アリア

桜庭かなめ

文字の大きさ
上 下
168 / 292
特別編-ラブラブ!サンシャイン!!-

第18話『朝スパ』

しおりを挟む
 さすがに午前6時過ぎとあって、1階のフロントには宿泊客・スタッフ共に人がほとんどいない。この時間にチェックアウトする人もいないだろうし、朝食の時間になれば少しは賑わうのかな。
 大浴場の入り口の前に着いても、静かな雰囲気は変わらず。その分のんびりできるから僕にとってはいいけど。あと、こういうところにはやっぱりコーヒー牛乳やフルーツ牛乳を瓶で売っているんだな。

「じゃあ、智也さん。ここで一旦、お別れですね」
「お別れって。混浴はないからしょうがないね。じゃあ、お風呂から上がったらここで待ち合わせることにしようか。お金は持ってきているから、そこの自動販売機で何か買って飲むことにしよう」
「それいいですね! 分かりました。では、また後で」
「うん。僕のことは気にせずにゆっくり入ってきていいからね」
「それは私のセリフですよ。ゆっくり入ってきてくださいね」
「ははっ、お言葉に甘えることにするよ」

 僕は美来と別れて『男』と書かれた黒い暖簾をくぐり、男性用の脱衣所へと入っていく。
 入り口にいたときも、中から声とか物音が全然聞こえないな……とは思っていたけれど、脱衣所の中には人はほとんどいなかった。年配の方が2、3人くらい。そういえば、前に温泉旅行へ行ったときも朝風呂に入ったけど、そのときも全然いなかったな。朝風呂に入る人ってあまりいないのかな。
 服を脱いで、タオル1枚でいざ大浴場の中に入ると、中にも年配の方が3、4人くらいしかいない。そのことに寂しい気持ちもあるけど、人が多いよりは落ち着いて入れそうなのでいい。
 僕は髪と体を洗って、屋内の大きな湯船に浸かる。

「あぁ……気持ちいい」

 家のお風呂よりも熱いな。このお湯は温泉なのかな。
 温泉なら、効能などが書いてあるパネルが壁に掛かっていると思うので探してみると……あった。あまり字が大きくないので、近くまで行ってみる。

「なになに……疲労回復、筋肉痛、関節痛、腰痛、冷え性、あとは子宝……か」

 男湯に子宝は必要ない気もするけど……あぁ、もしかして種的な意味かな。
 あと、もしかしたら時間帯で男湯と女湯が入れ替わるからかもしれない。男湯か、女湯かってはっきりと書いてあるのは入り口の暖簾くらいだし。

「まあ、今日も運転するし、プールで遊ぶ予定だから温泉で体を癒やしておくか」

 昨日の夜は……たくさん腰を動かしたからなぁ。美来の方も温泉で少しでも疲れが取れているといいけど。
 そんなことを思いながら湯船に浸かっていると、湯船のすぐ隣にある扉からご老人が入ってきた。あそこから露天風呂に行けるのかな。

「行ってみるか」

 まだ朝だから、ここよりも外の方が涼しいかもしれない。
 湯船から出て、すぐ近くの扉を開けると、そこには誰もいない露天風呂があった。露天風呂の側にさっきと同じ効能が書いてある看板が。ここも温泉なのか。

「あぁ、露天風呂も気持ちいいなぁ」
「そうだねぇ」
「結構気持ちいいですよね……って、うわあっ!」

 さっき来たときは誰もいなかったのに、いつの間にか頭にタオルを乗せた水代さんが露天風呂に浸かっていたのだ。もちろん、今は浴衣姿ではなくて裸。彼女は肩まで浸かっており、湯気も立っているので彼女の裸ははっきりと見えていない。
 しかし、段々と僕に近づいてくるので、少しずつ見えてきている状況だ。

「水代さん、こんなところで何をやっているんですか?」
「見て分からない? 露天風呂に入っているんだよ」
「いや、それは見て分かりますけど……幽霊なのにお風呂って入れるんですか?」
「入れるよ。ちゃんと温泉の温かさも感じているし」
「そう……ですか」

 考えてみれば、冷たかったけれど水代さんの手に触れることもできたし……実体があるのかな。宿泊客の部屋に勝手にお邪魔したり、客と話したり、温泉に入ったり……幽霊とはいえ、このホテルで色々と楽しんでいるようだ。

「って、ここに入っていて大丈夫なんですか? 誰か入ってきたら……」
「大丈夫よ、私の姿や声は智也君にしか分からないようにしているから。それに、この時間帯に来る人はお年寄りばかりで、そんな人には全く興味ないし」

