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第3章
第20話『エース』
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6月20日、木曜日。
今日も梅雨らしく、シトシトと雨が降っている。
俺と彩花は早朝に渚の家から自宅へと戻り、仕度をしてから月原高校に登校した。
渚は午前中に病院に行き、ハードな練習による過労という診断結果を受けた。処方された薬を飲んで今日1日安静にしていれば、明日には学校に行けるようになるそうだ。ただ、明日の試合を出ることは相当厳しいとのこと。
昼休みに彩花と一緒にそのことを女バスの顧問に話しに行ったら、既に美穂さんから連絡が入っていたようだ。医者から厳しいという診断はあったものの、明日の試合に出場させるかどうかは、渚の体調を見てギリギリまで粘るつもりらしい。ただ、フルでの出場はさせないのは決めており、昨日と今日で渚のいないチームを作り上げていっているそうだ。
放課後は女バスのサポートをするために、体育館へと向かう。
「渚がいないのは寂しいもんだな」
「そうですね。心なしか、みなさんあまり元気がないように見えます」
「エースの渚がいないんだ。しかも、明日の試合に出る可能性は低いからな」
おそらく、明日の試合は渚の代わりに控えのメンバーを入れる形で進めるだろう。渚の体調が良くなっても、出場する時間はかなり短いと思われる。
この場にいないからこそ、吉岡渚というエースの存在の重みが分かる。もちろん、彼女に何かあっても大丈夫だと自信があるのが理想だけど、渚という存在はそういう域を越えた絶対的な選手なんだよな。俺でさえもそんなことを考えるのだから、部員のみんなはより渚のいない喪失感が大きいのだろう。
まずい、考え事をしたら頭が痛くなってきた。今朝からずっとこんな感じだ。昨日はあまり眠れなかったからかな。
「大丈夫ですか? 直人先輩、今朝から様子がおかしいですけど……」
「ああ。昨日、日付が変わるくらいまでは彩花とたまに話したよな。ただ、俺はその後も渚のことが気になって、あまり眠れなかったんだ。今日の授業中に、危うく眠りそうになったことが何度かあった」
もしかしたら、昨日の夜に渚とキスしたことで体調不良が移ったとか。それで渚の体調が早く良くなるならいいけど。
「そうでしたか。ミニゲームなどのサポートは控えた方がいいのでは?」
「そのときの体調で判断するよ」
「無理はしないでくださいね。辛いのであれば、保健室に言ったり、家に帰ったりしてもいいですから。そのときは私に言ってください」
「ああ。ありがとう、彩花」
昼休みくらいまでは心地よい眠気の方が勝っていたけど、今は時折響いてくる頭痛の方が強くなってきた。今日は、ミニゲームにサポート役として参加するのは止めておいた方がいいな。
今は選抜チームと控えチームに分かれてミニゲームを行なっている。
こういう練習は定期的に行なっており、渚はもちろん選抜チームの方に入っていた。普段は渚や部長さんが選抜チームをまとめていくけど、渚のいない今日は香奈さんがチームを纏めようと頑張っている。1年生の中では一番の実力者だし、自分が次期エースという自覚を持っているのかもしれない。
「香奈ちゃん、頑張っていますね」
「ああ。さすがは香奈さんだ。動きも技術も気迫も……圧倒的な存在感を放っている」
明日の試合でも今のように動ければいいな。
ただ、まるで渚が乗り移ったかのように、香奈さんは頑張りすぎているように見える。自分が引っ張っていかないと、という責任感があるのかも。
ミニゲームが終わり、休憩時間に入る。
「ここまでお疲れ様、香奈ちゃん」
彩花は笑みを浮かべながら、スポーツタオルで香奈さんの汗を拭き取る。こういう姿を見ていると、彩花が本当のマネージャーになったような気がする。
「ありがとう、彩花ちゃん」
「渚がいないからか、随分と気合いが入っているようだな」
「ええ、渚先輩の代わりが務まるのはあたししかいないと思っていますから。それに、明日……さっそく金崎と戦う可能性もありますし」
「その気持ちは分かるけど、無理をすると渚みたいに倒れるから気を付けて。次期エースである香奈さんが試合に出られなくなると、金崎高校に勝つには一段と厳しくなる。渚の代わりが務まるのは香奈さんしかいないんだから」
俺は香奈さんの頭をそっと撫でる。練習直後ということもあってか、彼女の髪は汗で柔らかくなっており、とても温かった。
「……藍沢先輩のおかげで、やっと我に帰れた気がします。ちょっと無理をしすぎちゃっていたかもしれません。昨日と今日は練習時間が短いので余計に」
時間がほとんどないから、相当な焦りもあったことだろう。
「渚先輩も体調を崩して後悔してたよ。もう、試合に出られないかもって」
「……そうだね。今週に入ってからの渚先輩の姿を見て、あたしもあのくらいに頑張らなきゃいけないとダメだって思っちゃって。あたし、渚先輩に比べればまだまだですから」
「そんなことないよ! 香奈ちゃんだって十分に強いよ」
彩花がそう言うと、香奈さんは悲しげに笑った。
「……追いかけていたいんだ、渚先輩を。先輩の背中をずっと見ていたくて」
「そういえば、香奈さんは去年のインターハイ予選を見て、月原に進学しようって決めたんだよな」
「ええ、あの試合の渚先輩を見て。そのときからずっと渚先輩のことが憧れで。渚先輩と一緒にバスケをしたくて。だから、今回のインターハイ予選はずっとワクワクしているんです。けれど、渚先輩が体調を崩しちゃって。実は凄く不安なんです。今まで調子が良かったのは、渚先輩と一緒にプレーしたり、すぐ側で見守ってくれていたりしたからだったんじゃないかって」
目標である渚が体調不良で不在であること。渚がこれまで体調を崩すことは全然なかったから、香奈さんはとても不安なんだろう。
「だから、練習をいつも以上に頑張っていたんだね」
「……うん。不安を消すには上手くなるしかない。それには練習をいつも以上に頑張るしかないって。それしか考えられないなんて、あたしってバカだなぁ」
そう言う香奈さんはずっと遠くを見ているように思えた。それは今、家で眠っている渚のことだろうか。それとも、明日からの決勝ラウンドで戦っている自分なのか。
「もしかしたら、広瀬さんのこともあって、あたしが渚先輩と彩花ちゃんのために頑張らないとって自然と思っているのかもしれません。彩花ちゃんの恋のライバルは渚先輩しかいないと思っていますから」
「……つくづく、香奈さんは渚に似ているな」
ひたむきに練習を頑張るところや、自分のためじゃなくて人のことを第一に考えてしまうところとか。渚と重なる部分が多い。背の高さ以外は。
「渚のことを見ているんだったら、分かるだろう? 今日は練習をあと少しだけやって、明日の試合に備えてゆっくりと休んだ方がいい」
「……そうですね。それが身を持って教えてくれた渚先輩からのアドバイスだと思っておきます」
香奈さんは苦笑いをした。
素人の俺にとっては、香奈さんはもう十分に、渚と肩を並べるくらいのエースだと思うんだけどな。それでも、香奈さんは渚を尊敬しているから、渚のことをいつまでも追いかけ続けるのだろう。
追いかけたい存在がいるのはいいもんだな。俺にはそういう人がいるだろうか。いや、いただろうか。
「……早く、渚先輩が戻ってきてほしいな」
「そうだね。でも、大丈夫だよ。今日、病院に行ってお薬をもらってきたから。それに、今夜も直人先輩と私で看病するし」
そう、女バスのサポートは体育館だけじゃなくて、渚の家でも続く。少しでも早く、渚が元気に試合へ出場できるように。
「渚先輩に笑われないように、明日からの試合を頑張らないと。インターハイも藍沢先輩もかかっているしね」
「応援してるよ、香奈ちゃん!」
「……頑張れ、香奈さん」
小さな巨人と呼ばれるとおり、小さな体の香奈さんの存在はとても大きい。
今の話をしたら、きっと渚は笑顔になるだろう。こんなに頼もしい後輩がチームを引っ張ろうと頑張っているのだから。
