ルピナス

桜庭かなめ

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第1章

第26話『那由多の花-前編-』

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 今が開花時期なのか青、赤、黄色など様々な色のルピナスの花が咲いている。思っていた通り、花畑の中からの風景は圧巻だ。
 普通の観光であればゆっくりするところだけれど、今はそんな余裕はない。

「茜さん、1年前に彩花が襲われていた場所ってどこですか?」
「ついてきて!」

 俺と渚は茜さんの後をついていく形で走っている。
 そういえば、今日は土曜日で天気も快晴なのにお客さんがほとんどいないな。ルピナスの花もこんなに綺麗なのに。まさか、これも浅沼達の仕業だったりして。まあ、関係のない人間は近くにいない方がいい。
 やがて、茜さんの走る速さがゆっくりとなる。

「どうかしましたか?」
「……いたよ。あそこ」

 茜さんの指さす先には、金髪の男に捕らえられた彩花がいた。2人の後ろには数人の男が立っている。

「金色の長髪の男が浅沼ですか?」
「そうだ。あの悪い面、1年前と顔が全然変わらないな……」

 茜さんはそう言いながら右手を力強く握りしめる。きっと、彼の表情を見て1年前の反省を全くしていないと思っているのだろう。
 金髪の男……浅沼はそれなりに顔立ちのいい奴だ。これなら女子から人気があるというのも頷けるな。女を上手く騙して自分の欲望を満たしているのが容易に想像できる。

「直人、行こうよ。もう宮原さんは目と鼻の先なんだから」
「そうだな。みんなで彩花を助けて浅沼達と決着をつけましょう」

 俺達は頷き合い、彩花の所へと向かう。

「彩花!」

 俺が彩花の名前を呼ぶと、彩花はとても驚いた表情をしていた。俺のことを見つめ、目には涙を浮かべる。

「直人先輩! それにお姉ちゃんと吉岡先輩も……」
「彩花、俺達が助けに来たからもう心配しなくていいぞ」

 彩花は両腕をロープで縛られている。彩花に逃げられないように、浅沼とその取り巻き達がやったことだろうな。
 俺は鋭い目つきで浅沼のことを睨み付ける。

「お前が浅沼でいいんだよな?」
「……ああ、そうだよ」

 浅沼は憎たらしい笑みを浮かべている。見ているだけで自然と怒りが湧き上がってくような喧嘩腰の微笑みだ。
 俺は腕時計で現在時刻を確認する。

「午後1時56分。制限時間内に彩花のいる場所に辿り着いたぞ、浅沼。まずは彩花を解放してもらおうか」
「……そんな約束誰がした?」
「何だって?」

 時間内に俺達がここに来るとは思わなかったんだろうな。まあ、そんな簡単に彩花のことを解放してくれるわけがないか。

「俺はさぁ、お前らが制限時間内に見つけることができなかったら、宮原に好きなことをしてからぶっ殺すって言ったけど、見つけることができれば解放するなんて一言も言ってないぜ? つまり、お前らが俺を見つけようが見つけまいが、俺のすることは何も変わりねえんだよ!」
「お前、さっさと彩花のことを――」
「落ち着いてください、茜さん」

 浅沼の挑発的な態度に激昂する茜さんを必死に押さえる。

「落ち着いてられるか! あいつの顔を1発殴らなきゃ私の気がすまないんだ! 離してくれよ!」
「感情的になっては浅沼の思う壺です! 大丈夫です、俺が何とかしますから」

 俺は茜さんのことを渚に託す。
 今すぐにでも浅沼を殴りたい茜さんの気持ちは痛いほどに分かる。だけど、まずは彩花を助けることが先決だ。

「浅沼、これはゲームなんだろ。お前が吹っ掛けたミッションに俺達は成功したんだ。それに見合う報酬が何もないというのは気に食わないな」
「成功すれば報酬があるなんて甘いんだよ、バァカ」
「……お前は本当に人の気持ちを逆なでるのが得意だな」
「悔しかったら力尽くでも宮原を助けてみろよ」

 あははっ、と浅沼は俺達のことを見て嘲笑っている。
 どうやら、自分から彩花を解放する気は毛頭ないようだ。ここで素直に彩花を解放すれば制裁も少しは軽くするつもりだったけれど、やっぱり厳しくしないとダメか。

「確か、浅沼はつい最近になって自由の身になったんだよな」
「ああ、そうだ。宮原とこいつの姉貴のせいで1年間も檻の中に入れられたんだ。その間はずっと宮原姉妹に復讐することだけを考えていた。俺と同じように捕まったこいつらと一緒にな」