 随分と都合良く姿を現せるんだな。あと、自称・永遠の16歳の水代さんはお年寄りの男性には興味なしか。

「もし、私と喋っているときに、他の人が入ってきても、その人には智也君が独り言を言っているようにしか見えないからね」
「……なるほど」

 旅先とはいえ、変な人だと思われるのは嫌だから、誰かが来たら水代さんと話すのは控えることにするか。
 それよりも、このことを美来が知ったらどう思うか。後で凄く怒られそうだな。だからといって、隠しておいたらそれこそ一番怒ると思うし、美来も嫌な気持ちになると思うから、お風呂から出たらこのことは正直に言おう。

「それにしても気持ちいいわね」
「……そうですね。思ったんですけど、幽霊なのに温泉に浸かったら体って温まるんですか?」
「温泉に入るとお湯は温かく感じるけど、体は冷たいままだよ。……あっ、もしかして、昨日、美来ちゃんはハグをしたのに、自分はしなかったから後悔してるの?」
「いえいえ、別にそんなことありません。純粋に興味があって」
「……そこまであっさり言われると、からかう気がなくなってくるね。てっきり、ドキドキするかと思ったのに」

 今の水代さんを見てドキドキしないと言ったら嘘になるけど、幽霊なんだと言い聞かせることで平静を保つようにしている。

「ほらっ」
「うわっ」

 彼女の手が僕の胸元に触れたけど、とても冷たいな。

「結構冷たいですね」
「幽霊だからかな。生きていればもちろん温まるんだろうけど。智也君の胸、とても温かいし」
「さっきまで中にある湯船に入っていましたからね」

 さすがに、幽霊の体まで温める効能まではないのか。入っている本人は温泉の温かさを感じられるみたいだけど。

「それにしても、あなたには恋人がいるのに、僕と一緒に温泉に入っていていいんですか? せめて女湯に入った方が……」
「最近、年下のかっこいい男の子を見ると愛でたくなっちゃうの。家に来た可愛い野良猫を可愛がるみたいな」
「僕は猫と一緒ですか」
「こんなに可愛いと思ったのは智也君が初めてだよ」
「……そういうことは、恋人さんに言ってあげてください」

 永遠の16歳と自分で言っておきながら、23歳の男のことを年下の男の子って言うなんて。やっぱり、心はアラフォーなんだな、水代さんは。まあ、異性として意識されてしまうよりも、動物のように可愛がられる方がマシか。

「あれ? もしかして、そちらに智也さんがいるんですか?」
「み、美来かい?」

 竹でできた柵の向こう側に、美来が入浴しているのかな。

「はい。今、露天風呂に入りに来たのですがとても気持ちいいですね」
「そっか。それは良かった」
「こっちは智也君と一緒に温泉を楽しんでるよ!」
「えっ! 今の声、もしかして水代さんなんですか? しかも、智也さんと一緒に温泉を楽しんでいるなんて……!」

 あぁ……美来にバレてしまった。いずれは話そうと思っていたけれど、水代さんが楽しげに話したから美来のショックが大きそうだ。

「羨ましいです! 混浴があれば良かったのになぁ……」

 大きな声で美来はそう言った。声色からして、怒ってはいなさそうだ。他に誰もいないと言ったら、今すぐにでも仕切りを登って、こっちに入ってきそうな気がする。

「ちょっと待ってください。一緒に入っているということは……水代さんは今、裸の状態ということですか?」
「そうだね。頭の上にタオルを乗せているだけだよ」
「……今すぐに温泉から出るか、大事な部分を守ってください!」
「智也君とそんなことをする気ないから安心してよ。それに、美来ちゃんが温泉に入っているんだったら……」

 ニヤリ、と水代さんは不敵な笑みを浮かべると、僕の目の前から姿を消した。
 そして、次の瞬間、

「ひゃあっ! 冷たい!」
「改めて見るけど、さすがのプロポーションだね。憧れちゃうなぁ」
「あううっ……」

 なるほど、水代さんは女湯の方に行ったのか。本来の居場所に戻ってくれたので安心している。美来にとっては気の毒だと思うけれど。

「あっ、でもこうやって抱きしめていると意外と気持ちいいかもしれないです」
「そ、そう?」
「温かい温泉に浸かっているので不思議な感じがしますけど、これはこれで悪くないです」
「なるほどねぇ。こんなことをされたのは初めてだよ」

