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第三章

幸せの予感②

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 佐世保に司令部を置く第二護衛隊群第二護衛隊所属の汎用護衛艦「はるさめ」(DD102)は、グアム沖で二週間に渡って実施された日豪共同訓練に参加した後、報告と補給のため自衛艦隊司令部のある横須賀に寄港していた。
 停泊期間は三日間で、乗組員達は二交代での外泊を許可されている。
 CIC戦闘指揮所士官の槙村和馬まきむらかずま二等海尉は急いで艦を降りると、横須賀中央駅から京急で横浜に向かった。特急で三十分ほどだが、なんとなく落ち着かない。駅に着くと早足で駅東口のそごうの時計前に出て、焦る気持ちで待ち人を探す。
「和馬!!」
 その声に振り向くと、スラリと長身のボーイッシュな女性が満面の笑顔で駆け寄ってきた。
「若葉。悪い、待ったか?」
「待った」
 そう言って彼女はわざとらしく膨れるも、すぐに表情を崩しクスクスと笑った。
「うーそ。災難だったね、艦長の呼び出し」
 彼女は同じ「はるさめ」航海科士官の深山若葉みやまわかば三等海尉。防大時代の後輩で、今は槙村の恋人でもある。
「あの人、話なげーんだよな」
 槙村はうんざりした様子で溜め息をつくと若葉の手を取って歩き出した。
「どうする? いったんホテルに荷物置きにいく?」
「いや、時間もないから店に直行しよう」
「だね」
 相槌を打つと、若葉はクスッと笑った。
「敏生先輩、驚くかな?」
「驚くんじゃないか? 何せ、俺らのこと犬猿の仲のままだと思ってるだろうからな」
「そんな時期もあったね~。懐かしい」
 若葉が嬉しそうに腕を絡めてくる。一泊だけとはいえ、恋愛禁止の艦内から脱出できた解放感。久しぶりにいちゃつきながら歩いて店に着くと、既に敏生が個室で待っていた。
「よっ、久しぶり」
「よぉ…って、深山!? え? どういうこと?」
「久しぶり~、敏生先輩」
 二人はしてやったりの表情を浮かべると、敏生の前に腰を下ろした。
「え? なになに? お前らもしかして……」
「まあ、そういうことだ」
 槙村が笑いながら若葉の肩を抱き寄せると、敏生は悔しさと嬉しさの入り混じった表情を浮かべて頭をかいた。
「やられたよ。一番想像できないカップリングだ。マジでびっくりした」
 その言葉に二人は顔を見合わせて笑うと、若葉がふと敏生の席の横に置かれている使用済みのおしぼりに視線を落とす。
「ん? もう一人誰かいるんですか?」
「え? ああ。その…」
「ただいま~~~。あっ」
 襖を開けていきなり登場した可愛らしい女の子に、今度は二人が目を見開いた。一方の女の子も突然の対面に慌てている様子だ。敏生は彼女の手を取ると、自分の横に座らせ軽く咳払いした。
「俺の彼女で同じくライトニングのパイロット、神月夕陽…さん。あ、ちゃんかな? 夕陽、こいつが俺の親友の槙村和馬で、こっちが後輩の深山若葉」
 敏生が照れくさそうにそれぞれを紹介すると、二人はハッと我に返った。
「何で俺ら呼び捨て…ってか、敏生に特定の彼女…、マジかよ…、心臓止まるかと思った」
「夕陽ちゃんだっけ!? 大丈夫!? 敏生先輩にひどい目にあわされてない!?」
「お前ら俺を何だと思ってるんだ!?」
「カーマスートラの化身」
「見境なしのスタリオン。女の敵」
 間髪入れぬ二人の返答に敏生はムクれて立て肘をついた。そのやり取りに夕陽がプッと吹き出す。
 敏生って、昔っからいじられキャラなんだ。
 夕陽はグッと笑いをこらえると、
「神月夕陽です。今日はあたしの知らない敏生のお話、いっぱい聞かせてください」
 と言ってペコリと頭を下げた。その可愛らしいしぐさに若葉がたまらず声を上げる。
「きゃ~~~~! 可愛い! 食べちゃいたい!」
「ダメだ!! こいつは俺のだ!!」
「ぷっ、敏生先輩焦ってやんの。かーわい~~~~」
 真顔で夕陽を抱き締める敏生に二人がケタケタと楽しそうに笑う。そんな他愛ない会話を繰り広げながら料理と飲み物を注文し、とりあえず運ばれてきた生ビールで四人は乾杯した。
 喉を潤し一息つくと、槙村が思い出したように口を開いた。
「そう言えば聞いたぞ。米軍のやつらに」
「何を?」
