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特別編7
第4話『コアマ』
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東京国際展示ホールは東展示棟、西展示棟、南展示棟、会議棟の4つの建物で構成されている。氷織お目当てのサークルは全て東展示棟に配置されているため、俺達は東展示棟のある方に向かって歩いていく。
本当に人が多いなぁ。外にいるときよりも建物の中にいる今の方がさらに人が多い感覚に。人だらけとも言える。さすがは3日で50万人以上来場するだけのことはあるな。
ゆっくりとした歩みで通路を進んでいき、俺達は東展示棟のコンコースに到着する。
「東展示棟に到着しましたね」
「ああ。東の方ってこんな感じなんだな。これまでは企業ブース目当てだったから、西の方ばかり行っててさ」
「なるほどです。東の方には企業ブースはありませんもんね」
「ああ。氷織と一緒だから、結構新鮮な感じだ。……どのサークルから行こうか?」
「まずは『紅園』というサークルに行きましょう。ここは大手サークルですし、沙綾さんから代理購入を頼まれていますから」
「そうか」
「サークルの配置番号は『東4 し-70』です。なので、あの4番の入口からホールに入りましょう」
「分かった」
俺達は『4』と書かれている入口から、東展示棟のホールに入る。
ホールの中は数え切れないほどのサークル参加者と一般参加者がおり、とても賑わっている。また、入口近くにもサークル配置がされており、
「これ、1部ください」
「ありがとうございます! 500円になります!」
といったやり取りも聞こえてきて。その方に視線を向けると、サークル参加している人も一般参加している人も笑顔になっていて。いい光景だ。
「賑わってるなぁ。人がいっぱいいるから凄さも感じる」
「凄いですよね。今回でコアマに来るのは3回目ですが、毎回この光景を見るとそう思います。あと、同人誌を作る人も読む人もこんなにいるんだって感動しますね」
氷織は柔らかな笑顔でそう言う。
氷織は高校の文芸部で小説を書いたり、小説投稿サイトで『蒼川小織』というペンネームで人気の小説を公開したりしている。創作をしているからこそ、何かを作る人やそれを読む人がたくさんいるこの光景に感動するのだと思う。
氷織が持ってきたサークル配置図を頼りに、『紅園』が配置されている場所に向かって歩いていく。
「あそこが『紅園』ですね」
そう言い、氷織は指さす。
氷織が指さした方に視線を向けると……サークルスペースの前には多くの人が並んでいる。また、女性中心に『Kouen』と書かれた赤色のTシャツを着ている数人が、接客をしたり、列の整理をしたりしていて。きっと、あのTシャツを着ている人が、サークルメンバーやスタッフさんなのだろう。
また、サークルスペースの後ろの壁には、美麗な男性が描かれたイラストのポスターが何枚も貼られている。いいイラストだなぁ。壁サークルになるのも納得かも。
「『紅園』の最後尾は屋外となっております!」
赤いTシャツを着た女性がそうアナウンスする。
「待っているのは、サークルスペースの前にいる人だけじゃないんだな」
「そうですね。大手サークルだと、外から並ぶことは多いです」
「そうなんだ。企業ブースの方も人気のところだと屋外から並ぶことがあるな。人気だから人がいっぱい並ぶし、途中までは外で待ってもらった方が他の人の迷惑にならずに済むんだろうな」
「でしょうね。会場内の混雑も避けられますし。近くに出入口がありますから、そこから外に出ましょう」
「ああ」
サークルスペースの横に外に繋がる出口がある。そこから外に出ると、長い列がいくつも視界に入る。きっと、これらは人気サークルの待機列なのだろう。
『紅園』の待機列はどれだろう? そう思って周りを見渡すと、『し-70 紅園 最後尾はこちら』と描かれたプラカードを見つけた。結構遠くにある。
「あそこにあったな」
「……あっ、ありましたね。行きましょうか」
「ああ」
俺達は『紅園』の最後尾に向かう。
2列で並んでいる。BLの同人誌を頒布するサークルなだけあって、並んでいる人は女性が多いな。男性もいるけど、そういう人は俺のように女性同伴がほとんどだ。
最後尾に行くと、黒髪の女性がプラカードを持っていた。
