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最終章
第7話『花畑-後編-』
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ルピナスの花束を抱えた彩花ちゃん。ロングスカートのブラウス姿が可愛らしい。
なおくんの顔を見て嬉しそうな表情を浮かべつつも、その笑みの後ろには切なさが潜んでいることは一目瞭然だった。
「あ、彩花……」
「こんにちは。直人先輩達もルピナスのお花を買いに来たのですか?」
「……ああ。みんなと一緒にルピナスの花を見に来て、家にも飾ろうかなって」
彩花ちゃんはなおくんのことをしっかりと見ているのに、なおくんの方は……彩花ちゃんのことが恐いのか、彼女の顔を見ていなかった。俯いて、視線をちらつかせている。
「彩花は今日、女バスの手伝いはないのか?」
「今日は練習自体がないんです。インターハイはもうすぐですけど、今日みたいにお休みの日を作った方がいいという話になりまして」
「……そうか。休みも重要だよな。渚達の調子はどうなんだ? 大丈夫そうか?」
「ええ。順調ですよ。きっと、みなさん今日は羽を伸ばしているんじゃないでしょうか」
「……それなら良かった」
そうは言いつつも、なおくんからは笑みのかけらも見えなかった。
「そういえば、彩花ちゃんはルピナスの花が好きなのよね」
「そうですよ、ひかりさん。小さい頃にこの花畑に来たのがきっかけで好きになりました。定期的に来ているんです」
「そうなんですね! あと、彩花さんの影響で、お兄ちゃんもルピナスの花が好きになったんですって」
「そうですか。嬉しいです」
彩花ちゃんは嬉しそうに笑い、ルピナスの花束を今一度、大事に抱える。
「椎名さん、おひさしぶりです」
「……ひさしぶりだね、彩花ちゃん。ゴールデンウィーク以来かな」
2ヶ月半ぶりだけど、あのときに比べて彩花ちゃんは一段と可愛くなっていた。洲崎高校に入れたら浮いてしまうくらいに。まるで天使のような。
「椎名さん、ちょっと2人きりで話したいのですが、いいですか?」
「……うん、私はいいけれど」
私がそう言うと、なおくんは今一度、私の手をぎゅっと握ってくる。そんな彼は寂しそうな表情を浮かべている。
「なおくんの見えるところで話すから。それなら、安心でしょ?」
「……分かった」
今朝のこともそうだけど、なおくんは彩花ちゃんや私が自分の見えないところに行ってしまうと不安なんだ。
「じゃあ、ちょっと離れたところで話そっか、彩花ちゃん」
「ええ」
私と彩花ちゃんはなおくんの見える範囲で彼から離れた場所に行く。
彩花ちゃんが私と2人きりで話したいことって何なんだろう。きっと、なおくんのことだとは思うけれど。彼女に対して初めて緊張してしまう。
「……昨日から直人先輩の家に住み始めたんですよね」
「うん、そうだよ」
夏休みの間、なおくんの家で一緒に住むことは、彩花ちゃんや渚ちゃん、咲ちゃんにも伝えている。
「直人先輩の様子はどうですか? だいぶ落ち着いてきたので、ひかりさんと美月ちゃんと一緒に住むことを条件に退院したんですけど」
「普段は落ち着いているけど、思わぬことがきっかけで泣き出すことがあって。全て罪悪感に繋げちゃうみたいで……」
「そうですか。自分がああしていればってことですよね。私も、直人先輩が入院しているときに何度もありました」
はあっ、と彩花ちゃんは小さくため息をつく。そんな彼女に向けてどんな言葉をかけるべきなのか分からなくて。挙げ句の果てに、私もため息をついてしまった。
「直人先輩にできることって、何もないかもしれませんね」
無言の時間が続いてから放たれる彩花ちゃんの言葉。
それは、あまりにも残酷に。そして、やけに現実的に聞こえる。
「……何もできない?」
それでも、信じたくない気持ちが強くて。彩花ちゃんの言葉をそのまま返す。
すると、彩花ちゃんは……頷かなかった。
