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第26話『先輩達がやってきた』
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母親の作った温かいうどんを食べて、僕は再び部屋で1人の時間を過ごす。
カミングアウトの内容を広められてしまったり、クラスメイトに心ない言葉を浴びせられたりしたショックはまだある。けれど、それよりも僕はこれからどうすればいいのか考えなきゃいけない気持ちの方が強くなっていく。
伊織とどうやって付き合っていけばいいのか。
そもそも、僕はこれからどうやって生きていけばいいのか。
伊織の方については、彼女への好きな気持ちを失わずに、彼女を気に掛けるようにしよう。会ったら挨拶をして、必要なことは話して。伊織から何か相談されればきちんと話を聞いて。
ただ、僕自身のことはどうすればいいのか今の時点ではよく分からない。このまま男の体を持ち続けながら、男として生きていくか。それとも、必要な処置を施して、将来的には女性に性別を転換して生きるのかと選択肢があるのは分かっている。でも、どちらを選んでも伊織なしでは幸せになれない気がした。
カミングアウトをして伊織を傷つけてしまったこと。
気持ちを整理するためだという理由でも、伊織と離れてしまったこと。
それがこんなにも苦しく、悲しく、切ないなんて。
そんな負の感情から、伊織が大好きだと自覚してしまうなんて。これは僕に対する神様からの罰なのだろうか。幸せにはなってはいけないのだろうか。
気付けば、頬に何かが流れているのが分かった。指で拭ってみたら、それは涙。舐めてみたら、とても苦く思えて。
目を瞑ってみよう。そうすれば、幸福の疑似体験ができるかもしれない。さっきみたいに、夢なら伊織が幸せそうな笑みを浮かべて、僕の側にいてくれるかもしれない。嘘でもいいから側にいてほしい。そのくらいに伊織が大好きで、僕にはなくてはならない女の子なんだ。
ただ、そんなことを考えているからか、いつまで経っても真っ暗で伊織を見ることができない。僕は暗闇に引きずり込まれるかのように眠りに落ちた。
――プルルッ。
スマートフォンの着信音で僕は目を覚ました。結局、夢という夢を見られずに眠ってしまったか。
スマートフォンを確認すると、浅利部長からの着信だった。今日は部活がないけれど、伊織か天宮先生から僕のことを聞いたのかな。
「はい、沖田です」
『浅利です。ええと、ご気分は……いかがですか?』
「……自分の部屋で1人きりですからね。今朝よりは落ち着きました。あの、どうかしましたか? 今日は部活動の日ではありませんが……」
『……部活動は関係ありません。ただ、天宮先生から、千尋君がカミングアウトされた内容を聞きました。そのことで一部の生徒から心ない言葉を浴びせられたことも。ですから、千尋君を元気づけられないかと思いまして、朱里ちゃんと一緒に千尋君と会いに行こうかと……』
浅利部長と三好副部長なら会ってもいいけれど、
「お気持ちは嬉しいです。でも、僕の家の住所は分からないでしょうし……」
『それなら問題なしだよ、千尋君! 詩織ちゃんから君の家の住所は聞いて、もう家の前にいるからさ!』
「えっ」
三好副部長の言葉に耳を疑ってしまい、思わずそんな声を漏らしてしまった。
彼女の言葉を確かめるために、部屋の窓を開けて門の方を見ると、
「おーい!」
「き、来ちゃいました……」
浅利部長と三好副部長が僕の方に向かって手を振っていた。副部長は元気そうだけれど、部長ははにかんでいる。しょうがない、ここまで来てしまったら招き入れるしかない。あと、天宮先生。こちらの許可なく生徒の家の住所を教えたらダメなのでは。
僕は2人を自宅に招き入れ、僕の部屋に連れてきた。
茶道部の先輩方がお相手なので、コーヒーや紅茶ではなく日本茶を淹れた。
「つ、ついに来ちゃいました……千尋君のお部屋に」