「すみません。この列に並びますので、俺がプラカードを持ちます」
「ありがとうございますっ」
俺が申し出ると、黒髪の女性は嬉しそうな笑顔でお礼を言い、俺にプラカードを渡してきた。
俺は最後尾のプラカードを掲げて、氷織と隣同士で並ぶ。
「明斗さん、プラカードを持ってもらってありがとうございます」
「いえいえ。それに、背の高い俺が持った方が見つけてもらいやすいかと思って」
「きっと見つけやすいと思いますよ。あと、プラカードを持つってすんなりと言いましたね」
「今まで企業ブースに行ったときも、こうしてプラカードを持って並ぶことが何度もあったからな。また一つ役に立てたかな」
「はいっ」
氷織はニコッとした笑顔でそう言ってくれる。これまで企業ブース目当てにコアマに参加してきたけど、その経験が役に立って嬉しい。
このサークルが人気サークルなだけあって、俺達が並んでから1分ほどで男女2人がやってきて、
「すみません。ここのサークルに並ぶので、プラカードを持ちます」
「ありがとうございます」
と、茶髪の男性にプラカードを渡した。
「お疲れ様でした、明斗さん」
「ありがとう、氷織」
1分くらいしか持たなかったけど、氷織から『お疲れ様』と言ってもらえて嬉しい。
「大手サークルなだけあって、外まで結構長い列ができてるなぁ」
「そうだね、リョウ君。樹理先生のために、頑張って並んで代理購入しよう」
「そうだな、愛実」
後ろに並ぶ男女からそういった会話が聞こえてきた。同人誌を代理購入ためにコアマに参加する人って結構いるのだろうか。
そういえば、コアマが開会して、会場に入っていくときも代理購入をお願いする教師と生徒の会話が聞こえたな。教え子に代理購入を頼む教師って意外といるものなのかな。
「そういえば、氷織。これまでに、このサークルの列に並んだことはあるのか?」
「はい、あります」
「今まではどのくらいの時間並んだ?」
「そうですね……1時間は並びましたね」
「そっか。最低1時間か。まあ、これだけ多く並んでいれば、そのくらいは並ぶか。……外で暑いけど、頑張ろう、氷織」
「はいっ」
熱中症にならないように気をつけながら並ぼう。
氷織曰く、このサークルではオリジナルのBL作品と、少年漫画の二次創作のBL同人誌の2作が新作として頒布されている。その2作をセットでも販売しており、セットを買うと、限定特典として紙の手提げと4ページのコピー本がもらえるのだとか。それもあって、葉月さんから新刊セットの代理購入を頼まれたそうだ。
「それにしても、コアマで恋人の明斗さんと一緒に並ぶ日が来るなんて。前回コアマに来たときには想像もしませんでした」
「俺もだよ」
高校生になって、氷織のことを知ってからコアマに参加したことはある。ただ、そのときには氷織と付き合って、氷織と一緒にサークルの待機列で並ぶことなんて想像もしなかった。当時の俺に今の状況を教えても信じてはもらえないだろう。
「ただ、これからは同人イベントにデートに来るのが定番になるでしょうね」
「そうだな。ここまで楽しい時間を過ごせているし」
「ええ!」
お盆と年末にコアマに来るのは定着しそうだ。どちらの時期も長期休暇中だし。
漫画やアニメの話をしたり、イヤホンをシェアして音楽を聴いたりしながら待機列での時間を過ごしていく。直射日光が当たって結構暑いので、定期的に水分や塩分などを補給したり、扇子で扇いだりもして。
定期的に俺達は前に進んでいき、さっき出てきた出入口に少しずつ近づいている。
並び始めてから30分ほど経ったとき、
「『紅園』の新刊はそれぞれ2冊まで、新刊セットは2セットまでとなります! 今後も制限が変わるかもしれません! よろしくお願いします!」
『紅園』のTシャツを着る女性からそんなアナウンスがなされた。
「新刊セットは2セットまでか。結構売れているのかな」
「そうかもしれませんね。前回並んだときも、並ぶ途中で2セットと制限がかかりました。まあ、今のところは買うのは2セットの予定なので大丈夫です。万が一、1セットまでと制限がかかっても明斗さんがいるので安心です」
「そっか」
2セットまで買える間は安心して大丈夫そうかな。きっと、売り切れのアナウンスされる前に、購入できるのが1人1セットになるとアナウンスされるだろうから。こういうことでも、氷織の役に立てたかな。