「直人先輩が今のような精神状態になっているそもそもの原因は、2年前の事件で亡くなった柴崎唯さんのことだと思います。亡くなった人に対してできることなんて、何もないんです。だから、直人先輩の心の傷を私達が無くす方法なんてないんだと思います」
「そんなこと言わないで! 傷を抱えたなおくんは生きているんだよ! なおくんの心だってちゃんと生きているんだよ……」
確かに、今のなおくんは悲しみや罪悪感に溺れてしまっていると思う。
でも、ふとしたときに見せてくれる笑顔は、私の知っているなおくんの笑顔なんだもん。そんな顔を見せるなおくんの心は死んでいない。そう思っている。
「唯ちゃんのことを解決するのはとても難しいよ。彩花ちゃんの言うとおり、できないかもしれない。でも、なおくんを元気にするのはそれだけじゃないと思うんだ。別の方法があるって信じたい」
「美緒さんの言うことも分かります。でも、別の方法を見つけたとしても、柴崎さんのことにはいつか必ず向き合わなければいけないと思います。それが今なのではないでしょうか。柴崎さんのことに向き合って、乗り越えてこそ、直人先輩が本当に元気になるんじゃないかと思っています」
彩花ちゃんは真剣な表情をして、私に向かってそう言った。
彩花ちゃんの言っていることは、きっと正しい。唯ちゃんが亡くなったことに対して、なおくんがどう考えるか。そこを乗り越えないと、なおくんはかつてのような元気を取り戻せないと思う。
「私は直人先輩のことが好きです。直人先輩と一緒に幸せになりたいです。でも、今の私にはどうすればいいか分からなくて。私といると直人先輩が心の傷を隠してまで優しくしてくれることが分かってしまって。だから、直人先輩と一緒に住むことは止めて、会うことも減らしているんです」
そう言う彩花ちゃんの目には涙が浮かんでいた。一緒にいられるなら、一緒にいたいんだ。でも、それがなおくんにとって心の負担になってしまっていることが分かったから、距離を取っているんだ。
「きっと、咲ちゃんも同じ気持ちだったんだろうな……」
自分が側にいることで、なおくんを悩ませてしまうかもしれない。だから、咲ちゃんは恋人という関係を解消したんだ。咲ちゃんの場合は、バスケの試合をきっかけになおくんの恋人になってしまったという罪悪感もあったからだけど。
「私もなおくんの心の負担になっちゃっているのかな……」
なおくんに好きな気持ちを伝えてしまった。キスまでしてしまった。そのことがなおくんを悩ませてしまっているかもしれない。
「でも、椎名さんは私や渚先輩達とは違って、幼なじみでもあります。気兼ねなく接することのできる数少ない女の子。そういう人が側にいるのはいいんじゃないかと思います。少なくとも、私よりは……」
涙を浮かべながら彩花ちゃんはそう言うと、下唇を強く噛んでいた。
再び私達の中では無言の時間が流れていく。
彩花ちゃんは涙を流すのを必死に堪えていた。もしかしたら、なおくんから見える場所にいるから、悲しさや悔しさを見せないようにしているのかもしれない。
「直人先輩のこと、よろしくお願いします。何かあったら連絡してください」
彩花ちゃんは深々とお辞儀をすると、なおくんのところに戻る。私はそんな彼女についていく。
なおくんもルピナスの花束を抱えていた。ただし、なおくんの持っているルピナスの花の色は彩花ちゃんのものとは違っていた。
「直人先輩、買ったんですね」
「ああ、彩花と一緒に住んでいたときみたいに、リビングに飾ろうと思って」
「そうですか。私はお花も買いましたし、これで帰りますね」
「途中まで一緒に帰ろうか?」
なおくんのそんな問いかけに対して、彩花ちゃんは首をゆっくりと横に振った。
「お気持ちだけで十分です。それに、直人先輩はひさしぶりに家族や幼なじみの方と一緒にいるんですよ。私が邪魔できませんって」
「気を遣わせてごめん」
「気にしないでください。では、私はこれで」
