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21章:ほのかな期待

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「眠れなかった……」

 昨日、眠るときにも修が近くにいて、悶々として眠れなかった。
 しかし、修はというと、ぱたりと電池が切れたみたいにぐっすり眠っていて、その寝顔を見ていると、さらに悶々として眠れなくなった。

(これまでは強引に来てたくせに……)

 昨日だってあのときのキスは絶対に濃いものだって思ってたのに。
 軽いキスだけで、予想外だった。予想外すぎた……。


 明け方、修に呼び出しがかかって、修はそのままむくりと起きる。
 私はと言うと、起きてたのがバレるのが嫌でぎゅっと目を瞑って寝たふりをした。

 すると、前髪が持ち上げられる気配がして、何をする気だっ! と身構えたら軽く額にキスをされる。

「くるみ、行ってきます」

 甘ったるく囁かれたその声に、私の背中はゾワリと粟立った。

(知らなかった……。私が寝ていて出かけるとき、そんなことしてたの……?)

 そのまま無理矢理寝たふりを続けて、修が出て行ったときに、はぁ……と大きく息を吐いた。


 そして、それから数日、修も忙しくて、そんな日が続いて。

―――私の悶々とした気持ちは限界に達しようとしていた。


(あれから抱きしめて軽いキスだけってなんなの……⁉)

 それまでは、舌を絡ませてくるキスだって、身体だって触ったりして来ただろう!
 じゃあしてもいいかと聞かれても困るけど……!

 ちなみに、決して、期待しているわけではない。
 大事なことだからもう一度言う。期待してはいない。
「はぁ……」

 その日、鈴鹿先生も栗山先生も会議だったので、一人で昼食をとるのに学食まで行った。

 以前修とはここで会ったから修に会えるかもしれない、という仄かな期待と、会ってどうするんだ、という疑問が頭の中で対立する。

 そんなことを思って何度目かのため息をついたとき、

「……もしかして、くるみちゃん」

と声をかけられた。

「……はい?」

 振り向くと、見たことあるような……スーツの男性がそこに立っている。
 食べ終わった食器をもっているので、学内の人間で、食事を終えて出るところのようだ。

「くるみちゃんだ。覚えてる? 猪沢の同期の」
「あぁ、壮汰さん!」

 私が叫ぶと、壮汰さん、こと、熊岡壮汰さんがにこりと笑った。


「国内だけど、俺も他の病院行っててね。半年前こっちに戻ってきてたんだ。くるみちゃんは?」
「私は大学卒業してからこの薬学部にアルバイトで」
「そうなんだ。全然会わなかったね」
「そうですね」

 学内は人数も多いし、相手を決めて会おうとしない限りはなかなか会えないものだ。そう思うと、前に偶然修に会ったのは奇跡に近い。

 壮汰さんは、目を細めると口を開く。

「猪沢も戻ってきたの知ってた?」
「はい」
「あ……もしかして、猪沢と噂になってるのくるみちゃんだったりする? まわりがうるさくって」

 そう言われて、ここで修と遭遇した時のことを思い出した。
 勝手に『婚約者』とか言われて、周りを驚愕させたんだった。ついでに私も驚いたけど……。

「あー……もしかしたら……」

 私がつぶやくと、壮汰さんは、へぇ、と呟く。

「付き合ってるの?」
「いや……あ、そ、そうですね」

 そう言ったのは、確かに今、『付き合っている』という体だからだ。
 
(うそではない……よね?)

 壮汰さんは楽しそうに目を細めると、「そっかぁ」と微笑んだ。
 それを見て、壮汰さんはよかった、と思ってくれてるんだなぁ、と思うとなぜかじわじわと嬉しさがこみあげてきた。

「ありがとうございます。なんかそうやってこういうことに誰かが喜んでくれるのって、自分も嬉しいんですね」

 私が言うと、壮汰さんはさらに目を細めて微笑む。


「病院長が猪沢帰ってきたのを喜んで猪沢のことコキ使うからさ、猪沢疲れてるだろ」
「はぁ……確かに」

 そう言う事情があったのか……と思う。
 でも、期待されているんだなぁと思うと、なんだか自分のことのように誇らしくもあった。

「きついと思うよ。ボストンでは研究が主だったはずだから。こっち帰ってきて研究も講義も臨床もなんて」
「ですよね」
「ま、つぶれないように気を付けてやってよ」
「ありがとうございます」
「いいえ」

 そう言うと、壮汰さんは、もういくね、と言って歩き出す。
 そしてぴたりと足を止めると、
 
「あ、何かあれば連絡ちょうだい。番号も変わってないから」
「ありがとうございます」

 私はぺこりと頭を下げた。


(なんていい人なんだろう……5年前だって相談に乗って、応援してくれて……)


 去っていく壮汰さんの背中を見つめつつ、私はそんなことを考えていた。
 そのとき、鈴鹿先生と栗山先生が一緒に食堂にやってきた。

「あ、会議終わったんですか」
「えぇ。一緒にいい?」
「もちろん」

 鈴鹿先生は私の隣に、栗山先生は私の前に座る。
 鈴鹿先生はまっすぐ前を見つめると、

「さっき話してたのって、病院の外科の熊岡先生じゃない?」
「鈴鹿先生もご存知なんですか? そうです。昔、会ったことがあって……修の同期なんです」
「へぇ」

 鈴鹿先生はそう言うと、なんだか微妙な顔をして続ける。「あの先生、手が早いから気を付けた方がいいわね。別名『人のものほど燃えるタイプ』」

―――人のものほど燃える? 手が早い? ……まさか。

「え? まさか、そんなことないですよ! めちゃめちゃいい人ですよ!」

 思わず叫ぶように言うと、その迫力に押されたのか鈴鹿先生が驚く。

「そ、そうなの」
「そうです」
「ごめんね、変なこと言って」

 鈴鹿先生はそう言って、私も、すみません、と頭を下げる。
 それから少し雑談をして、私は一足先に研究室に戻った。


***

 私が去った後、栗山先生がぽつりと、
 
「さっきの熊岡先生の話し、本当ですか?」
「有名だったのよ。たぶん、今も……。ちょっと心配ねぇ」

と話していたのは私には知る由もなかった。

***
 その日の夜、やっぱり修はいつも通り遅くて。

「帰ってこない……」

 いつのまにかウトウトして寝ていた。

 初めて修に会った時の私はまだ小さかった。
 
 いつも遠慮なく飛びついて、なんでも相談した。大好きで……少し大きくなるとこれが恋だと思った。

 夢の中……。
 帰ってきた修に昔みたいに飛びついていた。

「修。帰ってきてよかった」
「ちょっ……くるみっ!」

 昔みたいに少し驚いた顔の修。
 やっぱりこれは夢かなぁ。

「くるみ、寝ぼけてる?」
「そうかも」
「そっか」

 背中に修の手が回る。あったかい。それに修のにおいがする。
 私もそのまま修の背中に手を回して、にへら、と笑う。

「おかえりなさい」
「ただいま」

 あぁ、やっぱりまだ眠い……。

 ふんわり身体が浮いて、
 やっぱりこれは夢の中だと思った。
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