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虐められたミャオの思い出話
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私は大猫族のミャオ、とあるお屋敷で主のお付きをしています。
今でこそ平穏な日々を送っていますが、その道のりは多くの障害がありました。
―――これは、私の思い出話です。
◇◆◇
当時のこの家のご主人は、ここ一帯を治める領主様で、今でもとても偉い方で尊敬しています。私の他にも何人もの侍女や下働きを抱え、みんな一生懸命働いていました。でも、下働きのリーダーが大犬族のワリャンになってからと言うもの、私はひどい扱いばかりを受けるのでした。
大猫族と大犬族は仲が悪い。それは分かっているのですが、私は一体、どうなってしまうのでしょう。
暗くてじめじめした物置小屋の外れ、ごみや家畜の糞尿を処理する不衛生な場所、つまり掃き溜めの様な汚いところです。私の働く場所は、ワリャンが手を回したからか、こんな場所になっていました。
「この莫迦ミャオ! お前にやらせる仕事なんてあるか! とっとと出て行けよ」
「そうだぞ、お前みたいな猫はこれでも片付けていろ!」
そう言って、他の下働きたちは、私に生ごみの入った袋の中身を投げてきます。
ぐちゃぐちゃになった生ごみの中には魚の骨、つまり、この魚の骨とでも遊んでいろ、と言いたいのでしょう。どうしてこんなにひどいことをするのだろう、と私は悲しい気持ちになりながら、ひどい臭いの生ごみを片付けるしかありません。
「ははは。猫には魚の骨がお似合いだな。しかし、ひどい臭いだな。……おい」
私に生ごみを投げつけた犬族の下働きは、隣の下働きの男へちらっと目くばせをする。隣にいた男は口端を歪めた笑みを浮かべ、桶に入った水を私に向けてぶちまけてくる。
「さっさと片付けろよ! 早くしねえと、ワリャンさまに俺たちまで文句言われちまうだろう!」
二人の下働きたちは、まるで手伝ってやっていると言わんばかりに、私に向かって水を撒いたり、モップで水を跳ねさせたりと嫌がらせを繰り返してきます。
(犬と猫の違いだけでこんなことをするなんて、ワリャンは何を考えているのだ?私たちは、ご主人様のために働く存在であるはずなのに……)
下働きの犬族からの嫌がらせから解放され、ようやく与えられた場所の掃除を終えると、すっかり日が暮れていました。私はくたくたになりながら何とか汚れた服と身体を洗って、食堂に向かいました。しかし、そこでもまだ、嫌がらせの続きは待っていたのです。
「おい、まだ臭いが残っているぞ。 食堂は清潔にするのが当たり前だ。お前を入れることは出来ないな」
「先ほど、水浴びをして身を洗ってきています。誤解ではありませんか?」
「いいや、臭うな。俺たち犬は、お前ら猫よりも何倍も鼻が利くんだよ。……やり直してこい」
食事抜き、つまりはそういうことでしょう。
さすがに私は耐えきれなくなって、部屋へ戻ろうとしましたが、気力も体力も限界だったのでしょう。途中でふらふらと倒れてしまいました。
(もう嫌だ。ここから逃げ出したい。ご主人様に恩はあるけれど、このままではやっていられない)
冷たい土の上に身を横たえながら、私は何とか涙を堪えていました。
どれくらいそうしていたでしょう。私は、『かさっ』と言う小さな音に気が付いて、顔をあげたのです。
(鼠だ。鼠がいる……)
大犬族が犬のように鼻が利くとすれば、大猫族は猫のように鼠には敏感です。食事を抜かれてお腹も空いていた私は、我を忘れてその鼠を貪っていました。
(みじめだ。野生の猫のように、こんな鼠を食べなければいけないなんて……)
暗い気持ちになりながら、少し膨れた腹を撫でていると、またもや何かの気配に気が付きました。よくよく耳を澄ませると、普通ではありえない数の鼠たちが、屋敷を囲もうとしているようです。
(何だろう? 何かの異変か?)
