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特別編4
第7話『クロールレース』
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「ああっ、スポーツドリンク美味しいです」
「本当に美味しいな、氷織」
海水をたくさんかけ合ったことや、高い波に飲み込まれた際に海水をちょっと飲んでしまったこともあり、氷織が「喉が渇きました」と言ってきた。なので、俺は氷織と一緒にレジャーシートまで戻ってきて、少し休憩することにしたのだ。
水筒に入っているスポーツドリンクを一口飲むと、喉が潤っていくのが分かった。俺も氷織達と水をかけ合って遊んでいたから、気付かない間に喉が渇いていたんだな。
喉の渇きは脱水症状のサインとも聞くし、真夏だから熱中症にかかってしまう危険もある。水分補給はこまめにしないといけないな。そう思いつつ、俺はスポーツドリンクをもう一口飲んだ。
「おっ、アキと青山」
「2人は休憩かな?」
和男と清水さんがレジャーシートに戻ってきた。
「水分補給ついでに小休憩って感じだ」
「喉が渇きまして」
「そうか」
「夏だから水分補給は大切だよね。海水がちょっと冷たいから感覚が鈍くなりがちだけど、海で遊ぶのも結構な運動になるの。だから、気付かないうちにたくさん汗を掻いちゃって、熱中症になっちゃうこともあるんだよ」
清水さんはいつもの可愛らしい笑顔でそう言う。さすがは陸上部のマネージャー。体のことや体調に関することの知識が豊富だ。
「俺もスポーツドリンクを飲んだら、喉が潤うのが分かってさ。清水さんの言うように、気付かない間に汗を掻いていたんだろうな」
「そうかもね。あたし達もビーチボールでたくさん遊んだから、水分補給をしに来たんだ」
俺が見ていた範囲では、和男と清水さんは波打ち際でずっとビーチボールを使って遊んでいたからな。もしかしたら、俺や氷織よりも汗を掻いているのかもしれない。
和男と清水さんは、それぞれ自分のバッグから水筒を取り出し、ゴクゴクと飲む。
「ぷはあっ! スポドリめっちゃ美味いぜ!」
「美味しいよね、和男君!」
美味しいものを飲んだからか、和男も清水さんも幸せそうだ。そんな2人を見ていると、こっちまで気持ちが爽やかになっていく。きっと、陸上部の活動中も、こういう感じで休憩しているんだろうな。
「なあ、アキ。確か、6月に青山とプールデートをしたときに、青山からクロールを教わったんだよな」
「ああ。コツを教わって、25m泳げるようになったよ」
「あのときの明斗さんの成長ぶりは凄かったですね」
当時のことを思い出しているのか、氷織は柔らかな笑顔になる。氷織に教えてもらうまでは全然泳げなかったからな。氷織の上手な教えもあって、25mを泳げるようになったのだと思っている。
「そうなのか。じゃあ、俺とクロールでレースしないか?」
和男はニッコリと笑いながら俺にそんな提案をしてくる。
「やってもいいけど……勝負になるかなぁ。和男、去年遊びに来たときは結構泳いでいたし、速く見えたけど」
「いっぱい泳いだな。ただ、陸上では速く動けるけど、水中では人並みくらいだぜ。体力があるから、たくさんの距離を泳げるけど」
「そうなのか」
「おう! それに……こう言っていいのか分からねえけど、去年のアキは全然泳げなかった。だから、人並み程度の俺の泳ぎも速く見えたんじゃないか? それに、ここはプールじゃなくて海だ。穏やかだが波もある。もしかしたら、いいレースになるかもしれねえぞ?」
和男は持ち前の明るく朗らかな表情でそう言ってくる。
泳げなかった頃は、ちゃんと泳げる人を見ると凄いと思っていた。去年の夏の和男も、この前のプールデートでの氷織の泳ぎも速く見えて。和男の言う通り、泳げないことによるバイアスがかかっていたのかもしれない。