 つまり、今ここにいる奴らと寮の前にいた3人が、1年前……彩花を襲おうとしたってわけか。男が複数人で2人の女性を襲うだなんて小せえ奴らだ。
 それと、やはり茜さんにも恨みを抱いていたのか。茜さんさえいなければ、1年前の計画は成功していたから。

「一刻も早く外に出る。そのためには猫被っていい面を見せ続けてきたんだよ。さすが俺だぜ、1年くらいで出てこられた」
「つまり、檻の中では全く反省してなかったってことか」
「当たり前だ! 宮原ごときが俺に歯向かって、宮原の姉貴が警察に通報したせいで俺は檻の中へぶち込まれたんだ。俺が2人を殺したがる理由が分かるだろ?」
「さっぱり分からないな。お前みたいな人間の気持ちだけは絶対に理解したくない」
「さっきから威勢のいいことを言ってくれるじゃねえか」
「何とでも言え。あと、どうして彩花だけを誘拐したんだ。茜さんも殺すつもりなら、彼女も誘拐すべきだったんじゃないのか?」
「単純に誘拐してもつまらなかったからさ。妹を誘拐し、妹が俺達に傷つけられ、殺される瞬間を見せ、それから姉の方もぶっ殺す。そのくらいのことをしないと俺の気が済まないからな」

 浅沼は薄気味悪い笑みを浮かべた。
 茜さんに対する復讐の仕方も基本的には同じか。茜さんの気持ちを散々と傷つけた後に殺害するという卑劣極まりない手口。

「あくまでも自分は悪くない。そう言いたいんだな」
「当たり前だろ。だから2人に復讐するんだ。その邪魔をするならお前には自分の血を見てもらうぞ」
「やれるものならやってみろ。だけど、俺が絶対にさせない」

 浅沼の計画を粉々にするには、こいつの腐った根性を叩き直す必要がありそうだ。自分の考えがどれだけ浅はかであり愚かなものであるのか、浅沼にはたっぷりと思い知らせてやらないと。

「彩花を返してもらう前に、1つだけお前に訊きたいことがある。お前にとって彩花という女の子はどういう存在なんだ?」
「宮原が俺にとってどういう存在か? 決まってるだろ。俺の欲を満たすためだけにいる女だよ」
「……そうか」

 あまりにも予想通り過ぎてつい笑ってしまった。

「何を笑ってるんだよ!」
「ああ、すまないな。お前が予想通りの人間だったから、思わず笑っちまっただけだ」
「お前、俺が誰だと――」
「2度までも彩花を強姦しようとした犯罪者だ。それ以外に何て言えばいい? さっき、お前は自分自身で紳士だとか言ってたけど、笑わせないでくれよ。あと、彩花の元カレとか言わないよな?」
「そうだ! 俺は宮原の――」
「ふざけるな!」

 俺の叫びにさすがの浅沼も目を見開く。

「何が彩花の元カレだ。自分の欲だけを満たすために彩花に懐柔する。そんなお前に彩花への愛なんてこれっぽっちも感じられない! 彩花を傷つけるだけの最低野郎だ!」
「お前だって最低じゃないか! 俺は知ってるぞ。お前は宮原に束縛されそうになったから、後ろの女の所に転がり込んでるんだろ! 宮原の気持ちなんて考えずにさあ!」

 慌てているのか、浅沼の呼吸はかなり荒くなっている。
 痛いところを突いてくれるじゃないか、浅沼。さすがにこのことに関してはすぐには反論できない。

「黙ってるってことは自覚があるってことか」
「直人はあんたみたいな酷い奴じゃない! 直人が家を出た理由だって、彩花ちゃんのことを考えて……」
「外野は黙ってろ! それ以上言うとお前にも宮原と同じ目に遭ってもらうぞ。見た感じだと、宮原と遜色なさそうだ……」

 こいつ、渚までも自分の欲望を満たす材料にしようっていうのか。浅沼は女に関しては貪欲な人間のようだ。

「渚、もういい。俺は最低な人間だ」
「そんなことない! 直人は……」
「いいじゃないか。本人が認めているんだ」
「そんな……」

 渚はとても悔しそうな表情を見せ、下唇を噛んでいる。
 すまないな、渚。彩花のことを考えているとフォローしてくれることは嬉しいけれど、彩花のことが怖くて逃げたことも事実だ。だから、例え指摘した奴が浅沼でも俺はそのことから逃げるつもりは全くない。