気付けば、雨は止んでいて、雲の切れ間から光が差し込んでいたのであった。
今日も梅雨らしく、シトシトと雨が降っている。
俺と彩花は早朝に渚の家から自宅へと戻り、仕度をしてから月原高校に登校した。
渚は午前中に病院に行き、ハードな練習による過労という診断結果を受けた。処方された薬を飲んで今日1日安静にしていれば、明日には学校に行けるようになるそうだ。ただ、明日の試合を出ることは相当厳しいとのこと。
昼休みに彩花と一緒にそのことを女バスの顧問に話しに行ったら、既に美穂さんから連絡が入っていたようだ。医者から厳しいという診断はあったものの、明日の試合に出場させるかどうかは、渚の体調を見てギリギリまで粘るつもりらしい。ただ、フルでの出場はさせないのは決めており、昨日と今日で渚のいないチームを作り上げていっているそうだ。
放課後は女バスのサポートをするために、体育館へと向かう。
「渚がいないのは寂しいもんだな」
「そうですね。心なしか、みなさんあまり元気がないように見えます」
「エースの渚がいないんだ。しかも、明日の試合に出る可能性は低いからな」
おそらく、明日の試合は渚の代わりに控えのメンバーを入れる形で進めるだろう。渚の体調が良くなっても、出場する時間はかなり短いと思われる。
この場にいないからこそ、吉岡渚というエースの存在の重みが分かる。もちろん、彼女に何かあっても大丈夫だと自信があるのが理想だけど、渚という存在はそういう域を越えた絶対的な選手なんだよな。俺でさえもそんなことを考えるのだから、部員のみんなはより渚のいない喪失感が大きいのだろう。
まずい、考え事をしたら頭が痛くなってきた。今朝からずっとこんな感じだ。昨日はあまり眠れなかったからかな。
「大丈夫ですか? 直人先輩、今朝から様子がおかしいですけど……」
「ああ。昨日、日付が変わるくらいまでは彩花とたまに話したよな。ただ、俺はその後も渚のことが気になって、あまり眠れなかったんだ。今日の授業中に、危うく眠りそうになったことが何度かあった」
もしかしたら、昨日の夜に渚とキスしたことで体調不良が移ったとか。それで渚の体調が早く良くなるならいいけど。
「そうでしたか。ミニゲームなどのサポートは控えた方がいいのでは?」
「そのときの体調で判断するよ」
「無理はしないでくださいね。辛いのであれば、保健室に言ったり、家に帰ったりしてもいいですから。そのときは私に言ってください」
「ああ。ありがとう、彩花」
昼休みくらいまでは心地よい眠気の方が勝っていたけど、今は時折響いてくる頭痛の方が強くなってきた。今日は、ミニゲームにサポート役として参加するのは止めておいた方がいいな。
今は選抜チームと控えチームに分かれてミニゲームを行なっている。
こういう練習は定期的に行なっており、渚はもちろん選抜チームの方に入っていた。普段は渚や部長さんが選抜チームをまとめていくけど、渚のいない今日は香奈さんがチームを纏めようと頑張っている。1年生の中では一番の実力者だし、自分が次期エースという自覚を持っているのかもしれない。
「香奈ちゃん、頑張っていますね」
「ああ。さすがは香奈さんだ。動きも技術も気迫も……圧倒的な存在感を放っている」
明日の試合でも今のように動ければいいな。
ただ、まるで渚が乗り移ったかのように、香奈さんは頑張りすぎているように見える。自分が引っ張っていかないと、という責任感があるのかも。
ミニゲームが終わり、休憩時間に入る。
「ここまでお疲れ様、香奈ちゃん」
彩花は笑みを浮かべながら、スポーツタオルで香奈さんの汗を拭き取る。こういう姿を見ていると、彩花が本当のマネージャーになったような気がする。
「ありがとう、彩花ちゃん」
「渚がいないからか、随分と気合いが入っているようだな」
「ええ、渚先輩の代わりが務まるのはあたししかいないと思っていますから。それに、明日……さっそく金崎と戦う可能性もありますし」
