ハナノカオリ

桜庭かなめ

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Fragrance 2-ウラヤミノカオリ-

第3話『岡村椿』

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 真奈は用事があるのを思い出したそうで、制服に着替えると1人で急いで帰ってしまった。
 普段は鏡原駅まで一緒に真奈と帰るんだけど、今日は1人か。原田絢の様子を見に行くのもありだけど、意外と周りは見ているようだから、何かのきっかけで怪しまれるかもしれない。
 まあ、今日は気分も良いし、どこにも寄らずにさっさと家に帰ろうかな。
 制服に着替え、女子更衣室を出る。すると、

「瑠璃、ちゃん……」

 赤髪のショートボブの女の子が私の名前を呼ぶ。首を上げないと、私の顔をまともに見ることができないほどの小さな可愛い女の子。
 彼女の名前は岡村椿(おかむらつばき)。クラスメイトで休み時間になると真奈と一緒に3人でよく話す。
 椿はあまり人と話すのが得意ではない大人しい女の子だ。私や真奈以外の生徒とはあまり話さないけど、特に嫌われているわけではない。人見知り……なんだと思う。結構可愛いし、女子力も高いので彼女のことが気になるクラスメイトは多かったりする。
 クラス内でグループを作ったりする中、部活繋がりの生徒中心に馴れ合っていた私はどこのグループにも属さなくなっていた。最初はそれでもいいかな、って思っていたけど、日が経つに連れて徐々に居づらくなり始めた。なので、同じく1人だった椿に話しかけてみたところ、何だか気が合ってクラスメイトの中で一番話す存在になった。
 そういえば、椿って帰宅部だったような。

「どうしたの? こんな時間に」
「あっ、その……図書室で勉強してて気付いたら下校時間になってて。一度も瑠璃ちゃんと帰ったことがなかったから、一緒に帰ろうと思って」
「なるほどね」

 思い返してみれば、椿と一緒に帰ったことは一度もなかったっけ。

「一緒に帰ってもいいかな?」
「当たり前だよ。私も一度、椿と一緒に帰ってみたかったから」
「……うん」

 椿は頬を赤くして嬉しそうに微笑んだ。可愛いな。

「じゃあ、一緒に帰ろっか」
「……うん」
「椿って電車に乗って通学してるんだっけ?」
「うん。潮浜市の方から電車で通学してるよ」
「そっか。じゃあ、鏡原駅まで一緒に行こうか。私、徒歩で通学してるからさ」

 私がそう言うと、椿は申し訳なさそうな表情を見せる。

「そ、それなら一緒に帰らなくて大丈夫だよ。ご迷惑だし……」
「気にしなくていいよ。真奈と帰るときはいつも鏡原駅まで行くから。それに、私は椿と2人で帰ってみたいな。それなら、断る理由はないだろう?」

 椿は他人を優先してしまう傾向がある。ささないな理由でも迷惑をかけない選択肢を選びたがる。

「椿はもっと我が儘になってくれていいんだよ」
「瑠璃、ちゃん……」
「だからさ、鏡原駅まで一緒に帰ろう。それが椿の我が儘なんだろう?」
「……うん! 瑠璃ちゃんと一緒に帰りたい!」
「分かった。じゃあ、帰ろっか」

 既に午後6時を回っているので、陽はもう沈みかけている。空も大分暗くて、風も肌寒く感じる。

「寒いな、椿」
「……うん、そうだね」

 学校の教室では結構喋れるのに、こうして2人きりで歩いていると、意外と喋れないものなんだな。別に椿が話しかけにくい子だとか、真奈がいないから無理だとかそういうわけじゃない。

 ただ、いざ話そうって思うと話題がなかなか出てこないだけだ。
 何も話せないまま校門を出る。すると、

「ねえ、瑠璃ちゃん」
「どうかした?」

 驚いた。椿から話しかけるなんて。話題を振るのはいつも私か真奈なのに。

「え、ええと……」

 椿はもじもじとして口も噤んでいる。こんな姿も可愛いな。

「て、手を繋ごう!」

 突然、そんなことを言って椿は強引に私の手を掴んだ。

「せっかく、2人きりなんだし……瑠璃ちゃんと手を繋ぎたい」
「あっ、うん……い、いいけど」

 何だろう。このドキッ、とした感じ。突然、手を繋がれたことに驚いちゃったからかな。こんなに積極的な椿、初めてだから。
 でも、それならどうしてこのドキドキは収まらない?
 椿から話しかけてきてくれたのは嬉しいけど、余計に何を話しかければいいのか分からなくなっちゃったな。それに、椿は私の腕を引っ張るようにして歩いているから、声をかけても返事をしてくれなさそうだ。
 普通、クラスメイトと2人で帰るときって手を繋ぐものなのかなぁ。今までそんな経験はなかったんだけど。
 いつもとは違う椿の行動にとまどいもあるけど、それよりも依然続く胸の鼓動の方がよっぽど気になる。本当に何なんだよ。椿のことを考えると余計に激しくなる。こんなこと、初めてだ。緊張してるのか?
 気付けば人気のほとんどない線路沿いを歩いていた。遠くには鏡原駅周辺の高層ビルが見える。
「ここなら大丈夫かな」

 椿はそう呟くと急に立ち止まった。

「あのさ、椿。鏡原駅の方に近づいていないように思えるけれど」
「……そうだよ。だって、帰りたくないから」
「えっ?」

 どうして、急に帰りたくないなんて言うんだろう。
 椿は私の方に振り返り、お互いに顔を見合う形になった。
 すっかりと日が暮れてしまったけれど、街灯の明かりのおかげで椿の頬が紅潮していることが分かった。
 しばらくの間、椿は口を開かなかった。そして、

「私は瑠璃ちゃんのことが好きです。私と付き合ってくれませんか」

 ようやく聞こえた椿の声に乗せられた言葉は、そんな愛の告白だった。
 椿の真摯な言葉。じっと見つめる純粋な瞳に私は吸い込まれそうになる。
 そして、想いは揺らぐ。
 遥香と原田絢を引き裂いてしまおう、という黒い想い。どうして、何の関わりの無い椿からの告白で揺らいでしまうんだ。

「どうして、私、なんかを……」

 どうすればいいのか分からなくて、思わずそんな言葉が漏れてしまう。

「どうしてなのかはっきりとは分からない。でも、1人だった私に優しく声をかけてくれて、それからの毎日がとても楽しくなって。気付いたら、瑠璃ちゃんのことが頭から離れなくなって。いつの間にか、好きだっていう感情に変わってて」
「椿……」
「はっきりしてるのは、瑠璃ちゃんのことが好きだってこと。恋人として瑠璃ちゃんとずっと一緒にいたいこと。それだけ……なの」

 そして、椿はそっと私の胸に顔を当ててくる。

「女の子同士で付き合うのは間違っているのかもしれない。でも、好きだっていう気持ちに嘘は付きたくないの。だから、覚悟を決めて告白したんだよ」

 椿の言葉に込められた想いがあまりにも真っ直ぐで、心苦しくなる。
 そして、羨ましく思う。
 自分の気持ちがはっきりしていて、告白する覚悟を持っていて。そんな椿が眩しくて、自分がみっともなさ過ぎて彼女と目が合わせられない。
 きっと、遥香に対してと同じように椿にも『特別な感情』を抱いているのだと思う。でも、それ何なのかが全く分からない。2人に対する感情が同じかどうかさえも。

「瑠璃ちゃん。私と……付き合ってくれますか?」

 どう答えればいいのか全く分からない。自分の気持ちが分からないのだから。
 椿を突き放してでもこの場から早く逃げ出したい。それが、今の私の中にある一番はっきりとした気持ちだった。

「……覚悟だなんて軽々しく言わないで」

 椿のことは見ずにそう言った。椿の顔を見てしまったら、何も言えなくなってしまいそうだったから。

「私と付き合うってことは、いずれは私の色々なことを知ることになるんだよ! 私は椿の想像のつかないような黒い部分を持ってる。それを知ったとしても私のことを好きでいられる覚悟があなたにあるの?」
「そ、それは……」
「あるわけない。あるわけないから、知り合って間もないこの時期に告白できるんだ。私は椿をできるだけ傷つけたくない。彼女になって私の酷い部分を知って傷つくよりも、今ここで振って傷つく方がよっぽどマシだよ。だから、椿の恋人にはならない」

 最低だ、私は。色々な人の気持ちを潰そうとしてる。遥香と原田絢を引き裂くことだって、それは愛し合う気持ちを粉々にすることなんだから。そんな私が心優しい椿と付き合っちゃいけないんだ。
 椿とは付き合わない。そう心に決めて椿の顔を見ると、彼女の目からは一筋の涙が流れていた。
 今の椿の姿を見て思う。

 もし、原田絢を引き離したら遥香も同じように涙を流すのか、と。

 そう思うと自分のしようとしていることが罪深いことであると思い知らされる。だからこそ、椿とはやはり恋人同士になるわけにはいかない。

「……それが瑠璃ちゃんの答えなんだね」
「ごめん」
「ううん、いいんだよ。私、瑠璃ちゃんの気持ちを全く考えることができなかった。自分の気持ちばかり押しつけて、嫌だったよね……」
「そんなことないよ。椿が私のことが好きだっていう気持ち、凄く嬉しかった」
「瑠璃ちゃんは優しいな。でも、本音を言ってくれていいんだよ。そんな、私のことを慰めるような言葉じゃなくても……」

 椿はそう言うけど、私は何も言えなかった。
 私なんかよりもよっぽど優しくて。純情で。きっと、傷つく覚悟も持っていて。
 それでも椿を傷つけたくない。いずれ明らかになってしまうかもしれないことに、椿を巻き込ませたくない。その気持ちは確かだった。

「言いたい言葉は何もないってことなんだね。本当にごめん、瑠璃ちゃん。さようなら」

 そう言って、椿は泣きながら走り去ってしまった。
 追いかけることもせず、私はその場で立ち尽くす。

「もう、何が何なのか分からない……」

 遥香や椿に対する特別な気持ちも。
 遥香から原田絢を引き裂きたいと考える動機も。
 それらの全てが、椿からの告白で全く分からなくなってしまったのだ。
 そして、何とも言いがたい罪悪感だけが重くのし掛かるのであった。
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