「俺は最低な人間だよ。俺は彩花の気持ちを考えず、束縛しようとしてくる彩花を恐れて家を出たんだ。だけど、俺は彩花から離れたことで、彩花が俺にとってどんな存在なのかを改めて考えることができた」

 家を出てからは片時も彩花のことが頭から離れなくなったんだ。俺にとって彩花という人間がどういう存在なのか、それは――。

「……彩花は俺の守りたい人なんだ。側にいないと気になって仕方ない人なんだ。彩花から離れている間はずっと、彩花はちゃんと学校に行っているのか、泣いていないかって心配なんだ。彩花がお前に襲われかけたことを聞いた瞬間に、彩花に会いたいって強く思った。側にいて、彩花を笑顔にさせたいって思ったんだ」

 家を出たら彩花と気持ちが離れてしまうどころか、むしろ自分から近づいていた。本能的に彩花を大切な存在だと認識していたからだと思う。
 俺は彩花に向かってゆっくりと右手を差し出す。

「こんな俺でいいなら、一緒に家に帰ろう」

 俺はあの家で彩花とまた、新しい日々を送るつもりだ。
 あとは彩花次第。もし、彩花が俺と一緒にいるのが嫌なのであれば、浅沼を制裁した後に俺はどこか別の場所に引っ越せばいいだけだ。
 彩花は俺のことをじっくりと見てから1回頷いた。
 そして、彩花が何とかして俺の所へ行こうとした瞬間、

「待てよ、宮原」

 浅沼が彩花の肩を掴む。

「どういうつもりだ? お前、まさかあいつの所に帰るなんて言わないよな? あいつだって俺と同じ最低な人間なんだぞ! あいつだってそれを認めてるんだ!」

 浅沼は罵声を浴びせ、彩花の気持ちを制圧するつもりなのか。彩花が気圧されなければいいけれど。
 しかし、俺のそんな不安もすぐに吹き飛んだ。
 彩花は突如として目を鋭くし、浅沼のことを睨み付ける。

「あんたに直人先輩の何が分かるのよ!」

 彩花の叫びがこだまする。心の奥まで響く声だ。

「直人先輩が私から離れたのは、私が先輩のことを何としてでも束縛しようとしたからなの! 先輩はこのままじゃいけないと思って、あえて私を突き放すようにして離れたんだよ! 正直、先輩があんたよりも最低だって思ったときもあったけれど、先輩は私のことを物凄く大切に考えてくれてる! 仮に先輩が世間から最低だって非難されても私は絶対にこう言う」

 彩花は俺のことを見て、

「直人先輩は私のことを愛してくれているって! だから、私にとっては最高な人なんだって言い続ける!」

 何もかもが精一杯の叫びを響かせた。そのためか、彩花の呼吸は荒い。
 浅沼もここまで強気な彩花を見たのは初めてだったのだろう。驚いた表情をしているだけで何も言うことができない。

「直人先輩が離れていなくなっても、どんなに最低だと思っても……先輩が好きだっていう気持ちは一瞬だって消えなかった。だから、先輩と一緒に帰りたい」

 彩花は俺の顔を見ると1度、確かに頷いた。
 どうやら、彩花を信じて正解だったみたいだ。彩花はちゃんと自分の気持ちを整理した上で、俺と一緒にいたいって思っているから。

「お、おい。ちょっと待てよ。俺の言うことを聞かないとどうなるか分からないのか?」
「……そんな脅し文句なんか私には聞かない」
「考え直せ。あいつのところなんかに戻るんじゃねえ。絶対にだっ! そ、そうだ……俺の所にいると言ってくれたら殺すことは止めてやるよ」

 初めて浅沼が動揺しているところを見た。おそらく、彩花の気持ちがここまでのものだと思っていなかったからだろう。きっと、1年前と同じように自分に怯えるような弱い人間だと思っていたんだ。

「こいつらにだってお前を襲うなって言うから、だからあんな奴のところに行くんじゃねえよ!」

 浅沼が彩花の肩を掴むけれど、彩花は彼の手を振り払う。

「何度言われたって同じだから! 私は直人先輩の――」

 彩花がそう反論している最中だった。
 浅沼は彩花の反論を止めさせるように、彩花に俺を見えなくさせるように……強引に口づけをした。その瞬間、

「いやああっ!」

 彩花の悲痛な叫びが響き渡るのであった。
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