「そういえば、俺も企業ブースでグッズを買うために並んだとき、途中で今みたいにこのグッズは1人1つまでとか、あのグッズは完売しましたってスタッフさんがアナウンスしていたな」
「そうでしたか。長い列を並んでいるときのあるあるかもしれませんね」
「そうだな」
ただ、目当ての新刊セットが売り切れたとアナウンスがされないことを祈る。
それからも炎天下の中で、待機列の時間を過ごす。
朝早く出発したのもあって、お腹が空いてきた。なので、持参したスティック状の栄養食などを食べたり、ゼリー飲料を飲んだりもした。会場で長時間並んだり、人がたくさんいて飲食店で食べられなかったりするかもしれないということで、氷織も俺も事前にお昼ご飯を用意してきたのだ。一口交換するのも楽しいし、お昼ご飯を食べたことで体力が回復した。
並び始めてから1時間以上が経って、俺達は建物の中まで進むことができた。『紅園』のサークルスペースがはっきりと見える。
「やっとホールの中に戻ってきましたね」
「ああ。これまで外にいたから、日差しが当たらないだけでもかなり涼しいな」
「ですね。サークルスペースも見えますので、かなり進んだのだと実感します」
「だな。俺達の番まであと少しだ」
ちなみに、購入制限は新刊が2冊、セットが2つまでと変わらない。このまま売り切れにならないのを願うばかりだ。ここで売り切れアナウンスが来たら精神的にかなりくる。
どうか無事に買えますように、とこれまでよりも強く願いつつ、待機列での時間を過ごし……いよいよ俺達の番になった。
「すみません。新刊セットを2つ購入したいのですが……大丈夫でしょうか?」
氷織は目の前に立っているサークルTシャツ姿の女性にそう問いかける。
「はい、大丈夫ですよ。新刊セット2つで2000円となります」
Tシャツ姿の女性は快活な笑顔でそう言ってくれた。
自分の分と葉月さんの分が買えることが分かったからか、氷織はとても嬉しそうな笑顔になって。そんな氷織を見ていると自然と頬が緩んでいくのが分かった。
氷織は女性に2000円ちょうどを渡して、女性から新刊が入った紙の手提げを2セット受け取る。受け取った瞬間、氷織の口角がさらに上がって。俺も嬉しい気持ちになる。
後ろにも人がたくさん並んでいるので、購入が終わると俺達はサークルスペースから少し離れたところまで移動した。
「無事に新刊セットを2つ買えました! 嬉しいですっ!」
氷織は今日一番の大きな声でそう言った。新刊セットを買えてとても嬉しいことがひしひしと伝わってくる。
「良かったな、氷織。おめでとう」
「ありがとうございます! 明斗さんがいたおかげで、2セットまでの購入制限がかかっても安心していられました。一緒に並んでくれてありがとうございました!」
「どういたしまして。氷織のためになれて良かったよ」
そう言い、氷織の頭を優しくポンポンと叩くと、氷織はニッコリとした笑顔を見せてくれる。その笑顔を見ると嬉しい気持ちが膨らんでいく。
「無事に買えたことを沙綾さんに報告しましょう」
「そうだな」
氷織はスマホを取り出し、4人のグループトークに、葉月さんが代理購入を頼んでいた新刊セットを購入できた旨のメッセージを送る。
すると、葉月さんからお礼のメッセージが届く。また、葉月さんと火村さんは氷織が代理購入を頼んでいる大手サークルの列に並んでいるとのこと。自分達の番はあと少しで、購入制限がかかっているけど何とか買えそうだという。
「沙綾さん、喜んでくれて嬉しいです」
「そうだな。あと、向こうも並んでいるんだ」
「ええ。大手サークルの新刊同人誌を頼みましたからね。無事に購入できたら嬉しいです」
「ああ。そうなるように願おう」
「ええ。では、次のサークル……『よみつき』に行きましょう。ここは大手のサークルではありませんが、人気上昇中のサークルなんです。GLの同人誌を頒布しています」
「そうなんだ。GLは漫画や小説を読むし、俺も買ってみようかな」
それに、お目当ての同人誌を買えて嬉しがっている氷織を見たら、俺も同人誌を買いたくなってきたから。
「『よみつき』の同人誌はとてもいいですよ! では、行きましょうか」
「ああ、行こう」
俺達は再び手を繋いで、『よみつき』のサークルスペースに向かって歩き始める。氷織が他に買いたい同人誌も買えるといいな。
□後書き□
読んでいただきありがとうございます。