「その気持ちは分かるけど、無理をすると渚みたいに倒れるから気を付けて。次期エースである香奈さんが試合に出られなくなると、金崎高校に勝つには一段と厳しくなる。渚の代わりが務まるのは香奈さんしかいないんだから」
俺は香奈さんの頭をそっと撫でる。練習直後ということもあってか、彼女の髪は汗で柔らかくなっており、とても温かった。
「……藍沢先輩のおかげで、やっと我に帰れた気がします。ちょっと無理をしすぎちゃっていたかもしれません。昨日と今日は練習時間が短いので余計に」
時間がほとんどないから、相当な焦りもあったことだろう。
「渚先輩も体調を崩して後悔してたよ。もう、試合に出られないかもって」
「……そうだね。今週に入ってからの渚先輩の姿を見て、あたしもあのくらいに頑張らなきゃいけないとダメだって思っちゃって。あたし、渚先輩に比べればまだまだですから」
「そんなことないよ! 香奈ちゃんだって十分に強いよ」
彩花がそう言うと、香奈さんは悲しげに笑った。
「……追いかけていたいんだ、渚先輩を。先輩の背中をずっと見ていたくて」
「そういえば、香奈さんは去年のインターハイ予選を見て、月原に進学しようって決めたんだよな」
「ええ、あの試合の渚先輩を見て。そのときからずっと渚先輩のことが憧れで。渚先輩と一緒にバスケをしたくて。だから、今回のインターハイ予選はずっとワクワクしているんです。けれど、渚先輩が体調を崩しちゃって。実は凄く不安なんです。今まで調子が良かったのは、渚先輩と一緒にプレーしたり、すぐ側で見守ってくれていたりしたからだったんじゃないかって」
目標である渚が体調不良で不在であること。渚がこれまで体調を崩すことは全然なかったから、香奈さんはとても不安なんだろう。
「だから、練習をいつも以上に頑張っていたんだね」
「……うん。不安を消すには上手くなるしかない。それには練習をいつも以上に頑張るしかないって。それしか考えられないなんて、あたしってバカだなぁ」
そう言う香奈さんはずっと遠くを見ているように思えた。それは今、家で眠っている渚のことだろうか。それとも、明日からの決勝ラウンドで戦っている自分なのか。
「もしかしたら、広瀬さんのこともあって、あたしが渚先輩と彩花ちゃんのために頑張らないとって自然と思っているのかもしれません。彩花ちゃんの恋のライバルは渚先輩しかいないと思っていますから」
「……つくづく、香奈さんは渚に似ているな」
ひたむきに練習を頑張るところや、自分のためじゃなくて人のことを第一に考えてしまうところとか。渚と重なる部分が多い。背の高さ以外は。
「渚のことを見ているんだったら、分かるだろう? 今日は練習をあと少しだけやって、明日の試合に備えてゆっくりと休んだ方がいい」
「……そうですね。それが身を持って教えてくれた渚先輩からのアドバイスだと思っておきます」
香奈さんは苦笑いをした。
素人の俺にとっては、香奈さんはもう十分に、渚と肩を並べるくらいのエースだと思うんだけどな。それでも、香奈さんは渚を尊敬しているから、渚のことをいつまでも追いかけ続けるのだろう。
追いかけたい存在がいるのはいいもんだな。俺にはそういう人がいるだろうか。いや、いただろうか。
「……早く、渚先輩が戻ってきてほしいな」
「そうだね。でも、大丈夫だよ。今日、病院に行ってお薬をもらってきたから。それに、今夜も直人先輩と私で看病するし」
そう、女バスのサポートは体育館だけじゃなくて、渚の家でも続く。少しでも早く、渚が元気に試合へ出場できるように。
「渚先輩に笑われないように、明日からの試合を頑張らないと。インターハイも藍沢先輩もかかっているしね」
「応援してるよ、香奈ちゃん!」
「……頑張れ、香奈さん」
小さな巨人と呼ばれるとおり、小さな体の香奈さんの存在はとても大きい。
今の話をしたら、きっと渚は笑顔になるだろう。こんなに頼もしい後輩がチームを引っ張ろうと頑張っているのだから。
気付けば、雨は止んでいて、雲の切れ間から光が差し込んでいたのであった。
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