「分かった。じゃあ、一勝負してみるか」
「おう、勝負しようぜ!」
嬉しさのあまりか、和男は俺の背中をバシンと強く叩いてくる。……痛い。このせいで、和男に勝てる確率が減ったかも。
「面白そう! 和男君と紙透君の試合を見ているよ」
「一緒に見ましょう、美羽さん。ただ、どういう形で勝負しましょうか」
「そうだね……互いにカップルだし、自分の恋人のところへ先に到着できたら勝ちにするのはどうかな?」
「それはいいですね!」
普段よりも高い声でそう言うと、氷織は清水さんに向かって「うんうん」と頷いている。
自分の恋人のいるところへ先にゴールした方が勝ちか。互いに恋人がいるからこそできる勝負だな。
「ナイスアイデアだな、美羽! 燃えてきたぜ!」
「面白そうだ。じゃあ、清水さんの言った形で試合するか」
「おう! やろうぜ!」
俺はバッグから水中メガネを取り出し、氷織達3人と一緒に海へ入っていく。
さっき、氷織と水をかけ合って遊んだときよりも波が穏やかになっている。これなら和男とレースをしても大丈夫そうだ。
「おっ、どうしたッスか。4人一緒に海に入ってきて」
「何か遊ぶのかしら?」
引き続き、浮き輪やフロートマットに乗ってゆったりしていた火村さんと葉月さんにそんな言葉を掛けられる。
「これから、和男とクロールでレースをするんだ」
「自分の彼女に早く着いた方がゴールするっていうルールだ!」
「へえ、それは面白そうね」
「そうッスね。じゃあ、あたし達がスターターやゴールの判定をするッスよ」
「それは助かるぜ! よりレースっぽくなるな!」
「そうだな。お願いするよ」
スターターやゴールの判定員がいた方がよりしっかりしたレースになりそうだから。
火村さんと葉月さんが話し合った結果、葉月さんがスターターで、火村さんがゴールの判定員をすることになった。
その後、みんなで俺の腰の深さくらいのところまで行く。
俺は和男と葉月さんと一緒に、氷織達から離れていく。
ここら辺でいいんじゃないか、と和男が言ったので立ち止まることに。氷織達との距離は……だいたい30mくらいだろうか。このくらいの距離なら一度も脚をつかずに泳ぐことができそうだ。
俺と和男はそれぞれの恋人の正面となる場所に立つ。
「いやぁ、アキと一緒に泳げる日が来るとはな!」
「俺も同じことを思ってるよ。6月まで泳げなかったし」
「ははっ、そうか。今は遊びだけど試合だ。アキには負けないぜ!」
「俺も……精一杯頑張る」
「おう! お互い頑張ろうな!」
和男は白い歯を見せて笑い、俺に向かってサムズアップ。いいスポーツマンシップの持ち主だと思う。俺は何のスポーツもやっていないけど、和男の心構えを見習いたい。俺も和男に向けてサムズアップした。
「男同士のいい友情ッスね。上半身裸ッスから本当に美しい光景ッス……」
凄く満足そうに言う葉月さん。葉月さんはボーイズラブやガールズラブが大好物な女の子だからな。今、彼女の頭の中ではどんな世界が広がっているんだろうか。そこに俺と和男がいそうだけど、あまり考えないようにしよう。今はレースに集中だ。
「そろそろスタートするけどいいッスかー?」
氷織達の方を向いて、葉月さんが大きな声で問いかける。
すると、氷織達はこちらに向かって大きく手を振って、
『いいよー!』
と返事が返ってきた。
俺は水中メガネを装着して、両腕のストレッチをする。
クロールを泳ぐのは氷織とのプールデート以来だ。あのときに氷織が教えてくれたコツを思い出して精一杯泳ごう。
「じゃあ、行くッスよー! 位置について。よーい……スタート!」
スターター・葉月さんの号令によって、俺と和男によるレースがスタートした。