お気づきの方もいるかもしれませんが、明斗がサークルのプラカードを渡した相手は『10年ぶりに再会した幼馴染と、10年間一緒にいる幼馴染との青春ラブコメ』という作品のキャラクターです。
本当に人が多いなぁ。外にいるときよりも建物の中にいる今の方がさらに人が多い感覚に。人だらけとも言える。さすがは3日で50万人以上来場するだけのことはあるな。
ゆっくりとした歩みで通路を進んでいき、俺達は東展示棟のコンコースに到着する。
「東展示棟に到着しましたね」
「ああ。東の方ってこんな感じなんだな。これまでは企業ブース目当てだったから、西の方ばかり行っててさ」
「なるほどです。東の方には企業ブースはありませんもんね」
「ああ。氷織と一緒だから、結構新鮮な感じだ。……どのサークルから行こうか?」
「まずは『紅園』というサークルに行きましょう。ここは大手サークルですし、沙綾さんから代理購入を頼まれていますから」
「そうか」
「サークルの配置番号は『東4 し-70』です。なので、あの4番の入口からホールに入りましょう」
「分かった」
俺達は『4』と書かれている入口から、東展示棟のホールに入る。
ホールの中は数え切れないほどのサークル参加者と一般参加者がおり、とても賑わっている。また、入口近くにもサークル配置がされており、
「これ、1部ください」
「ありがとうございます! 500円になります!」
といったやり取りも聞こえてきて。その方に視線を向けると、サークル参加している人も一般参加している人も笑顔になっていて。いい光景だ。
「賑わってるなぁ。人がいっぱいいるから凄さも感じる」
「凄いですよね。今回でコアマに来るのは3回目ですが、毎回この光景を見るとそう思います。あと、同人誌を作る人も読む人もこんなにいるんだって感動しますね」
氷織は柔らかな笑顔でそう言う。
氷織は高校の文芸部で小説を書いたり、小説投稿サイトで『蒼川小織』というペンネームで人気の小説を公開したりしている。創作をしているからこそ、何かを作る人やそれを読む人がたくさんいるこの光景に感動するのだと思う。
氷織が持ってきたサークル配置図を頼りに、『紅園』が配置されている場所に向かって歩いていく。
「あそこが『紅園』ですね」
そう言い、氷織は指さす。
氷織が指さした方に視線を向けると……サークルスペースの前には多くの人が並んでいる。また、女性中心に『Kouen』と書かれた赤色のTシャツを着ている数人が、接客をしたり、列の整理をしたりしていて。きっと、あのTシャツを着ている人が、サークルメンバーやスタッフさんなのだろう。
また、サークルスペースの後ろの壁には、美麗な男性が描かれたイラストのポスターが何枚も貼られている。いいイラストだなぁ。壁サークルになるのも納得かも。
「『紅園』の最後尾は屋外となっております!」
赤いTシャツを着た女性がそうアナウンスする。
「待っているのは、サークルスペースの前にいる人だけじゃないんだな」
「そうですね。大手サークルだと、外から並ぶことは多いです」
「そうなんだ。企業ブースの方も人気のところだと屋外から並ぶことがあるな。人気だから人がいっぱい並ぶし、途中までは外で待ってもらった方が他の人の迷惑にならずに済むんだろうな」
「でしょうね。会場内の混雑も避けられますし。近くに出入口がありますから、そこから外に出ましょう」
「ああ」
サークルスペースの横に外に繋がる出口がある。そこから外に出ると、長い列がいくつも視界に入る。きっと、これらは人気サークルの待機列なのだろう。
『紅園』の待機列はどれだろう? そう思って周りを見渡すと、『し-70 紅園 最後尾はこちら』と描かれたプラカードを見つけた。結構遠くにある。
「あそこにあったな」
「……あっ、ありましたね。行きましょうか」
「ああ」
俺達は『紅園』の最後尾に向かう。
2列で並んでいる。BLの同人誌を頒布するサークルなだけあって、並んでいる人は女性が多いな。男性もいるけど、そういう人は俺のように女性同伴がほとんどだ。
最後尾に行くと、黒髪の女性がプラカードを持っていた。
「すみません。この列に並びますので、俺がプラカードを持ちます」
「ありがとうございますっ」
俺が申し出ると、黒髪の女性は嬉しそうな笑顔でお礼を言い、俺にプラカードを渡してきた。
俺は最後尾のプラカードを掲げて、氷織と隣同士で並ぶ。