「あははっ、好きな男の子の部屋に来たからって緊張しすぎだよ」
「ま、まあ……好きか嫌いかと言われたら好きですけれどね。ただ、その……男の子の部屋に入るのが初めてだから、緊張しているだけであって。でも、よく考えたら男の子の部屋で合っているのでしょうか」
「合っているんじゃない? 男の子の部屋らしいシンプルさもあれば、女の子の部屋らしい清涼感もあるというか」
「部屋で判断していいかは分かりませんが、千尋君の体は男の子で心は女の子というのも頷けますね」
部屋に戻ってきたときにそんな会話が聞こえた。部長は男子の部屋に行ったことがないのか。何だか意外だ。
「日本茶、淹れてきましたよ」
「ち、千尋君! ありがとうございます!」
「千佳ちゃんがここまでハキハキしているなんて。これも千尋君効果なのかな?」
「そんなわけありません! 初めての場所に来たからです!」
「はいはい、そういうことにしておこうね」
副部長、完全に部長のことを弄んでいるな。
2人は昔から知っている人でもなければ、全く付き合いがない人でもない。部活の2学年上の先輩という絶妙な関係だからこそ、2人がここにいても全く嫌な気持ちにならないし、さほど緊張もしなかった。
僕はベッドの側に座って、温かい日本茶を飲む。茶道部に入ってから抹茶や日本茶もいいなと思うようになってきた。
「美味しいですよ、千尋君」
「美味しいよね。今日みたいに結構寒い日は温かい飲み物に限るよ」
あったかぁ、と副部長はまったりとした表情になっている。彼女の言うように、冬に逆戻りしたかのような寒さの日には、温かい飲み物が身に沁みる。
先輩方が来てくれたのは嬉しいけれど、状況が状況なだけにどういう話題を振ればいいのか分からず、何も言葉が出てこない。閉じた口の中に日本茶の香りが広がるばかり。
「ち、千尋君! 私服姿もとても素敵だと思います!」
「あ、ありがとうございます」
いきなり大きな声で言われたからビックリした。
「でも、それはメンズの服ですよね。し、しかし……女性でもボーイッシュな恰好をする方はいますからありかと思います!」
「ふふっ……」
緊張している部長の隣で、副部長は必死に笑いを堪えている。
「ねえねえ、千尋君」
「何ですか? 副部長」
「心は女の子でも体は男の子だからさ……えっちな本とか隠してあるの?」
「何を訊いているんですか、朱里ちゃん! 失礼ですよ!」
もう! と浅利部長は不機嫌そうな表情をして頬を膨らませている。こういう部長を見るのは初めてだな。それに対して副部長はケロッとしている。
「伊織が初めてここに来たときも、同じことを訊かれましたよ」
というか、男子の部屋に来ると、女子ってそういうことを訊きたくなるのかな。しょうがない、伊織のときのような対処をすべきか。
「そういった本はありませんよ。ただ、この漫画は官能的な内容が多いですよ」
僕は伊織にも見せた漫画を副部長に見せる。
「ああ、この漫画ね! あたしも持ってるよ! 終盤のシーンはキュンとなるよね」
「そういえば、朱里ちゃんの部屋の本棚にあった気がします。ど、どんな感じの内容でしょうか……」
漫画を見始めてから程なくして、部長は見る見るうちに顔が赤くなっていく。きっと、例の官能的なシーンを読んでいるんだろう。それとは対照的に副部長は楽しそうな笑みを浮かべている。何だか、初めて副部長が大人っぽく見えた。
「いやー、やっぱりこの巻のラストはいいよね」
「そうですね。僕も何度も読み返しました」
「うんうん、あたしもそうしたよ。……って、千佳ちゃんはどうしてそんなに顔を赤くしているの? 千佳ちゃんには刺激が強すぎたかな。それとも色々と想像を……」
「そんなわけありません! それに、私達はそういうことを目的に千尋君のお家まで来たわけじゃないでしょう!」
「そうだったね。千尋君を少しでも元気づけるのも目的だからいいんじゃない?」
「それはそうですけど……」
部長はもじもじしている。どうやら、副部長の言うように部長にはこの漫画が刺激的過ぎたようだ。
先輩方は僕を元気づけるためにここに来てくれたのか。それはとても嬉しい。
それに、伊織も先輩方になら何か相談しているかもしれないし、色々と話を聞いてみることにしよう。
カミングアウトの内容を広められてしまったり、クラスメイトに心ない言葉を浴びせられたりしたショックはまだある。けれど、それよりも僕はこれからどうすればいいのか考えなきゃいけない気持ちの方が強くなっていく。
伊織とどうやって付き合っていけばいいのか。
そもそも、僕はこれからどうやって生きていけばいいのか。
伊織の方については、彼女への好きな気持ちを失わずに、彼女を気に掛けるようにしよう。会ったら挨拶をして、必要なことは話して。伊織から何か相談されればきちんと話を聞いて。
ただ、僕自身のことはどうすればいいのか今の時点ではよく分からない。このまま男の体を持ち続けながら、男として生きていくか。それとも、必要な処置を施して、将来的には女性に性別を転換して生きるのかと選択肢があるのは分かっている。でも、どちらを選んでも伊織なしでは幸せになれない気がした。
カミングアウトをして伊織を傷つけてしまったこと。
気持ちを整理するためだという理由でも、伊織と離れてしまったこと。
それがこんなにも苦しく、悲しく、切ないなんて。
そんな負の感情から、伊織が大好きだと自覚してしまうなんて。これは僕に対する神様からの罰なのだろうか。幸せにはなってはいけないのだろうか。
気付けば、頬に何かが流れているのが分かった。指で拭ってみたら、それは涙。舐めてみたら、とても苦く思えて。
目を瞑ってみよう。そうすれば、幸福の疑似体験ができるかもしれない。さっきみたいに、夢なら伊織が幸せそうな笑みを浮かべて、僕の側にいてくれるかもしれない。嘘でもいいから側にいてほしい。そのくらいに伊織が大好きで、僕にはなくてはならない女の子なんだ。
ただ、そんなことを考えているからか、いつまで経っても真っ暗で伊織を見ることができない。僕は暗闇に引きずり込まれるかのように眠りに落ちた。
――プルルッ。
スマートフォンの着信音で僕は目を覚ました。結局、夢という夢を見られずに眠ってしまったか。
スマートフォンを確認すると、浅利部長からの着信だった。今日は部活がないけれど、伊織か天宮先生から僕のことを聞いたのかな。
「はい、沖田です」
『浅利です。ええと、ご気分は……いかがですか?』
「……自分の部屋で1人きりですからね。今朝よりは落ち着きました。あの、どうかしましたか? 今日は部活動の日ではありませんが……」
『……部活動は関係ありません。ただ、天宮先生から、千尋君がカミングアウトされた内容を聞きました。そのことで一部の生徒から心ない言葉を浴びせられたことも。ですから、千尋君を元気づけられないかと思いまして、朱里ちゃんと一緒に千尋君と会いに行こうかと……』
浅利部長と三好副部長なら会ってもいいけれど、
「お気持ちは嬉しいです。でも、僕の家の住所は分からないでしょうし……」
『それなら問題なしだよ、千尋君! 詩織ちゃんから君の家の住所は聞いて、もう家の前にいるからさ!』
「えっ」
三好副部長の言葉に耳を疑ってしまい、思わずそんな声を漏らしてしまった。
彼女の言葉を確かめるために、部屋の窓を開けて門の方を見ると、
「おーい!」
「き、来ちゃいました……」
浅利部長と三好副部長が僕の方に向かって手を振っていた。副部長は元気そうだけれど、部長ははにかんでいる。しょうがない、ここまで来てしまったら招き入れるしかない。あと、天宮先生。こちらの許可なく生徒の家の住所を教えたらダメなのでは。
僕は2人を自宅に招き入れ、僕の部屋に連れてきた。
茶道部の先輩方がお相手なので、コーヒーや紅茶ではなく日本茶を淹れた。
「つ、ついに来ちゃいました……千尋君のお部屋に」
「あははっ、好きな男の子の部屋に来たからって緊張しすぎだよ」
「ま、まあ……好きか嫌いかと言われたら好きですけれどね。ただ、その……男の子の部屋に入るのが初めてだから、緊張しているだけであって。でも、よく考えたら男の子の部屋で合っているのでしょうか」
