恋人、はじめました。

桜庭かなめ

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続編

プロローグ『正式に付き合い始めて』

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続編



 5月14日、金曜日。
 初夏の日差しの強い温もりと、少し開けた教室の窓から入ってくる風の涼しさが気持ちいい。
 日本史を担当する教師の声のトーンが静かだから、段々と眠気が襲ってきて。それに抗いながら、板書を写していく。
 板書を写すと、俺・紙透明斗かみとうあきとの視界の中に、整った美しい顔立ちと銀色の長髪が特徴的な女子生徒の姿が入る。昨日から正式に付き合い始めた俺の恋人・青山氷織あおやまひおりの姿が。その瞬間に眠気が薄れていった。



 去年の秋頃から、俺は氷織に片想いし続けて。ただ、氷織は男子中心に大人気の生徒で、数え切れないほどに告白され、振ってきた。それもあり、『絶対零嬢』と呼ぶ生徒もいるほどで。だから、告白できずにいる日々が続いた。
 先月末、放課後に偶然2人きりになったときがあり、勇気を出して告白した。そのとき、氷織は、

「これまでの告白とは違います」

「紙透さんから告白されたとき、これまでの告白とは違って、胸がほんのり温かくなった感覚があったんです。これが好意なのかは分かりませんが」

 と返事してくれた。なので、俺から期間を決めてお試しで付き合わないかと提案し、俺達はお試しの恋人関係になった。
 昼休みに一緒にお昼ご飯を食べたり、放課後デートやお家デートをしたり、友人達と一緒に遊園地に遊びに行ったり。お試しで付き合う仲で、氷織と一緒に楽しい時間を過ごし、思い出をたくさん作ってきた。告白したときは無表情だった氷織も、段々と笑顔を見せてくれるようになって。
 また、一緒に過ごす中で、氷織の中学時代の辛い過去を教えてもらったり、偶然だけどその過去に関わった女の子と再会したり。ただ、その再会が、氷織が俺に対する気持ちが何なのかをはっきりと自覚させるきっかけになった。

「私は明斗さんのことが好きです。ですから、私と……正式にお付き合いしてくれませんか」

 昨日、氷織から告白され、俺はもちろん受け入れた。
 こうして、俺達は正式に恋人として付き合い始め、今に至るのである。



 氷織を見ながらこれまでのことを思い出すだけで、とても幸せな気持ちになれる。お試しで付き合っていたときも幸せに感じることは多々あった。これからも、そういった時間を氷織と一緒にたくさん過ごしていきたい。
 俺の視線を感じたのだろうか。氷織はこちらに顔を向けてきて。俺と目が合うと、氷織は柔和な笑みを見せ、左手で小さく手を振ってくれる。どの女の子よりも可愛いな。今の氷織の笑顔のおかげで眠気が完全に吹っ飛んだよ。そのことに感謝しつつ、俺は右手で小さく手を振ったのであった。


 氷織と正式に付き合い始め、朝礼前に教室でキスしたから、授業の合間の10分休みの時間は男子中心に氷織のことで質問攻めに遭った。何を決め手にお試しから正式な恋人になったのかとか。学校でキスするほどだから、氷織とはかなりの段階まで進んでいるのかとか。
 また、一部生徒からは「どうしてお前が氷織と正式に付き合えるんだ」といった嫉妬混じりの質問をされた。そういうときは、親友の倉木和男くらきかずおがフォローしてくれたけど。氷織の人気の凄まじさを改めて思い知った。
 俺と同じような理由なのか、氷織も休み時間には女子達に囲まれている。向こうは和気藹々といった感じで、氷織は楽しそうに会話していた。


 授業ではたまに見る氷織に癒され、休み時間には友人やクラスメイト達に質問攻めに遭っていたから、あっという間に昼休みの時間がやってきた。
 氷織とお試しで付き合い始めてから、昼休みは氷織の席で2人きりでお昼ご飯を食べるのが日常となっている。今日も氷織のところへ向かうため、自分の席を立ち上がる。

「アキ。今日も青山の席で食べるんだな」
「もちろん。昼休みが待ち遠しかったよ」
「そうか。行ってこい!」
「いってらっしゃい。今日も紙透君の椅子を借りるね」

 気づけば、クラスメイトで和男の恋人の清水美羽しみずみうさんが俺達の近くに来ていた。氷織とお試しで付き合う前までは、このカップルと一緒にお昼ご飯を食べるのが日課だった。
 ちなみに、和男と清水さんは2人になっても昼食を楽しく食べているそうだ。たまに、俺と氷織のことを見て、俺達の話題で盛り上がることもあるのだとか。

「分かった。じゃあ、行ってくるよ」

 俺は弁当袋と水筒を持って、氷織の席へと向かう。
 氷織は既に机の上にお弁当箱と水筒を出しており、今は友人の火村恭子ひむらきょうこさんと楽しそうに喋っていた。

「氷織、お待たせ」
「いえいえ」
「じゃあ、あたしはこれで。……2人でお昼ご飯を食べるのが日課なんだから、2人きりの時間を過ごさせてあげなさいよっ!」

 教室にいるみんなに聞こえるような声で火村さんはそう言い、自分の席へ戻っていった。午前中の授業合間の休み時間は俺も氷織も、普段と違って色々な生徒と話していた。だから、昼休みは今までと同じように過ごしてほしいと思ってくれているのだろう。
 そういえば、お試しで付き合い始めて、初めて氷織と2人でお昼ご飯を食べるとき、和男が今の火村さんのように声かけをしてくれたっけ。
 いつもの通り、教卓にある椅子を借り、氷織と向かい合う形で座る。
 こうして、すぐ目の前から氷織の姿を見るのには慣れてきた。
 ただ、今の氷織はこれまで以上に可愛くて、顔を見ているとドキドキしてしまう。昨日までとは違って、氷織と正式と付き合うようになったからだろうか。

