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31 釘刺し
しおりを挟む妊娠が判明してからは体調が悪かったこともあり、日中はオルニスに診察を受けたり出来る範囲で身の回りのことをしたり、本を読んで過ごしていたフィアルカだったが、ディリエが来てくれたのと安定期に入ったのもあり、少しばかり勉強を始めたり、話す練習をしたりしていた。
「人と話すのは、練習である程度どうにかなります。ご自分を卑下なさりますが、フィアルカ様はかなり知識はあると思いますし、素直に耳を傾けてくださるので、話していて楽しいですよ」
「本当ですか……? 知識にかなり偏りがあるし、活用できないと思うのですが……」
「それは下地になりますから。いずれ実を結ぶと思います」
ディリエはフィアルカに嫌な顔ひとつせず色々なことを優しく丁寧に教えてくれる。それが仕事だと言えばそれまでだが、フィアルカは今まで同世代の人間と話す機会がほとんどなかった。だから話しているだけでも、とても楽しい気持ちになるし、学びも楽しい。
「そろそろ食事を取ってきますね」
そう言われて気づけばもう昼時だ。そう言って部屋をディリエは出ていく。
しかしフィアルカが見送ってすぐに、ディリエは何も持たずに戻ってきた。
「――フィアルカ様。お客様がお見えになっているのですが……」
「……私に?」
「そのご様子だと、フィアルカ様にも心当たりはなさそうですね。私もそういった人物が来るなどは聞いておりませんので、お帰りいただきます」
フィアルカは罪人で、家からも棄てられている。だから会いに来る人間などに心当たりがあるわけがない。
答えに迷ううちにディリエは駆けていってしまった。誰かを確認をした方がよかった。しかしどう考えてもいい相手ではない気がする。
「――ちょっと!」
「……ディリエさん?」
耳に届いたディリエの声は明らかに怒っていて、割と近い。揉め事の気配がして心配になったフィアルカは、思わず扉を少し開き、廊下をこっそり覗いた。
「――あ、フィアルカ殿。おめでとうございます」
「お帰りくださいと申しているはずですが!」
「貴方は……」
フィアルカを見せまいと庇うように急いで前に立ったディリエを無視して、フィアルカに慇懃無礼に手を振る男。以前リオルドの部屋で見かけたリオルドの父の遣いらしき男だ。
「……お知り合いなのですか?」
「いえ、でも……リオルド様の」
「リオルド様のお知り合い? なら、今リオルド様はご不在ですが」
「いえいえ。今日はフィアルカ殿に用がありますので。ご心配なさらなくても少し話すだけですから。身重のお身体ですし」
リオルドの父の遣いらしきこの男から感じる不快。父のような憎々し気な怒りではなく、今までのアルファのような怯えでもなく、呆れでもない。不快の正体は分からないが、男がフィアルカを見る目が相変わらず気持ちが悪いことに、間違いはない。
わざとらしく敬称をつけて人を呼ぶものの、フィアルカを見下し嘲るものを感じさせずにはいられなかった。
「……私に、何のご用でしょうか」
「ええ、そうですね……ここでは少し。貴方とだけお話させていただきたいのですが」
「そんなことできるわけがないでしょう」
男はちらりとディリエを見て、フィアルカを見て、にこりと笑う。男は恐らくフィアルカの諸々を知っている。含み笑顔の奥に、滲んだ脅しを感じ取ったフィアルカは「分かりました」と承諾をした。
「フィアルカ様!」
「何かあったら、すぐに呼びますので。ディリエさんは扉の前に控えていていただけますか」
「しかし……」
ディリエは口を開きかけて閉じ、渋々引き下がる。申し訳ないと思いつつ、フィアルカは男を部屋に招き入れた。
「お時間を取らせてしまって申し訳ありませんね」
「何のご用でしょうか。貴方様は一体……」
「私はリオルド様のお父上の下にいる者です。今日はお祝いとお願いをお伝えしに。まずは改めて、ご懐妊おめでとうございます。子が産まれるので、貴方の罪は完全に免じられるそうです。よかったですね」
「……」
やはりこの男は、フィアルカのことを正確に知っている。
一応の「おめでとうございます」に形式だけでも礼は返そうとしたが、後半の言葉に閉口してしまう。自分の立場は分かっていても、気分はよくない。
「おや、嬉しくはないのですか」
「……そういうつもりで子を産むわけではないので。それで、お願いとは」
「お願いというのは他でもない。リオルド様とは番にならないでいただきたいとお願いをしに来たのですよ」
「……分は弁えるつもりです」
「ならいいんです」
最初から言われていたことなので、それは分かっている。
「リオルド様がなんと言おうと、きちんと拒否をするようにお願いしますね」
「……分かっています」
「ああ、それと。このことはリオルド様に話してはいけませんよ。それを言えば、全てをつまびらかにしますからね」
震えないよう力を入れたからか、声が固くなってしまう。この心に氷を落としたような嫌な気持ちは、この男から受けたものだけが原因ではない。
忘れたつもりはなかったつもりだったが、心のどこかで浮かれていた自分への嫌悪。それが多分に含まれていた。
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