 美来、意外と順応性が高いな。嫌がっているようではないのでひとまず安心。

「智也さーん」
「うん?」
「あとで色々とお話を聞かせてくださいね。今から水代さんにはたっぷりと事情聴取をしますので」
「……ああ、分かった」

 事情聴取ねぇ。
 幽霊であっても女性であることには変わりない。僕と水代さんが2人きりで露天風呂に入っていたと知ったら、美来は色々と複雑な気持ちを抱いてしまうよな。
 美来の事情聴取に水代さんがきちんと事実を話してくれるかどうか。

「ねえ、美来。僕、ここにいた方がいいよね」
「いなくて大丈夫ですよ。それに、今は水代さんと2人きりでお話をしたいので」
「……そうか」

 それなら、僕はもうここを離れた方がいいかな。何だかんだ、結構温泉に浸かっていたので体が温まっている。

「じゃあ、美来。僕、先に出てるから。ゆっくりしていていいよ」
「はーい」

 実際には何もなかったけど、もし、この10年間、僕が女性と親しくしていたら、美来はその女性に対してこういうことをしていたのかも。そう考えると、美来はよく有紗さんと平穏に付き合えたなと思う。有紗さんには何か信頼できるところがあったのかな。
 さてと、温泉から上がって、浴衣に着替えながらこれまでのことを頭の中で整理しておこう。疚しいことは全然していないけど、美来に誤解されることなくきちんと事実を伝えられるように。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サクラブストーリー

桜庭かなめ
恋愛
 高校1年生の速水大輝には、桜井文香という同い年の幼馴染の女の子がいる。美人でクールなので、高校では人気のある生徒だ。幼稚園のときからよく遊んだり、お互いの家に泊まったりする仲。大輝は小学生のときからずっと文香に好意を抱いている。  しかし、中学2年生のときに友人からかわれた際に放った言葉で文香を傷つけ、彼女とは疎遠になってしまう。高校生になった今、挨拶したり、軽く話したりするようになったが、かつてのような関係には戻れていなかった。  桜も咲く1年生の修了式の日、大輝は文香が親の転勤を理由に、翌日に自分の家に引っ越してくることを知る。そのことに驚く大輝だが、同居をきっかけに文香と仲直りし、恋人として付き合えるように頑張ろうと決意する。大好物を作ってくれたり、バイトから帰るとおかえりと言ってくれたりと、同居生活を送る中で文香との距離を少しずつ縮めていく。甘くて温かな春の同居&学園青春ラブストーリー。  ※特別編7-球技大会と夏休みの始まり編-が完結しました!(2024.5.30)  ※お気に入り登録や感想をお待ちしております。

まずはお嫁さんからお願いします。

桜庭かなめ
恋愛
 高校3年生の長瀬和真のクラスには、有栖川優奈という女子生徒がいる。優奈は成績優秀で容姿端麗、温厚な性格と誰にでも敬語で話すことから、学年や性別を問わず人気を集めている。和真は優奈とはこの2年間で挨拶や、バイト先のドーナッツ屋で接客する程度の関わりだった。  4月の終わり頃。バイト中に店舗の入口前の掃除をしているとき、和真は老齢の男性のスマホを見つける。その男性は優奈の祖父であり、日本有数の企業グループである有栖川グループの会長・有栖川総一郎だった。  総一郎は自分のスマホを見つけてくれた和真をとても気に入り、孫娘の優奈とクラスメイトであること、優奈も和真も18歳であることから優奈との結婚を申し出る。  いきなりの結婚打診に和真は困惑する。ただ、有栖川家の説得や、優奈が和真の印象が良く「結婚していい」「いつかは両親や祖父母のような好き合える夫婦になりたい」と思っていることを知り、和真は結婚を受け入れる。  デート、学校生活、新居での2人での新婚生活などを経て、和真と優奈の距離が近づいていく。交際なしで結婚した高校生の男女が、好き合える夫婦になるまでの温かくて甘いラブコメディ!  ※特別編3が完結しました!(2024.8.29)  ※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。  ※お気に入り登録、感想をお待ちしております。

管理人さんといっしょ。

桜庭かなめ
恋愛
 桐生由弦は高校進学のために、学校近くのアパート「あけぼの荘」に引っ越すことに。  しかし、あけぼの荘に向かう途中、由弦と同じく進学のために引っ越す姫宮風花と二重契約になっており、既に引っ越しの作業が始まっているという連絡が来る。  風花に部屋を譲ったが、あけぼの荘に空き部屋はなく、由弦の希望する物件が近くには一切ないので、新しい住まいがなかなか見つからない。そんなとき、 「責任を取らせてください! 私と一緒に暮らしましょう」  高校2年生の管理人・白鳥美優からのそんな提案を受け、由弦と彼女と一緒に同居すると決める。こうして由弦は1学年上の女子高生との共同生活が始まった。  ご飯を食べるときも、寝るときも、家では美少女な管理人さんといつもいっしょ。優しくて温かい同居&学園ラブコメディ!  ※特別編10が完結しました!(2024.6.21)  ※お気に入り登録や感想をお待ちしております。

