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6 試情のオメガ
しおりを挟む花街で自分の――試情の役割を確認してからしばらく経った頃。
フィアルカがトラヴィスに連れられやって来たのは街中にある宿だった。随分と格式が高そうで、フィアルカのいた屋敷と比べても遜色がなく、もしかすればこちらの方が上かもしれない。
「場所は家とか、花街で借りるとか、色々案はあったんだけど、やっぱり貴族だからか、それは嫌だということでね」
「なるほど」
フィアルカ自身は扇情的な格好などはする必要ないそうだ。簡易な服装の上から寛衣を纏い、顔が分からないように仮面をつける。念の為にと項を守る首輪も問題がないかの確認が終われば準備は完了である。
フィアルカの役割は指定された場所――今日はこの宿の一室で発情を促す薬を飲む。ただそれだけ。
その後は起こった発情をしばらくの間耐え、番となる2人が上手く発情すれば、フィアルカはトラヴィスに診療所へ戻してもらい、発情が治まるまで、与えられた部屋に籠って発情が終わるまでひたすらに耐えるという手はずである。これは家に閉じ込められていたときと同じだ。
「じゃあそろそろ飲んでおこうか」
「はい」
渡された薬を水で流し込み、あとは約束の時間まで待つだけとなった。
待つ時間というのはとても長く感じる。上手く発情できなかったらどうしよう、今までのアルファのようになってしまったらどうしよう、そしてそうなった時に、相手のオメガに攻撃が向いてしまったらどうしよう。
そんなことが浮かんでは消える。フィアルカは不安であるにもかかわらず、まるで宙に浮いたかのようにふわふわと落ち着かない。
「あ、来たみたいだね」
そうこうしているうちに、扉を小さく叩く音が聞こえ、フィアルカの気持ちも降りてくる。
トラヴィスが返事を返せば、宿の従業員に案内された青年2人が、護衛を伴い部屋にやって来た。どちらがアルファでどちらがオメガなのかは一目瞭然で、オメガの青年はフィアルカと同じで不安なのだろう。かなりおどおどしている。しかしアルファの青年がその不安を解くように肩を優しく叩いてそっと自らに寄せれば、オメガの青年の表情は少し柔らかくなる。この短いやり取りだけで2人がよい関係なのが見てとれた。
その光景で少しフィアルカの緊張が解れたのと、薬が効き始めたのは、ほぼ同じくらいだった。もう何度も経験していることなので、これだとすぐに分かる。
フィアルカのまなうらに熱の膜が張り、じわじわと潤みを帯びていく。
熱い。
目の奥も胎の奥も強い陽射しを浴びているように、じりじり熱くなっていく。
フィアルカの発情が起これば、アルファの青年の変化も劇的だった。身体を強ばらせたと思いきや、瞬間飢えた獣のような刺々しい目つきに変わる。荒い息は、小さな唸り声のようで、フィアルカの身体は発情で身体は火照るが、うそ寒いような心地がして身が竦んでしまう。
しかし、その時オメガの青年が、アルファの青年を呼んだ。泣きそうに潤んだ目を縋りつくようにアルファの青年へと向けて、もう一度こいねがうように呼ぶ。
すると獣の目と興奮はそのままに、アルファの青年はこちらが本当の番だと言わんばかりに誘われるがままに意識を移していく。もしかすればオメガの側も、自分の番を取られまいと発情で対抗しているのかもしれないな、とも思えるような光景だった。
2人はあっという間に発情期の獣さながらになるかと思いきや、自分達以外が同じ空間にいるのが不快なのだろう。アルファの青年が、「出て行ってくれ」と願うように命じるように一言吐き出す。その言葉にフィアルカと護衛は固まってしまったが、トラヴィスは心得たと頷いた。
「頃合いだから、出るよ。護衛の君もだ。馬に蹴られるどころじゃ済まないからね」
トラヴィスがフィアルカと護衛を引っ張って外に出れば、扉の外には、男女がひと組心配そうに立って中の様子を窺っていた。顔貌から見るにオメガの青年の両親のようだ。
縋りつくような夫婦に対し、トラヴィスが「上手くいきましたよ」と報告すれば、夫婦は我が事のように喜んでいる。
「もう後はお2人に任せておけば大丈夫です。私はこの子を戻したらまた戻ってきますので」
その説明を受けてさらに喜ぶ夫婦だが、フィアルカはもう、はっきりと物を考えられない。皆の会話はただの音として耳を通り過ぎていく。
「――よく頑張ったね。あとのことは気にせず、部屋に篭ってな」
朦朧としながら診療所の自分の部屋に戻ったフィアルカは、限界を迎えて床にへたりこんだ。ぐちゅりと潰れたような濡れ音がいやに頭に響き、さらに思考を奪っていく。
「部屋からは出てもいいけど家からは出ないで。診療所にも君の部屋にも鍵をかけるから、誰か来ても絶対開けちゃ駄目だよ。僕は開けてもらわなくても、鍵を持ってるから」
「は……い」
手早く部屋を整えたトラヴィスは、そう言い残して部屋を出ていく。
扉が閉まり、その姿が見えなくなることすら待ちきれず。
フィアルカは釦を千切る勢いで、着ている服を乱し始めた。
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