「明斗さん、プラカードを持ってもらってありがとうございます」
「いえいえ。それに、背の高い俺が持った方が見つけてもらいやすいかと思って」
「きっと見つけやすいと思いますよ。あと、プラカードを持つってすんなりと言いましたね」
「今まで企業ブースに行ったときも、こうしてプラカードを持って並ぶことが何度もあったからな。また一つ役に立てたかな」
「はいっ」
氷織はニコッとした笑顔でそう言ってくれる。これまで企業ブース目当てにコアマに参加してきたけど、その経験が役に立って嬉しい。
このサークルが人気サークルなだけあって、俺達が並んでから1分ほどで男女2人がやってきて、
「すみません。ここのサークルに並ぶので、プラカードを持ちます」
「ありがとうございます」
と、茶髪の男性にプラカードを渡した。
「お疲れ様でした、明斗さん」
「ありがとう、氷織」
1分くらいしか持たなかったけど、氷織から『お疲れ様』と言ってもらえて嬉しい。
「大手サークルなだけあって、外まで結構長い列ができてるなぁ」
「そうだね、リョウ君。樹理先生のために、頑張って並んで代理購入しよう」
「そうだな、愛実」
後ろに並ぶ男女からそういった会話が聞こえてきた。同人誌を代理購入ためにコアマに参加する人って結構いるのだろうか。
そういえば、コアマが開会して、会場に入っていくときも代理購入をお願いする教師と生徒の会話が聞こえたな。教え子に代理購入を頼む教師って意外といるものなのかな。
「そういえば、氷織。これまでに、このサークルの列に並んだことはあるのか?」
「はい、あります」
「今まではどのくらいの時間並んだ?」
「そうですね……1時間は並びましたね」
「そっか。最低1時間か。まあ、これだけ多く並んでいれば、そのくらいは並ぶか。……外で暑いけど、頑張ろう、氷織」
「はいっ」
熱中症にならないように気をつけながら並ぼう。
氷織曰く、このサークルではオリジナルのBL作品と、少年漫画の二次創作のBL同人誌の2作が新作として頒布されている。その2作をセットでも販売しており、セットを買うと、限定特典として紙の手提げと4ページのコピー本がもらえるのだとか。それもあって、葉月さんから新刊セットの代理購入を頼まれたそうだ。
「それにしても、コアマで恋人の明斗さんと一緒に並ぶ日が来るなんて。前回コアマに来たときには想像もしませんでした」
「俺もだよ」
高校生になって、氷織のことを知ってからコアマに参加したことはある。ただ、そのときには氷織と付き合って、氷織と一緒にサークルの待機列で並ぶことなんて想像もしなかった。当時の俺に今の状況を教えても信じてはもらえないだろう。
「ただ、これからは同人イベントにデートに来るのが定番になるでしょうね」
「そうだな。ここまで楽しい時間を過ごせているし」
「ええ!」
お盆と年末にコアマに来るのは定着しそうだ。どちらの時期も長期休暇中だし。
漫画やアニメの話をしたり、イヤホンをシェアして音楽を聴いたりしながら待機列での時間を過ごしていく。直射日光が当たって結構暑いので、定期的に水分や塩分などを補給したり、扇子で扇いだりもして。
定期的に俺達は前に進んでいき、さっき出てきた出入口に少しずつ近づいている。
並び始めてから30分ほど経ったとき、
「『紅園』の新刊はそれぞれ2冊まで、新刊セットは2セットまでとなります! 今後も制限が変わるかもしれません! よろしくお願いします!」
『紅園』のTシャツを着る女性からそんなアナウンスがなされた。
「新刊セットは2セットまでか。結構売れているのかな」
「そうかもしれませんね。前回並んだときも、並ぶ途中で2セットと制限がかかりました。まあ、今のところは買うのは2セットの予定なので大丈夫です。万が一、1セットまでと制限がかかっても明斗さんがいるので安心です」
「そっか」
2セットまで買える間は安心して大丈夫そうかな。きっと、売り切れのアナウンスされる前に、購入できるのが1人1セットになるとアナウンスされるだろうから。こういうことでも、氷織の役に立てたかな。
「そういえば、俺も企業ブースでグッズを買うために並んだとき、途中で今みたいにこのグッズは1人1つまでとか、あのグッズは完売しましたってスタッフさんがアナウンスしていたな」
「そうでしたか。長い列を並んでいるときのあるあるかもしれませんね」
「そうだな」
