焦げ付いた砂糖水のように

小島秋人

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 苦しむ為の人生であることを定期的に失念してしまう責任の所在を何処に置こうか、と言う話だ。移り気な自身を責めていろ、と言う話な訳ではあるのだが。

 外面の良さが災いしてか、他人を不用意に懐に受け入れてしまう事は少なくない。蓋を開ければ大概に「重い男」なのだが中々周知されない。体裁を取り繕う事に執心して生きていれば当然か。

 納得できないのは、蓋を開けて暫くは悪臭に耐えようと努力しておいて唐突に梯子を外すこと。いやが上にも期待を高めてしまい、いざ踏み込めば足が折れると言うのは酷い了見だ。或いは、その勇気に知らず知らず体重を掛けすぎているのだろうか。注ぐ相手は変わらず一人だと言うのに。

 数で括るのが見当違いだと言うのも理解はしている。出会いから二十年、泉下に向かってよりは十五年。想った時間で言えば相応の重みが有って然りと想うだろうが、実の所向き合って愛を寄せ合った時間は半年にも満たない。

 その数ヶ月に人生をこうまで振り回されるとは、我ながら驚嘆の至りだ。腹の底まで愛を注がれた実感は、人生を棒に振るに値する。

 幸せになれないのも自明だろう。其れ以降、どれだけ愛し愛されても満ち足りないのは、求める相手を決定的に間違えているからに他ならない。

 何度となくこの結論に至って、それでも尚余生に縋ってのたうち回る理由も一つしかない。寂寥を不満としたままでは、人生を終えられない。
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