22 / 58
22 徒花に
しおりを挟む薬の過剰摂取や濫用は、抑制薬に限らず体に良くない。場合によっては死に至る。しかし先日の発情はすんなり治まり、リオルドも順調に回復している。
なら様子を見て相談すればいいとフィアルカは考えていた。
しばらくは問題なく過ごしていたが、またひと月も経たないうちに発情が起こり、フィアルカはまた薬を飲んだ。熱自体は薬が効けばすぐに治まったが、胎から何かが喉元までせり上ってくる。
薬を吐いてしまうのはよくない。慌てて水差しの水でうがいをし、風呂場で吐き出す。そのままずるずると床にしゃがみこんで目を閉じ、押し潰すようにぎゅっぎゅっと手を揉んだ。
少しづつ和らいだが、これは急に動いてはいけないと、冷たい壁にもたれ、落ち着いたところで立ち上がったが。
不味い。立った拍子に、胎の奥から吐き気も一緒に立ち上がったような気がした。喉元にせり上がってくる気配を、慌てて飲みくだそうとしたが、間に合わない。喉の奥がぎゅっとしまり、吐き出してしまうと思ったが、黄色い液が少し出たあとは、何も出てこない。治まらない吐き気に合わせてただただ空気と唾を吐く。終わりがよく分からない苦しい嘔吐だった。
それでも時間が経てば薬で発情を治めた時のように、すっと身体が楽になる。その解放感は排泄や射精の快感にほんの少しだけ似ていた。
恐らく薬は吐き戻していない。これはさすがに相談しなくてはならないかとフィアルカは口だけをゆすぎ、ぐったりと泥のように眠った。
次の日、オルニスが来るのは昼からということだった。食事も食べられたし、リオルドの様子も変わりがない。
「大丈夫か」
体調に問題はなかったので、何事もなかったかのように仕事していたのだが、変な吐き方をしたので喉が少し傷んでいた。それを誤魔化すように小さな咳をしていたのが気になってしまったようだ。
「大丈夫です。昨日、食べ物が少し喉を引っ掻いてしまったみたいで。聞き苦しかったようでしたらすみません」
「フィアルカ」
「……はい」
「先日はああ言ったが、無理をしているのではないか?」
「いえ……」
「我儘を言ってしまったが、お前の負担が増えるのは本意ではない。今からでもオルニスに人手を急ぐように頼むか」
「……いいえ」
随分と纏う空気が柔らかくなって余裕ができた。感情の豊かさに本来の寛容さが戻ったのだろう。それを見ていると自分がこの青年の目の前にいるのが本当に場違いに感じて、フィアルカは少し俯いてしまう。
1番大事なのはリオルドの意向だが、できれば他に人を増やしたくないのは本音を言うとフィアルカも同じだ。ここにいられるのも恐らくあと少し。そうでなくてもトラヴィスのところにいた時のように、頻繁な発情が原因ともなれば、すぐにでも去らなければならなくなって、突然この生活は終わるかもしれない。しがみついてはいけない思っているものの、しがみつきたくなってしまう。
「フィアルカ」
「は――」
返事をしようと顔を上げた瞬間、口に何かが入り込んできた。じわっと広がる甘さには覚えがある。蜂蜜飴だ。ころころと口の中で転がせば、喉の痛みとが和らいだ気がした。
「今日はそれを舐めてもう休め」
そう言われてしまって食い下がることも出来ず、フィアルカは礼をして部屋から出た。外の空気でも吸おうかと中庭に出てみたが、気分は晴れない。庭師はいるが、よく見かけていたあのふてぶてしい猫の姿も見えない。
「そういえば猫、最近見ないですね」
「ああ、お迎えが来たのかもしれんなぁ」
「え……?」
「あまり若くない野良だったし、猫は死ぬのが近づくと姿を消すって言うからなぁ」
何でもないことのように、庭師が言う。
悲しい気持ちがない訳ではないが、それよりも、随分と潔がいいと妙に感心してしまった。
傍にいたい。死にたくもない。弱った姿は見せたくない。そんな思いが喧嘩しているフィアルカとは真逆だ。
しかし結局フィアルカは、オルニスにもリオルドにも相談できないまま――
身支度のために鏡を見れば、青白い顔が映っている。
さすがに倍の薬を頻繁に飲んでいるのがこたえてきたのだろう。元々生白い肌ではあるが、まるで紙のように白い。
服用を重ねるごとに吐き気だけではなく、頭や胎が締め付けられるように痛むようになり、部屋に下がって一度でも座ったり寝転んだりしようものなら、なかなか立ち上がれなくなってしまうほどになっていた。間隔が短くなっていて、明らかに身体を蝕んでいる。
予後は気にしなくていいと最初に言った気持ちは変わりないが、積極的に死にたい訳ではない。それ以上にここにいることにしがみつきたい自分の浅ましさに呆れてしまうが、フィアルカ自身も何故こんな風になってしまっている理由ははっきり分からない。贖いのため以外にフィアルカが積極的に生きる理由もないからだろうか。
ふと「行き場がないならこのまま」と、悪い考えが頭を過ぎる。しかしすぐにそれは駄目だと振り払うように首を振った。贖いは済んでいない。それより何よりこれが原因で死んでしまったら、リオルドのこれからに影を落としてしまうかもしれない。