ただ、目当ての新刊セットが売り切れたとアナウンスがされないことを祈る。
それからも炎天下の中で、待機列の時間を過ごす。
朝早く出発したのもあって、お腹が空いてきた。なので、持参したスティック状の栄養食などを食べたり、ゼリー飲料を飲んだりもした。会場で長時間並んだり、人がたくさんいて飲食店で食べられなかったりするかもしれないということで、氷織も俺も事前にお昼ご飯を用意してきたのだ。一口交換するのも楽しいし、お昼ご飯を食べたことで体力が回復した。
並び始めてから1時間以上が経って、俺達は建物の中まで進むことができた。『紅園』のサークルスペースがはっきりと見える。
「やっとホールの中に戻ってきましたね」
「ああ。これまで外にいたから、日差しが当たらないだけでもかなり涼しいな」
「ですね。サークルスペースも見えますので、かなり進んだのだと実感します」
「だな。俺達の番まであと少しだ」
ちなみに、購入制限は新刊が2冊、セットが2つまでと変わらない。このまま売り切れにならないのを願うばかりだ。ここで売り切れアナウンスが来たら精神的にかなりくる。
どうか無事に買えますように、とこれまでよりも強く願いつつ、待機列での時間を過ごし……いよいよ俺達の番になった。
「すみません。新刊セットを2つ購入したいのですが……大丈夫でしょうか?」
氷織は目の前に立っているサークルTシャツ姿の女性にそう問いかける。
「はい、大丈夫ですよ。新刊セット2つで2000円となります」
Tシャツ姿の女性は快活な笑顔でそう言ってくれた。
自分の分と葉月さんの分が買えることが分かったからか、氷織はとても嬉しそうな笑顔になって。そんな氷織を見ていると自然と頬が緩んでいくのが分かった。
氷織は女性に2000円ちょうどを渡して、女性から新刊が入った紙の手提げを2セット受け取る。受け取った瞬間、氷織の口角がさらに上がって。俺も嬉しい気持ちになる。
後ろにも人がたくさん並んでいるので、購入が終わると俺達はサークルスペースから少し離れたところまで移動した。
「無事に新刊セットを2つ買えました! 嬉しいですっ!」
氷織は今日一番の大きな声でそう言った。新刊セットを買えてとても嬉しいことがひしひしと伝わってくる。
「良かったな、氷織。おめでとう」
「ありがとうございます! 明斗さんがいたおかげで、2セットまでの購入制限がかかっても安心していられました。一緒に並んでくれてありがとうございました!」
「どういたしまして。氷織のためになれて良かったよ」
そう言い、氷織の頭を優しくポンポンと叩くと、氷織はニッコリとした笑顔を見せてくれる。その笑顔を見ると嬉しい気持ちが膨らんでいく。
「無事に買えたことを沙綾さんに報告しましょう」
「そうだな」
氷織はスマホを取り出し、4人のグループトークに、葉月さんが代理購入を頼んでいた新刊セットを購入できた旨のメッセージを送る。
すると、葉月さんからお礼のメッセージが届く。また、葉月さんと火村さんは氷織が代理購入を頼んでいる大手サークルの列に並んでいるとのこと。自分達の番はあと少しで、購入制限がかかっているけど何とか買えそうだという。
「沙綾さん、喜んでくれて嬉しいです」
「そうだな。あと、向こうも並んでいるんだ」
「ええ。大手サークルの新刊同人誌を頼みましたからね。無事に購入できたら嬉しいです」
「ああ。そうなるように願おう」
「ええ。では、次のサークル……『よみつき』に行きましょう。ここは大手のサークルではありませんが、人気上昇中のサークルなんです。GLの同人誌を頒布しています」
「そうなんだ。GLは漫画や小説を読むし、俺も買ってみようかな」
それに、お目当ての同人誌を買えて嬉しがっている氷織を見たら、俺も同人誌を買いたくなってきたから。
「『よみつき』の同人誌はとてもいいですよ! では、行きましょうか」
「ああ、行こう」
俺達は再び手を繋いで、『よみつき』のサークルスペースに向かって歩き始める。氷織が他に買いたい同人誌も買えるといいな。
□後書き□
読んでいただきありがとうございます。
お気づきの方もいるかもしれませんが、明斗がサークルのプラカードを渡した相手は『10年ぶりに再会した幼馴染と、10年間一緒にいる幼馴染との青春ラブコメ』という作品のキャラクターです。
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