「合っているんじゃない? 男の子の部屋らしいシンプルさもあれば、女の子の部屋らしい清涼感もあるというか」
「部屋で判断していいかは分かりませんが、千尋君の体は男の子で心は女の子というのも頷けますね」
部屋に戻ってきたときにそんな会話が聞こえた。部長は男子の部屋に行ったことがないのか。何だか意外だ。
「日本茶、淹れてきましたよ」
「ち、千尋君! ありがとうございます!」
「千佳ちゃんがここまでハキハキしているなんて。これも千尋君効果なのかな?」
「そんなわけありません! 初めての場所に来たからです!」
「はいはい、そういうことにしておこうね」
副部長、完全に部長のことを弄んでいるな。
2人は昔から知っている人でもなければ、全く付き合いがない人でもない。部活の2学年上の先輩という絶妙な関係だからこそ、2人がここにいても全く嫌な気持ちにならないし、さほど緊張もしなかった。
僕はベッドの側に座って、温かい日本茶を飲む。茶道部に入ってから抹茶や日本茶もいいなと思うようになってきた。
「美味しいですよ、千尋君」
「美味しいよね。今日みたいに結構寒い日は温かい飲み物に限るよ」
あったかぁ、と副部長はまったりとした表情になっている。彼女の言うように、冬に逆戻りしたかのような寒さの日には、温かい飲み物が身に沁みる。
先輩方が来てくれたのは嬉しいけれど、状況が状況なだけにどういう話題を振ればいいのか分からず、何も言葉が出てこない。閉じた口の中に日本茶の香りが広がるばかり。
「ち、千尋君! 私服姿もとても素敵だと思います!」
「あ、ありがとうございます」
いきなり大きな声で言われたからビックリした。
「でも、それはメンズの服ですよね。し、しかし……女性でもボーイッシュな恰好をする方はいますからありかと思います!」
「ふふっ……」
緊張している部長の隣で、副部長は必死に笑いを堪えている。
「ねえねえ、千尋君」
「何ですか? 副部長」
「心は女の子でも体は男の子だからさ……えっちな本とか隠してあるの?」
「何を訊いているんですか、朱里ちゃん! 失礼ですよ!」
もう! と浅利部長は不機嫌そうな表情をして頬を膨らませている。こういう部長を見るのは初めてだな。それに対して副部長はケロッとしている。
「伊織が初めてここに来たときも、同じことを訊かれましたよ」
というか、男子の部屋に来ると、女子ってそういうことを訊きたくなるのかな。しょうがない、伊織のときのような対処をすべきか。
「そういった本はありませんよ。ただ、この漫画は官能的な内容が多いですよ」
僕は伊織にも見せた漫画を副部長に見せる。
「ああ、この漫画ね! あたしも持ってるよ! 終盤のシーンはキュンとなるよね」
「そういえば、朱里ちゃんの部屋の本棚にあった気がします。ど、どんな感じの内容でしょうか……」
漫画を見始めてから程なくして、部長は見る見るうちに顔が赤くなっていく。きっと、例の官能的なシーンを読んでいるんだろう。それとは対照的に副部長は楽しそうな笑みを浮かべている。何だか、初めて副部長が大人っぽく見えた。
「いやー、やっぱりこの巻のラストはいいよね」
「そうですね。僕も何度も読み返しました」
「うんうん、あたしもそうしたよ。……って、千佳ちゃんはどうしてそんなに顔を赤くしているの? 千佳ちゃんには刺激が強すぎたかな。それとも色々と想像を……」
「そんなわけありません! それに、私達はそういうことを目的に千尋君のお家まで来たわけじゃないでしょう!」
「そうだったね。千尋君を少しでも元気づけるのも目的だからいいんじゃない?」
「それはそうですけど……」
部長はもじもじしている。どうやら、副部長の言うように部長にはこの漫画が刺激的過ぎたようだ。
先輩方は僕を元気づけるためにここに来てくれたのか。それはとても嬉しい。
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