フィアルカが生きているのは、突き詰めれば自分のためだが、基本的には自分以外の何かや誰かのためだ。それを失くしてしまったら、繋ぎとめるものが何もないということにフィアルカ自身も気づいていない。
「オメガでなくなってしまえばいいのに……」
自分の気持ちが何も分かっていないが、口にしたらそれが正解のような気がした。オメガの自分は、ひっそり死にたいのかもしれない。それでもオメガでなくなったところで、ここにいられる訳でもなく、ただただ、どん詰まりに咲く徒花になるだけ。青い実にすらなれはしない。
「――っ……」
視界がぐらぐらと揺れて歪んで、定まらないまま崩れていく。取り巻く空気がまるでうねりを持っているように重い。景色がゆがんで見える。
今のフィアルカを支えるものは何もなかった。
145
お気に入りに追加
197
あなたにおすすめの小説
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
おお、勇者よ!姫ではなく王を欲するとはなんたることだ!
銀紙ちよ子
BL
魔王を倒した勇者が望んだのは姫ではなく王だった。
日本から異世界の王家に転生した俺は、魔王が世界を脅かす中、懸命に勇者を育成していた。
旅立つと聞けば薬草を持たせるかポーションを持たせるかで悩み、多めに包もうとした支度金を止められ、果ては見送りまで阻止された。
宿屋に定食屋に薬屋に武器屋。冒険者ギルドにエルフに獣人達。あちらこちらに協力を頼み、勇者育成のためのクエストを実装する日々。
十年の歳月を経て、幼い勇者は無事に成長し、とうとう魔王を倒した。
そして帰ってきた勇者が望んだのが……。
元ベータ後天性オメガ
桜 晴樹
BL
懲りずにオメガバースです。
ベータだった主人公がある日を境にオメガになってしまう。
主人公(受)
17歳男子高校生。黒髪平凡顔。身長170cm。
ベータからオメガに。後天性の性(バース)転換。
藤宮春樹(ふじみやはるき)
友人兼ライバル(攻)
金髪イケメン身長182cm
ベータを偽っているアルファ
名前決まりました(1月26日)
決まるまではナナシくん‥。
大上礼央(おおかみれお)
名前の由来、狼とライオン(レオ)から‥
⭐︎コメント受付中
前作の"番なんて要らない"は、編集作業につき、更新停滞中です。
宜しければ其方も読んで頂ければ喜びます。
欠陥αは運命を追う
豆ちよこ
BL
「宗次さんから番の匂いがします」
従兄弟の番からそう言われたアルファの宝条宗次は、全く心当たりの無いその言葉に微かな期待を抱く。忘れ去られた記憶の中に、自分の求める運命の人がいるかもしれないーー。
けれどその匂いは日に日に薄れていく。早く探し出さないと二度と会えなくなってしまう。匂いが消える時…それは、番の命が尽きる時。
※自己解釈・自己設定有り
※R指定はほぼ無し
※アルファ(攻め)視点
傷だらけの僕は空をみる
猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。
生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。
諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。
身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。
ハッピーエンドです。
若干の胸くそが出てきます。
ちょっと痛い表現出てくるかもです。
実はαだった俺、逃げることにした。
るるらら
BL
俺はアルディウス。とある貴族の生まれだが今は冒険者として悠々自適に暮らす26歳!
実は俺には秘密があって、前世の記憶があるんだ。日本という島国で暮らす一般人(サラリーマン)だったよな。事故で死んでしまったけど、今は転生して自由気ままに生きている。
一人で生きるようになって数十年。過去の人間達とはすっかり縁も切れてこのまま独身を貫いて生きていくんだろうなと思っていた矢先、事件が起きたんだ!
前世持ち特級Sランク冒険者(α)とヤンデレストーカー化した幼馴染(α→Ω)の追いかけっ子ラブ?ストーリー。
!注意!
初のオメガバース作品。
ゆるゆる設定です。運命の番はおとぎ話のようなもので主人公が暮らす時代には存在しないとされています。
バースが突然変異した設定ですので、無理だと思われたらスッとページを閉じましょう。
!ごめんなさい!
幼馴染だった王子様の嘆き3 の前に
復活した俺に不穏な影1 を更新してしまいました!申し訳ありません。新たに更新しましたので確認してみてください!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる