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第五章

悔しいよ②

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 彼の行くあてはだいたい見当がついている。いつも休憩時間に二人っきりになれる場所。不思議と涙は出てこない。ただ、今は敏生が心配だった。
 案の定、敏生は隊舎の裏でうずくまるように座り込んでいた。
 泣いているのだろうか? 防大時代の親友と後輩を一度に喪ったショックは計り知れず、何と恋人に声をかけたらよいのかも分からない。
 四人で一緒に飲んだのはつい二週間ほど前のこと。敏生が二人に自分のことを彼女と紹介してくれたのがとても嬉しくて、仲間との再会に楽しそうにはしゃぐ彼を見るのがとても幸せで。
 そしてその帰り道に待っていた、彼からのまさかのプロポーズ。
 夕陽にとっては間違いなく人生最良の日。だからその日に居合わせた、そして間違いなく敏生の背中を後押ししてくれたであろう若葉と槙村の二人に、出会ったばかりとはいえ夕陽も特別な感情を抱いていた。
 夕陽は何も言わずに敏生の横に腰を下ろすと、チラッと彼を見た。手を重ねて寄り添いたかったが、全く顔を上げようとしない敏生にそれはためらわれた。
 重苦しい沈黙。晩秋の月明かりが二人を包む。
「……あたし、許せないよ」
 その長い沈黙に耐えかね、夕陽はポツリと呟いた。
「何もしてないのにいきなり撃ってくるなんて……酷すぎるよ」
 敏生は相変わらず、何の反応も見せずに蹲ったままだ。
 だが、口を開いた夕陽の胸には様々な思いが去来し、感情がたかぶり始める。
 帰港後の入籍を控え、幸せそのものだった二人の姿。その幸せを突如として奪った中国の対艦ミサイル。哀しみと戸惑いに溢れていた夕陽の胸を、徐々に黒い感情が支配し始める。
 許せない、絶対に。
「あたし、二人の仇をとりたい」
 敏生の肩がピクッと跳ねたのに気づいたが、堰を切ったように溢れ出してくる感情はもはや止められない。
「ううん……二人だけじゃない。突然理不尽に人生を絶たれた〝はるさめ〟の乗組員全員の無念を晴らしてやりたい。絶対にこの手で…この手であいつらを沈めてや…」
「お前はそんなに戦争がしたいのかよ!!?」
 言い終える前に突然飛んできた怒鳴り声に夕陽は固まった。普段、絶対に大声を上げたりしない敏生の、怒りを多分に含んだ声。
 一方、敏生の頭の中はぐちゃぐちゃだった。つい数時間前まで、確か夕陽とディズニーランドでのデートを楽しんでいたはずだった。それがいきなり警急呼集で基地に引き戻された挙句、航空隊司令から告げられた「はるさめ」撃沈の報。そしてミーティング後に回覧された乗組員の安否確認リスト。
 槙村和馬二等海尉……行方不明
 深山若葉三等海尉……戦死
 二人は五十音順で、仲良く並ぶように記載されていた。
 これは…何の冗談だ…? あいつらが……死んだ?
 敏生にはとてもそれが現実のものには思えず、涙すら出ない。周りの一切の音が消え、気がついたら隊舎の裏で蹲っている自分がいた。脳裏にこれまでの二人との記憶がフラッシュバックする。

〝ムカつくんですよ! 槙村先輩、あたしばっかり目の敵にして!〟
〝ああ? 願い下げだ。何で俺があんな可愛げもない女と仲良くしなきゃならんのだ?〟
 学生時代は事あるごとに衝突を繰り返していた二人。当時、大隊学生長だった敏生は、二人が派手に衝突するたびに呼び出しを喰らい、ほとほと困り果てていたのは事実だ。
 だから、あの二人が付き合っていると聞いて、そして結婚を控えていると知って、驚くのと同時に無上の喜びを覚えたのだ。
 夕陽へのプロポーズに踏み切れたのもそんな二人の幸せが勢いを与えてくれたからこそで、〝はるさめ〟が帰港したら下関の夕陽の実家に挨拶がてら佐世保まで足を伸ばそうと考えていた。そんな矢先の悲劇。
 なんで……なんでこんなことに……?
〝上海で株価続落。依然止まらず〟
〝いや、南に回って二週間の海上警備だ〟
〝共産党指導部はそこまで馬鹿じゃないだろ?〟
〝今度は深圳で暴動。中国建設銀行の焦げ付き騒ぎが拡大〟
〝軍需産業から軍幹部達への巨額のキックバック、いわゆる利権を失うことだ〟
〝いずれも武断派、損得勘定のできない勤勉なバカどもだ〟
〝そして自分達の正当性を主張するには外に目を向けさせるのが手っ取り早い〟
〝まさか……〟
〝いつの世も戦争の陰に不況あり。覚悟はしておいた方がいいかもな〟
〝じゃああたしはせっかくだからフグのひれ酒でも頼もっかな? 和馬付き合ってよ〟
〝結婚かぁ、いいな…幸せそう……〟
〝神月夕陽さん。俺と……結婚してください〟
『二人の仇をとりたい』

 ぐちゃぐちゃな思考の中に突如響いた愛しい彼女の、信じたくない黒い感情。
 仇…、カタキ、かたき……? 何を…、何を言ってるんだ? 戦争になったら…戦争になったらお前まで死ぬかもしれないんだぞ!!? 
〝この手であいつらを…〟
 やめろ―――――!!!!
「お前はそんなに戦争がしたいのかよ!?」
 ぐるぐると思考が渦巻く中、耐え切れずに弾けてしまった感情。
 そしてすぐに、しまった、と思った。恐る恐る目を上げると案の定、夕陽はその敏生の言葉にひどく傷ついた様子で、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。
「ごめん!! 悪かった!!」
 敏生は慌てて謝ると、彼女をガバッと抱き寄せた。
 こいつは悪くないのに……俺は……。
 傷つけてしまった彼女を強く抱き締め、その髪に頬を摺り寄せる。
「悔しいよ…。あたし悔しいよぉ…」
 夕陽の瞳から堰を切ったように涙が溢れ出した。
「だって、若葉さん、あんなに幸せそうだったのに…。槙村さん、あんなに楽しそうだったのに…」
「うん…」
「なんで……? なんであの二人が死ななくちゃいけなかったの? なんで…はるさめの人達がこんな目に遭わなくちゃいけなかったの?」
 夕陽が小さな肩を震わせ、敏生の胸で泣きじゃくる。敏生は夕陽が落ち着くまで何も言わず、ただその彼女の温もりを確かめるようにしっかりと抱きとめ、許しを乞うように何度も何度も頬擦りを繰り返した。
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