだ、女の子なんだ。いまは。
 女の子の幸せとは、スイーツです。別腹です。いっちゃうか……。

 「す、すみません。ケーキください……」

 通りかかった店員さんに、伝わるかどうかギリギリの小声で言うと、デザート用のメニューをすぐに出してくれた。

 「今日はこちらになります」

 チーズケーキやチョコレートケーキがあるっぽい。やっぱり甘いのがいいな。それも、うんと甘いの。

 「このチョコレートケーキで……」
 「わかりました、少々お待ちください」

 どんなケーキが出るんだろう。ただ期待が膨らむ。

 そんなとき、少し甲高い笑い声がした。ビクっとして、声のほうを向くと、女の人がふたりで笑いあっていた。職場の人が変なTシャツを着ているらしい。
 僕が笑われたのかと思った。いまの僕はそんな恰好をしている。気をつけなきゃ……。

 「お待たせしました」

 四角いお皿にはホイップされたクリームといっしょに、チョコレートケーキ……というか、まるでレンガのように見えるものが乗っている。うーん、これは一口食べてみねばなるまい……。フォークで端を削り取るようにしてすくい、口に運ぶ。

 それはもう濃くて甘くてほろ苦くて……。

 回りに散らしたベリーのさわやかな酸味が、濃厚な甘みを引き立ててる。本職のケーキ屋さんでもなかなかないようなおいしさだった。

 女の人は、ちょっとずるいな。
 こんなに幸せなものを食べられるなんて。

 最後の一口を食べる。ああ、さようなら幸せ。もっと食べたいけれど、もうおなかいっぱい……。

 むふー。
 満たされた。心も体もおなかも、みんなすべて。

 お会計して、家に帰ろう。この気持ちを抱えたまま、姉さんが帰る前に……。

 テーブルに置かれた伝票を手にする。ひっくり返す。

 んんーっ!

 くまさんの絵がさらっとボールペンで描いてある!
 かわいい!!

 ああ、とにもかくにも。
 こんなに幸せになれる店ってすごいって僕は思った。

 店を出て、駅へと歩く。
 来て良かった。
 おいしいものを食べたら元気が出る。笑顔になれる。
 恵比寿さんも心なしか笑っていた。

◆◇◆

 家に帰っても、まだ浮かれていた。自分の部屋でくるくる回ってみたり。すごく楽しくて幸せでふわふわな気持ち。スマホを取り出して画面を見つめる。松浦さんにおいしかったって、伝えなきゃ。ええーと、ええーと……ええ……。うん……。

 テキストを打つ手を止める。

 部屋に置いてあった鏡を見てしまった。そこには、嬉しそうにしている女の子……に見える男の子がひとりいた。

 それは、あたりまえだった。
 でも、僕はそれを飲み込めない。

 最初に女の子の格好をしたのは、松浦さんを驚かしたかっただけ。姉さんの恋人、ぼくの後見人、いい人、嫌悪している男の人。そんな人にどんな感情を持てばいいのか、わからなかった。ただ驚かしてみたかった。
 あのときは恥ずかしかったから「ごはんのために女の子の格好をしてきた」と言い訳をした。松浦さんは最初は驚いたけれど、頭をなでてくれた。そのときの顔がなんとも面白くてやさしかった。
 僕は、その顔をまた見たくて……。

 ……だめだ。
 そっちに考えを引きずられちゃ。

 僕はただごはんを食べたいから、女の子の格好をしているだけ。それ以上はない……。

 頭を振る。たくさん振る。

 スマホの時計を見る。かなり夜遅い。もうすぐ帰ってくる姉さんのために、夜食を作らないといけない。服を素早く着替えて、姉さんの部屋に入る。鏡台の前に置かれていた化粧落としを取り、コットンに染み込ませて乱暴に顔をゴシゴシと拭く。

 ガチャリ。玄関のドアが開く音がした。

 「ただいまー」

 うわ、姉さんだ。慌てて立ち上がった拍子に、化粧水や香水がするすると何本も転がっていく。

 「ね、姉さん、お帰り……」
 「夏稀、どうしたん?」
 「……ちょっとつまづいて姉さんの化粧品、転がしちゃった」
 「ああん、もー。それ高いのに」
 「ごめん……」
 「いいよ、けがはなかった?」
 「うん……」

 僕は姉さんから目をそらす。

 「学校から連絡あったよ」
 「……なんて?」
 「まあとにかく、学校に来なさいって」
 「……そう」
 「何かあればお姉ちゃんが絶対に守るからね」

 抱きしめられた姉さんの体からは、お酒と化粧とタバコと、夜の街の匂いが少しした。

 「苦しいよ」
 「あ。ごめん、ごめん」

 姉さんは僕を放すと、子供へ諭すように言う。

 「それと松浦さんをあんまり困らしちゃだめだよ。さっき連絡があってね。いっしょにどっか行くんだって?」
 「うん……」
 「ふふ。しょげた顔もかわいいぞ。ぷにぷに」
 「もう、ほっぺを突かないでよ……」
 「ま、たまには気分転換も必要よね。お姉ちゃんはわかるよ。うんうん。松浦さんにはちゃんと言っておくから」
 「ごめんね、姉さん」
 「謝ることはないよ。松浦さんは私のいい人だから、ね」

 僕は自分の複雑な気持ちを知られないように、そっと目をそらす。

 「それにしてもファンデの減りが早いんだよね。ねえ、夏稀」

 少しいじわるそうに笑っている姉さんを見て、不安が押し寄せる。姉さんはどこまで知っているのだろう。隠し事がどんどん増えていく。たくさん、たくさん……。どこまで増えていくのかな……。

 何も言えず、何も見ることもできず、僕はただ松浦さんと行く横浜のことを考えていた。


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