『やり直し』できる神さまと私のすれ違い

吉川緑

文字の大きさ
上 下
14 / 18
未来編

2-5.出会いの真相

しおりを挟む
 食事係の朝は早い。いや、ずっと薄暗いので朝と言えるのかは分からないが、とにかく早く起きて準備をしなくてはいけないのである。近ごろのルルは『時の庭園』の主ユアに許可をもらい、神官の手伝いをさせてもらっていた。


「はっ。……寝過ごした」


 ルルは己の有様に呆然としてしまう。ぼさぼさの白い短髪、肩までずり下がったピンク色の寝間着。そして虚ろな黄色い目。ひどい有様だが、大急ぎで身支度を整えれば何とか朝食の準備には間に合うと思い直す。

 クレープとポタージュ、そして、サラダ。ルルは神官と共に朝の食事に取りかかる。ルルが得意とするのは野菜を切ること。キュウリやらトマトやらを輪切りにする早さには自信がある。


「神官さま……お願いします!」
 

 ルルは老神官へ一礼をする。老神官との距離はおおよそ四歩分くらいか。


(私には、この間合いがちょうどよい……)


 きらりと老神官の目が光るのをルルは見逃さない。キュウリ、トマト、リンゴが同時に宙へ舞う。
 ルルは両手の果物ナイフを軽く握り直し、宙に浮かんだ野菜の位置を補足する。
 そして――

 一閃、二閃、三閃……。

 手元でナイフを回し、最後に両手をクロスする。
 今日も綺麗に野菜が切れた、とルルはボウルに入ったサラダを見て得意気に笑みを浮かべる。


「相変わらず鮮やかじゃのう」

「いえいえ。怠けていると良くありませんので」


 ルルにとっては鍛錬であり料理であり曲芸でもあるこの芸当を、一度クロに目撃されたことがある。そのときは「やはりお前はどこかおかしい」と苦言を呈された。

 「刃物を持つと少し元気になる家系だから仕方ない」と言うのがルルの主張だ。もちろん、食材はきちんと料理して平らげているし、クロに文句を言われる筋合いはないと思ったりする。


 朝食が済めば、午前中は皿洗い、素振り、昼食の準備。その後は老神官さんと庭の手入れと、客人よりもメイドのような過ごし方をしているが、ルルの性分は「働かざる者食うべからず」である。

 働いているうちに入るのかは知らないが、何もしなければ頭が発酵していく、とルルは過去の経験から学んでいる。身体を動かす一日は、ルルにとって充実したものだ。


 そうして、ルルの呑気な軟禁生活の一日が終わろうとしたとき、疲れた二つの顔を迎えるのであった。


「はぁ……。どうにも神界の連中は頭が固くてたまらんな」

「おっしゃる通りですな」


 凛々しい顔が萎れているユアと、猫の額ほどの眉間にしわを寄せるクロである。
 ユアさまの場合、丁寧に枯らしたドライフラワーあたりだろうか、とルルは思う。
 疲れて表情が曇っているとはいえ、味わいある表情に目を奪われそうになる。


(いけない、いけない)


 ルルは首を振ってクロへ話を振ってみる。


「クロさんが思う『頭固い』って、どれくらいでしょうねえ」

「おいおい、我は時と場合によるぞ」


 何を言っているとばかりに、クロが両手を広げて首を振った。


「んー、まあ、それはそうかもしれないですが……」


 思えば、最初の頃こそルルとクロは衝突ばかりだった。しかし、クレープ騒動ではルルに気遣ってくれていたし、日々の茶番もけっこう呼吸が合ってきた気がしている。食べかけの団子みたいな姿だが、そう悪い奴ではないよなあ、とクロへの見方を改めている。


「もしかしたら、ちょっと私も誤解をしていたのかもしれないですねえ」

「なんじゃ、槍でも振ってくるのか?」

「はん。隕石降らされた私からすればどうってことないですね」


 ちらっとユアへ視線を向けるが、ルルは責めるつもりで言っていない。『時間の行き来』や『神の価値観』もずいぶん慣れてきたのだ。『時の庭園』に連れてこられた当初と比べれば、ルルもずいぶん大らかになったと思う。


「それを言われると弱いのだがな……。『やり直し』をしているとついつい最適な方法を求めすぎてしまう。俺とて、意地になっていたことはルル、お前に謝罪しておこう。それから、ちょうど良いから言っておくが、今度は未来へ行ってもらわなければいけない」

「いえ、私もずいぶん意地になっていましたから……。『やり直し』の方はまだ整理がつかないですし」


 それより、あの星の未来を見ても変わりがないような、とルルは小声で呟く。


「意外と冷たいことを言うのだな、お主は」

「そう言われても……もう、あの様子は……」


 どう言葉にしてよいか迷ってしまい、ルルはかすかに目を伏せる。
 故郷の星は、少し前には緑色の部分があったが、今では見渡す限りこげ茶色である。もちろん、ルルとて哀しい気持ちになるのだが、遥か彼方の手が届かない領域のようで、どうにも戸惑ってしまう。それに……


(ここの生活も好きになってきたなんて、さすがに言えないよなあ……)