「どうかしましたか、明斗さん。顔がほんのり赤いですけど」

 微笑みながらそう問いかける氷織。ドキドキしている気持ちが顔に出ていたか。

「氷織が今まで以上に可愛いなって。正式に付き合い始めたからかな。氷織の顔をすぐ目の前から見てドキドキしてきて」
「ふふっ、そうですか。可愛いって言ってくれて嬉しいです。明斗さんも今まで以上にかっこいいです。私達……正式に付き合い始めたんですよね。そう思うと、私もドキドキしてきちゃいました」

 えへっ、と氷織は可愛らしい笑い声を漏らす。そんな彼女の顔は淡く紅潮してきて。俺の顔の赤みも今の彼女と同じ感じなのだろうか。

「さあ、お昼ご飯を食べましょう」
「そうだね。いただきます」
「いただきますっ」

 いつも通り、俺は氷織と話しながら親の作ってくれた弁当を食べ始める。
 弁当の中身はいつもとあまり変わりはないけど、どれも今までよりも味わい深く感じる。これも、目の前にいる氷織が、お試しから正式な恋人に変わったからだろうか。

「そういえば、午前中の休み時間は氷織のことをたくさん訊かれたなぁ」
「明斗さんの周りに生徒がいっぱい集まっていましたよね。私も明斗さんのことをたくさん訊かれました。放課後や休日に、明斗さんとどんな風に過ごしたのかとか。正式に付き合いたいと思った決め手とか。し、進展具合とか。きっと、朝礼前にキスしたからだと思いますけど」

 お弁当を食べる直前よりも、氷織の顔の赤みが強くなる。そんな彼女のも顔もまた可愛らしくて。
 休み時間に氷織を囲んでいた女子達も同じようなことを訊いたか。それだけ、俺達が正式に付き合い始めたことと、教室にいる生徒達の前でキスした衝撃が大きかったのだろう。キスしているところを見たら、俺達がどこまで進んでいるのか訊きたがる生徒は何人も出てくるよな。ましてや、カップルの片方は人気がとても高い氷織だし。

「きっとそうだと思う。俺も同じようなことを訊かれたよ。進展具合も含めて、ざっくりと答えておいた」
「私もです。……教室でキスしましたから、みなさん私達のことを知りたいんですね」
「そうだね。ただ、交際している相手が大人気な氷織だからだと思うよ」
「……あうっ」

 そんな可愛らしい声を漏らすと、氷織の顔の赤みがさらに強くなる。

「あ、明斗さんだって人気ありますよ。優しくてかっこいい人ですから。明斗さんいいね、って話す子が何人もいましたから」
「そ、そうなんだ」

 中には氷織の彼氏だからお世辞で言ってくれている人もいたと思うけど……素直に受け取っておこう。あと、氷織から「優しくてかっこいい人」と言われて嬉しい。
 何だか照れくさい空気になっているな。よし、話題を変えるか。

「……氷織。実は今日、氷織のためにだし巻き卵を作ってきたんだ」
「だし巻き卵ですか?」
「うん。今日は早めに起きられたからさ。それに、今まで氷織が俺のためにおかずを作ってきてくれたことは何度かあったけど、俺が作ったことはなかったから」
「確かに、今回が初めてですね」
「だよね」

 俺は弁当袋からだし巻き卵が入った小さなタッパーを取り出す。
 タッパーの蓋を開けると、氷織は目を輝かせて「わぁっ」と声を漏らす。

「美味しそうなだし巻き卵です」
「ありがとう。氷織は甘いものやスイーツが好きだから、甘めに作ったよ」
「そうなんですね。だし巻き卵も甘いのが好きですね」
「それなら良かった。じゃあ、俺が食べさせてあげるよ」
「ありがとうございます」

 俺は自分の箸でだし巻き卵を一切れ掴んで、氷織の口元まで持っていく。

「氷織。あーん」
「あ~ん」

 甘い声でそう言うと、氷織は大きめに口を開けてくれる。その顔も凄く可愛いからしばらく見ていたいけど、いつまでも待たせるわけにはいかない。そんなことを考えて、氷織にだし巻き卵を食べさせた。その瞬間に周りから「おおっ」という男子達の野太い声や、「きゃーっ」という女子達の黄色い声が聞こえてくる。それでも、俺はだし巻き卵を食べる氷織しか見ない。
 咀嚼し始めた瞬間、氷織は幸せそうな笑顔になる。モグモグと食べる姿もとても可愛い。

「凄く美味しいです。だしが利いていて、甘味もちょうど良くて」
「良かった。嬉しいな。味見して、変な味になっていないのは確認していたけど、氷織に作るのは初めてだから、ほっとしてる」
「とても上手ですよ。ふんわりとしていますし。こんなに美味しいものを作ってきてくれて。しかも、食べさせてくれて。本当に幸せです」
「……そこまで言ってもらえて俺も幸せです」

 まさか、俺が幸せな気持ちにさせてもらえるとは思わなかったな。
 それからも、氷織がだし巻き卵を食べる際には俺が食べさせた。その度に氷織は幸せそうな笑顔を見せてくれて。完食もしてくれた。
 氷織がここまで喜んで、しかも幸せになってくれて良かった。作り手冥利に尽きる。これからも氷織が美味しく食べて、喜んでくれるおかずを作ってみたい。
 氷織と正式に付き合い始めたり、俺が作っただし巻き卵を食べてくれたり、氷織が可愛らしい笑顔を見せてくれたりしたおかげで、今までで最も幸福な昼休みの時間になった。
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