私は訝しみながら、その鼠たちを片っ端から始末していきます。十匹、百匹、千匹……。朝日に鼠の山が照らされる頃、ようやく鼠たちは屋敷の周りから片付いたようでした。
(不思議なこともあるのだな……)
それからも、毎日、毎日、昼は大犬族の下働きたちからは嫌がらせを受け、夜は鼠を喰らう日々が続きました。気が遠くなるような日々の嫌がらせ、その憤りを鼠にぶつけ続けた結果、屋敷には一匹の鼠も近寄らなくなりました。
そうして、ついに、あの日がやって来たのです。
「……鼠が伝染病を運んでいるらしいが、誰か鼠を見た者はいるか?」
屋敷の主、領主様が下働き全員を集めてそう口を開いたとき、私は目を見開きました。
「領主様、わたくしたちは見ておりません」
「ワリャン、そうか。ふうむおかしいな。街ではかなり病が流行っていると聞いたのだが……」
「……領主様」
「おい!控えろミャオ!領主様の前だぞ!」
私が手を挙げて一歩前へ出た時、ワリャンの副官格の男が怒鳴りかけてきます。本来なら私をここの場に居させることも嫌だったのでしょう。鋭い目で睨み、下がれとばかりに手で制いしてきます。
私はそれを無視して、その場で片膝を付き、領主様への礼を取ります。
「いえ、鼠の件でお伝えしたいことがございまして」
「良い。言ってみろ」
ワリャンを横目で見ると苦い顔をしている。あいつも分かっているのでしょう。犬には犬の、猫には猫の優れているところがあると。
「この屋敷に近づこうとしていた鼠ですが、私がすべて片付けました。一匹も屋敷へは近づけておりません」
顔を伏せたまま静かに告げると、周囲はざわめき始めた。私は気づきました。ここは、一気に語るべき時だと。
「ワリャン、いえ大犬族の下働きたちから受けた仕打ちにより、私はここしばらく一晩中、外におりました。その外にいた時間でどれだけの鼠を始末したことでしょう」
「……どういうことかな?」
領主様は眉をひそめてこちらを見る。しかし、一瞬、ワリャンへも視線が向いたのを、私は見逃さなかった。
「はっ。私の現在の掃除場所は物置小屋の外れでございます。あの場所ですからどうしても臭いが身体についてしまいます。鼻が利くワリャンたちはそれが気になるようでして」
「なるほどな」
領主様は腕を組むと、少し虚空へ目をやり、斜め後ろに控える副官に目をやった。副官は頷き、その場を後にすると、領主様は手を広げて私へ話しかけてくる。
「ミャオ、良くやった。これからのことは追って副官から沙汰を出そう。それから……」
領主の鋭い目がワリャンの方へ向く。ワリャンは身じろぎもせずに少し目を細めただけだったが、ワリャンの副官は慌てたのか、顔を左右に振っている。
「ワリャン、お前には話がある。後で部屋に来るように」
「かしこまりました」
◇◆◇
……この後の話は取り立てて話すようなものでもありません。
ワリャンたち大犬族の下働きは一掃され、代わりに私が下働きのリーダーとなり出世、それからも忠勤に勤めていたのが認められると、めでたく主のお付きにまで任命されることになりました。
ワリャンたちが今頃どうしているのかは知りません。私を恨んでいるのかもしれませんし、別のところで出世したりしているのかもしれません。たまたま私は猫で、お腹が空いていた。
鼠を捕ったのは、ただそれだけの話だったのですからね。
今でこそ平穏な日々を送っていますが、その道のりは多くの障害がありました。
―――これは、私の思い出話です。
◇◆◇
当時のこの家のご主人は、ここ一帯を治める領主様で、今でもとても偉い方で尊敬しています。私の他にも何人もの侍女や下働きを抱え、みんな一生懸命働いていました。でも、下働きのリーダーが大犬族のワリャンになってからと言うもの、私はひどい扱いばかりを受けるのでした。
大猫族と大犬族は仲が悪い。それは分かっているのですが、私は一体、どうなってしまうのでしょう。
暗くてじめじめした物置小屋の外れ、ごみや家畜の糞尿を処理する不衛生な場所、つまり掃き溜めの様な汚いところです。私の働く場所は、ワリャンが手を回したからか、こんな場所になっていました。
「この莫迦ミャオ! お前にやらせる仕事なんてあるか! とっとと出て行けよ」
「そうだぞ、お前みたいな猫はこれでも片付けていろ!」
そう言って、他の下働きたちは、私に生ごみの入った袋の中身を投げてきます。
ぐちゃぐちゃになった生ごみの中には魚の骨、つまり、この魚の骨とでも遊んでいろ、と言いたいのでしょう。どうしてこんなにひどいことをするのだろう、と私は悲しい気持ちになりながら、ひどい臭いの生ごみを片付けるしかありません。
「ははは。猫には魚の骨がお似合いだな。しかし、ひどい臭いだな。……おい」
私に生ごみを投げつけた犬族の下働きは、隣の下働きの男へちらっと目くばせをする。隣にいた男は口端を歪めた笑みを浮かべ、桶に入った水を私に向けてぶちまけてくる。
「さっさと片付けろよ! 早くしねえと、ワリャンさまに俺たちまで文句言われちまうだろう!」
二人の下働きたちは、まるで手伝ってやっていると言わんばかりに、私に向かって水を撒いたり、モップで水を跳ねさせたりと嫌がらせを繰り返してきます。