プールのようにすぐ後ろに壁がない。だから、蹴伸びではなく、膝を曲げて、戻したときの勢いを利用して泳ぎ始める。氷織に向かって。
今までも泳げているからか。それとも、体力の差なのか。スタート直後から、俺の右側を泳ぐ和男とは体半分との差がついている。……でも、焦るな。まずは氷織が教えてくれたクロールのコツを思い出すんだ。
両脚はお尻から動かすようにする。
ストロークは肩甲骨から大きく回すようにする。
息継ぎはストロークと連動して、腕が水に入るときに顔を出して呼吸する。
これらのコツを心がけて泳いでいく。
知識だけでなく、体の動きとしても覚えているな。だから、多少波のある海だけど、スイスイと前へ進んでいけている。正面にある水着姿の氷織の下半身がはっきり見えてきた。
「いい調子ですよ、明斗さん! 頑張って!」
「和男君頑張って!」
「紙透なかなか泳げているじゃない!」
ゴールが近づいてきたからか、息継ぎをしているときを中心に、ゴール地点で待っている氷織達の声が聞こえてくる。また、葉月さんの「2人ともいい泳ぎッスよ!」という声も。
今も和男とは体半分ほどの差がついている。追いつくためにも、ラストスパートをかけ始める。
しかし、和男に俺の考えを見抜かれていただろうか。和男のスピードが上がっていき、和男との差が広がっていく。
それから程なくして、清水さんのところへ辿り着いて立ち上がる姿が見えた。その直後に俺は氷織のお腹に優しくタッチして、氷織の目の前で立ち上がった。
「倉木の勝ち!」
火村さんが大きな声でレース結果を伝えた。
「やったぜ!」
「おめでとう、和男君!」
俺の隣で、倉木と清水さんは嬉しそうに抱きしめ合っている。そんなカップルに俺と氷織は「おめでとう」と祝福の言葉を贈った。火村さんと葉月さんも2人に拍手している。
「負けたな。途中まで和男とは体半分の差だったから、もしかしたら……って思ったけど、和男は凄かったよ」
「明斗さんも終盤にスピードが上がりましたが、倉木さんはそれ以上でしたね」
「ああ。さすがは和男だ。何だか悔しいな」
「それだけいい試合ができていたということですよ。ただ、プールデートのときに私が教えたクロールのコツを覚えていて、今日もしっかり泳げていたことが嬉しいです! あのときのプール以上の距離があったと思いますし、ここは海ですから。一度も脚をつかずにここまで泳げた明斗さんは凄いですよ! 明斗さんの泳ぐ姿は素敵でした。そんな明斗さんにご褒美です」
可愛らしい笑顔でそう言うと、氷織は両手を俺の頬に添えてキスしてきた。
海で遊んでいるのもあってか、氷織の唇は普段よりも湿っていて、ふっくらとしていて。氷織がさっき飲んでいたスポーツドリンクの甘味もほんのりと感じられて。泳いだ疲れがすーっと抜けていく感じがした。
10秒ほどして氷織から唇を離す。頬に添えていた両手を俺の背中の方に回し、俺のことを抱きしめる形に。氷織は俺を見上げて、ニコッと笑った。
「最高のご褒美をもらったよ、氷織」
「良かったです」
「あと、氷織が正面にいて、氷織が応援してくれたから一度も足をつかずに泳げたよ。ありがとう」
氷織の頭を撫でると、氷織は目を細めて笑ってくれる。氷織がいなかったら、海でこういう時間を過ごすことはできなかっただろう。氷織には感謝の気持ちでいっぱいだ。
「何か、今のアキと青山を見たら、試合には勝ったけど、勝負には負けた感じがするぜ」
「2人とも嬉しそうだし、氷織ちゃんのおかげで紙透君は泳げるようになったもんね」
「試合には負けたけど、楽しく泳げたよ。ありがとう、和男」
「おう! 俺も楽しかったぜ! ありがとな!」
和男は右手で清水さんを抱きしめながら、左手で俺に向かってサムズアップした。水もしたたる本当にいい男だ。
