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14 焔
しおりを挟むフィアルカがリオルドの元へ来て、一月ほどが経った。
使用人としての立場を尊重はしてくれるものの、やはりリオルドはフィアルカに触れられるどころか、近づきすぎるのも嫌がる。その点に関しては自分は閨事に送り込まれたオメガであり、罪人であるため仕方がない。仕事をさせてもらえるだけありがたいというものだ。
慣れないなりに教えを請えば、使用人は案外かまってくれた。
「あんたどう見ても箱入りだろうに。こんな水仕事させていいんかねぇ……」
「大丈夫です」
閨事が不要なら、見苦しくない程度に多少手が荒れようが見た目があれだろうが、何も問題はないだろう。
恰幅のいい女性の使用人は、最初こそ訝しんで心配していたが、戦力が増えることはいいことだと、すぐに気にしなくなった。
オルニスは侍医のような役割ではあるが、常に侍っている訳ではなく、日に一度顔を出す程度で、使用人がいなかった期間は、部屋の掃除も身の回りのことも、できる範囲で自分でしていたそうだ。オルニスがいない時は、要望を伝えに出る連絡役がいるのでそちらに言うようになっている。
リオルドは勉強熱心で、本をよく読んでいる。読み終わった本と書庫の本を交換しに行くのはほぼ日課と言ってもいい。じっと立っていられると鬱陶しいから気になる本があれば呼んでもいいとの言葉には、たまに甘えている。
食事の量は普通より食べるほうだと思う。しかし体力がなく、息切れしやすく、激しい運動はできない。なのに痩せている。
「あの……髪は結わなくても……?」
「いい」
一度聞いて「いい」と言われていることなので、差し出がましいということは分かっているが、服装などの他事がきちんとしている分、そこをおざなりにしているのがとても目立って気になってしまう。
「自分で洗いたいから、短い方がいい。もう少し伸びれば自分で切れる」
「ご自分で……? あの、でしたら私が切ってみましょうか。多少は診療所でやったことが……」
「――いいと言っているだろうが!」
大きな声に驚いて身体が竦んだ。
それでも「怖い」よりも自分がしつこくしてしまったせいで、リオルドが大きく咳き込んでしまったことが申し訳なかった。背をさすろうとしたが、リオルドは触られることを極端に嫌がる。伸ばそうとした手は、行き場を失くしてしまった。
そんなフィアルカの躊躇する様子を見て、リオルドは顔を顰める。嫌そうに、しかし何か迷っているようだった。
「……別に、お前のことが嫌なわけではない」
「…………え?」
「……病が、伝染ったら困るだろうが」
さんざ葛藤して、リオルドは半ば吐き捨てるように言った、本当だろうか。
では何故ここまで近づいたり触ったり嫌がるのだろう。まだ罪人だから嫌だ、オメガだから嫌だというのは理屈が通っている。だから仕方がないと思っていたのだが。
「でも、リオルド様のご病気は伝染るものではないと」
「何故言い切れる」
「え?」
「オルニスはそう言うが、私の身体の不調の原因は未だ分かっておらず、根拠がない。絶対に伝染らないとは言い切れない。特に病と分かってからは、私はオメガと接したことがない」
罪人は嫌だと線を引かれているとフィアルカは思っていた。当然のことだ、無理もないと思っていた。
しかし。
言っていることが本当であれば、フィアルカに伝染してはいけないと、心配してくれていたのか。
「あの、私は罪人のオメガで、人非ざるようなものです。だから……」
「罪を犯していようが、人は、人だろうが。オルニスは医者だから仕方がないが、そのほかの者は違う」
だから気にしないでほしいと言おうとしたが、効果はなかった。フィアルカのことを1人の人だと思った上での今までの態度だったのか。
フィアルカは自分のことをオメガだとしか考えたことがなく、それで役に立つか立たないかでしか考えたことはない。「何を言っているんだ」という、リオルドの心底の呆れに対し、フィアルカは「そうなのか」という気づきと少しの恥を覚えた。
しかしそれ以上に。
「――あの、試してみませんか」
「……は?」
「あ、あの、閨事ではなく、普通の使用人に接するのを。それを、まず私で試していただければ」
罰だ罪だということを横に置いておいても、リオルドの力になりたい。
こんな衝動に駆られたのは生まれて初めてだった。心に火が点いていた。それは小さな火だったが、紙に乗ったようにあっという間に大きく走り、フィアルカの口からそんな言葉が出ていた。
「何か異変があったら必ず言います。だから……」
しかし、火というものはひとりで燃え続けることはできない。勢いで口をついて出たものの、出過ぎた真似をした。
失礼なことを言ってしまったと冷静の水が掛かりそうになったその時、大きな溜め息と小さな咳が聞こえた。
「……分かった」
「えっ」
「何だ本気ではなかったのか」
「い、いえ! 本気です……! ありがとうございます!」
フィアルカの押しに負けてくれたのか、非常に不本意そうに渋々、といった様子でリオルドは承諾をくれた。
「ただ、お前に髪を任せるのは怖いので嫌だ」
「はい、分かりました」
何の罪を犯したかも分からない罪人に刃物を持たせるのは怖いだろうからそれは仕方がない。
それより、懐かない美しい獣のようだったリオルドが、若干の諦めとはいえ、少し歩み寄ってくれたこと。そして自分を人として扱ってくれていたということ。
それらがフィアルカは心の底から嬉しかった。
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