「お前、この間の環太平洋合同演習リムパックでロナルド・レーガン(米第七艦隊空母)を撃沈したんだって? マードック提督が激怒していたらしいぞ」
 リムパックは二年に一度、環太平洋における米国の同盟諸国海軍をハワイに集めて、二か月弱に渡り実施される多国間合同演習だ。海上自衛隊は一九八〇年以来、毎回欠かさず参加しており、今回も空母「いずも」の他、イージス艦「みょうこう」と汎用護衛艦「さざなみ」、P3C対潜哨戒機三機が参加した。
 槙村が言うのは演習の終盤、各国参加艦艇がオレンジ国とブルー国に分かれて戦う模擬海戦でのことだった。海上自衛隊とオーストラリア、ニュージーランド、チリがオレンジ国艦隊となり、米空母機動部隊を中心とするブルー国艦隊と相対したのだが、劣勢で味方艦艇が次々と撃沈判定をされ、夕陽や他の仲間が米イージス艦や空母艦載機に撃墜されていく中、ブルー国艦隊の鉄壁の対空防御網を奇跡的に突破した敏生と刑部のライトニングが「ロナルド・レーガン」の他、四隻の艦艇を沈めて一矢を報いたのだった。
 その時の「いずも」は艦隊司令から甲板員に至るまでもう大騒ぎで、大戦果を挙げて帰還した敏生と刑部はライトニングから降りるやいなやクルー達に寄ってたかって揉みくちゃにされ、手荒い祝福を受けた。もちろん夕陽も悔しさを隠してその輪に加わったのだが、敏生のどことなく浮かない表情が気になり、その晩、二人っきりになった時に理由を尋ねたところ、敏生は、
〝お前を撃墜されて喜べるわけないだろ〟
 と不貞腐れたように吐き捨てたのだった。夕陽にはそれがたまらなく嬉しくて、思わず抱きついてキスしてしまったのだが。
「刑部と二人でな。でも辿りつけたのは仲間たちのフォローと犠牲があってこそだ」
 敏生がテーブルの下でそっと夕陽の手を握る。その気遣いがとても嬉しい。
「鬼畜コンビか! レーガンも浮かばれんな。で、その刑部先輩は元気か?」
「でき婚したよ。今や娘にメロメロのバカ親だぜ?」
「マジで!? 想像つかな~い!」
 そこから防大時代の思い出話に花が咲き始めた。夕陽が置いてけぼりにならないよう、若葉が気を遣って一つ一つ当時の状況などを説明してくれる。三人の出会いがアメフト部で、敏生がランニングバック、槙村がクォーターバック、若葉がマネージャーだったこと、開校祭の棒倒し競技での敏生の大活躍や、課業での笑える失敗談など、夕陽にとっては敏生の知らない一面を知ることができてとても楽しい。
そして、槙村と若葉が実は昔は犬猿の仲だった話に至り、敏生が身を乗り出すように食いついた。
「まあ、お互い当時から意識し合ってたってことだな」
「そういうことだよね~」
「何を他人事のように!? お前らがガキみたいな騒ぎを起こすたびに大隊長の俺がとばっちりを受けてたんだぞ!?」
「ああ、その節は大変お世話になりました」
「うんうん、苦しゅうないゾ」
「お前ら~~~~~~」
 苦虫を噛み潰した表情でビールを呷る敏生に、二人は楽しそうにケタケタと笑うと、槙村が少し真顔になって敏生に向き直った。
「実はさ、結婚するんだ、俺達。この航海が終わったら」
「えっ?」
 突然の報告に敏生が固まる。
「式はまだだいぶ先だけどな。さっさと籍は入れちまおうかと。お前に真っ先に報告しておきたくてさ」
「わあ、おめでとうございます!」
 夕陽が手を合わせ、目を輝かせながら祝福する。
「うふふ、ありがと~。よかったら夕陽ちゃんも敏生先輩と一緒に式に来てね」
「はい! 是非!」
 そこからは女二人で結婚式の話題で盛り上がり始めた。この手の話に男二人はなかなかついていけず適当に相槌を打っていると、襖がガラッと開いて女性の店員が顔を出した。
「お客様、生簀のお魚を捌きますが、よろしければお魚ご覧になられますか?」
「わあ、夕陽ちゃんいこうよ!」
「うん! 敏生もいく?」
「俺はいいや。二人でいっといで」
 店員に連れられて二人が楽しそうに出ていくと、敏生と槙村はホッと息をついた。
「言ってなかったな、おめでとう」
「サンキュ。驚かせてすまんな」
「全くだ」
 笑いながら二人はジョッキを合わせる。
「綺麗になったな、深山。あんなに男勝りだったのに」
「そういうお前こそ、夕陽ちゃん無茶苦茶可愛いじゃないか」
「まあな」
 その返答に槙村が吹き出す。
「謙遜なしか、ベタ惚れだな。結婚とか考えてないのか? 彼女、すごく興味ありそうだったじゃないか」
「……女だてらに戦闘機パイロットをやってる娘だ。その気はないかもしれない」
「確かめるのが怖いか? らしくないな」
 槙村がからかうと、敏生は拗ねたように項垂れた。
「間違えて失いたくない。笑えよ。……それよりこの後は佐世保に戻るのか?」
「いや、南に回って二週間の海上警備だ」
「……尖閣か」
 敏生がピクリと反応して身を乗り出す。
「ああ、うんざりだ。お前ら一護群は来月だろ?」
「いずもは出ないよ。タイ、シンガポール、フィリピン、ベトナム、四か国歴訪だってさ」
「海自初の空母機動部隊殿による南シナ海への示威行動か。あっちも相変わらずキナくさいしな」
「なあ、実際のところどうなんだ?」
 縋るような目で敏生は槙村に訊ねた。
「……正直ヤバいだろうな。いつ起こってもおかしくない」
「共産党指導部はそこまで馬鹿じゃないだろ?」
「指導部はな。ただ、ここのところ胡錦濤、習近平と文民主席が続いてただでさえ不満が鬱積している軍部の武断派が、指導部の経済政策の失敗を突いて台頭し始めているのも事実だ。やつらが恐れるのは何だ?」
「ようやく勝ち得た巨額の軍事費の大幅削減?」
「それは表面的な話で、実態は膨大な軍事費を背景とした軍需産業から軍幹部達への巨額のキックバック、いわゆる利権を失うことだ」
 槙村はビールの残りを飲み干すと、タンッとジョッキをテーブルに置いた。
「インテリ揃いの党指導部には戦争を仕掛ける気などさらさらない。損得勘定でしか動かんやつらだ。自分達の実力は冷静に見極めていて、日米連合軍とまともにやって勝てるなんて思っちゃいない」
「だったら……」
「勤勉なバカ、こいつらが幅を利かせ始めるとロクなことにならない。それは歴史が証明している」
「ハンス・フォン・ゼークトか」
「ああ、授業で習っただろ?」
 ワイマール共和国(ドイツの前身)陸軍の参謀総長だったゼークトは、軍人を有能か無能か、勤勉か怠惰かで四分類し、それぞれの用兵を説いた。
 勤勉かつ有能な者は参謀、
 怠惰だが有能な者は司令官、
 怠惰かつ無能な者は伝令、
 そして勤勉だが無能な者は銃殺した方がよい、と。
 勉強だけでのし上がった人間は、大抵の場合プライドが異様に高く、自分が有能だと勘違いして余計なことをする。そしてその結果、組織を混乱に導くことが多い。
 カリスマ経営者が一代で築き上げた企業を次のサラリーマン社長がガタガタにしてしまうのが典型的な例で、旧日本軍の大本営の失敗も正にこれに当てはまる。
 学歴が幅を利かせ、想像力が欠落した社会においては往々にしてあり得ることなのだ。
「先月、中国中央軍事委員会のナンバー2が失脚しただろ? 表向きは賄賂の発覚だが、あれは間違いなく派閥争いだ。彼は穏健派の領袖だった。彼の失脚により北海、東海、南海の三大艦隊トップの首がすげ替えられている。いずれも武断派、損得勘定のできない〝勤勉なバカ〟どもだ」
 敏生の背中を嫌な汗が伝う。今朝方、必死に打ち消した想像。
「格差社会に不況が追い打ちをかけて人々の不満が高まっている。経済立て直しを迫られた指導部は大ナタを振るわざるを得ないが、軍部はこれを断固阻止するだろう。そして自分達の正当性を主張するには外に目を向けさせるのが手っ取り早い」
「まさか……」
「いつの世も戦争の陰に不況あり。あいつらは時代遅れの帝国主義者だ。覚悟はしておいた方がいいかもな」
「……それが本省情報本部の見解か」
「声が大きいよ。俺の正体は若葉も知らない。〝はるさめ〟でも知らされているのは艦長だけだ。おかげで今日は遅刻するところだった」
 話し終えた槙村がニヤッと笑い、追加のビールを頼もうと呼び出しボタンを押すと、同時に襖が開いた。
「ただいま~。面白かった~~~!」
「見事な包丁捌きよね! ゾクゾクしちゃったよ」
 夕陽と若葉の二人がきゃあきゃあとはしゃぎながら戻ってきた。すっかり打ち解けて仲よくなっている。
「ねぇねぇ、敏生、あたしフグ頼んじゃった。だって食べたことないんだもーん」
 甘えるようにすり寄ってくる夕陽に敏生の口元が緩む。
「じゃああたしはせっかくだからフグのひれ酒でも頼もっかな? 和馬付き合ってよ」
「了解。じゃあ今日はとことん飲みますか」
「さんせ―い」
 楽しそうにはしゃぐ夕陽を抱きとめ、その温もりに幸せを感じながらも、敏生は湧き上がる不安を完全に拭い去ることはできなかった。
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