今後も、和男と一緒に海で遊ぶときには、今みたいにクロールのレースをしたいな。できれば、いつかは勝ちたいものである。
「本当に美味しいな、氷織」
海水をたくさんかけ合ったことや、高い波に飲み込まれた際に海水をちょっと飲んでしまったこともあり、氷織が「喉が渇きました」と言ってきた。なので、俺は氷織と一緒にレジャーシートまで戻ってきて、少し休憩することにしたのだ。
水筒に入っているスポーツドリンクを一口飲むと、喉が潤っていくのが分かった。俺も氷織達と水をかけ合って遊んでいたから、気付かない間に喉が渇いていたんだな。
喉の渇きは脱水症状のサインとも聞くし、真夏だから熱中症にかかってしまう危険もある。水分補給はこまめにしないといけないな。そう思いつつ、俺はスポーツドリンクをもう一口飲んだ。
「おっ、アキと青山」
「2人は休憩かな?」
和男と清水さんがレジャーシートに戻ってきた。
「水分補給ついでに小休憩って感じだ」
「喉が渇きまして」
「そうか」
「夏だから水分補給は大切だよね。海水がちょっと冷たいから感覚が鈍くなりがちだけど、海で遊ぶのも結構な運動になるの。だから、気付かないうちにたくさん汗を掻いちゃって、熱中症になっちゃうこともあるんだよ」
清水さんはいつもの可愛らしい笑顔でそう言う。さすがは陸上部のマネージャー。体のことや体調に関することの知識が豊富だ。
「俺もスポーツドリンクを飲んだら、喉が潤うのが分かってさ。清水さんの言うように、気付かない間に汗を掻いていたんだろうな」
「そうかもね。あたし達もビーチボールでたくさん遊んだから、水分補給をしに来たんだ」
俺が見ていた範囲では、和男と清水さんは波打ち際でずっとビーチボールを使って遊んでいたからな。もしかしたら、俺や氷織よりも汗を掻いているのかもしれない。
和男と清水さんは、それぞれ自分のバッグから水筒を取り出し、ゴクゴクと飲む。
「ぷはあっ! スポドリめっちゃ美味いぜ!」
「美味しいよね、和男君!」
美味しいものを飲んだからか、和男も清水さんも幸せそうだ。そんな2人を見ていると、こっちまで気持ちが爽やかになっていく。きっと、陸上部の活動中も、こういう感じで休憩しているんだろうな。
「なあ、アキ。確か、6月に青山とプールデートをしたときに、青山からクロールを教わったんだよな」
「ああ。コツを教わって、25m泳げるようになったよ」
「あのときの明斗さんの成長ぶりは凄かったですね」
当時のことを思い出しているのか、氷織は柔らかな笑顔になる。氷織に教えてもらうまでは全然泳げなかったからな。氷織の上手な教えもあって、25mを泳げるようになったのだと思っている。
「そうなのか。じゃあ、俺とクロールでレースしないか?」
和男はニッコリと笑いながら俺にそんな提案をしてくる。
「やってもいいけど……勝負になるかなぁ。和男、去年遊びに来たときは結構泳いでいたし、速く見えたけど」
「いっぱい泳いだな。ただ、陸上では速く動けるけど、水中では人並みくらいだぜ。体力があるから、たくさんの距離を泳げるけど」
「そうなのか」
「おう! それに……こう言っていいのか分からねえけど、去年のアキは全然泳げなかった。だから、人並み程度の俺の泳ぎも速く見えたんじゃないか? それに、ここはプールじゃなくて海だ。穏やかだが波もある。もしかしたら、いいレースになるかもしれねえぞ?」
和男は持ち前の明るく朗らかな表情でそう言ってくる。
泳げなかった頃は、ちゃんと泳げる人を見ると凄いと思っていた。去年の夏の和男も、この前のプールデートでの氷織の泳ぎも速く見えて。和男の言う通り、泳げないことによるバイアスがかかっていたのかもしれない。
「分かった。じゃあ、一勝負してみるか」
「おう、勝負しようぜ!」