「うーん。星を元に戻すのと過去をやり直さないっていうのを、上手く両立する方法はないのですか? いや、身勝手なことを言っているのは分かっていますが……」

「難しい話だな。お前がやり直すことで失いたくないものは、一体何だ?」


 一言で核心に迫ってくるユア。素直に答える訳にもいかない、とルルは頭をひねる。『失くしたくない記憶』や『ユア、ついでにクロと過ごす生活』その他にも細かいことはある。しかし、それよりも聞かされていないことがあったのを思い返す。


「具体的にこれ……と言うのを挙げるのは難しいのですが……。私はいつから『やり直し』になるのでしょう?」

「あぁ、言われてみればずっと話していなかったな」


 顎に手をやってユアは少し指を噛む。思案しているのだと思うが、ユアの鋭い目つきにルルは見覚えがあった。あれは『時の神』としての姿だ。


「……乙女心を無くさなければ構わない、とか言うのは駄目ですかね」

「はあ? 朝からナイフを振り回すような娘が、何を言っているのだ?」


 『時の神ユア』としての冷たい姿を見て、少し空気を和ませようとしたが、しくじったようだ。ルルの冗談が笑えなかったとしても、クロの反応はなかなか手厳しい。ルルとて冗談をしくじったらそれなりに傷つく。


(やっぱり、古時計は頭が固いじゃないか)


 そんな言葉を聞いても何も感じません、とばかりにルルは横目でクロを見る。本題を進めたいのであろうクロもそれ以上は何も言わなかった。あとは、思案しているユアが何を話すのか、だが……。


「まあ、クロ待て。そうだな、いつから『やり直すか』と言う話はしておかねばなるまい」


 冷たく表情を殺したユアはゆっくりと口を開く。その姿は、時を司る神と呼ぶに足る威厳と、緊張感を持ち合わせていた。
 首の後ろが緊張で痛くなるような空気を感じながら、ルルはその表情を見つめる。


(どうしてこんな神を前に、私は意地を張れていたのだろう。さっぱり分からない)


「やり直してもらうのは、十八年前からだ。お前は知っているか?『あの事件』、そう『ボン・ボール事件』のことを」

「『ボン・ボール』って言うと、魔道具を作る商店ですよね。とても規模の大きな。私は十八年前だと三歳でしたから、事件のことは覚えていませんね」

「そうか。お前が俺に会ったのも、三歳の頃からだ。その事件が起きてからずっと、俺は機会を窺っていた」

(まあ、分かってはいたのだけどさ)


 ルルはずっと、ユアのことを『立ち直らせてくれる神』と思っていた。
 実際にはそうではなく、ルルに『やり直し』をさせることが目的だった。
 ルルとユアは出会ったときから、すれ違っていたのだ。

 実際に言葉にされてみると、案外辛い物があった。幼い頃から慕っていた姿、ユアと近づけた気がしていたが、彼は彼の事情でやっていたに過ぎなかった。薄々分かってはいたが、簡単に受け入れるのも苦しい。


 『時の庭園』は音がない。誰かが動かないと、風も起きない。

 息詰まる沈黙を破ったのはクロであった。ユアの視線を受け、役目を察したのだろう。しばし沈黙してクロは目を閉じていたが、決心したように頷くと口を開く。


「話さねばなりませんか。我が、一体何をしでかしてしまったのか、ということを……」


 ルルにはルルの、ユアにはユアの、そして、クロにはクロの事情がある。
 『時の神と人間の娘』が出会うきっかけとなった事件、その話が『罪人クロ』から話されようとしていた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

【完結】冷徹執事は、つれない侍女を溺愛し続ける。

たまこ
恋愛
 公爵の専属執事ハロルドは、美しい容姿に関わらず氷のように冷徹であり、多くの女性に思いを寄せられる。しかし、公爵の娘の侍女ソフィアだけは、ハロルドに見向きもしない。  ある日、ハロルドはソフィアの真っ直ぐすぎる内面に気付き、恋に落ちる。それからハロルドは、毎日ソフィアを口説き続けるが、ソフィアは靡いてくれないまま、五年の月日が経っていた。 ※『王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく。』のスピンオフ作品ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。

私の名前を呼ぶ貴方

豆狸
恋愛
婚約解消を申し出たら、セパラシオン様は最後に私の名前を呼んで別れを告げてくださるでしょうか。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

我儘令嬢なんて無理だったので小心者令嬢になったらみんなに甘やかされました。

たぬきち25番
恋愛
「ここはどこですか?私はだれですか?」目を覚ましたら全く知らない場所にいました。 しかも以前の私は、かなり我儘令嬢だったそうです。 そんなマイナスからのスタートですが、文句はいえません。 ずっと冷たかった周りの目が、なんだか最近優しい気がします。 というか、甘やかされてません? これって、どういうことでしょう? ※後日談は激甘です。  激甘が苦手な方は後日談以外をお楽しみ下さい。 ※小説家になろう様にも公開させて頂いております。  ただあちらは、マルチエンディングではございませんので、その関係でこちらとは、内容が大幅に異なります。ご了承下さい。  タイトルも違います。タイトル:異世界、訳アリ令嬢の恋の行方は?!~あの時、もしあなたを選ばなければ~

処理中です...