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10章:変化
10-1
しおりを挟むその日もお弁当を作る時間がなくて、食堂で宮坂さんと昼を食べた。そのあと食堂を出たところで、
「キミ、健人の……いや、うちの新入社員の柊みゆさん、だよね? わかるかな。ホウオウ副社長の鳳一樹といいます」
と声をかけられ、私は驚いて副社長を見上げた。
「……驚きました。私みたいな普通の一社員の名前まで覚えていらっしゃるなんて」
「もともと人の顔の物覚えは良いしね」
ふふ、と楽しそうに副社長は笑う。それから、
「今日さ、健人に用があってちょっと電話したけど、やけにご機嫌で気持ち悪かったよ」
と小さな声で言った。それを聞いて泣きそうになる。
その内容が聞こえていたらしい隣にいた宮坂さんも吹いた。
「そうだ、ちょっといい?」
私がはい、と頷くと、
「私、先に戻るわね。副社長、失礼します」
と、宮坂さんは、そのまま先にエレベータに乗っていってしまう。
副社長は副社長で、隣にいた秘書の女性に何か告げると、その秘書もいなくなった。
「ごめんね5分だけちょうだい。きみと話してみたかったんだ」
そう言って柔らかい笑顔で笑う。
先輩も言っていたし、面接のときも思ったけど、この副社長、本当にいい人っぽいなぁ。副社長は食堂横のスペースの椅子に私を誘導し座らせ、自分も横に座った。
「……副社長は、羽柴先輩のお兄さん、なんですよね……」
「ん? 聞いたんだ。そうだよ、かわいいでしょ。うちの弟」
「かわいい、でしょうか」
かわいい、とはちょっと違う気がする。
でも、兄から見るとかわいい弟なのかもしれない。8歳離れていると言ってたし。じゃ、副社長って38歳なんだ。まったくそうは見えない……。
そんなことを思っていると、
「うん、あれで結構一途なとこがあるんだよねぇ」
と私の顔を見た。
そして続ける。
「そういえば思い出したんだ。健人が高校の時、入院したときさ、お見舞いに来て、結局お見舞いしてかなかった子、きみだよね?」
そう言われて、私は焦った。
たしかに先輩の病院に何度か行った。あの飛び蹴り入院事件のあとだ。
でも、私は日和って先輩に会えずに帰ってしまったのだ。
(まさかそんな場面を見られていようとは……)
「人の顔を覚えるのは得意って言ったでしょ?」
ふふ、と楽しそうに副社長は笑う。
今でも覚えているなんてすごい。でも、病院に行った理由は今でもあまり大きな声で言えないものだけど……。そんなことを思っていると、副社長はそれ以上それについては触れてこなくてほっとした。
「で、健人と付き合うことになったんだ?」
「なんで知って……」
「うん、もちろん知ってる。それに……」
そして、私の方を見ると、
「ほんと、ごめんね」
とまっすぐ頭を下げて謝った。
「え? えぇ⁉ そ、そんな謝っていただくようなことじゃ……! ってなんで謝るんですか⁉」
私が慌てて胸の前で手を横に振る。そして思わず周りの社員を確認した。
私、この場面を誰かに見られたら、『副社長に頭を下げさせた女』になりかねませんけど⁉
幸いにも周りには誰もいなくてほっとする。なのに、当の副社長は顔を上げると、それを見て楽しげに笑った。
(なに? なんだったの……?)
「そうだ。今度健人と3人で食事でもいかない?」
「……ええっと」
「来週末でも、行こ? 土曜日予定は?」
「えっと……先輩と副社長さえ良ければ、私は暇ですけど」
私が戸惑って答えると、うん、健人にも伝える、と副社長は子どものように楽しそうに笑った。
本当に良く笑う人だなぁ。しかし、その笑顔のせいか、こちらにすっかり打ち解けた気にさせる。副社長なんて雲の上の人だと思ってたけど、そういうところもすごい人だと思った。
「僕ね、柊さんと兄妹になれるといいなぁって思ってるから。ほら、二人が結婚したらそうなるでしょ」
「結婚なんてまだまだですし。そもそも、するかどうも……」
私は言う。確かに先輩にはそう言うことは言われたけど……。
そんなの夢のまた夢くらいに感じてる。
先輩が鳳凰グループ総帥の孫で、ホウオウ社長の息子だと聞いて余計にしり込みしている気がする。
そういう身分の人って、セオリーではご令嬢とかと政略結婚するんじゃないの? 今どきはそんなことってないのかな?
でも、少なくとも、こんな大グループのご子息が、しがない公務員の娘と結婚しようものなら大スクープにでもなりそうだけど……。
そう思ってブルリと身体が震えた。
そう思ったとき、副社長は一枚の名刺に携帯の番号を手書きで書き加え、
「これ、僕の携帯の番号。もし、健人に相談しにくいこととか、会社のことや父のことで困ったことがあったら、ここに連絡して?」
と言って私に渡した。
「……は、はい?」
断るわけにもいかず、それを戸惑いながら受け取る。
副社長はそのまま、じゃぁまた来週の土曜に! と言うと、行ってしまった。
よくわからなかったけど、副社長は話しやすい人だと思った。そしてふと、動物に好かれて、動物たちが副社長についてきてるところを想像して笑ってしまった。
確かに、あの副社長なら本当にありそうだ。
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