すると、彩花ちゃんはさっきよりも深く頭を下げて、花畑を去っていく。なおくんの顔を見ようと一度は立ち止まって振り返るかなと思ったけど、そんなことはなく、あっさりと彼女の姿が見えなくなったのであった。
なおくんの顔を見て嬉しそうな表情を浮かべつつも、その笑みの後ろには切なさが潜んでいることは一目瞭然だった。
「あ、彩花……」
「こんにちは。直人先輩達もルピナスのお花を買いに来たのですか?」
「……ああ。みんなと一緒にルピナスの花を見に来て、家にも飾ろうかなって」
彩花ちゃんはなおくんのことをしっかりと見ているのに、なおくんの方は……彩花ちゃんのことが恐いのか、彼女の顔を見ていなかった。俯いて、視線をちらつかせている。
「彩花は今日、女バスの手伝いはないのか?」
「今日は練習自体がないんです。インターハイはもうすぐですけど、今日みたいにお休みの日を作った方がいいという話になりまして」
「……そうか。休みも重要だよな。渚達の調子はどうなんだ? 大丈夫そうか?」
「ええ。順調ですよ。きっと、みなさん今日は羽を伸ばしているんじゃないでしょうか」
「……それなら良かった」
そうは言いつつも、なおくんからは笑みのかけらも見えなかった。
「そういえば、彩花ちゃんはルピナスの花が好きなのよね」
「そうですよ、ひかりさん。小さい頃にこの花畑に来たのがきっかけで好きになりました。定期的に来ているんです」
「そうなんですね! あと、彩花さんの影響で、お兄ちゃんもルピナスの花が好きになったんですって」
「そうですか。嬉しいです」
彩花ちゃんは嬉しそうに笑い、ルピナスの花束を今一度、大事に抱える。
「椎名さん、おひさしぶりです」
「……ひさしぶりだね、彩花ちゃん。ゴールデンウィーク以来かな」
2ヶ月半ぶりだけど、あのときに比べて彩花ちゃんは一段と可愛くなっていた。洲崎高校に入れたら浮いてしまうくらいに。まるで天使のような。
「椎名さん、ちょっと2人きりで話したいのですが、いいですか?」
「……うん、私はいいけれど」
私がそう言うと、なおくんは今一度、私の手をぎゅっと握ってくる。そんな彼は寂しそうな表情を浮かべている。
「なおくんの見えるところで話すから。それなら、安心でしょ?」
「……分かった」
今朝のこともそうだけど、なおくんは彩花ちゃんや私が自分の見えないところに行ってしまうと不安なんだ。
「じゃあ、ちょっと離れたところで話そっか、彩花ちゃん」
「ええ」
私と彩花ちゃんはなおくんの見える範囲で彼から離れた場所に行く。
彩花ちゃんが私と2人きりで話したいことって何なんだろう。きっと、なおくんのことだとは思うけれど。彼女に対して初めて緊張してしまう。
「……昨日から直人先輩の家に住み始めたんですよね」
「うん、そうだよ」
夏休みの間、なおくんの家で一緒に住むことは、彩花ちゃんや渚ちゃん、咲ちゃんにも伝えている。
「直人先輩の様子はどうですか? だいぶ落ち着いてきたので、ひかりさんと美月ちゃんと一緒に住むことを条件に退院したんですけど」
「普段は落ち着いているけど、思わぬことがきっかけで泣き出すことがあって。全て罪悪感に繋げちゃうみたいで……」
「そうですか。自分がああしていればってことですよね。私も、直人先輩が入院しているときに何度もありました」
はあっ、と彩花ちゃんは小さくため息をつく。そんな彼女に向けてどんな言葉をかけるべきなのか分からなくて。挙げ句の果てに、私もため息をついてしまった。
「直人先輩にできることって、何もないかもしれませんね」
無言の時間が続いてから放たれる彩花ちゃんの言葉。
それは、あまりにも残酷に。そして、やけに現実的に聞こえる。
「……何もできない?」
それでも、信じたくない気持ちが強くて。彩花ちゃんの言葉をそのまま返す。
すると、彩花ちゃんは……頷かなかった。
「直人先輩が今のような精神状態になっているそもそもの原因は、2年前の事件で亡くなった柴崎唯さんのことだと思います。亡くなった人に対してできることなんて、何もないんです。だから、直人先輩の心の傷を私達が無くす方法なんてないんだと思います」
