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第八章

お願い、神様③

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 午後に入り「いずも」はにわかに慌ただしくなった。警戒中のP3C対潜哨戒機が艦隊から北西五〇キロメートルの海底に潜んでいる二隻の潜水艦を発見したからだ。
 P3Cが威嚇の水中発音弾を投下するとその二隻は全速力で逃げていったのだが、いよいよ戦域が刻一刻と近づいていることが否が応にも意識され、乗組員達の表情からもどことなく残っていた余裕の色が消え始めた。「はるさめ」が撃沈された今、何事もなく済むなどとは誰も思ってはいない。だが、「てるづき」の乗組員以外は誰も実戦など経験したことがないのだ。戦争を最初からリアルに感じろという方が無理な注文だった。
 敏生は自室の二人部屋で、二段ベッドの下段に寝転がってスマホの写真をぼんやりと眺めていた。上段では刑部が横になって読書をしている。
 スマホに入っている写真はほとんどが夕陽のもので、出会った時に無理矢理ツーショットを収めたものから始まり、不機嫌そうにこっちを睨んでいる顔や、付き合いたての恥じらう様子、シーツに包まったちょっと際どいセクシーな姿、そしてクマのプーさんの着ぐるみに抱きついて満面の笑みを浮かべる全身ショット。楽しかった記憶が昨日のことのように思い返される。
 昼食時に様子のおかしかった彼女。不安な気持ちは痛いほど分かった。だから敏生はあえて気づかないフリをして、いつも通りに振舞った。
「なあ」
 敏生は画面をスクロールしながら上段の刑部に声をかけた。
「明日、本当に始まるよな?」
 返事は返ってこない。寝てしまったのか、読書に夢中なのか。敏生は溜め息をつくと、スマホをベッドの上に放り投げて横向きになった。
〝だったら、何があってもあいつを守りぬけ〟
 脳裏を巡る勝野の言葉。
 俺は……あいつを守り切れるのだろうか。
 演習でも、これまで何度も僚機の夕陽を〝失って〟いる。混戦になると正直守り切れる自信がない。どちらかと言うと直情径行な彼女は一度火が付くと周りを見失いがちになる。
 リムパックの時も敏生の制止を振り切り深入りした結果、〝撃墜〟されたのだ。
 嫌な予感を振り払うかのようにガバッと毛布を被ると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「開いてますよ」
 毛布を払いのけてぶっきらぼうに応える。ガチャッとドアが開くと、入ってきたのは何と夕陽だった。
「夕陽……。どうした?」
 敏生は驚いて起き上がった。こんな時間に女性士官が男性士官の部屋を訪れるのはもちろん御法度だ。ましてや、乗艦時にはしっかりと一線を引いてきたはずの優等生の彼女が。
 バツが悪そうに弱々しく笑う夕陽。
「あ、うん…眠れなくて…」
 敏生が呆気に取られて夕陽を見つめていると、上段の刑部がむくりと起き上がり、二段ベッドの梯子を下りてきた。
 何だ、起きてたのかよ。
「一時間ほど外に出てくる。積もる話なら手短に済ませろよ」
 そう言ってヒラヒラと手を振ると、部屋を出ていった。どうやら二人に気を利かせてくれたらしい。悪友の気遣いが身に沁みる。
「おいで」
 敏生はベッドに腰かけると、横に座るように促した。夕陽が俯きながらちょこんと隣に座る。
「へへ、なんか久しぶりだね、このポジション」
 出航以来、二人っきりで並んで座る機会などあろうはずがない。敏生がそっと手を握ると、夕陽は敏生の逞しい肩に頭を預けた。
「楽しかったね。ディズニーランド」
 夕陽がポツリと呟く。はるさめ撃沈で中断したデート。あれからまだ十日間しか経っていないが、随分と昔の事のように感じる。
「あ~あ、ビッグサンダーマウンテン乗りたかったな~。せっかくファストパス取ったのに」
 おどけた感じで夕陽が伸びをする。
「帰ったらまた行こう。今度は隣のホテルに泊まってさ、ランドとシーの両方周ろう」
「本当? 約束だよ!?」
「ああ、任せとけ」
 敏生が笑いながらくしゃっと夕陽の頭を撫でる。さっきまでのもやもやと沈んだ気持ちが彼女の温もりで一気に安らぐ。改めて自分にとっての彼女の存在の大きさを実感する時。
 しばらく無言のまま手を繋いで寄り添っていると、彼女の肩が震えていることに気づいた。
「夕陽……?」
 彼女は答えず、ギュッと敏生の手を握ってきた。
「こわいよ敏生……。やだよ……あたし…しにたくないよ……。敏生と…はなれたくないよぉっ…」
 覗き込むと、夕陽は床をじっと見つめたまま、ポロポロと涙を零している。
 その姿に、敏生はガツンと殴られたような衝撃を受けた。
 やっぱり、そうだよな……。
 分かっていたことだ。そこにいるのは、冷酷で無慈悲な戦い方ゆえ名付けられた「北空の魔女」とはほど遠い、死の恐怖に怯えるただのか弱い女の子だった。
 くそッ!!
 敏生は強く彼女を抱き締めた。小さく、男の自分に比べてとても華奢な身体。
 何を考えてたんだ俺は!? 守り切れる自信がないだなんて!! こいつを絶対に守り抜くのが俺の戦う意味だろうが!!
「お願い…抱いて…」
 涙を流しながら懇願してくる彼女。言われるまでもなくそのつもりだ。それしか彼女の恐怖は取り除けないと思った。敏生は夕陽をベッドに押し倒すと、乱暴に彼女の濃紺の幹部作業着を脱がしにかかった。
「としき…としき……」
 泣きながら必死に縋り付いてくるかけがえのない彼女。ブラジャーを剥ぎ取ると、豊かで美しい乳房が露わになる。狭く、殺風景な部屋で、ベッドにショーツ一枚の美しい裸身を横たえる愛しい彼女。久しぶりに目にする、透き通るような白い柔肌。
 その姿がまるで夢か幻に思えて、彼女の存在を確かめるかのように、敏生は手を、舌を、彼女の滑らかな肢体に這わせた。
「お願い…あたしの身体に刻んで。敏生の匂い、敏生の温もり、敏生の、んっ……」
 彼女の恐怖を振り払うかのように激しく口づけ、強く肌を擦り合わせる。今はもう何もかも忘れて、ただお互いの温もりに溺れていたかった。
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