嬉しさのあまりか、和男は俺の背中をバシンと強く叩いてくる。……痛い。このせいで、和男に勝てる確率が減ったかも。
「面白そう! 和男君と紙透君の試合を見ているよ」
「一緒に見ましょう、美羽さん。ただ、どういう形で勝負しましょうか」
「そうだね……互いにカップルだし、自分の恋人のところへ先に到着できたら勝ちにするのはどうかな?」
「それはいいですね!」
普段よりも高い声でそう言うと、氷織は清水さんに向かって「うんうん」と頷いている。
自分の恋人のいるところへ先にゴールした方が勝ちか。互いに恋人がいるからこそできる勝負だな。
「ナイスアイデアだな、美羽! 燃えてきたぜ!」
「面白そうだ。じゃあ、清水さんの言った形で試合するか」
「おう! やろうぜ!」
俺はバッグから水中メガネを取り出し、氷織達3人と一緒に海へ入っていく。
さっき、氷織と水をかけ合って遊んだときよりも波が穏やかになっている。これなら和男とレースをしても大丈夫そうだ。
「おっ、どうしたッスか。4人一緒に海に入ってきて」
「何か遊ぶのかしら?」
引き続き、浮き輪やフロートマットに乗ってゆったりしていた火村さんと葉月さんにそんな言葉を掛けられる。
「これから、和男とクロールでレースをするんだ」
「自分の彼女に早く着いた方がゴールするっていうルールだ!」
「へえ、それは面白そうね」
「そうッスね。じゃあ、あたし達がスターターやゴールの判定をするッスよ」
「それは助かるぜ! よりレースっぽくなるな!」
「そうだな。お願いするよ」
スターターやゴールの判定員がいた方がよりしっかりしたレースになりそうだから。
火村さんと葉月さんが話し合った結果、葉月さんがスターターで、火村さんがゴールの判定員をすることになった。
その後、みんなで俺の腰の深さくらいのところまで行く。
俺は和男と葉月さんと一緒に、氷織達から離れていく。
ここら辺でいいんじゃないか、と和男が言ったので立ち止まることに。氷織達との距離は……だいたい30mくらいだろうか。このくらいの距離なら一度も脚をつかずに泳ぐことができそうだ。
俺と和男はそれぞれの恋人の正面となる場所に立つ。
「いやぁ、アキと一緒に泳げる日が来るとはな!」
「俺も同じことを思ってるよ。6月まで泳げなかったし」
「ははっ、そうか。今は遊びだけど試合だ。アキには負けないぜ!」
「俺も……精一杯頑張る」
「おう! お互い頑張ろうな!」
和男は白い歯を見せて笑い、俺に向かってサムズアップ。いいスポーツマンシップの持ち主だと思う。俺は何のスポーツもやっていないけど、和男の心構えを見習いたい。俺も和男に向けてサムズアップした。
「男同士のいい友情ッスね。上半身裸ッスから本当に美しい光景ッス……」
凄く満足そうに言う葉月さん。葉月さんはボーイズラブやガールズラブが大好物な女の子だからな。今、彼女の頭の中ではどんな世界が広がっているんだろうか。そこに俺と和男がいそうだけど、あまり考えないようにしよう。今はレースに集中だ。
「そろそろスタートするけどいいッスかー?」
氷織達の方を向いて、葉月さんが大きな声で問いかける。
すると、氷織達はこちらに向かって大きく手を振って、
『いいよー!』
と返事が返ってきた。
俺は水中メガネを装着して、両腕のストレッチをする。
クロールを泳ぐのは氷織とのプールデート以来だ。あのときに氷織が教えてくれたコツを思い出して精一杯泳ごう。
「じゃあ、行くッスよー! 位置について。よーい……スタート!」
スターター・葉月さんの号令によって、俺と和男によるレースがスタートした。
プールのようにすぐ後ろに壁がない。だから、蹴伸びではなく、膝を曲げて、戻したときの勢いを利用して泳ぎ始める。氷織に向かって。
