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第五章

悔しいよ③

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 肌寒い真夜中の隊舎裏。敏生が自分のフライトジャケットを脱いで夕陽にかけてやると、全身を彼の匂いに包まれて安心したのか彼女はようやく泣きやみ、すんっと鼻をすすった。
「ごめんね……」
「ううん、夕陽は悪くない。こっちこそ怒鳴ったりして悪かった」
 敏生はそっと夕陽の顔を持ち上げると、労わるように優しく口づけた。ただ、唇を重ねるだけのキス。やがて離れると、夕陽は涙を拭い俯いた。
「敏生は……哀しくないの? 悔しくないの?」
 こんなこと聞いてはいけなかったかもしれないが、親友と後輩を喪ったのに未だ涙一つ流せていない敏生のことがとても心配で、できることなら自分の胸で思い切り泣かせてあげたかった。そんな彼女の心情を汲み取ったのか、敏生は寂しそうに微笑むと再び夕陽にキスを落とした。
「もちろん、俺だって…哀しいよ。悔しいよ。でもね……、ずっと考えてた」
 敏生は呟くように答えると、夕陽の手を握りしめる。
「この感情は決して相手に向けてはいけないんだ」
 いつにない、敏生の強い眼差し。その言葉に夕陽はきょとんと首を傾げる。
「憎しみはね、また次の憎しみを呼ぶんだ。そしてまた、新たな悲劇が生まれる」
「でもっ! 悪いのは向こうじゃない!? 何もしてないのに撃ってきて!」
 いきどおる彼女を宥めるように、敏生は夕陽の両肩をつかんだ。
「それは俺らの信じる正義だ。そして彼らと俺達は信じる正義が違う。言ってただろ? 彼らは自分達の領海に居座る艦を排除しただけだって」
「それはっ! …でもそんなのってっ……!」
 夕陽が信じられないといった表情で敏生を見つめる。それはそうだろう。親友を殺された男が〝敵〟を慮る発言をしているのだ。だが、敏生には譲れない想いがあった。どうしても彼女だけには分かって欲しかった。醜く暗い感情など抱いて欲しくなかった。愛しい女性にはいつまでも清廉なままでいて欲しかった。
「夕陽、聞いて」
 敏生は夕陽の目をしっかりと見据えるとゆっくりと話し始めた。
「俺だって、いきなり撃ってきたのは確かに許せないよ。でもね、俺らの正義は裏返せば彼らにとっての悪なんだ。それが戦争なんだよ。どこかでお互いが歩み寄れなければ憎しみの連鎖は際限なく続く。そしてそれが行き着くところは破滅しかないんだ」
〝破滅〟という言葉に夕陽の肩がピクリと跳ねる。
「人間はね、いつかきっと分かり合えるんだよ。犬猿の仲だったあいつらが恋人同士になったように。俺に敵愾心を燃やしていた夕陽が今、こうして俺の腕の中にいてくれるように」
 その敏生の言葉にかつての自分を思い出す。ただ、彼に勝ちたい一心で、彼の言葉になんか耳を傾けることもなかった当時の自分。それが今は、彼が愛しくてたまらない自分がいる。
「俺は…あいつらの悲劇がさらなる悲劇に繋がっていくのだけは耐えられない…。ささやかな幸せを思い描いていたあいつらが…そんなことを望んでいるはずがないんだ」
 そっと夕陽から視線を外し、こらえるように語る彼。その目が満天の星空を見据える。
「俺は信じる。人間はもっと高潔な存在だって。〝てるづき〟の艦長だって戦火拡大を怖れて反撃をしなかった。仲間を目の前でやられた彼らにとって、それはきっと耐え難い苦渋の決断だったはずだ。だからこそ俺は……最後まで人間を信じたい」
 それは何かに縋るような目だった。そのまるで自身に言い聞かせるような彼の言葉の一つ一つに、戦死した二人への想いが溢れていて夕陽にはとても辛かった。
「……やっぱり凄いな、敏生は。全然敵わないや」
 思い出すのは出会ったばかりの頃、敏生に聞いた彼のTACネームの由来。
〝ガイアってギリシャ神話に出てくる大地の女神の名前でしょ? なんでそんな名前にしたの?〟
〝ああ、バレンシアのガイアって曲が大好きでさ。そこから〟
〝それってどんな曲?〟
〝このままだと地球が死んじゃうよ、なんとかしなくちゃ、ってメッセージソング〟
 あのとき、驚く夕陽から目を逸らし、照れくさそうに笑った彼。今なら分かる気がする。
 うん、敏生はそういう人だよね…。だから好きなんだよ。
 夕陽は自分の両肩にかけられた彼の手を取ると、無理に笑顔を作った。零れそうになる涙をこらえながら。
「敏生はいつもそう…。あたし…知ってるよ? 敏生がいっつも脳天気なフリして、実は周りに気を使ってばかりいること」
 すっかり冷え込んでいるはずなのに、とっても温かく大きな彼の手。あたしのたまらなく愛おしい人。
「知ってるよ? 敏生があたしに隠れて……いっぱい勉強してること。いっぱい考えていること。なのにいっつもバカなフリばかりして…あたしに安らぎを与えてくれてること」
 その一言一言を噛み締めるような夕陽の言葉に、敏生の顔が歪み始めた。
 今だってそうだ。本当は敏生だって怒り狂い、泣き叫びたいはずなのに、あたしに芽生えた黒く醜い感情を少しでも癒そうとしてくれている。
「でもね」
 夕陽が目に涙を滲ませながら、敏生の頬を両手で包む。
「いいんだよ? こんな時くらい、大声で泣いたって…。いいんだよ? あたしの前では無理しなくっても」
 その彼女の言葉に、敏生のこらえてきたものが一気に溢れ出した。
「……夕陽が…俺の彼女で本当によかった……」
 敏生は彼女に導かれるようにその胸に顔を埋めると静かに嗚咽し、やがて辺りをはばかることなく、子供のように声を上げて泣き始めた。
 そして夕陽もまた、傷心の彼をぎゅっと胸に抱き締め、再び静かに涙を流した。
 この世で結ばれることのなかった二人が、あの世で再び仲良く手を取り合えていることを、切に願いながら―――――
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