「そんなこと言わないで! 傷を抱えたなおくんは生きているんだよ! なおくんの心だってちゃんと生きているんだよ……」
確かに、今のなおくんは悲しみや罪悪感に溺れてしまっていると思う。
でも、ふとしたときに見せてくれる笑顔は、私の知っているなおくんの笑顔なんだもん。そんな顔を見せるなおくんの心は死んでいない。そう思っている。
「唯ちゃんのことを解決するのはとても難しいよ。彩花ちゃんの言うとおり、できないかもしれない。でも、なおくんを元気にするのはそれだけじゃないと思うんだ。別の方法があるって信じたい」
「美緒さんの言うことも分かります。でも、別の方法を見つけたとしても、柴崎さんのことにはいつか必ず向き合わなければいけないと思います。それが今なのではないでしょうか。柴崎さんのことに向き合って、乗り越えてこそ、直人先輩が本当に元気になるんじゃないかと思っています」
彩花ちゃんは真剣な表情をして、私に向かってそう言った。
彩花ちゃんの言っていることは、きっと正しい。唯ちゃんが亡くなったことに対して、なおくんがどう考えるか。そこを乗り越えないと、なおくんはかつてのような元気を取り戻せないと思う。
「私は直人先輩のことが好きです。直人先輩と一緒に幸せになりたいです。でも、今の私にはどうすればいいか分からなくて。私といると直人先輩が心の傷を隠してまで優しくしてくれることが分かってしまって。だから、直人先輩と一緒に住むことは止めて、会うことも減らしているんです」
そう言う彩花ちゃんの目には涙が浮かんでいた。一緒にいられるなら、一緒にいたいんだ。でも、それがなおくんにとって心の負担になってしまっていることが分かったから、距離を取っているんだ。
「きっと、咲ちゃんも同じ気持ちだったんだろうな……」
自分が側にいることで、なおくんを悩ませてしまうかもしれない。だから、咲ちゃんは恋人という関係を解消したんだ。咲ちゃんの場合は、バスケの試合をきっかけになおくんの恋人になってしまったという罪悪感もあったからだけど。
「私もなおくんの心の負担になっちゃっているのかな……」
なおくんに好きな気持ちを伝えてしまった。キスまでしてしまった。そのことがなおくんを悩ませてしまっているかもしれない。
「でも、椎名さんは私や渚先輩達とは違って、幼なじみでもあります。気兼ねなく接することのできる数少ない女の子。そういう人が側にいるのはいいんじゃないかと思います。少なくとも、私よりは……」
涙を浮かべながら彩花ちゃんはそう言うと、下唇を強く噛んでいた。
再び私達の中では無言の時間が流れていく。
彩花ちゃんは涙を流すのを必死に堪えていた。もしかしたら、なおくんから見える場所にいるから、悲しさや悔しさを見せないようにしているのかもしれない。
「直人先輩のこと、よろしくお願いします。何かあったら連絡してください」
彩花ちゃんは深々とお辞儀をすると、なおくんのところに戻る。私はそんな彼女についていく。
なおくんもルピナスの花束を抱えていた。ただし、なおくんの持っているルピナスの花の色は彩花ちゃんのものとは違っていた。
「直人先輩、買ったんですね」
「ああ、彩花と一緒に住んでいたときみたいに、リビングに飾ろうと思って」
「そうですか。私はお花も買いましたし、これで帰りますね」
「途中まで一緒に帰ろうか?」
なおくんのそんな問いかけに対して、彩花ちゃんは首をゆっくりと横に振った。
「お気持ちだけで十分です。それに、直人先輩はひさしぶりに家族や幼なじみの方と一緒にいるんですよ。私が邪魔できませんって」
「気を遣わせてごめん」
「気にしないでください。では、私はこれで」
すると、彩花ちゃんはさっきよりも深く頭を下げて、花畑を去っていく。なおくんの顔を見ようと一度は立ち止まって振り返るかなと思ったけど、そんなことはなく、あっさりと彼女の姿が見えなくなったのであった。
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