(犬と猫の違いだけでこんなことをするなんて、ワリャンは何を考えているのだ?私たちは、ご主人様のために働く存在であるはずなのに……)
下働きの犬族からの嫌がらせから解放され、ようやく与えられた場所の掃除を終えると、すっかり日が暮れていました。私はくたくたになりながら何とか汚れた服と身体を洗って、食堂に向かいました。しかし、そこでもまだ、嫌がらせの続きは待っていたのです。
「おい、まだ臭いが残っているぞ。 食堂は清潔にするのが当たり前だ。お前を入れることは出来ないな」
「先ほど、水浴びをして身を洗ってきています。誤解ではありませんか?」
「いいや、臭うな。俺たち犬は、お前ら猫よりも何倍も鼻が利くんだよ。……やり直してこい」
食事抜き、つまりはそういうことでしょう。
さすがに私は耐えきれなくなって、部屋へ戻ろうとしましたが、気力も体力も限界だったのでしょう。途中でふらふらと倒れてしまいました。
(もう嫌だ。ここから逃げ出したい。ご主人様に恩はあるけれど、このままではやっていられない)
冷たい土の上に身を横たえながら、私は何とか涙を堪えていました。
どれくらいそうしていたでしょう。私は、『かさっ』と言う小さな音に気が付いて、顔をあげたのです。
(鼠だ。鼠がいる……)
大犬族が犬のように鼻が利くとすれば、大猫族は猫のように鼠には敏感です。食事を抜かれてお腹も空いていた私は、我を忘れてその鼠を貪っていました。
(みじめだ。野生の猫のように、こんな鼠を食べなければいけないなんて……)
暗い気持ちになりながら、少し膨れた腹を撫でていると、またもや何かの気配に気が付きました。よくよく耳を澄ませると、普通ではありえない数の鼠たちが、屋敷を囲もうとしているようです。
(何だろう? 何かの異変か?)
私は訝しみながら、その鼠たちを片っ端から始末していきます。十匹、百匹、千匹……。朝日に鼠の山が照らされる頃、ようやく鼠たちは屋敷の周りから片付いたようでした。
(不思議なこともあるのだな……)
それからも、毎日、毎日、昼は大犬族の下働きたちからは嫌がらせを受け、夜は鼠を喰らう日々が続きました。気が遠くなるような日々の嫌がらせ、その憤りを鼠にぶつけ続けた結果、屋敷には一匹の鼠も近寄らなくなりました。
そうして、ついに、あの日がやって来たのです。
「……鼠が伝染病を運んでいるらしいが、誰か鼠を見た者はいるか?」
屋敷の主、領主様が下働き全員を集めてそう口を開いたとき、私は目を見開きました。
「領主様、わたくしたちは見ておりません」
「ワリャン、そうか。ふうむおかしいな。街ではかなり病が流行っていると聞いたのだが……」
「……領主様」
「おい!控えろミャオ!領主様の前だぞ!」
私が手を挙げて一歩前へ出た時、ワリャンの副官格の男が怒鳴りかけてきます。本来なら私をここの場に居させることも嫌だったのでしょう。鋭い目で睨み、下がれとばかりに手で制いしてきます。
私はそれを無視して、その場で片膝を付き、領主様への礼を取ります。
「いえ、鼠の件でお伝えしたいことがございまして」
「良い。言ってみろ」
ワリャンを横目で見ると苦い顔をしている。あいつも分かっているのでしょう。犬には犬の、猫には猫の優れているところがあると。
「この屋敷に近づこうとしていた鼠ですが、私がすべて片付けました。一匹も屋敷へは近づけておりません」
顔を伏せたまま静かに告げると、周囲はざわめき始めた。私は気づきました。ここは、一気に語るべき時だと。
「ワリャン、いえ大犬族の下働きたちから受けた仕打ちにより、私はここしばらく一晩中、外におりました。その外にいた時間でどれだけの鼠を始末したことでしょう」
「……どういうことかな?」
領主様は眉をひそめてこちらを見る。しかし、一瞬、ワリャンへも視線が向いたのを、私は見逃さなかった。
「はっ。私の現在の掃除場所は物置小屋の外れでございます。あの場所ですからどうしても臭いが身体についてしまいます。鼻が利くワリャンたちはそれが気になるようでして」
「なるほどな」
領主様は腕を組むと、少し虚空へ目をやり、斜め後ろに控える副官に目をやった。副官は頷き、その場を後にすると、領主様は手を広げて私へ話しかけてくる。
「ミャオ、良くやった。これからのことは追って副官から沙汰を出そう。それから……」
領主の鋭い目がワリャンの方へ向く。ワリャンは身じろぎもせずに少し目を細めただけだったが、ワリャンの副官は慌てたのか、顔を左右に振っている。
「ワリャン、お前には話がある。後で部屋に来るように」
「かしこまりました」
◇◆◇
……この後の話は取り立てて話すようなものでもありません。
ワリャンたち大犬族の下働きは一掃され、代わりに私が下働きのリーダーとなり出世、それからも忠勤に勤めていたのが認められると、めでたく主のお付きにまで任命されることになりました。
ワリャンたちが今頃どうしているのかは知りません。私を恨んでいるのかもしれませんし、別のところで出世したりしているのかもしれません。たまたま私は猫で、お腹が空いていた。
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