今までも泳げているからか。それとも、体力の差なのか。スタート直後から、俺の右側を泳ぐ和男とは体半分との差がついている。……でも、焦るな。まずは氷織が教えてくれたクロールのコツを思い出すんだ。
両脚はお尻から動かすようにする。
ストロークは肩甲骨から大きく回すようにする。
息継ぎはストロークと連動して、腕が水に入るときに顔を出して呼吸する。
これらのコツを心がけて泳いでいく。
知識だけでなく、体の動きとしても覚えているな。だから、多少波のある海だけど、スイスイと前へ進んでいけている。正面にある水着姿の氷織の下半身がはっきり見えてきた。
「いい調子ですよ、明斗さん! 頑張って!」
「和男君頑張って!」
「紙透なかなか泳げているじゃない!」
ゴールが近づいてきたからか、息継ぎをしているときを中心に、ゴール地点で待っている氷織達の声が聞こえてくる。また、葉月さんの「2人ともいい泳ぎッスよ!」という声も。
今も和男とは体半分ほどの差がついている。追いつくためにも、ラストスパートをかけ始める。
しかし、和男に俺の考えを見抜かれていただろうか。和男のスピードが上がっていき、和男との差が広がっていく。
それから程なくして、清水さんのところへ辿り着いて立ち上がる姿が見えた。その直後に俺は氷織のお腹に優しくタッチして、氷織の目の前で立ち上がった。
「倉木の勝ち!」
火村さんが大きな声でレース結果を伝えた。
「やったぜ!」
「おめでとう、和男君!」
俺の隣で、倉木と清水さんは嬉しそうに抱きしめ合っている。そんなカップルに俺と氷織は「おめでとう」と祝福の言葉を贈った。火村さんと葉月さんも2人に拍手している。
「負けたな。途中まで和男とは体半分の差だったから、もしかしたら……って思ったけど、和男は凄かったよ」
「明斗さんも終盤にスピードが上がりましたが、倉木さんはそれ以上でしたね」
「ああ。さすがは和男だ。何だか悔しいな」
「それだけいい試合ができていたということですよ。ただ、プールデートのときに私が教えたクロールのコツを覚えていて、今日もしっかり泳げていたことが嬉しいです! あのときのプール以上の距離があったと思いますし、ここは海ですから。一度も脚をつかずにここまで泳げた明斗さんは凄いですよ! 明斗さんの泳ぐ姿は素敵でした。そんな明斗さんにご褒美です」
可愛らしい笑顔でそう言うと、氷織は両手を俺の頬に添えてキスしてきた。
海で遊んでいるのもあってか、氷織の唇は普段よりも湿っていて、ふっくらとしていて。氷織がさっき飲んでいたスポーツドリンクの甘味もほんのりと感じられて。泳いだ疲れがすーっと抜けていく感じがした。
10秒ほどして氷織から唇を離す。頬に添えていた両手を俺の背中の方に回し、俺のことを抱きしめる形に。氷織は俺を見上げて、ニコッと笑った。
「最高のご褒美をもらったよ、氷織」
「良かったです」
「あと、氷織が正面にいて、氷織が応援してくれたから一度も足をつかずに泳げたよ。ありがとう」
氷織の頭を撫でると、氷織は目を細めて笑ってくれる。氷織がいなかったら、海でこういう時間を過ごすことはできなかっただろう。氷織には感謝の気持ちでいっぱいだ。
「何か、今のアキと青山を見たら、試合には勝ったけど、勝負には負けた感じがするぜ」
「2人とも嬉しそうだし、氷織ちゃんのおかげで紙透君は泳げるようになったもんね」
「試合には負けたけど、楽しく泳げたよ。ありがとう、和男」
「おう! 俺も楽しかったぜ! ありがとな!」
和男は右手で清水さんを抱きしめながら、左手で俺に向かってサムズアップした。水もしたたる本当にいい男だ。
今後も、和男と一緒に海で遊ぶときには、今みたいにクロールのレースをしたいな。できれば、いつかは勝ちたいものである。
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