異星人王女とのまったりラブライフ

桜庭かなめ
恋愛
 「1999年の7の月。恐怖の大王が現れる」  ある予言者のその言葉に、幼い頃の風見宏斗は興味を抱いていた。1999年7月のある夜、近所の山に流れ星が落ちるところを見たが、落ちたものを見つけることはできなかった。  それから20年後の7月。社会人となった宏斗は、仕事帰りにダイマ王星の第3王女であるエリカ・ダイマと出会いプロポーズされる。エリカは例の予言通り、20年前の7月、ダイマ王星の支部計画遂行のために地球にやってきていたのだ。しかし、寝具が気持ち良すぎて、宇宙船の中で20年間眠り続けていた(ポンコツなところもあるヒロイン)。  あまりに突然のプロポーズだったので返事ができない宏斗だが、地球でのエリカの居場所を与えるため、彼女と一緒に住むことに決める。宏斗を溺愛する美女のエリカとの生活が始まった。  ゆるく、温かく、愛おしく。一緒にご飯を食べたり、寝たり、キスし合ったり……とドキドキすることもあるまったりとしたラブストーリー。  ※完結しました!(2020.9.27)  ※お気に入り登録や感想などお待ちしております。

10年ぶりに再会した幼馴染と、10年間一緒にいる幼馴染との青春ラブコメ

桜庭かなめ
恋愛
 高校生の麻丘涼我には同い年の幼馴染の女の子が2人いる。1人は小学1年の5月末から涼我の隣の家に住み始め、約10年間ずっと一緒にいる穏やかで可愛らしい香川愛実。もう1人は幼稚園の年長組の1年間一緒にいて、卒園直後に引っ越してしまった明るく活発な桐山あおい。涼我は愛実ともあおいとも楽しい思い出をたくさん作ってきた。  あおいとの別れから10年。高校1年の春休みに、あおいが涼我の家の隣に引っ越してくる。涼我はあおいと10年ぶりの再会を果たす。あおいは昔の中性的な雰囲気から、清楚な美少女へと変わっていた。  3人で一緒に遊んだり、学校生活を送ったり、愛実とあおいが涼我のバイト先に来たり。春休みや新年度の日々を通じて、一度離れてしまったあおいとはもちろんのこと、ずっと一緒にいる愛実との距離も縮まっていく。  出会った早さか。それとも、一緒にいる長さか。両隣の家に住む幼馴染2人との温かくて甘いダブルヒロイン学園青春ラブコメディ!  ※特別編4が完結しました!(2024.8.2)  ※小説家になろう(N9714HQ)とカクヨムでも公開しています。  ※お気に入り登録や感想をお待ちしております。

恋人、はじめました。

桜庭かなめ
恋愛
 紙透明斗のクラスには、青山氷織という女子生徒がいる。才色兼備な氷織は男子中心にたくさん告白されているが、全て断っている。クールで笑顔を全然見せないことや銀髪であること。「氷織」という名前から『絶対零嬢』と呼ぶ人も。  明斗は半年ほど前に一目惚れしてから、氷織に恋心を抱き続けている。しかし、フラれるかもしれないと恐れ、告白できずにいた。  ある春の日の放課後。ゴミを散らしてしまう氷織を見つけ、明斗は彼女のことを助ける。その際、明斗は勇気を出して氷織に告白する。 「これまでの告白とは違い、胸がほんのり温かくなりました。好意からかは分かりませんが。断る気にはなれません」 「……それなら、俺とお試しで付き合ってみるのはどうだろう?」  明斗からのそんな提案を氷織が受け入れ、2人のお試しの恋人関係が始まった。  一緒にお昼ご飯を食べたり、放課後デートしたり、氷織が明斗のバイト先に来たり、お互いの家に行ったり。そんな日々を重ねるうちに、距離が縮み、氷織の表情も少しずつ豊かになっていく。告白、そして、お試しの恋人関係から始まる甘くて爽やかな学園青春ラブコメディ!  ※特別編8が完結しました!(2024.7.19)  ※小説家になろう(N6867GW)、カクヨムでも公開しています。  ※お気に入り登録、感想などお待ちしています。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

マッサージ

えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。 背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。 僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。

処理中です...